007 2人目



 放課後、俺は天音さんに誘われて買い物に行くことになった。

 電車に乗って、繁華街で降りる。

 そしてデパートで洋服を見て回った。


「ねえ、この服どうかな?」


 天音さんが洋服を自分の体に当てて、感想を求めてきた。


「うん、とっても似合ってるよ」


 俺はとりあえず褒める。

 ファッションに興味がない俺には良し悪しが分からない。だから褒めるという選択肢しかないのだ。


「……ねえ、ひなた、そればっかり。他に感想はないの?」


 天音さんはつまらなそうにつぶやいた。

 俺が褒めることしかしないので、不満らしい。


「だって天音さんは可愛いから、仕方ないよ」

「…………」


 俺が笑って誤魔化すと、天音さんは冷めた瞳を向けた。


「……どうかした?」


 何が気に障ったのか、恐る恐る訊ねる。


「『天音さん』、今日で何回目?」


 オリジナルの桜木さんは天音さんのことを『綾花』と下の名前で呼ぶ。

 しかし、俺はつい『天音さん』と呼んでしまうことがあった。


「ごめん、綾花」


 俺は両手を合わせて謝ることしかできない。


「…………」

「ごめんって。ジュース奢るから許してよ。機嫌なおして、ね? 綾花」


 俺は買収作戦に出る。

 これ以外に良い案が思いつかなかった。


「……もう、仕方ないなぁ。今回だけだからね」

「よし、ちょっとジュースを買ってる来るから、待ってて!」


 俺はそう言って一人で自動販売機を探しに向かった。

 すぐに見つかるかと思ったが、なかなか見つからない。

 エスカレーターで下のフロアに降りると、すぐに発見した。


「あったあった」


 俺は自動販売機で適当なジュースを二つ購入した。


「ん? なんだ?」


 ジュースを鞄に入れて顔を上げると、黒いモヤモヤした霧状のものが上のフロアからゆっくりと降りてくるのが遠くに見えた。

 目の錯覚かと思い、目をこするがたしかに見える。

 やがて、黒い霧が降り注いだあたりから悲鳴が聞こえた。


「なんだ? 悲鳴か……」


 商品棚がいたるところにあるため、遠くまで見通すことができない。

 俺は悲鳴が聞こえた場所に向かった。

 そこはスポーツ用品売り場だった。


「おい、はやく金を出せ!」


 男が女性店員に怒号を飛ばしてた。

 男の手には大きめのハサミが握られている。強盗だ。


「やめて、たすけて……」


 女性店員は完全におびえて、頭を抱えて丸くなってしまっている。


「殺されてーのか! いいから金を出せ!」


 男は関係なしに、怒鳴り続けてる。

 そんな様子を俺を含めた数名の客が遠巻きに見ていた。


「あの、警察ですか! 今お店に強盗が、早く来てください」


 女性客がスマホで警察に連絡していた。

 強盗が通報した客をキッとにらみつけた。


「おい、お前、通報したな! ぶっ殺してやる」


 強盗がハサミを振り上げて襲い掛かってきた。

 強盗の目は完全に正気を失っている。


「ひっ……」


 女性客は体を硬直させて、その場にへたり込んだ。

 このままでは殺される。

 俺の体は自然と動いていた。


「――うりゃあ!」


 俺は横から強盗を鞄で殴り飛ばした。

 ゴッという鈍い音が鞄から響く。

 中に入れていたジュースの缶がちょうど当たったようだ。


「ぐあ……」


 強盗は派手に吹き飛ぶと。そのまま起き上がることはなかった。

 手の空いている客たちが強盗を一気に縛り上げた。


 ――パチパチパチ!


 客たちが俺に拍手を送っていた。


「あ、あの、助かりました。ありがとうございます」

「いえいえ、つい体が動いただけですので」


 お礼を言われて俺はなんだかうれしくなった。


「あ、友達を待たせているので、これで失礼します」


 俺はそそくさとその場を離れた。

 この後、警察が来て事情聴取が行われるだろう。

 それに付き合っていたら、時間が無くなってしまうので逃げることにした。


「綾花、おまたせー」


 俺はフロアを上がって、綾花の元へ駆け寄った。


「遅かったね?」

「……ああ、ちょっと自販機を見つけるのに、手間取っちゃって。はいこれ」


 俺は鞄からジュースを二本取り出した。


「え? なんだかこれへこんでない? 落としちゃったの?」


 ジュース缶の一つが大きく凹んでいた。

 おそらく強盗を殴った衝撃でできた凹みだ。


「実はさっき下のフロアで強盗事件があったんだ。ちょうどそこに居合わせてね」


「ええ? 嘘!?」


「ホント。もうすぐ警察がきて大騒ぎになると思う。

 私が強盗を鞄で殴ってやっつけたの。たぶんそれで凹んだんだと思う。ごめんね」


「ええ? 怪我とかしてない? 大丈夫?」


 綾花が俺の体を心配そうに見回した。


「大丈夫。一発でやっつけたから」


「そう良かった。最近、なにかと物騒だから。今日はもう帰ろうか?」

「そうだね」


 そう言った俺たちの買い物は終了した。







 帰宅して玄関の扉を開けて中に入る。優太の靴はない。まだ帰ってきていないようだ。

 そういえば、今日は用事があるようなことを言っていた気がする。

 自分の部屋に入るや否や、ベットにごろんと横になった。


 ぼんやりと明日の出来事を思い出す。

 明日は入れ替わりの原因になった屋上からの落下事件が起きる。

 この世界には俺の自由意志が存在しないため、必然的に再現せざるを得ない。拒否権はない。

 紐なしバンジーをもう一度やらなければいけないことに、自然とため息が漏れた。

 内臓がふわっとする感覚は気持ち悪いので、勘弁してほしい。


 優太が飛び降りをする理由は、よく分かっていない。

 だが『彼女を置き去りにして逃げた』ようなことを言っていたから、きっとその罪悪感からだろう。

 その後、別の世界がどうこうとも言っていた。

 異世界ヴェラルクスを知っている何者かが優太の罪悪感を増大させ、そそのかしたのではないだろうか。

 もしかしたら綾花の言っていた、魔王の手下なのかもしれない。


 しばらくベットで横になっていると、スマホの着信音が鳴り響いた。

 送信者は優太だ。


「はい、お姉ちゃんです。優太どうしたの?」

『…………』

「……もしもし?」

『こんばんは、桜木先輩』


 優太のスマホから女子の声が聞こえる。

 それはどこかで聞いたことのある声だった。


『私が、誰か分かりますか?』

「……渚さん。どうして優太のスマホからあなたが電話を? あなたが優太の彼女なの?」

『違います。だけど優太とは同じクラスです』

「……それで用件は?」


 嫌な予感がする。しかし話を聞かないわけにはいかない。

 俺は一呼吸置いてから話の続きを促した。


『今、優太は隣にいます。でも、とても電話で話せる状況ではないので私が代わりに電話をしている、とうわけです』

「電話が出来ないって、何があったの? もしかして事故にでも遭った?」

『心配しないでください。大怪我はしてません。ただ精神的にショックなことが起きて落ち込んでいるだけです』

「そう……」


 俺は薄々と理解していた。

 優太が明日飛び降り自殺をする理由は、彼女を置いて逃げたから。何から逃げたのかは不明だが……。

 この電話はきっとそれと関係している。

 そして彼女は渚ではない。となると別に彼女がいることになる。


『それで電話をした用件なんですが。優太は今日、私のマンションで預かります。

 そのことを伝えるために電話をしました。

 一晩だけ泊めて明日には家に帰るように説得しますので、安心してください』


「分かった。優太のことよろしくね」

『はい。失礼します』


 そう言って渚は電話を切った。

 明日、優太は学校に行く。そして放課後に飛び降り自殺を図る。

 これは避けられない未来だ。

 俺は深いため息をついて、再び寝ころんだ。





 翌日、俺は再び桜木さんとしての一日を過ごした。

 そして放課後、空き部屋にいるとスマホに優太からのメッセージが届いた。

 俺は意を決してメッセージを見る。


『部室棟の屋上。飛び降りる。姉ちゃん、さようなら』


 俺は勢いよく立ち上がる。椅子が音を立てて後ろに倒れた。


「なに!? 桜木さん、どうかした?」


 驚いた顔をして朝比奈海斗が質問をしてきた。


「弟が屋上から飛び降りるかも! すぐに行かないと!」


 俺は部屋を飛び出して、屋上へ向かった。

 俺の後ろを朝比奈海斗が追いかけてくる。

 そして、壊れた扉を抜けて屋上へ出た。

 フェンスの前に立つ優太に近づいて声をかける。


「優太、やめなさい」

「……ああ、姉ちゃんか。やめるって何を?」


 虚ろな瞳で聞き返してくる優太。


「今から、やろうしてること。飛び降りるつもりなんでしょ? それをやめて」

「…………」


「優太は彼女にひどいことをしたかもしれない。

 だけど、それはいくらでもやり直せる。

 ひどいことをしたなら謝って、その分優しくすれば良い。

 生きている限り優しくできる。でも死んだら、それもできなくなる。

 だから、やめなさい」


 俺はゆっくりと近づいて、優太の手首をつかんだ。

 短期ループは発生しない。この程度では運命は変わらないらしい。


「たしかに、姉ちゃんの言う通りかもしれない。

 でも、僕が死ぬべき理由は他にもあるんだ」


「まさか自分が死んだら異世界ヴェラルクスが救わるなんて思ってる?」


「……やっぱり、姉ちゃんは人の心が読めるんだね。薄々は気が付いていたけど。

 うん、そうだよ。僕が死ぬことで先輩は力を手に入れる。

 その力を使ってヴェラルクスを救うんだ」


「その先輩って、誰のこと?」


 その先輩が魔王の手下に違いない。


「……それは言えない。そういう約束だから。ごめん」


 優太は俺の握っている手をそっと引き剥がす。

 そして、フェンスを引っこ抜き、飛び降りる準備を始めた。


「先輩が僕に力をくれた。僕は選ばれた人間なんだ。

 僕が死ぬことで先輩の世界が救えるなら喜んで死ぬよ。

 僕は誰かの役に立ちたいんだ」


「やめろ!」


「姉ちゃん、今までありがとう。バイバイ」


「優太ッ!」


 俺は飛び降りようとする優太の手首を掴んで引き留めた。

 以前の桜木さんは掴めなかったが、俺は掴んだ。


 だが次の瞬間、視界にノイズが入り、短期ループが発生し時間が巻き戻った。

 目の前には飛び降りる直前の優太が立っている。

 やはり、運命は変えられないらしい。


 どうやら中身の配役をほんの少し変えただけの、この茶番劇に最後まで付き合わされるようだ。

 ……さて、終劇後にも俺が存在していることを祈りながら、紐なしバンジーをやるとしますか!

 俺は覚悟を決めた。決めるしかなかった。


「姉ちゃん、今までありがとう。バイバイ」


 飛び降りる優太を見届けた後、一瞬だけ遅れて俺は屋上から身を乗り出して手を伸ばす。

 だが俺の手は優太には届かない。

 そして俺の体は屋上から落ちる。

 俺の手を朝比奈海斗が手を掴んで引き留める。

 しかし支えきれずに俺と朝比奈海斗も屋上から落下した。


 ……この後どうなるのか。楽しみしてるぜ。この世界を作ったクソったれの神ヤロウ。


 俺は心の中で捨て台詞を吐き、意識を失った。







 目が覚めると、俺の目の前には見たことのない天井があった。

 その天井は俺の部屋の天井でも、ましてや桜木さんの部屋の天井でもない。

 初めて見る天井の柄だ。


 そんな天井を見ているということは、俺はまだ死んでいない。

 桜木さんの体で落下したら夢が終わり本当の死を迎えると思ったが、そうではないようだ。

 少しだけほっとする。

 体に違和感はない。痛みもない。


 俺はベットから起き出てカーテンを開けた。

 空だ。窓の外には空が広がっていた。眼下には街が広がっている。

 どうやら、ここは高層マンションの一室らしい。

 窓からの眺めは高いのだが、立った時の目線は妙に低い感じがする。

 俺は姿見で自分の姿を見た。


「今度は、お前かよ……」


 鏡の中には苦笑いを浮かべる渚鈴葉がいた。

 つまり俺の体は渚鈴葉になっていた。

 試しにほっぺをつねってみるが痛い。夢じゃない。

 それでも桜木さんの時よりは動きやすく、肩が凝ることはないので良しとしよう。

 俺はうーんと伸びをしてから台所に向かった。食パンを焼いて一人で朝食を取る。


 両親の姿はない。共働きだろうか?

 良いところに住んでいるので、仕事が忙しいのかもしれない。

 大きい部屋に一人だけというのは、なんだか寂しく感じた。

 俺はテレビをつけた。朝のニュースが流れて今日の日付が判明する。


「やっぱり、時間が戻ってる」


 今日は屋上から落下する日の前日。2回目なので驚きはない。

 桜木さんとして落下を再現すれば元に戻ると思ったが、そうはならなかった。

 それにしてもまさか自分が渚になるとは夢にも思っていなかった。予想外すぎる。


 俺と桜木さんの入れ替わりは、屋上からの落下が原因だとはっきりしているから、なんとなく理解はできる。

 しかし、俺が渚になるというのは意味不明すぎる。

 落下した時、渚は近くにいなかった。

 もしかしたら俺の知らないところで同じような事故に遭っていたのか?

 まあ、それも俺が渚で過ごせばいずれ分かることだ。


 俺は朝の支度を済ませて、早めに家を出た。

 桜木さんの時は優太が学校までナビゲートしてくれたが、今回はひとりで学校までいかなければならない。

 スマホの地図アプリを使って、ルート検索して登校する。


 なんとか無事に学校にたどり着いた。

 たしか渚は一年だと言っていたな。しかし何組なのかを知らない。

 聞いたかもしれないけど、まったく覚えていない。


 一年の教室が並ぶ廊下を歩きながら、こっそりと教室の中をうかがい自分の教室がどこなのかを何度も往復して探る。

 教室を間違えて俺の正体がバレたとしても、どうせ短期ループが発生してなかったことになる。

 だからガンガン行って間違えまくるのが一番楽で手っ取り早い。


 しかし、それでは面白くない。

 この世界は言わば、渚を演じるゲーム。

 このゲームにおいて短期ループの発生は残機を一つ失うことに等しい。

 たとえ無限に残機があったとしても、なんだか悔しいので、なるべくノーミスでゲームクリアを目指したい。


「なーに、してんの?」


 いきなり背中に誰かが飛びついてきた。

 馴れ馴れしい態度から、おそらく渚の友達だということは分かる。


「実は今朝、転んだ拍子に頭をぶつけて、自分がどのクラスなのか忘れてしまいまして……」

「え、マジ? 記憶喪失ってやつ? 大丈夫? 頭、怪我してるの?」


 よしよしと女生徒が俺の頭をなでて怪我の有無を確認した。

 渚は身長が低いため、子ども扱いをされている。


「怪我はないです。だけど、あなたが誰なのかは分かりません。よろしければ、名前をうかがっても?」

「え? 私のことも覚えてないの? 冗談じゃなくて?」

「はい、ごめんなさい」

「……そっかー。私は支倉美咲はせくらみさき。1年A組。鈴葉と同じクラスだよ」

「同じクラスでしたか。記憶が戻るまでいろいろと教えていだけると助かります」


 俺はぺこりと頭を下げた。


「うん、それは良いけど、ほんとに大丈夫なの?」


 支倉は心配そうに見つめた。

 いきなり友人が記憶喪失になったら、俺でも心配する。当然の反応だ。

 しかし、大事にされては面倒なので釘を刺しておこう。


「2、3日様子をみて記憶が戻らなかったら、病院に行きます。

 それまでは大事にしたくないので、みんなには秘密にしてもらえると助かります。良いですか?」


「……分かった。それじゃあ、私がなるべくフォローするね。あと敬語は変だからタメ語で良いよ。

 それと私のことは美咲って呼んで。その方が怪しまれないと思うし、ね?」


「ありがとう美咲」


 こうして俺は自然な形で協力者をゲットした。

 これで変な行動をとっても致命的にならずに済みそうだ。


 俺が美咲と一緒に教室に入ると、見知った人物からあいさつをされる。


「おはよう」


 爽やかな笑顔を浮かべるのは桜木さんの弟、優太だ。

 そういえば俺が桜木さんだった時、渚からの電話で優太と同じクラスだと言われた。


「渚さん、廊下でうろうろしてたけど、なにかあったの?」


 優太が軽い感じて訊いてきた。

 ……どうやら見られていたようだ。


「あー、それね。キーホルダーを落としちゃったみたいで探してたんだよ、ね?」


 美咲が目で合図してフォローしてくれた。俺はそれに「うん」と同意する。


「でも、見つかって良かった。ほら、これっ」


 美咲は俺の通学鞄に付いていたシャントンのキーホルダーを軽くつまみ上げて、優太に見せた。


「それシャントンだっけ? 最近流行ってるよね。渚さんも好きなんだ」


 優太は美咲の考えた言い訳を素直に信じていた。

 その後、俺は美咲からこっそりと自分の席を教えてもらって着席をした。

 自分の席から優太の様子を伺う。


 おそらく今日の放課後に、優太は彼女とデートをする。

 そして、デートの最中に何らかのトラブルに巻き込まれ、一緒にいた彼女を置いて逃げ出してしまう。

 それを謎の先輩に付け込まれ、屋上から落ちるようにそそのかされる。

 優太の彼女が誰なのか、そして先輩が誰なのかを知ることで、事件解決の糸口をつかめるかもしれない。


 ……今の俺にできることは演じること、そして知ること。それだけだ。


 授業中や休み時間、優太は男女分け隔てなくクラスメイトたちと交流している。

 傍から見ているだけでは、誰が優太の彼女なのかは判別できなかった。




 昼休み、俺は美咲に誘われて一緒に食堂に移動した。

 美咲は俺が記憶喪失だと思っているためか、何かと気にかけてくれる。

 本当は記憶喪失ではなく、中身がまるごと別人になっているのだが、それは言えない。

 言えないというか、言ったとしても信じてもらえないだろう。それならまた記憶喪失の方が現実味がある。

 とはいえ嘘は嘘なので、ちょっとだけ罪悪感がある。


「美咲、ありがとう」


 謝罪するのはおかしいので、その代わりに感謝の言葉が俺の口から出た。


「え? いきなりなに?」

「色々と気にかけてくれてるでしょ。みんなにも記憶喪失のことを黙っていてくれてるし。そのお礼」


 言った後から少し照れくさくなってしまった。顔が少し熱い。

 照れ隠しにごはんを口に入れる。

 そんな俺を見て、美咲は笑みを浮かべている。


「別に、そんなのお礼を言われることじゃないよ。

 鈴葉だって、私たちのこと黙っててくれてるじゃん」


「……私たち? なんのこと?」


「あ、そっか。今は記憶喪失だから、分からないよね。

 鈴葉は私と優太が付き合ってること、ずっと黙っててくれてるんだよ」


「――ゴホッ。ゴホッゴホッ」


 欲しかった情報が突然にもたらされ、俺はむせた。


「ちょっと、大丈夫? なにか飲み物でも飲んで」


 美咲が半分笑いながら心配している。

 俺はお茶を一口飲んで一息ついた。


「確認なんだけど。美咲と優太って付き合ってるの?」


「うん、そうだよ。でも恥ずかしいから、みんなには内緒にしてる。

 なぜか鈴葉にだけはバレちゃったけど、黙っててくれるって約束してくれた。

 ……それも覚えてないってことは、本当に記憶がないんだね」


 美咲は寂しそうに笑った。


「ごめんね。すぐに記憶を取り戻すから」

「ううん、焦らないでいいよ。でも病院には早めに行ってね」

「……分かった」


 俺はうなずく。しかし病院へ行っても今の異常事態は解決しない。

 なんせ時間の巻き戻りや意識の入れ替えという超常現象を現代医学では取り扱っていなのだから。

 俺にできることは情報を集めることと、渚として時間を過ごすこと。

 おそらく明日、屋上から落ちた時間を過ぎれば、俺は渚の体から自然と出ていくことになるだろう。

 そうなれば、いつも通りの渚に戻る。その時に俺がどうなっているかは不明だが……。


「もしかして今日の放課後、優太とデートする予定?」

「え? うん、そうだけど? どうしてわかったの?」

「いや、なんとなくそうかなって思っただけ。気にしないで」

「鈴葉は妙に感がするどいよね」


 優太の彼女が無事に判明し、俺たちは昼食を取り終えた。

 美咲は用があるからと言って途中で別れた。

 俺はひとりで教室へと向かう。


 一年の教室がある廊下で見知った顔を見つけた。綾花だ。

 綾花は廊下から教室を覗いて、何やらぶつぶつと独り言をつぶやている。

 おそらく肩にかけた鞄の中にある魔導書ジルニトラと話しながら、魔力持ちを探しているのだろう。

 俺は何食わぬ顔で、その後ろを通り過ぎる。


 ふと中庭でキャッチボールをしている男子生徒が目に止まった。

 廊下の窓が開いており、気持ちの良い風が吹き込んでくる。

 その瞬間、俺の中に綾花のある言葉が思い浮かぶ。


『鈴葉ちゃんは私の命の恩人なんだ。

 廊下でボールがぶつかりそうになったのを助けてくれて。

 それでもしやと思って、ジルニトラに聞いたらやっぱり魔力持ちだった。

 きっと魔力持ちは自然と引かれ合う運命なんだね』


 ……まさか!?


 俺は制服の上着を脱ぎながら、綾花の元に走った。


 ――間に合え!


 心の中で叫ぶ。

 キャッチボールをしている男子の暴投が横目に映る。

 そのボールが開いた窓を抜け、廊下にいる綾花に向かって一直線に飛ぶ。

 俺は脱いだ上着を綾花の前にバサッと広げた。


 ――ボスっ!!


 ボールが上着に直撃して、鈍い音を響かせた。


「……え? な、なに?」


 振り返った綾花は状況が掴めずに混乱していた。

 目の前に広げられた上着と廊下に落ちているボールを交互に見つめている。


「ごめーん、大丈夫だったー? あ、そのボール投げてくれ」


 男子生徒がへらへらと笑いながらボールを取りに来たついでに謝った。


「…………」


 俺は少しムカついたので、強めにボールを投げ返した。

 男子生徒は取りこぼしそうになりながらも、ぎりぎりでキャッチした。

 そして「サンキュー」と言って反省しない様子で男子生徒は去っていった。


「もしかして今、助けられた感じなのかな?」


 状況を理解しつつある綾花が俺に確認をしてきた。


「ええ、そうですよ。あと少しで野球のボールが直撃するところでした。

 それを私が上着でかばったというわけです」


 上着を見ると少しだけ土がついていたので、それを手でパンパンと払った。


「それじゃあ、次は周りに気をつけてくださいね」

「ちょっと待って!」


 上着を羽織って去ろうとする俺を綾花が引き留めた。


「…………」


 綾花は黙ったまま小さな鞄に手を添えた。

 その小さな鞄に魔導書が入っていることを俺は知ってる。

 おそらく今、魔導書と会話して俺が魔力持ちなのかどうかを話し合っているに違いない。


「……何か用ですか? 何もないなら行きますよ?」


 俺はまったく事情をしらないフリをして質問をした。


「ああ、ごめんなさい。私は2年の天音綾花。あなたの名前は?」

「私は1年の渚鈴葉です」


「渚さん。助けてくれてありがとう。

 一つ質問なんだけど、渚さんは特別な力を持っていたりする?

 私を助けてくれたことがただの偶然ではなく運命。そう思えるのよね」


 綾花が単刀直入に探りを入れてきた。

 魔導書から渚が魔力持ちだということを聞き出したのだろう。


「まあ、人よりは感が良いかもしれません」


 俺は無難な返答をした。

 渚の能力は透視だ。綾花を助けたことは本当に偶然なのだろう。

 そして、今の俺は渚だが渚の能力――透視は使えない。すなわち無能力。

 魔導書が俺の魔力に反応しているのか、それとも本来の渚に反応をしているのかは不明だ。


「突然だけど、渚さんは異世界って存在すると思う?」


 綾花が真剣な表情で訊いてきた。

 普通なら鼻で笑われて終わるような質問だ。

 しかし、ループ前の渚は綾花と一緒についてきた。

 つまりこの質問に対して、渚は肯定的に答えたのだろう。


「宇宙は無限に存在すると思います。一つしかないと考える方が傲慢です。

 この宇宙以外の存在を異世界と呼ぶのなら間違いなく存在します」


 俺は渚になりきって小生意気な返答をした。


「信じてるのね、それなら話が早いわ。私も異世界は存在すると思う。

 そしてその異世界は今、存亡の危機にある。私はその異世界を救いたい。

 渚さん、あなたの力が必要なの。協力してくれないかしら?」


「その前に一つ質問に答えてください。

 私の力に気付いたのは、その鞄の中にある本が関係してますか?」


 渚の能力は透視。おそらく綾花の鞄の中の異質な本に気付く、そして指摘するだろう。

 俺には透視能力はないけれど、ループ前の記憶から能力を再現してみせた。


「すごい、その通りだよ。ここには異世界から転移してきた魔導書が入ってるの。

 なぜだか私にだけ魔導書の声が聞こえて会話ができるんだけど……。

 それで魔導書が自分の世界を救ってほしいって言うから、私はその手伝いをしようと思ってる。

 渚さんに力があることも魔導書から聞いて分かったことだよ」


「なるほど。先輩も特別な力を持ってるんですね」


「私のほかにも力を持ってる人はいるよ。紹介したいからついて来て。

 同じ力があるもの同士、助け合って行こう」


「……分かりました」


 俺は綾花の後に続いて、例の空き部屋に向かった。

 そこで朝比奈海斗、桜木さん、神崎と初体面を果たした。

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