Ⅰ 未知の細胞 〜朝日奈綾の章②〜
3
闇の中に聳え立つ摩天楼の群。
仰々しく飾り立てられたネオンが何処かアルカイックな感じを漂わせている。
そこから地上を見下ろすと、無数の蟻がうごめいているように見えた。
男を待っている者、はたまた女に待たされているモノ。
酔っ払って喧嘩を吹っ掛けている者や、ツブレてしまって仲間に頬を打たれている者もいる。
大勢集まる場所らしく、空が暗みを帯びてきてもどんどん数が増えてきていた為、ますます蟻のように見えた。
「待ったぁ~!!」
「遅いよぉ~」
「ねぇ…………カバン持ってよ!」
「な……なんでぇ!部長のバッキャロー!!!……ヒック!」
「おぅ!?テメェ!!」
「あら岸本さん、また来てくれたのね~!」
多少の悩みなど、彼らにしたら常日頃の事であり、自分なりの解決方法や打開策を誰しもそれなりに持っている。
酒を飲んで忘れようとする者、買い物をする者、異性とのスキンシップでほぐす者……。
そのため蟻は、苦もなくいつも働き続ける事が出来るのである。
しかしそんな中、悩みどころか大きな不安と心配を抱いて走る一人の男がいた。
今の彼には酒も、買い物も、スキンシップもその相手も、全てが無意味であったし、何よりそんな暇はなかった。
なぜなら、その男はつい数分前に一人息子が急に意識を失い、病院に担ぎ込まれたという報告を受けたばかりであったからだった。
浩二が都内のある総合病院についた時、ちょうど良いタイミングで息子の友人の姿を見つけた。
「三木君!三木君だったな?あいつは?リョウは?」
「あ……おじさん!」
「ど……どうなんだ!?リョウの様子は?」
「こっちです……」
三木と呼ばれた若者は、浩二を連れて四○三号室へと向かった。
三木は綾や早奈子と同じくキネマサークルの部員で、何度か綾の家にも来た事があったので浩二とも面識があったのだ。
「リョウの彼女のサナちゃんから連絡受けた時には、すでに意識もなくて……今はサナちゃんが診てくれてます。検査の結果は明日になるだろうって医者が言ってました……あ、ここです」
浩二は三木に丁寧に礼を言って帰した後、病室へと入っていった。
するとそこでは一人の女性が心配そうな表情で綾の事を見守っていた。
この娘がリョウの彼女なのかと浩二は思った。
綾の母親であった美樹の面影をなんとなく感じる。
綾の記憶に母親の姿はあまり残っていないはずだが、やはり似たような女性を選ぶ所は親子の遺伝子のなせる
「新堂さん……で間違いないですか?」
「え?あ、ハイ……」
「朝日奈綾の父です。」
少しの間、早奈子は口をパクパクさせていたが、なんとか搾り出すかのようなか細い返事をする事ができた。
「……リョウちゃん、今日はなんだか具合が悪そうで……急に倒れて……それで……それで……」
堪えていた涙を零しながら早奈子が説明をした。
浩二が時計を見ると午後八時を二十一分も過ぎていた。
「もう遅い……君も疲れているだろうし、そろそろ帰ってゆっくり休んで下さい。リョウの事を見ててくれてどうもありがとう。」
何も動く物のない白い部屋で、動かぬ二つの影があった。
心配ない……心配ない……と自分に言い聞かせる浩二は、息子の横たわるベッドの隣りですっかりうなだれてしまっていた。
依然として綾の意識は戻らない……。
医者の話をまだ聞いていないので良いとも悪いともつかないのだが、なんとなく浩二の不安は募る一方であった。
今の彼の心境には複雑な物があった。
妻の美樹が他界してからというもの、男手一つで息子を育ててきた彼であった。
それだけに彼の綾に対する思い入れは強かった。
(死んで……しまうのか……?)
そう思うのも無理はない。
なぜなら、いきなり意識を失ったという綾の様子と、彼の母親である美樹が癌で亡くなった時の様子とが十五年の歳月を経て浩二の中で重なったからであった。
更に言うなら、美樹が亡くなった病院と、今二人のいる病院とが同じであるという事も、その思いを手伝っていた。
(美樹……まさかリョウを連れて行くつもりじゃないよな……)
その夜、面会時間はとっくに過ぎているにもかかわらず、看護婦は一度も部屋を訪れなかった……。
とある研究室の奥からは、けたたましい程の獣の雄叫びが響き渡っていた。
ガンガンと鉄製の檻を内側から叩く音と、恐怖に脅える女の悲鳴が、不快な三重奏となって空間を満たして行く。
「イヤァァァァァッ!!出してぇっ!!助けてぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
檻の中では、女の足元に3人目のエサとなった男の頭部がゴロリと転がって来た。
先に犠牲とならざるを得なかった怨みの顔とも、次はお前の番だと嫌らしく笑っている顔とも取れるのは、その女自身の心境による所が大きいのであろうか。
奇怪な姿をした獣が近寄って来る。
もはや最後に一人残った女の悲鳴は、人の言葉にもなってはおらず、一際激しくなったかと思うと、もはや二度と聞こえる事は無くなっていた。
奇怪な獣が入れられた檻の外では、そんな余興を楽しむでも無く眺めている者がいた。
「まだ……こんなものでは…………次は……人で……実験を……早く……早く…………」
その者の言葉は、深まる時刻と共に、夜の闇の中へと溶けて消えて行った。
檻の中では、既にエサを食べ尽くしたにもかかわらずに満足出来ぬ奇怪な獣が、檻の外でブツブツと呟く人物に向かって吠え立てている。
その人物は、ポケットから液体の入った小瓶を取り出すと、奇怪な獣に向かって振り掛けた。
すると獣は雄叫びを上げる間も無く溶けていき、泡となって消えてしまった。
「人……人……人……」
夜の闇はその者の味方をでもしているのか、何事も無かったかのように全て包み込んで行くのであった。
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