Ⅰ 未知の細胞 〜朝日奈綾の章③〜

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「じゃあアタシ、そろそろ帰るね」


「あぁ……悪いな」


綾がベッドから半身を起こした。


「ホントよ~。昨日はスッッッッッゴク心配したんだから!!退院したら……アタシの接待代は高いわよ~!!じゃ、また明日!」


そう言って早奈子は病室を後にした。






その頃、浩二は綾の担当医である副院長の所へ来ていた。


「……それで先生……お話というのは?……」


「実……は、ですね……」


浩二は副院長が急に言葉を濁したのを見逃さなかった。


「息子さんの……綾君の事なんですが……」


浩二の胸中を一瞬不安がよぎる。


「何か異常でも……?」


副院長は戸惑いながらも徐々に話し出した。


「息子さんにはCTスキャンによる検査を受けてもらいました。

……これがその写真なんですが……全体的に……くすみが見えるんですね……」


副院長に示された数枚の写真には、綾の内部を輪切りにしたかのような映像が焼き付いており、その全てが隈なく綾の現状を鮮明に表していた。


しかし、素人の浩二にはもちろんそれらの表す内容は分からなかった。


「まだ何とも言えませんが、CTを見るかぎり……血液に何らかの異常があるのではないかと思います。


これはあくまで憶測ですが、多分血液に含まれる赤血球や白血球を作っている骨髄に何か異常があるのではないかと思えますね……。


その異常とは……おそらく…………癌……である可能性が非常に強いかと……」


浩二の胸中は、まるで爆弾が落とされた後のように……焼け野原のようになっていた。








「わざわざ御呼び立てしまして……」


浩二は三日後、また副院長の元へやって来ていた。


「これが今朝のCTです……やはりくすみが進んでいます。


そしてこちらがレントゲンです……やはり思った通り、脊椎と骨盤の境目の所に骨肉種ができていました。」


その辺りから副院長の説明が『癌とは?』というような内容に移ってきた為、その言葉は憔悴する浩二の耳をそのまま通過し、流れていった。


「…………というケースが多いことから、綾君の癌は全身に拡がっているものと思われます……」


重い沈黙が辺りを包んでいた……。


「それで……息子はどうなるんですか……?」


「………………従来の手術では……もう……無理でしょう……」


浩二の顔は下に伏せられていたが、その面持ちは容易に想像する事ができた。


「……ただ、実は……従来の手術よりも遥かに高確率で治療出来そうな方法があるんですが……」


「えっ!?な、な、なんですか!それは!?」


浩二は副院長が全てを言い終わる前に、話に飛び付いていた。


副院長は一度、大きく深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。


「それは……遺伝子治療……です」


副院長の口から出た言葉はあまり聞き慣れないものであった。


しかし、どことなく引っ掛かる感じを覚え、何処かで聞いた事があるのかなと考えてみた。


「遺伝……子……治療……それは一体……?」


「えぇ、その遺伝子治療というのは実は大分以前から研究されてはいたのですが……


簡単に説明しますと、先程言ったように、癌等は正常な細胞が突然悪性の物へと変化してしまう病気です……ならばどうすれば治るのか?


つまり、悪性の物へと変化するという事はその細胞の遺伝子に異常が起きたと考えられる訳ですよね?


ですから、その細胞内に正常な遺伝子を送り込んでやれば病気……つまり癌やエイズなどの難病ですらも治療できるのではないかというものなのです。」


副院長が一気に話し終えた為、浩二には少しついていけず、十分理解するまでに更に何度かの説明を要した。


「しかし……そんな方法で治ったなんて話は聞いた事が……」


「そうなんです……これは不完全な治療法です。


一応成功例もあるらしいのですが、確実性にはかけるのです……これはあまり実用性のない机上の空論と言えます……」


「じゃ……じゃぁ、リョウは……」


表情が曇っていく浩二とは裏腹に、副院長の目には怪しい光りがさしていた。


「しかしですね……先日ある重大な発表が出されました。

それは今までの研究を覆すものでした!


おそらくそれは人類の知り得る最後にして最高の治療法なのではないかと私は思いました!!」


副院長はまるで、自分が発見したかのように目の色を変えて話しだした。


「今、その発表を録画したビデオがあるのですが……御覧になりますか?」


「は……ハイ!!是非とも!!」


藁をも掴む思いで浩二は、副院長のヒョロっとした両肩を掴んだ……。




     5




40インチの液晶画面の中に一人の老紳士が立っていた。


白い豊かな顎髭を蓄え、精悍な顔つきの中にどこか安堵を感じさせる。


髪は正面からみると短く見えるが、襟足だけを肩甲骨の下辺りまで延ばしているところが、意外と不自然ではないのが意外だ。

赤いネクタイを絞めた白いワイシャツと、ダークブラウンとワインレッドのストライプが入ったスーツが、理知的な容姿をより一層引き立てており、神々しさをも感じさせている。


名古屋大学医学部教授、島崎明盛氏であった。






「え~、先日……私はとても重大な発見をいたしましたの。


おそらくそれは、人類史上最後にして最高の医学であろうと思われますの!


なぜなら、この治療法は現代における万金丹、あるいはエリクサー……はたまたソーマとなる可能性を秘めた物であるからなのですの!!」


ザワザワザワザワ……


「あ~コホン!ご静粛にの……ではまず、私の発表の前に今までの遺伝子治療法について簡単に説明させていただきますの。


世界には従来の医学では治療出来ない難病の代名詞として癌なんかがありますの……これは『体の設計図』と言われる遺伝子の一部に異常があったり、欠損したりしている為に起こる病気ですの。


これを一般に遺伝病と言いますの。

そして、この遺伝病を治すために研究されていたのが、これまでの遺伝子療法ですの。」

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