010 幽霊



 朝、起きるとベットの隣に敷いた布団から優太の姿が消えていた。

 どうやら朝早くに出て行ったようだ。

 机の上には置き手紙が残されていた。

 俺は置き手紙をひょいと摘まみ上げ、中身を見る。


『お世話になりました。桜木優太』


 俺は置き手紙を手で握りつぶして、ごみ箱へ投げ入れた。


「今日が最後か……」


 俺が渚鈴葉でいるのは、おそらく今日が最後。

 優太が飛び降りたときに、渚鈴葉が何をしていたのかが否応なく判明する。

 俺は気合を入れて、朝の支度を始めた。





 教室に入ると、美咲の姿が見えた。


「おはよう美咲」

「おはよう。昨日はびっくりしたよ。あんな所で鈴葉と会うなんてさ」


 美咲は明るく昨日の話をする。

 視線を少し動かすと、優太の姿もあった。

 優太は何事もないように自分の席で静かに座っている。

 美咲の視線に優太も入っているはずだが、まるで見えていないように無視していた。


「昨日のことなんだけど……」


「あの時、神崎先輩が助けに来てくれなかったら危なかったよね。

 それにしても神崎先輩はホントにカッコイイなぁ。鈴葉もそう思うよね?」


 わざと優太に聞こえるように美咲は言う。

 暗に優太を責めているといった感じ。いわゆる当て付けだ。

 優太に対して、相当おかんむりの様子。


「もし恋人になるなら神崎先輩みたいな。不良に絡まれても一人で逃げ出さない強い人がいいよね?」

「う、うん。でも強さだけじゃなくて、優しいとか気配りができることも大切かな」


 俺は暗に優太をフォローする。

 優太もちゃんと一人で逃げたことを悪いと思って反省している。

 それなのに追い打ちを掛けるようなまねをすれば、昨日のように爆発しかねない。


「それはもちろん優しい方が良いよ。だけどやっぱり男らしさは欲しいよね。

 自分を守ってくれる人と守らない人だったら、断然守ってくれる人。

 自分だけ逃げる男なんて最低。死ねば良いのに」


 優太が反応しないのが面白くないのか、美咲の語彙が強さを増した。


「誰だって得意不得意はある。完璧を求めるのは無茶だよ。

 神崎先輩だってきっと苦手なものはある。

 虫とか蛇とかを見たら、きゃーって悲鳴をあげるかもしれないよ?」


「それはそれで可愛いかも。それに一人で逃げるよりは全然マシ」


「…………」


 俺が何を言おうが無理そうだ。美咲は優太批判に全力を注いでいるのでどうしようもない。

 俺がフォローすればするほど、美咲はむきになって優太への批判を続ける。

 ここは早々に会話を打ち切るのがベスト。

 そう思ったところに、優太が立ち上がって近づいてきた。

 美咲からは、殺気を感じた。


「渚さん、昨日はありがとう」


 優太は美咲の殺気をスルーして俺にお礼を言った。


「う、うん……」

「ありがとうって、なんの話?」


 笑顔の美咲が質問する。相変わらず殺気を出したままに。


「大したことじゃ――」

「――渚さんの家に泊めてもらったんだよ」


 俺が誤魔化そうとするのを遮るように優太は言い放ちやがった。

 ……こいつ、何を考えてやがる? 火に油を注ぐようなことをするんじゃない!


「なっ……」


 美咲が絶句した。


「そうだよね? 渚さん」


 優太が俺に同意を求めてくる。

 俺は今、美咲と優太のケンカに挟まれている状態だ。

 ……まさか俺を間に挟んで言葉の殴り合いをするつもりか!?

 俺は恐怖を感じて震えた。


「まあ、成り行きでね」


 しぶしぶと認める。認めざるを得なかった。


「そう、成り行きで。だから支倉さんが想像するようなことは何もないから」


 優太が美咲に曇りのない笑顔を向ける。一方、美咲は笑顔を引きつらせていた。

 まさか優太が会話に混ざってくるとは思わず、かなり驚いた。

 二人が付き合っていたことはクラスメイトたちに秘密なので、表立って言い争いはしていない。

 俺を間に挟んだ遠回りの言い争いをしている状況だ。


「ふーん、まあ私には、関係ないことだから」

「そうだね、支倉さんには関係ない話だったね」


 強がりを言う美咲に、殴り飛ばすような言葉を吐く優太。

 表面的には仲が良さそうに笑う美咲と優太だが、その実は笑顔で殴り合っている。

 優太の本心としては逃げたことを後悔している。それを謝って許してもらいたいはずだ。

 しかし、美咲が絶対に許さないと核心した優太は自分を守るために、逆に攻撃せざるをえない状況になった。

 そんな感じだろうか。


「…………」


 二人の言い争いの間に挟まれて、苦笑いを浮かべる俺。

 そんな折、ふと廊下に視線を向けると、私服姿の渚が廊下を歩いているのが見えた。


「……え?」


 俺は今、制服を着た渚の恰好をしている。

 そんな俺とは別に渚そっくりの人物と言えば、渚の双子の妹、琴菜ということになる。

 しかし、琴菜は入院をしている。

 ……またも病院を抜け出したのだろうか?


「おい、今、廊下に幽霊がいたぞ!」


 クラスメイトの一人が教室に飛び込んできて、そう言った。

 そういえば廊下を歩いていた琴菜は体が透けていたように見えた。

 ……幽霊なんかいるわけがない。って今の俺が言ってもまったく説得力がない。

 俺自身が幽霊になって、渚の体にとりついていると言えなくもないのが現状だ。

 となると琴菜が幽霊になって学校に遊びにきていたとしても、なんら不思議ではなかった。





 クラスメイト達からは休み時間の度に、幽霊の目撃情報が入ってきた。

 その都度、俺は目撃現場に向かったのだが、琴菜を見つけることは出来なかった。

 どうやら琴菜の幽霊は壁をすり抜けたり、空中に浮かんだりできるようだ。


 さて、どうするかと考えた結果。琴菜に電話を掛けてみることにした。

 幽霊の琴菜が学校に来ているのなら、本物の琴菜は電話に出ない可能性がある。

 廊下の隅に移動して電話を掛けるが、やはり琴菜は電話に出なかった。

 これで幽霊が琴菜だという確率がさらに上がった。


 幽霊というか幽体離脱に近いのかもしれない。

 病弱な体から抜け出して学校に行きたいという想いがあったのだろう。

 手術を受けて成功すれば健康な体になれるらしいが、手術の失敗が怖くて踏み切れないでいる。


『これが何等でもいいから、もし当たったら手術を受けることにする。そう決めた』


 琴菜は朝比奈海斗が買った宝くじを見つめながら、そう言っていた。

 もしも朝比奈海斗が買った宝くじが当選すれば、琴菜に勇気を与えることができる。


「……当たってるかな? ちょっと見てみてみよう」


 俺は当選番号をスマホで調べた。

 俺の買った番号と琴菜の買った番号、両方ともがハズレていた。

 当然と言えば、当然だろう。宝くじはハズレるのが当たり前なのだから。

 しかし、どうしてもあきらめることができずに、1等の番号を覚えることにした。

 また意識の入れ替えと時間遡行が起きた時に一等を当てるためだ。

 もし俺が忘れたとしても神崎に頼べばいいのだが、神崎がそういうことに能力を使いたくないと言い出すないとも限らない、保険という奴だ。


「よしっ」


 一等の番号を頭の中で復唱してしっかりと覚えスマホを閉じた。

 顔を上げると、そこには見知った人物――武藤が立っていた。

 武藤は俺に用があるようで、じっと見つめてくる。


「……何か用ですか?」


「君と同じ顔の幽霊が歩き回ってるのを見てさ。

 もしや君がその幽霊かと思ったけど、どうやら違うみたいだ。

 君も幽霊を探してるのかな?」


「……まあ、そうですね」


 俺は武藤の思惑が読めずに気の抜けた返事をした。

 ……武藤は幽霊を探しているのだろうか? なんのために? ただの興味本位か?

 キャットテールの写真を撮って喜んでいるような奴だ。ミーハーなのは間違いない。


「そう。もし会いたいなら昼休みに裏庭に来るといい。

 そこで会う約束をしているから」


「約束? 琴菜を知ってるんですか?」


 琴菜が武藤と会う約束をしていることが、俺には理解できなかった。

 接点はないはずだが……。


「もちろん知ってるさ。だって彼女に力を与えたのは俺なんだから」

「……どういう意味ですか?」


「そのままの意味だよ。彼女は今、幽体離脱をして自由に移動できる力を持っている。

 俺は力を分け与えて、彼女はその能力を発現させた」


「あなたは一体、何者ですか?」


 今までたくさんの超能力者を見てきたが、他人の能力を覚醒させる超能力は他とは一線を画す。

 本当に武藤なのか? 雰囲気がいつもと違うし……。


「異世界人、と言っても魂だけ。体は借りてる状態にある」

「…………」


 武藤の言葉を笑い飛ばすことはできなかった。

 武藤は今の俺と似ている。渚鈴葉の体に魂だけが入っている状態の俺と……。

 それにしても武藤が異世界人に乗っ取られていたとは気づかなかった。

 思い返してみれば、ここ最近の武藤は妙に馴れ馴れしかった。

 もしかしたら俺の魔力を感じ取って探りを入れていたのかもしれない。目的は分からないが……。


「詳しい話は昼休みに。それじゃ待ってるよ」


 そう言って武藤は去っていった。

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