005 入れ替わり?
放課後、俺は桜木さんと一緒に残りのメンバーが来るのを空き部屋で待っていた。
この後に魔力持ちが集合して、光の儀式を行うことになっている。
少し前までは中二病のごっご遊びに付き合ってやる程度に考えていたが、ぞくぞくと本物の超能力者が現れたことで話が180度変わった。
儀式はただの遊びではなく、おそらく本当に異世界ヴェラルクスを救う。
単なる妄想だと思っていた異世界ヴェラルクスは存在していたのだ。
俺の持つ秘めたる力の影響で、俺は異世界ヴェラルクスを夢の中で観測していた。
勇者は魔王に敗れ、その度にループを繰り返している。その戦いは今もなお続いている。
勇者が勝利するまで続く戦いに終止符を打つべくして、俺たちは光の儀式を行い。
そして勇者に勝利をもたらす。
俺はまだ能力を覚醒させていないが、そこは他のメンバーがなんとかしてくれるだろう。
儀式を行うのは良いが、神崎が気になることを言っていた。
『朝比奈さんは明日、大変なことに巻き込まれます。覚悟をしておいてください』
儀式は異世界ヴェラルクスを救うだけで、こちらの世界に何かしらの影響を与えるものではないはずだが……。
一体、何がどう大変なことが起きるのか。
まさか儀式が失敗して、魔物がこちらの世界にあふれ出てくるのだろうか?
今から楽しみでワクワクが止まらない。
俺がニヤついている横で、桜木さんは真剣な表情を浮かべていた。その手にはスマホが握られている。
いつも微笑んでいる桜木さんにしては、少し怖い顔だ。なんだか心がざわつく。
桜木さんはスマホをじっと見つめた後、いきなり立ち上がる。その勢いで椅子が派手な音を立てて倒れた。
「な、なに!? 桜木さん、どうかした?」
俺はビクリと体を震わせて、恐る恐る訊ねた。
桜木さんは俺に視線を向ける。その顔からは血の気が失せて青ざめていた。
「お、弟が、弟が……。あ、ああ……。屋上に行かないとッ!」
うわ言のような返事をすると、桜木さんは勢いよく部屋を飛び出していった。
俺は唖然とした。しかし、すぐに気を取り直して桜木さんを追いかける。
よく分からないけど、桜木さんの弟が緊急事態なのだろう。
もしかしたら助けが必要になるかもしれない。
桜木さんの背中を追いかけて、やってきたのは屋上へ出る扉の前だった。
屋上の鉄扉は基本的に施錠されており、立ち入ることができない。
しかし、その鉄扉が壊されていた。
物凄い力で殴られたように鉄扉がひん曲がって、扉の役目を果たしていない。
……何があった? まさか熊でも出没したのか?
俺は戸惑いながらも、桜木さんに続いて屋上に出た。
屋上の一番奥に一人の男子生徒が立っていた。
男子生徒はフェンスに手をかけて、空を見つめている。
俺と桜木さんは、その男子生徒にゆっくりと近づいた。
「……優太?」
桜木さんが声をかけると、男子生徒はゆっくりと振り返る。
その男子生徒には見覚えがあった。昨日、俺の肩にタックルをかましてきた少年だ。
まさか桜木さんの弟だったとは、奇妙な偶然もあるものだ。
「……姉ちゃん、来たんだ」
どこか虚ろで焦点の合わない瞳を向ける弟くん。
ヤバい感じなのは一目瞭然。いつ飛び降り自殺をしてもおかしくない雰囲気がある。
しかし、幸いなことに周りは高いフェンスで囲まれている。そのため、すぐに飛び降りることはできない。
もし弟くんが怪しい行動をしても取り押さえる猶予はある。
俺はいつでも動き出せるよう心の準備をしておく。
「僕は死ぬことにしたよ」
「なんで、そんなこと言うの?」
桜木さんは震える声で問う。
……おいおい、いきなり悪い予感が的中しやがった!
神崎の言っていた『大変なこと』って、これのことか!
「僕は一人で逃げたんだ。彼女を置き去りにして……」
「優太は逃げたかもしれない。でも彼女は無事だったんでしょ?
なら良いじゃない。またやり直せば。死ぬ必要なんてない」
「でも、僕が死んだ方がみんなが喜ぶって……」
「優太が死んでも誰も喜ばない。私は悲しい!」
桜木さんは必死に弟くんを説得する。
無関係の俺はただ二人を見守ることしかできない。無力な自分が歯がゆい。
しかし、弟くんが怪しい行動を始めたら、俺の出番だ。
実力行使で弟くんを取り押さえる。
俺は心の中で覚悟を決める。
「そっか……。でも、僕が死ぬことで世界が救えるんだ。
この世界に必要ない僕が、別の世界を救う役に立てるなら……」
……別の世界?
弟くんの口から気になる単語が出てきた。
別の世界といって思い浮かべるのは、異世界ヴェラルクスだ。
この後に俺たちが光の儀式を行って救う異世界。それのことだろうか?
「そんなの嘘よ!」
「最初は半信半疑だった。でも僕に力をくれた」
弟くんはフェンスを掴むと、そのまま引っこ抜いた。
コンクリートに埋まった鉄製のフェンスを引っこ抜くなど人間業ではない。
あきらかに異常だ。
ガシャンと金属音を鳴らして、フェンスが屋上に転がる。発泡スチロール製ではなく、ちゃんと金属製。トリックではない。
となると屋上の鉄扉を壊したのも弟くんだろう。
……ちょっと待て。実力行使で取り押さえるつもりだったが、あのパワーは無理だ。俺でなくても人間には無理。絶対無理。
俺の覚悟が音を立てて崩れ始めた。
「先輩が僕に力をくれた。僕は選ばれた人間なんだ。
僕が死ぬことで先輩の世界が救えるなら喜んで死ぬよ。
僕は誰かの役に立ちたいんだ」
「やめて!」
桜木さんが悲痛な声で叫ぶ。しかし、弟くんの心には届かない。
「姉ちゃん、今までありがとう。バイバイ」
弟くんはためらうこともなく屋上から飛び降りた。
フェンスを上るという動作がいらなくなったため、落ちるのは一瞬だ。助ける暇もない。
「優太ッ!」
桜木さんが弟くんへと手を伸ばす。しかし、その手は弟くんを掴むことはなかった。
弟くんに続いて桜木さんも落下する。だがギリギリのところで俺が桜木さん手を掴んだ。
掴んだは良いが、勢いが止まらずに俺も一緒に落下する。
気持ちの悪い浮遊感が俺を襲う。
……これから光の儀式を行うはずだったのに、どうしてこうなった?
いきなりの超展開に俺はただただ混乱していた。
そして、その混乱のまま俺の意識は暗闇に落ちて行った。
目が覚めると、見たことのない天井があった。
俺の部屋の天井はくすんだ白色だが、今見ている天井は木目調をしている。
俺はゆっくりと体を起こして周りを見回した。知らない部屋だ。
部屋には机や衣装ダンスなどの家具が置いてある。どうやら病院でもないようだ。
俺は学校の屋上から桜木さんと一緒に落ちた。
あの高さから落ちて、ただでは済むはずがない。骨の1、2本が折れていても不思議はない。
俺は自分の頭に手を当てた。
「あれ? 怪我してない?」
頭に包帯が巻かれていると思ったのだが、そんなことはなかった。
だが別のことに気付く。
「……なんか髪が長い」
自分の髪が肩口に掛かるほどあり、女子かと思うほど伸びていた。
「もしかして、ずっと眠ってたのか?」
何ヶ月も眠り続けたのかと思い恐怖を感じてベットから飛び起きた。
長い間、寝たきりだったわりには、体が普通に動くことに安堵する。
普通は筋肉が衰えて、まともに歩くこともできないはずだが……。
……何かがおかしい?
俺は部屋の中を歩き回った。
ぬいぐるみやら可愛い小物などが部屋には置いてあり、まるで女子の部屋のようだ。
「なんだか、胸が邪魔だな」
歩く度に胸の辺りにずっしと重みを感じた。
何かが服の下に入っているのだろうかと思い、胸を触ってみた。
「……なんだこれ、でっかくなってる。まさか何かの病気か?」
俺の胸が手の平から零れるほど、大きくなってしまっていた。
俺は部屋の隅にあった姿見で自分の姿を確認する。
「さ、ささ、さささ、桜木さんっ!? なんで俺が?」
姿見に映っていたのは桜木さんだった。
鏡に映った桜木さんは俺と全く同じ動きをしている。
つまり、俺の体は桜木さんになっていた。
髪が長いのも胸が膨らんだのも、自分の体が桜木さんになっていたからだった。
「そういえば、声もおかしい。それにしても桜木さんは可愛いなぁ」
俺は姿見に映った自分の体にうっとりして頬をゆるめた。
そして大きく膨らんだ胸に手を当てて、そっと揉む。
これは別にエッチな気持ちでやっているわけでなない!
どれくらの感度なのか、どれくらい強く揉むと痛いのかなどを知っておくことは大切だ。
自分の体のことを自分が知ることは当たり前のことなのだ。
桜木さんの大切な体を守るためにも必要なのだ!
「なるほど、なるほど、これくらいがいいのか。これ以上力を入れると痛いな」
俺は自分の胸の感触をじっくりと確かめた。
自分の胸を揉んだ手を見て、急に罪悪感が襲ってくる。
「……ああ、俺って最低だ。わああああああああぁぁぁぁ!!」
俺はベットにダイブし、足をばたつかせて身悶えした。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「……どうぞ」
誰だろうと思いながら、部屋の外の人物に声をかけた。
ゆっくりとドアが開かれて顔を覗かせたのは、桜木さんの弟の優太だった。
俺は混乱した。
……なぜ弟くんがここに? 弟くんも屋上から落ちたけど……。それに怪我もしていない様子だ。
「姉ちゃん、朝から何を騒いでるの? うるさいよ」
弟くんは俺のことをお姉ちゃんと呼んだ。
今の俺が桜木さんの体をしているから、勘違いしているようだ。
俺が桜木さんの体になってしまったということは、弟くんも別人の可能性がある。
ちょっと探りを入れてみよう。
「失礼しました。……つかぬことをお聞きしますが、あなたはどなたですか?」
「弟のことを忘れる姉がどこにいるの。寝ぼけてないで、早く仕度しないと遅刻しちゃうよ」
「はい、わかりました」
「……なんだか今日の姉ちゃん、変だよ」
そう言って、弟くんはドアを閉めて行ってしまった。
今の会話から分かることは、弟くんは弟くんだということ。中身が別人になってるわけではないようだ。
俺だけがおかしくなった可能性が高い。
そして俺が今いる場所は、おそらく桜木さんの家だろう。
それなら弟くんがいてもなんら不思議ではない。
……まずは現状を把握しよう。
俺は制服に着替える。おそらく今日は平日で学校がある。
女子の制服を着るのは初めてなので苦戦しつつもなんとかクリア。着替えを終えて、俺は台所に向かった。
台所に行くと、母親らしき人物が朝食を用意してくれていた。
母親は桜木さんと雰囲気が似ていて、とても優しそうな人だった。
朝食を食べつつ、弟くんから情報をさりげなく聞き出した。
どうやら弟くんは屋上から落下したことを覚えていないらしい。
……アレは夢だったのだろうか? でも俺が桜木さんになった原因はアレ以外に考えつかない。
男女が抱き合って落下すると、体が入れ替わる物語を見たことがある。フィクションだけど。
ひとまずは目立った行動をせずに様子をうかがった方が良さそうだ。何があるかわからない、一応用心しておこう。
俺は桜木さんを演じつつ、中身がバレないように朝の準備をした。
このあと学校に行くわけだが、俺は桜木さんの家から学校にどうやっていくのかを知らない。
仕方ないので弟くんを尾行して登校しよう。
俺がそんな作戦を考えていると、弟くんが「ほら行くよ」と俺を誘って一緒に家を出た。
「……一緒に登校してくれるの?」
俺は驚いて質問した。普通、高校生ぐらいの男子は、姉と一緒に登校するのを恥ずかしがる。
今の俺としては非常に助かるが、姉弟揃っての登校は珍しい。
……まさか桜木さんの中身が俺だってことがバレた? 俺の行動を監視する目的か?
「何言ってるの? いつも一緒に登校してるでしょ。まだ寝ぼけてる?」
弟くんは笑って歩き出す。
どうやら俺の正体がバレたわけではないようだ。
一安心して、俺は弟くんの横に並んだ。
それにしても普通の状態の弟くんを見るのは新鮮だ。
初めて会ったときは目を腫らして泣いていたし、屋上では明らかに異常だった。
一体、弟くんに何が起きたのだろうか?
「お姉ちゃんと一緒に登校するの嫌じゃない?」
俺は気になって質問してみた。
「友達に見られたら、からかわれるかもね。でも姉ちゃんが一緒に登校したいって言うから」
「お姉ちゃんが?」
どうやら桜木さんから頼んだようだ。
もしかして桜木さんは弟くんラブなのだろうか?
あの屋上での出来事を踏まえれば、そんな気がしないでもない。
「そうだよ。覚えてないの?
たしか一か月ぐらい前に、いきなり一人で学校行くのが怖いって言いだしてさ。
それまでは普通に一人で登校してたのに。
どうせ痴漢にでもあったんでしょ? それとも人の心の声が聞こえるようになったとか?」
弟くんは試すような瞳を俺に向けてきた。
桜木さんはテレパシーの能力者。そのことを弟くんは知らないらしい。感づいてはいるようだが……。
桜木さんが家族にも隠している秘密を俺が漏らすわけにはいかない。
「……あはは、人の心の声が聞こえるって何? 痴漢よ痴漢。ほら私ってカワイイから」
俺は笑ってごまかした。
「ふーん、そう……」
弟くんは納得していない様子。だがそれ以上は踏み込んで来なかった。
その気遣いがなんとく微笑ましいと思った。これぞ姉弟愛。
「いつもありがとう、弟くん」
「…………」
俺が桜木さんに代わってお礼を言うと、弟くんは急に黙ってしまった。
「あれ、どうしたの? 急に黙っちゃって」
「いつもは優太って呼ぶのに、今日は違ったから……」
弟くん改め優太は不安そうな瞳を俺に向けた。
……しまった! やっちまった。
俺が桜木さんを完璧に演じることは不可能。これからも優太に違和感を与える言動をとってしまうのは間違いない。
いまのうちに言い訳をしておいた方が良さそうだ。
「今日はなんだか調子が悪いんだ。頭がふわふわするというか……。だから変なことを口走っても気にしないで。
ほら朝から変だったでしょ私?」
「……そう、わかった」
中身が違うことを打ち明ければ、優太の不安を解消できる。
しかし、その行為が正解とも限らない。俺自身が状況を把握できていない今、リスクが高い行動はとれない。
優太には悪いが今はまだ内緒にさせてもらう。
そして、優太との会話で分かったことが一つある。
桜木さんは生まれつきの能力者ではなく、一か月前に能力を発現させた可能性がある。
お世辞抜きに桜木さんは可愛い。桜木さんを見た男性が、やましいことを考えてもなんら不思議ではない。
桜木さんはそんな心の声を聞いてしまい恐怖を感じた。それで優太に一緒に登校してくれと頼み込んだ。
……少し情報を整理しよう。
優太と桜木さんと俺は、学校の屋上から落ちた。
そして、目が覚めたら桜木さんの体に俺の意識が入り込んでしまっていた。
俺が桜木さんになってしまったということは、逆に桜木さんが俺の体になっている可能性が考えられる。
幸いなことに桜木さんと優太の両方に怪我はない。だとしたら俺の体もおそらく無事だろう。そう願う。
だが一つ気になる点がある。それは屋上から落下した事件を優太と母親が知らない様子だったことだ。
なぜ事件を知らないのか、ただの記憶喪失なのか、それともほかに理由があるのかは不明。
何はともあれ、俺は
そして、入れ替わった体を戻す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます