花束
緩い傾斜の見晴らしがよい畑を男が鍬を片手に歩いていた。畑の西の方には一面のまだ水の張っていない田圃が見渡す限り続いていた。また、北側には山を削って作られた段々に植えられた梅が花を咲かせている。梅の花の甘い匂いに誘惑された蜂たちが忙しそうに羽音を鳴らして働いていた。そんな蜂たちを見て男は感心した。暫く観察していると蜂の一匹が梅の花のから飛び出して、畑と梅の木々との間にあるミモザに留まった。弾けた黄色の、小さく丸いミモザの花は蜂には窮屈そうに見えた。それでも必死に縋っているような蜂を見て男は思い出した。
***
ある春の日、男は街に女友達と遊びに行った。日中は暖かったが、日が落ちるにつれて肌寒くなった。待ち合わせは十八時であったが、折角街へ出る機会だったので早めに家を出て買い物をした。その後、まだ待ち合わせまで時間があったので街をぶらついた。ふと花屋の前を通り掛かったとき、明るい色で統一された花束が目に付いた。
「すみません。この花束をください」
「贈り物ですか? 」
「まぁ、そんなところです。包装紙で包んでください」
花束の包装が終わるまで花屋の中を見て回った。包装が終わり、花束を受け取ると丁度いい時間になったので、待ち合わせ場所の駅へと移動した。駅に着いてから暫くして彼女が来た。
「久しぶりだね」
「ごめんっ。お待たせ」
「結構待った? 」
「全然。買い物をしてたから」
男は彼女と会うのは数年ぶりだった。と言うのも、男は既に故郷を出ていたからだった。駅を出て飲み屋街がある通りまで歩いた。平日だと言うのに人気が多い気がした。通りに入ってすぐの居酒屋に入った。彼女と向かい合って座り、酒とつまみを適当に注文した。すぐに頼んだ物が届いた。彼女と乾杯をして、たわいのない話をした。
「そうだ、これ。先に渡しとくよ」と言い男は彼女にさっき買った花束を渡した。
「えっ。私に? 」
「ぴったりだと思って。明るくて、元気な君にね」
「嬉しい。なんで好きな色がわかったの? 」
「偶然だよ。偶然」
彼女は花束を見つめてみたり、匂いを嗅いでみたりしていた。
彼女の頬が少し赤くなり始めた頃、「ねぇ。なんで私を誘ったの? 」と彼女が男に尋ねた。
「気になる? 」
「突然だもん。当然でしょ」
「写真で君を見たら懐かしくなって。それで話をしたいと思ったからさ」
「本当? 」
「本当だよ」
彼女はまだ花束を握っていた。
「そんなに触ったら、枯れちゃうよ」と言うと彼女は淋しそうに花束を離し、空いていた隣の椅子に置いた。
「なんでお花をくれたの? 」
「だから君にぴったりなのを偶々見つけたからさ」
「本当に? 」
「あぁ。本当だとも。それに形に残るものより、いつか無くなる物の方がいい」
「どうして? 」
「残るのは重いでしょ」
「でも枯れるのは悲しいよ」
「それじゃあ、枯れた頃に新しいのをあげるよ」
「じゃあ、遊びたいだけ? 」と彼女が少し間を置いて言った。
「さぁ。どうだろうね」
「うわっ。遊んでる人なんだ」
「そう見える? 」
「うん」
「酔っ払ったら本当のこと言うかも」
「じゃあ、何飲む? 」
男はなんだかやるせない気持ちになり、タバコを一本吸った。タバコを吸い終わると、金木犀のコロンを付けた。季節はずれだが気に入っているため年中使っていた。
「君も付ける? 」
「付けてみる」
男は彼女の手首にコロンの入った瓶を押し当てた。少し水滴が付くと彼女は両手首に伸ばした後、首に擦り付けた。
「どう? 」
「すごくいい匂い」
「気に入ったなら、あげるよ」
「ありがとう」と言って嬉しそうにしていた。
その後、二、三軒目と居酒屋を歩き浴びるように酒を飲んだ。三軒目を出る頃には日を跨いでいた。
「で、どうなの。さっきの答えは」
「遠いから……。いや、まだ酔ってない」
「えー。私もう飲めないよ? 」
「俺はまだ飲み足りないな。もう一軒行かない? 」
「むり」
「じゃあ、この後どうするの? 」
ふらふらと歩く彼女の手を握った。酔って熱くなっていた。
「さぁ。どうだろうね? 」と彼女は立ち止まって言った。
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