Ⅰ 未知の細胞 〜朝日奈綾の章〜

Ⅰ 未知の細胞 ~朝日奈綾の章①~

     1



朝日奈浩二は寝起きの目をしょぼつかせながら、目覚めのコーヒーをがぶりと飲み干した。

その日の朝刊を読みながらベッドでコーヒーを飲むというのは、既に彼の日課と化していた。


(荻原内閣総辞職……円相場の大暴落……北の政権崩壊か?……へっ!最近ろくなニュースがありゃしねぇ。


もっと読んでて楽しくなるようなニュースってえのはねぇのかよ……


おっ!?昨日の桜花賞……フジリーダーが勝ってんじゃん。

ちくしょう!思ったとおりの8ー13かよ……買っときゃよかったぜ……


本当に俺ぁ運があるのかないのか、わかんねぇや……大体馬券買った日にゃさっぱりだってのに、こういう時に限ってスラリと当たりやがる。


世の中どうかしてんじゃねえのか……ん!?)


浩二の目は朝刊の上を縦横無尽に滑り回っていたが、『本日の特集』の小さな記事につまづいた。


(癌治療に大変革!名古屋大学、医学部教授の島崎明盛氏が六日、新しい画期的な遺伝子療法を学会に発表した。


明日七日に同大学で特別会見を行うとの予定。社会面に関連記事……)


浩二が新聞に見入っている時、彼の寝室のドアをノックする音が聞こえてきた。


「父さん、朝食の用意ができたけど……」


「あ……あぁ……すまんな、リョウ………………あ!リョウこれ……」


と、言いかけて浩二は口をつぐんだ。

いらぬことでアレの事を思い出させる必要はないと思ったからである。


「……何?」


「あ、いや……何でもない。」


「そう……じゃ、早く来てよね。」


「わかった……今行く……」


浩二だけを寝室に残して、朝日奈綾は出て行った。


(そうか……あれから……美樹の奴が死んでからもう十六年になるのか……リョウの奴も十九歳。

もう大学二回生か……早いもんだ。

あの時まだリョウは三歳だったもんな……)


浩二が目玉焼きを飲み込みながら昔の事を考えていると、


「あ!?ヤベェ……もうこんな時間じゃん!!今日は講義が早ぇんだよ。

じゃあ父さん、俺先に行くから片付けよろしくね!!」


と、かじりかけのトーストをくわえたまま綾は立ち上がり、ドタドタと言わせながら玄関を飛び出して行った。


浩二の胸中に複雑な思い出が充満していった。




     2




講義が終わり、朝日奈綾が近くの定食屋『竹乃屋』で昼食を取っていると、そこへ新堂早奈子がやって来た。


「いたいた、やっぱりここだ!リョウちゃん!!

ねぇ、今日の映研出るんだよね?」


「えっ!?」


「え~!出ないつもり?今日は新入生が来る日だよ?」


「あ……あぁ、そっか。」


「もしカワイイ娘がいたら超ラッキー!……って思ってる?」


「思ってねぇよ」


「いいよぉ~、思うくらいなら!」


「だから違うって!」


この女の子は綾と同じく、キネマサークル(通称『映研』と言う)に所属する娘である。

明るめのセミロングの髪がサラサラとなびき、活発な美貌とよくあいまって周りにも人気が高い。


ただ一つ問題があるとするなら、すでに朝日奈綾と付き合っているという点であろうか。


(そういえば、このごろ映研にも出てなかったな……なんだか時々体がダルくって……今日ぐらいは顔出しておいた方がいいかな?)


綾が一人物思いに耽っていると、早奈子は覗き込むように顔を近付けてきた。


「……どしたの、リョウちゃん?こないだも体調崩してたみたいだけど……ホントに具合でも悪い?さっきから黙りこんじゃってさぁ……最近出ないのもそのせい?」


「いや、そんなのじゃねーよ……ちょっと考え事をね。」


綾は軽く否定した。


「そう……じゃ、行こ!」


二人で外へ出て、キャンパス内に戻ろうとした時の事であった。


「どんな子達が入ってくるかなぁ……みんないい子達だといいね!アタシこう見えても結構面倒見のいい方………………リョウちゃん?聞いてる?」


話しかけても全くいらえのない綾を心配した早奈子は、彼の顔を再び覗き込んでみた。


「え?ヤダ!?ちょっとリョウちゃん!大丈夫?リョウちゃん!!」


大粒の脂汗を垂らし、早奈子に倒れ込んだ綾の意識はどんどん遠くなっていった。






綾が意識を失い、病院に搬送されている頃、同じ街で行き交う人の波を眺めている一匹の黒猫がいた。


(グッグッグッ……この街はモルモットとなる人間が多い……ホラ、向こうの方でも……重い病を患っている者がいる……アソコでも……ココにもいるな……グッグッグッ……最初に事を起こすにはちょうど良い具合……ココを選んだのは正解だったと……早速報告しなくては…………)


ひそかにそんな事を考えていた黒猫の背中が、突然バキバキと音を立て、なんと二つに割れてしまった。

そして中から蝙蝠こうもりのような翼と、昆虫のような三対の節足がシュッと現れ、割れた状態の不気味な黒猫の体を持ち上げたかと思うと、そのまま空の彼方へと消えてしまったのであった。



     

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