006 運命論的世界
色々と考えながら学校に到着。俺は優太と別れて2年のクラスへ向かう。
たしか桜木さんは隣のクラスの2年B組だったはずだ。間違えないようにしなければ……。
その前に
自分の体が無事に存在したことに安堵していると突然、後ろから話しかけられる。
「誰かに用? 呼んであげるよ」
「あ、大丈夫。たいしたことじゃ、ないから」
あははと愛想笑い浮かべて、俺はそそくさと立ち去った。
まさか話しかけられるとは思ってもおらず、心臓が飛び出るほど驚いた。
深呼吸して自分を落ち着かせる。
ひとまずは
軽い足取りで教室に入ると、強烈な違和感が襲ってきた。
見慣れないクラスメイトたち、微妙に違う掲示物、どこか違う空気感。おのずと緊張してしまう。
そこではたと気づく、桜木さんの席がどこか分からない。
まさか
……さて、どうする?
このまま入口付近で棒立ちしていては、クラスメイトたちに不審がられてしまう。
重要なのは、俺が桜木さんの席の場所を知らないという事実を他人に知られないこと。
俺は近くにいたおとなしそうな男子生徒に近づいて話しかける。
「ここでクイズです。私の席はどこでしょうか? 正解したらアメをプレゼントしまーす」
「え? ……真ん中のあそこ?」
男子生徒は戸惑いつつも桜木さんの席を指さした。
「大正解でーす! はい、アメあげる」
俺は鞄からアメを一粒取り出すと、男子生徒にプレゼントした。
質問ではなくクイズを出すことで、俺が桜木さんの席を知らないという情報を隠したままに、欲しい情報を引き出した。
桜木さんはふわふわ系の天然少女っぽい雰囲気がある。多少、変な行動をとったとしても、おかしくはないはずだ。
見事に作戦が大成功して、俺はルンルン気分で桜木さんの席に着席した。
一息ついて黒板に視線を向ける。そこには今日の日付が端っこに書かれていた。
――それは昨日の日付だった。
分かりやすく表現すると、俺が屋上から落ちた日の前日だ。
ようやく合点がいった。
優太や母親が、なぜ屋上から落ちた事件を知らなかったか。
それは事件が
体の入れ替わりだけではなく、時間が巻き戻っていた。
休み時間、俺はトイレに向かった。
妙に視線を感じるなーと思いつつも便器の前に立つ。
隣の男子が妙にそわそわしているのが気になったが、俺は構わずにチャックを降ろす。
しかしチャックを降ろそうとするが、なかなかチャックが手探りで見つからない。
おかしいなと思いつつ、顔を下に向けると俺はズボンではなく、スカートを穿いていた。
……しまった!
今は桜木さんの体。つまり女子の体だったことを忘れていた。
隣の小便器で用を足している男子が、顔を背けながらチラチラと俺のことを見ている。
「あはは、ごめんなさい。間違えちゃいました。てへっ」
俺は桜木さんの可愛さで、無理やりに誤魔化した。
隣の男子はポカーンとした表情を浮かべている。
俺はその隙に慌てて男子トイレを飛び出した。
そして女子トイレの前に立つのだが、足が前に進まない。
まるで透明な壁でもあるかのように、俺はトイレに入れずにいた。
俺の魂が女子トイレに入るのを拒否している。
頭では理解している。今の俺は桜木さんの体、そして桜木さんは女子。だから女子トイレに入ることは正しい。
しかし、男として培われた道徳心や倫理観が邪魔をする。
入ろうと思うだけで、罪悪感がふつふつと湧き上がり足が動かない。
このまま小便をしなければ、
膀胱に関しては男子よりも女子の方が、気を遣わなければならないと聞く。
だが、俺の足は動かない。
膀胱が破れるのが先か、それとも魂の禁忌を破るのが先か。
その運命は二つに一つ。
「……ぐぬぬ」
「なにやってるのひなた? そんなところにいたら邪魔でしょ。それよりちょっと話があるから、来て来て」
「……お、ととっと」
俺は天音さんに手を引かれて、女子トイレに連れ込まれた。
予想外の助け舟が来たおかげで、あっさりと女子トイレに入ることに成功した。
「ねえ、明日やるワルプルギスなんだけど、参加者が増えることになったから。
一応、儀式の前に顔合わせをしておきたいから、昼休みに部屋に来てくれる?」
以前の俺は例の部屋で桜木さんと初めて出会った。
そして天音さんが来るのをふたりきりで待って。その間に桜木さんから超能力を披露された。
これは絶好のチャンスだ。
桜木さんと入れ替わりについて、ふたりきりで話ができる。
「ああ、いいぜ」
俺は天音さんのお願いを快諾した。
「……いいぜ? なんだか今日のひなた、ちょっと変だよ?」
天音さんは不審がるように俺を見つめた。
……いけないいけない。油断するとつい男口調が出てしまう。もっとお淑やかに振舞わなければいけませんね。
「おほほ、なんだか楽しくなってしまいまして、つい」
「何そのしゃべり方。……でも、ひなたがノリノリで良かった。それじゃあ昼休みに」
天音さんは嬉しそうに笑うと、トイレを出て行った。
俺は女子トイレに一人取り残される。
天音さんのおかげで、無事に女子トイレに入ることができた。
心の中で感謝をしつつ、俺は個室に入った。
昼休みになると、俺はすぐに例の空き部屋に向かった。
桜木さんの友人が一緒に昼食を食べようと誘ってくれたが断った。
女子たちの雑談についていく自信がないし、ボロが出る可能性が高いと判断した結果、昼食を抜くことにした。
俺はひとりで
学校に来てからは常に誰かの視線がある。こうしてひとりでいられる時間は気が休まる。
しばらくすると扉が開いて
「桜木さん! ようやく話ができる!」
俺は飛び跳ねるようにして
「あ、あの誰ですか? 俺は桜木さんじゃないですよ? たぶん人違いだと思います」
この反応は俺の予想と違う。
まさかと一瞬思ったが、俺を驚かすために桜木さんが演技をしているに違いない。
「分かってるよ。体は朝比奈海斗で、中身が桜木さんなんだろ? だって俺が朝比奈海斗なんだから」
「え? 俺の名前……。なんで……」
俺は不安を覚えるが、さらに言葉を重ねる。
「俺たちは屋上から落ちて、魂が入れ替わってしまった。
なぜだか時間も巻き戻ってるみたいだけど。
一緒に元の体に戻る方法を探そう、な?」
「……たしかに俺の名前は朝比奈海斗だけど、君の言ってることが一ミリも理解できない。
俺は、別に入れ替わりなんかしてない。俺は俺だよ。
悪いけど帰るわ。天音さんにはそう伝えて」
そう言って
「え、待って……。そんな……」
頭が真っ白になる。悪い予想が見事に的中してしまった。
朝比奈海斗は入れ替わりをしていない。中身は朝比奈海斗のまま。
そうなると今の俺はコピーされた意識になる。
そんな俺が一方的に桜木さんの体を乗っ取っている状態。
……では一体、桜木さんの魂はどこにある? 俺はどうすれば良い?
俺には戻るべき体がない。
この体を桜木さんに返した後、俺は消滅する運命。
絶望が俺を襲う。
もう立っていられなくなり椅子に力なく倒れこんだ。
「……俺は、どうしたら……。桜木さん、どこにいるんだよ……。誰か教えてくれよ……」
途方に暮れていると、再び扉が開いた。
入ってきたのは朝比奈海斗だった。
「桜木さん! 戻ってきてくれたのか! やっぱり入れ替わってるよね?
良かったー。悪い冗談はやめてくれよ」
俺は嬉しさのあまりに
暖かい手。今は人のぬくもりが、とても心地よい。
「え? いきなり何ですか?」
その反応に、俺はまたも困惑する。
「さっきのは冗談だったんだよね? ほんとは桜木さんなんだよね? だから戻って来たんだよね?」
俺は藁にも縋る思いで、矢継ぎ早に質問した。
「……あのー、言ってる意味が分からないんですけど?」
まるで、先ほどやったやりとりをリピートしてるみたいだ。
「じゃ、じゃあ、なんで戻ってきたの? 一度帰ったのになんで?」
「戻ってきた? 今日、ここに来たのは初めてだけど?」
「……え?」
俺の頭は混乱していた。どうも話がかみ合っていない。
……なんだこの強烈な違和感は? 何かがおかしい。
「ひとつだけ確認させてくれ。君の中身は桜木ひなた、だよね?」
「いや、俺は朝比奈海斗。その桜木ひなたって人は知らない」
数分前にやったやりとりと同じだ。
……どういうことだ? まるで朝比奈海斗は記憶を失っているようだ。
「なんか部屋を間違えたみたいなんで……」
そう言って、朝比奈海斗はまたも部屋を出て行ってしまった。
あっけにとられて立ちすくむ俺。その瞬間、視界が一瞬だけゆがんだ気がした。
そして
「……………」
俺は茫然と朝比奈海斗を見つめた。
「……間違えました。すみません」
朝比奈海斗はすぐに顔を引っ込めて部屋を出ていってしまった。
その瞬間、かすかに世界が歪む。
そして、またも朝比奈海斗が顔を出した。
「……間違えました。すみません」
朝比奈海斗はすぐに出て行く。
「間違いない。時間が巻き戻っている」
朝比奈海斗がこの部屋を訪れて、その後すぐに帰ってしまうと、朝比奈海斗が訪れる瞬間にまで時間が戻っている。
それを何回も繰り返している。
なぜこんなことになっているのか?
もしかしたらオリジナルと違う出来事になっているからかもしれない。
オリジナル、つまり俺が朝比奈海斗だった頃、俺はこの部屋で桜木さんと一緒に天音さんが来るのを待った。
それと違うから時間が巻き戻っている?
となれば、この状況を打破する方法は一つ。オリジナルを再現すれば良い。
おそらく再現が完璧でなくても大丈夫なはずだ。朝から優太に怪しまれる言動をとってるが、その時は時間が巻き戻っていない。
大きく運命が変わるようなことをしなければ許されると思って良いだろう。
俺が思考している間も世界の時間は巻き戻り。朝比奈海斗が何度も部屋を訪れていた。まるで壊れた人形のように……。
「俺が桜木さんの行動をトレースしない限り、永遠に時間が巻き戻され続けるってことか」
俺は結論を導き出した。
どうやら今の俺には自由意志はないようだ。運命はすでに世界によって決められている。
いわゆる決定論的世界。それがここってわけだ。
ひとまず嘆くのは後にして、時間を進めてみるしかないだろう。それしか俺にはできないのだから……。
「…………」
部屋の扉が開く。俺にとっては何十回目、しかし朝比奈海斗とっては最初の出来事。
「こんにちは」
前回の桜木さんがしたように、俺はやさしい笑顔で朝比奈海斗を出迎えた。
「……間違えました。すみません」
しかし朝比奈海斗は驚いて扉を閉めて出て行ってしまう。ウブな奴め。
たしか桜木さんは廊下であたふたしている朝比奈海斗を優しく招き入れたんだった。
俺は扉を開いて、廊下にいる朝比奈海斗に話しかける。
「あのー、間違いじゃないですよ。
あなたも天音さんに呼ばれて来たんですよね?」
「そうそう! 俺も天音さんに呼ばれて」
朝比奈海斗は、ほっとした顔で部屋に入って椅子に座った。
……たしかこの後は自己紹介をしたんだったな。
「ええと、そういえば、まだ自己紹介をしてませんね。
私は2年えー、B組の桜木ひなたです。あま、綾花とはたしか同じ中学でした。
朝比奈さんと一緒で、今日は話があるからと綾花に呼ばれました」
「あれ、もしかして俺のこと知ってる? 天音さんからなにか聞いた?」
「はい、多少は……」
……あれ? ここは聞いてないって答えるんだっけ? ま、いっか。戻ってないってことは許容範囲内だ。
俺はオリジナルの桜木さんを思い出しながら演技を続けた。
「だから名前を知ってたのか。俺は2年A組の朝比奈海斗。天音さんとは同じクラス。
ここに来た理由は桜木さんと同じだよ。それで天音さんはいなの?」
「ええと、まだですね」
「そう。じゃあ、待とうか」
こうして二人きりで天音さんを待つことになった。
この後は、たしかテレパシー能力を披露したはず。
「……ええと、実は私、超能力者なんですよ」
詳しいやりとりは覚えていないので、直球で切り出した。
「超能力者? ああ、アレですよね? 魔力持ちってこどですよね?
たしか儀式をするのに魔力を持ちを集めてるって、天音さんが言ってましたから。
そういう意味では、俺も超能力者ですね、ははは」
この頃の朝比奈海斗はまだ、超能力者の存在を信じておらず、ただのごっこ遊びだと思っている。
それがあれよあれよという間に、考えが180度変わることになる。
まさかそれを桜木さんになりきって観察することになるとは、世界は不思議に満ちている。
「テレパシーって知ってますか? 人の心が声が聞こえる超能力です」
「はあ、まあ知ってますけど……」
朝比奈海斗は気のない返事をする。
「だから、それが俺、じゃなくて私なんですよ!」
「……あ、そうなんですか。それはすごいですね」
前回と微妙にやりとりが違っているためか、まったく超能力を信じていない朝比奈海斗。
だが、逆にその方が騙しがいがあるというもの。
朝比奈海斗の驚く顔を想像して、笑いが込み上げてきた。
「信じてないって感じですね。じゃあ、今から超能力を披露します。
4桁の数字を何でも良いので思い浮かべでください。それを当てますから」
俺はそう自信ありげに言い放った。
とは言いつつも、俺はテレパシーを使えない。
使えないけれど、テレパシーがあると見せかけなければ、おそらく時間が巻き戻されてしまう。
「わかりました。ええと……」
朝比奈海斗は視線をめぐらせて数字を考えている。
俺は
時刻は12時30分。
『1230』
たしか前回は、この数字を変形させた気がする。
『4』を掛けると繰り上がりが発生して、暗算が面倒くさいので『3』に妥協したはずだ。
『1230×3=3690』
俺は頭の中で計算して数字を導いた。
「決まりました。今、その数字を思い浮かべてます」
「はい、ええと、3690ですよね?」
「……正解」
「よしっ!」
俺は思わずガッツポーズをした。
朝比奈海斗は数字を当てられたことに驚いている。
「ちょっと待ってください。今、俺の視線を追ってましたよね?
もう一度、やりまりましょう」
テレパシーを信じきれない朝比奈海斗が再戦を求めてきた。
「いいですよ。でも、次が最後ですからね」
俺にはテレパシー能力がない。
しかしテレパシー能力があるように見せられるのは、オリジナルの記憶があるからだ。
なので、2回以上の能力披露はできない。
「……思い浮かべました」
「1万以下で最も大きな素数『9973』ですね?」
「マジか。本当に超能力者がいるなんて……」
こうして俺は朝比奈海斗に超能力を信じさせることに成功した。
その後、神崎がやってきて、天音さんが渚を連れてきて軽く自己紹介をした。
最後に天音さんが「魔王の手下が近くにいるかもしれないから、みんな注意してね」と言って解散した。
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