009 運命



 公園に向かいながら俺は思い出していた。

 オリジナルの俺は渚琴菜と公園で会っていた。

 私服を着て少し落ち込んだ様子の渚鈴葉だと思ったが、実はそれが渚琴菜だったのだ。

 俺は渚鈴葉だと思い込んだまま、琴菜と接していた。

 所々会話が食い違っていたことに今更ながら気付いた。


 公園に到着して周りを見渡すが、琴菜の姿は見当たらない。


「……いない。朝比奈海斗とゲーセンに行ったか」


 俺は琴菜とゲーセンに行ったことを思い出した。

 ゲーセンに行くと、すぐに琴菜を発見した。

 琴菜は楽しそうに朝比奈海斗と遊んでいる。


「…………」


 俺は二人から見つからないように、こっそりと物陰に隠れた。

 オリジナルの渚鈴葉はゲーセンで朝比奈海斗とは出会っていない。

 つまり、ここで俺が姿を現すのは間違いだろう。


「…………」


 遠巻きに琴菜を観察する。

 琴菜の手足は鈴葉と比べて、かなり細いように見える。

 琴菜がなぜ入院しているのかは分からないが長い間、入院生活をしているのは間違いなさそうだ。

 病室にはろくな娯楽がない。琴菜にとっては平凡なゲーセンでも夢の国のように感じているのかもしれない。


 笑う琴菜を見ていると、微笑ましい気持ちになって自然と笑みが浮かぶ。

 もしかしたらオリジナルの鈴葉も、俺と同じように隠れて笑顔を浮かべていのかもしれない。そんな気がする。

 俺は気付かれないように二人の時間が終わるのを待った。


 二人はゲーセンを出ると、宝くじを購入した。

 朝比奈海斗が選んだ番号は『9973』の例の素数だ。

 そして琴菜が選んだ番号は『1931』。

 語呂合わせで『いきたい』と読める。


 琴菜は『学校』というワードに過剰反応していた。

 それは琴菜が学校に『いきたい』という気持ちがあったからかもしれない。

 オリジナルの俺は琴菜だとは気づいていなかったから、考えもしなかった。


「…………」


 二人は買った宝くじを交換すると別れた。

 俺は一人になった琴菜を追いかけて、そっと声を掛ける。


「琴菜」

「……鈴葉」


 琴菜はばつが悪そうに下を向いた。


「病院に戻ろう」


 俺がそう言うと琴菜は無言でうなずいた。





「どうして病院を抜け出したの?」


 病室のベットで横になる琴菜に俺は訊いた。


「……会いたい人がいたから」


 琴菜はクレーンゲームで取ったぬいぐるみを抱きしめた。


「それはゲームセンターで一緒にいた人?」

「ううん、違う。朝比奈先輩は私を鈴葉だと勘違いして、たまたま声を掛けてくれただけ」

「じゃあ、誰に?」

「手紙をくれた人」

「手紙?」


 琴菜はベット脇の机から白い封筒を取り出した。


「待合室の椅子に私宛の手紙があって、看護師さんが届けてくれた。

 送り主は『ゼロカロリー』って書いてある。ペンネームだと思う。

 朝比奈先輩が手紙をくれた人かなと思って聞いてみたけど違ったみたい」


 ……そういえば唐突に『先輩は何カロリー?』って訊かれた気がする。

 あの質問は手紙の送り主かどうかを確認する質問だったようだ。


「それで手紙の人には会えたの?」


「ううん、会えなかった。待ち合わせ場所は公園だったんだけど。

 先輩以外に、それらしい人はいなかった」


「……そう、でも知らない人に会いに行くなんて危ないよ」


 琴菜は小さいので誘拐されかねない。それに鈴葉よりも力はないだろうし、さらに危険だ。


「最初は無視しようと思ったんだけど、気になっちゃって。

 だって『もし会えたら特別な力をあげる』なんて書いてあるんだもん」


「……特別な力?」


 鈴葉には透視能力がある。もしかしたら琴菜にも何か秘められた能力があるのかもしれない。

 それを知った手紙の主が接触を試みようとした?


「私は確率を操作する能力が欲しいな。もしくは幸運になる能力。

 そうすれば手術の成功率を100%にできるでしょ?」


「手術……」


「分かってる。早く手術を受けろって言いたいんだよね。

 でも怖い。30%の確率で失敗する手術を受けるのが……。

 だから運試しすることにしたんだ」


 そう言って琴菜は一枚の宝くじを取り出した。

 それは朝比奈海斗と交換した宝くじだ。


「これが何等でもいいから、もし当たったら手術を受けることにする。そう決めた」


 琴菜はじっと宝くじを見つめた。


「それって交換した奴だよね? どうして自分で選んだ番号じゃないの?」


「病気になるのも手術が失敗するのも自分の力ではどうにもならないよね。

 朝比奈先輩とあの場所で出会ったのは、運命だと思う。

 だから自分で選んだ番号じゃなくて、朝比奈先輩の選んだ番号に掛けてみようかなって。

 それになんだか朝比奈先輩って運が良さそうな顔をしてたし」


 いたずらっぽく琴菜は笑った。


「運が良さそうな顔って……」


 俺は苦笑いを浮かべた。絶対に褒めてない。だが悪い気はしなかった。

 今の俺の状況を思えば、とても運が良いとは言えない。

 いや、他人の体に意識が入るというレアな体験をしていると思えば、運が良いとも言えなくはないか……。

 それにしても何気なく買った宝くじが、まさか琴菜の運命を左右するキーアイテムになってるとは思いもしなかった。

 俺の知らないところで、こんな重大な責任を負わされていたことにびっくりだ。

 鈴葉に乗り移っていなければ、もしかしたら一生気づかなかったかもしれない。

 それに気づけた。だから今の状況になって良かったと思うことにしておこう。


「ねえ、朝比奈先輩ってどんな人?」


 唐突に琴菜が質問をしてきた。


「うーん、知り合って間もないからよく分からない。

 だけど、そんなに悪い人ではないと思う」


 一瞬、めちゃめちゃ褒めようかなと思ったけど、恥ずかしくなってやめた。

 きっと鈴葉も褒めないだろうし……。


「……ふーん、そうなんだ。

 ゲームセンター楽しかったなー。また一緒に遊びたい。

 今度は鈴葉じゃなくて、私として会いたいな」


「元気になったらまた会えるよ」


「……うん」


 琴菜は宝くじをそっと指でなでた。





 病院を出て自分のマンションに戻る途中、植え込みの陰にうずくまる優太を見つけた。

 優太は美咲とデートをしていたが不良たちにからまれ、一人で逃げてしまった。

 今は、その後悔の念で落ち込んでいるのだろう。


「……優太」


 俺が名前をつぶやくと、優太の肩がピクリと反応した。


「……渚さんか」


 優太は俺を見ると、安心したような表情を浮かべた。


「美咲じゃなくて、ほっとした?」

「…………」


 優太は再び下を向いた。


「過ぎたことはどうにもできない。

 明日、謝るしかないよ。許してもらえるかは分からないけど」


 美咲は決して許さないことを俺は知っている。けれどそう言うしかなかった。

 俺がいくら慰めたところで優太の心は変わらない。

 もし変わってしまう言葉を言ったとしても、それは短期ループでやり直しをさせられる。

 俺には運命を変える力はない。ただ最悪の結果を見届けるしかできない。


「…………」

「家に帰らないの?」

「…………」

「お姉ちゃんが心配するよ」

「……姉ちゃんは関係ない」


 とは言いつつ反応しているし。

 優太の中で、お姉ちゃんは特別な存在なのだろう。

 ここはひとつ、荒療治といこう。


「一緒に登校して、自分が守ってる気になってたけど。

 いざ不良に絡まれたら一人で逃げる弱虫だった。

 それを自覚してお姉ちゃんに合わせる顔がなくなった。だから帰りたくない。

 そんなところか?」


「渚さんには関係ないだろ!」


 優太は珍しく声を荒げた。


「怒るってことはそれが事実だからだ。

 もし俺が見当はずれなことを言っていたら優太は笑う。そうだろ?」


「…………」


 優太ははっとして息を飲んだ。


「俺も説教がしたいわけじゃない。むしろするべきじゃない。

 まあ、なんだ……。

 家に帰りたくないならウチに来いよ。一泊だけなら泊めてやれる」


 オリジナルの渚は優太を自分のマンションに泊めている。

 俺が桜木さんだった時、そのことを渚から電話で伝えられた。


「……いいの?」

「ああ、親にバレると面倒だから、部屋に隠れてさえくれれば」

「……ありがとう」

「あ、二人っきりだからって変なことはするなよ」

「ははは、するわけないよ」


 優太に少しだけ笑顔が戻った。


「それじゃあ、行くぞ」

「うん、……渚さんなんかしゃべりかた変わった? 自分のこと『俺』って言ってるし……」

「あっ……。まあ、気にするな。これが素だ。いつもは猫を被ってる」

「……そうなんだ」


 優太は苦笑いを浮かべながらも、納得してくれた。

 桜木さんになっていた時期があるためか、どうしても優太には兄貴面をしたいと思ってしまう。





 リビングルームに入ったところで、俺は優太に声を掛ける。


「適当なところに座ってて、あとスマホ貸して」

「どうしてスマホ?」


 優太は床に座りながら訊いてきた。


「俺から家の人に連絡しておく。それとも自分で連絡するか?」

「……はい」


 優太にスマホを渡されて、俺は電話を掛けた。


『はい、お姉ちゃんです。優太どうしたの?』


 電話の向こうから桜木さんの声が聞こえてきた。

 俺は桜木さんだった頃を思い出して泣きそうになった。

 この桜木さんは明日、優太が死ぬことをまだ知らない。


「…………」

『……もしもし?』


 俺が無言だったので、桜木さんが心配そうな声になった。


「こんばんは、桜木先輩。私が誰か分かりますか?」


 俺はわざと明るく戯けるように問いかけた。

 そして、桜木さんに優太を一晩預かることを告げて電話を切った。


「はい」


 スマホを優太に返す。


「……ねえ渚さん。男はやっぱり強くないとダメなのかな?

 渚さんも強い男の方が良いと思う?」


 優太から唐突に質問をされた。

 俺は少し考えてから真摯に答える。


「ふむ、野生の世界では戦闘力が一番大切だと思う。だけど人間の世界は違う。

 人間世界で一番大切なのは、ズバリ人間力だ」


「……人間力?」


「そう、人間力とは、知力、体力、気力、コミュニケーション力、行動力。

 これらを合わせた複合的な力のことだ。

 人間世界では腕力だけあっても生き残ることは難しい。

 まあ、健康な精神は健康な肉体からとも言うし。

 筋トレして強くなれば、自然とその他の力も上がるかもしれん。

 そういう意味では腕力もあった方が良いな」


「……そうなんだ。やっぱり力は必要」


 どうやら優太の中に、力への渇望が芽生えたようだ。

 その渇望が破滅への始まりだと知らずに……。

 しかし、それを止めることはできない。

 俺は、ただバッドエンドを見届けるのみ。


「力は必要だけど、優太に一番足りないのは勇気だよ」

「……勇気?」


「逃げずにいる勇気があれば、何も問題はなかった。

 あの後、すぐに同じ学校の生徒が通りかかって助けてくれたんだ。

 俺が無事なのは、それが理由。美咲も無事だよ」


「……渚さんは、いつも正論を言う。正論が好きなんだね」


 優太の言葉にトゲを感じた。


「……何が言いたい?」


「いい加減、偉そうなことを言うのはやめてよ。

 渚さんだって僕の立場だったら、きっと逃げ出してた。そうでしょ?」


「いや、逃げない。実際に俺は美咲を助けに向かっただろう。何を言ってんだ?」


 優太が反抗的な態度に変わって、俺は困惑していた。

 少しばかり優太のプライドを傷つけすぎてしまったのだろうか?


「じゃあ、これならどう!」


 優太は突然、立ち上がって叫ぶと、俺の両手を押さえて床に押し倒した。

 俺は仰向けになり、優太が馬乗りになっていた。


「僕よりも弱いくせに偉そうなこと言うな!」


 優太が自虐的な笑みを浮かべ、俺を見下ろしていた。


「おい、優太! やめろ! どけって!」


 俺は優太から逃れようと暴れるが、両手を頭の上で押さえられて逃れられない。

 優太が意気地なしだとしても、男と女では体格差がありすぎて、まったく敵わない。

 まさか優太がこんな暴挙に出ると夢にも思わず油断した。


「ははは、どうだ怖いだろ? 僕は今、渚さんをどうにでも出来る。

 服を脱がして裸にすることだって……。

 怖いだろ、恐ろしいだろ? ははは、逃げだしたいだろ?」


「…………」


 俺はただ優太を下からじっと見つめた。


「怖くて声も出せない? これで、あの時の僕の気持ちが分かってくれた?」


「…………」


「何か言ってよ? 助けてくださいって。止めてくださいって。

 偉そうなことを言って、ごめんなさいって。許してくださいってさ」


 俺を組み敷いてることで、優太の態度が大きくなっていた。


「…………」


 いつもこれくらい強気なら良いのにと思い、ふと笑いが漏れた。


「何笑ってるの? い、言わないなら、言わせてやる!」


 優太は俺をバンザイの形に変えて片手で抑える。

 そして空いた方の手をそっと俺の胸に置いた。


「ほ、ほら、言えよ。言わないなら、も、揉むぞ? いいのか?」


 優太はどもりながら、俺に脅しを掛けてきた。

 揉むと言われても、渚の胸はそんなに無い。残念なことに……。


「…………」


 俺は何も言わずただ優太の顔をじっと見つめた。


「……なんで何も言わないんだよ。なにか言ってくれよ」


 優太は急に弱気になってしまった。

 基本的に優太は優しい性格なのだ。実際に乱暴しようとは微塵も思っていない。

 自分を心配して一晩泊めてくれる友人に、恩を仇で返す真似は決してしない。

 今は、ちょっと混乱してるだけ。そして自尊心を守るために自己防衛が過激になってしまっているだけなのだ。

 俺はなんとなく優太の気持ちが理解できて、余裕が生まれた。


「……やれば出来るじゃん。単なる意気地無しかと思ったけど、少し見直したよ」


 俺は笑顔で優太を褒めた。それが優太の自尊心を高めることにつながる。


「……えっ?」


 優太はあっけに取られて固まった。

 罵倒を浴びせられると構えていたところに、不意打ちで称賛され混乱している。

 そして、一瞬だけ優太の押さえる力が緩んだ。

 俺はその隙に手の拘束を解いて、優太の頬に平手打ちをかます。


 ──パシン! という音が部屋に響いた。


「これで許してやるから、さっさと退け。晩飯にするぞ」


 俺は優太を下から睨み付けた。

 腕は自由を取り戻したが、いまだに馬乗りにされている。


「ご、ごめん」


 平手を受けた頬を押さえながら、優太は慌てて俺の上から退いた。


「今度こんな真似したら、警察行きだぞ?」


 俺は優太にもうしないよう念を押した。


「はい、ごめんなさい。もう絶対にしません」


 優太は深々と頭を下げて素直に謝った。

 いつもの優太に戻ったようで良かった。


「よろしい。じゃ、飯にするぞ。用意するから待ってろ」


 俺は平然とした態度で台所に向かった。

 本当は心臓がバクバクだが、そんな素振りは見せない。

 まさか優太があんな暴挙にでるとは夢にも思わなかった。

 普段おとなしい人間ほど、吹っ切れると何をするか分からない。


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