喜世留

茶色い暖簾のかかった寂しい店だった。大通りから外れて人通りは少なく、背の低い店が並んでいた。河原町は活気に溢れているが、ここは静かでいて、所々に和が滲み出ていた。金閣寺や清水寺なんかより、よっぽど上品で京都らしい雰囲気だった。


 暖簾をくぐるとガラス越しに見える店の中は薄暗かった。引戸から中に入る。六畳くらいの和室に詰め込むようにして箪笥が置かれていた。その箪笥が仕切りになって店の奥が見えないようになっていた。箪笥の手前側にあるガラスケースが外からの光を反射し、てらてらと光っていた。中にはさまざまなキセルが並べられていた。何か作業をしているのか部屋の奥の方から金属的な音が聞こえる。


 「すみません」と私が声を出すと、短身痩躯でちょび髭を生やした七十くらいの男が出てきた。


 「これは、これは。失礼しました」


 男は静かに歩いてきて、ゆっくりと正座した。


 「キセル屋で間違い無いですか?」

 「えぇ。そうですとも」


 私の不安はその一言で消え、好奇心に変わった。


 「あのう、キセルを買うのは初めてなんですけど……」

 「大丈夫ですよ。立っているのも疲れるでしょう。お掛けください」

 「ありがとうございます。それでは失礼します」


 私は火鉢を挟んで男の正面に座った。


 「最近はめっきり人が来なくなってね。それにお客さんみたいな若い方は相当珍しい。海外の人がお土産で見に来ることはあるけれど、本当に珍しい。今の子はみんなシガレットでしょう?」

 「ええ。私も、私の周りもそうです」

 「どうしてキセルに興味を持たれたのです?」

 

 きっかけはある小説家を写した一葉の写真だった。白と黒だけの世界にその小説家はキセルを咥えて存在していた。その出立ちに私は惚れた。


 「憧れですかね。それにせっかく京都で学生をするんです。日本の文化に触れなきゃ損ですよ」

 「それはいい。キセルは伝統工芸品ですからね。京都のキセル屋はもうここしかないですから、ゆっくりしていってください」


 淋しそうだった。喫煙者というだけで肩身が狭い世の中であったが、最近の流行り病のせいで、尚更に煙たがられるようになった。


 「たばこは嗜好品なんです。嗜好品ってのは、嗜み好むもの。口偏に旁は老う旨と書いて、年老いて旨味がわかるようになるという意味が込められているんです。節度と品位を守って摂取する過程も大切に楽しむものなんです」

 「はぁ。つまり教養ってことですか」

 「そう捉えることもできますね。もともとたばこは肺に煙を入れなかったんです。戦後にシガレットが日本に入ってきてから変わってしまった。煙を肺に入れるようになったせいで健康に悪いと言われるようになり、手軽に吸えるようになったせいでマナーが悪くなった」


 男はガラスケースの中からキセルを取り出した。

 

 「火皿があるところを雁首と言いましてね、その雁首と吸い口の部分に使われている金属でキセルを選ぶといいですよ。男性に人気なのは純銀ですかね。女性の方は真鍮のものを選びます」


 男は二本のキセルを私に見せた。一本は銀でできており、冷たい光沢を放っていた。もう一本は銅と亜鉛の合金である真鍮のものだった。黄色く鈍い色をしていた。


 「他にもありますが、うちで作っているものはほとんどがこの二つです。どちらも使っているうちに燻んできて色が変わっていきます。だからね、見る人がみればキセルを買ってどれくらい経つのかわかるんですよ」

 

 私は相槌を打ちながら夢中になって話を聞いた。


 「あとは金属の厚さ。重さを感じたい方は雁首の作りがしっかりとしたものを選びますね。金属が分厚いと彫って装飾もできますからね。今、装飾がなくても後から掘ることもできますよ」

 「なるほど、なるほど。竹の長さが違うのは何か意味があるのですか?」

 「この竹管のことを羅宇竹と言うんですけどね、煙は冷やされれば冷やされるほど美味しくなるんです。羅宇竹が長ければ長いほど煙が冷やされるってことです。でもあまり長いと携帯するのが不便でしょう? ですから、外で吸われる方には一番短い竹管の長さが二十センチのものを薦めています。二十センチでも十分に冷えますから」


 男はガラスケースの中から竹管の長さが五十センチくらいのキセルを取り出して、私の前に置いた。


 「逆に、そうですねぇ。時代劇とかで見る花魁なんかは長いキセルで吸っているでしょう? あれは家の外に出ることがほとんどないからなんです。持ち運ぶ必要がありませんからね」

 「外でも吸いたいので二十センチの方にします。それと雁首は分厚いので」

 「そうですか。ありがとうございます。竹管だけ取り替えることもできますから、短いものでも後から長くすることもできますからね」


 それから私は男の話を参考にしてキセルを選んだ。なかなか決まらずうんうんと悩んでいると、男が店の奥の箪笥から箱を取り出した。箱の中には三本のキセルが入っていた。


 「随分と悩まれていますね。こちらはですね、少しお値段は張るんですが店に出しているものとはちょっと違うんですよ。お洒落って言うんですかねぇ。デザインを考えて作ったんですよ」

 「……いいですね。これにします。気に入りました」


 私はその中の雁首が分厚く真鍮で作られていて、吸い口の途中から銀でできたものを選んだ。そのキセルと一緒に、刻みたばこを入れるための懐中たばこ入れも買った。


 「ありがとうございます。そうだ、お客さん。お試しというか、御作法の練習をしていきますか?」

 「ええ。是非。お願いします」


 男は嬉しそうだった。私も初めてのキセルで高揚した。男は桜が掘られていて、骨董品のような年季が入ったたばこ盆を私との間に置いた。そして懐からキセルとたばこ入れを出した。


 「お客さん左利きですか?」

 「いえ、右利きですね」

 「これは失礼しました。財布からお金を出すときとか、キセルの持ち方を見ていたのですがね、てっきり左利きだと勘違いしました」


 私はもともと左利きだったのだが、幼い頃に右利きに矯正された。なんだか見透かされたような気がしてぞっとした。


 「このようにですね、たばこ入れの口を自分の方に向けまして、その上で刻みたばこを火皿にひとつまみ載せてください。ゆっくり吸いなが火をつけてくださいね。煙は肺に入れないように」


 私は言われた通りにした。濃い煙が口の中に広がる。紙タバコとは比べ物にならない純粋な煙だった。


 「あぁ、そうです、そうです。そして煙を口の中で転がして一拍おいて出す。シガレットに比べて煙の量も少ないですし、紙や添加物を燃やしませんから匂いも気になりません」


 話を聞きながら私は口から煙を吐き出した。


 「紙巻きと全然違いますね。もう戻れないかもしれないです」

 「そうでしょう? お客さんは一日にどれくらい吸われるのですか?」

 「一箱の半分くらい」

 「でしたらタバコ代も馬鹿にならないでしょう。一日にそれくらい吸われるのでしたら、刻みたばこ一箱で二週間は持ちますよ」

 「一箱幾らなんですか?」

 「六百円です。経済的でしょう」

 「えぇ。今、私が吸っているのと全く同じ値段ですよ。昔はね、四百四十円くらいだったのにどんどん値上がりして大変ですよ」


 男は自分のキセルに刻みたばこを載せて火を付けた。そして一服吸って言った。

 

 「一服吸って香りや味の余韻を楽しみ、軽い陶酔感にゆっくりと浸る。そしてまたしばらくおいて一服吸う。その間にキセルの手触りや重さを楽しんだり、たばこ入れやたばこ盆を愛でたりする。仲間がいれば会話もする」

 「一人であればゆっくり立ち昇る紫煙の行方を追いながら夢想に耽る」

 「そうです。日常の時空とは異なったゆっくりとした非日常の時空へと誘ってくれるところにたばこの良さがあります」


 暫くして火が消えた。

 

 「灰を捨てる時はですね、火皿を下にしてこう手で、とんっ、としてやるんです」

 

 私も真似してやってみたが、上手く灰が落ちず苦戦した。


 「そう何回もやると格好悪いですから、練習ですね。勢いよく、こうするんです」

 「なるほど、なるほど」


 もう一度、今度は勢いをつけてやったら灰が落ちた。一通り終わった私たちはキセルをしまった。


 「喜びを世に留める。そういった意味でキセルを漢字で書くと喜世留って書くんですよ。杉田玄白が残した当て字だと言われています」

 「まさに字の如くですね。灰が積もっていくのも美しく感じますよ」

 「それこそ嗜好品ですからね」


 私が立ち上がるのと同時に男も立ち上がった。


 「えぇ。今日はいい買い物ができました。また来ます」と私が言うと、男は「おおきに」と言って頭を下げた。

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