002 魔力持ち
俺は自分の席から、ぼんやりと天音さんの後姿を見つめていた。
彼女の綺麗な黒髪が蛍光灯の光を反射して、天使の輪を作っている。
異世界ヴェラルクスの住人たちにとって、彼女は間違いなく天使だろう。
なんせ自分とは無関係の世界を救おうとしているのだから。
しかし、残念なことに異世界ヴェラルクスの住人たちは存在しない。
そもそも異世界ヴェラルクスがただの妄想世界。
そのことにいつか彼女は気付くだろう。
その時に彼女が闇落ちして、堕天しないように俺が支えなければ……。
そんなことを考えていると、ふいに天音さんが振り返った。
俺と天音さんの視線が合う。
彼女は俺の視線に気付くと、笑顔で小さく手を振ってきた。
「……お、おう」
まさか手を振ってくると思わず少しだけ驚くが、無視するのも悪いので俺も手を振り返した。
「おいおい、今のはなんだ? 怪しいなー」
後ろの席の
「怪しいって何が?」
俺は面倒くさそうに振り返った。
「今、天音と手を振りあってただろ? いつからそんな仲になったんだ?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる武藤。
どうやら俺と天音さんが恋人にでもなったと勘ぐっているようだ。
「別に、そんなんじゃないから。昨日少し話しただけ」
「話ってなんだよ? 恋バナか?」
「違うって。廊下でぶつかった際に本を落として。それでその本の話をちょっと……」
「本? まさかお前、エロ本か?」
目をキラキラせる武藤。
「んなわけないだろ。本を落としたのは、俺じゃなくて天音さんの方」
「ならエロ本はないか。……でもワンチャン?」
「ないない」
俺は呆れながら否定する。まったく武藤の想像力には驚かされるばかりだ。
「そっか。で話は変わるがコレを見てくれ。こいつをどう思う?」
唐突に武藤がスマホの画面を見せてきた。
画面には一枚の写真。青空を背景にしてビルの間を飛んでいる少女が写っていた。
なぜか少女は猫のお面とマントのような物を身に着けている。
「映画かなんかのプロモ画像か?」
「まさか、お前知らないの? あのキャットテールを!」
武藤は大げさに驚く。
「知らないけど。有名な映画なのか?」
「映画じゃなくて、今話題の謎のヒーローだよ。ノンフィクション」
「謎のヒーロー?」
「ああ、正体不明。神出鬼没に表れて人助けをする女性ヒーローだ。
これは偶然、その場に居合わせて俺が撮った写真。どうだスゲーだろ?」
「……はあ、それはすごいね」
そのキャットテールとやらを今知ったので、すごさはピンときていないが、とりあえず褒めておく。
「で、マントの下の服がちらっと見えてるんだが、これウチの制服だと思うんだ」
「ほう、謎の女性ヒーローがウチの学校の生徒なのか」
「そうそう。これはまだ俺しか知らない超スクープ。お前に教えたのは特別だからな。みんなには内緒だぞ」
「それは、どうも……」
別に知りたくもない情報を見せられて、無理やりに恩を着せられた。
そんなやり取りをしてると、いつのまにか天音さんが近くにやってきていた。
「もしかして私の話してた?」
天音さんが遠慮がちに訊ねてきた。
「ちょっとね。でも変なことは言ってないから安心して」
「うん、昨日の話はあんまり……」
天音さんも異世界の話を無関係の奴に話すリスクを分かっているようだ。
昔の俺よりは、はるかに常識をわきまえているようで、少し安心した。
「お、二人だけの秘密ですか? ラブラブですねー、うらやましいなー」
「うるさい。ちょっと黙れ」
後ろから冷やかしの声が聞こえたので、軽くにらみつける。
武藤は肩をすくめると、大人しくなった。
「それで、どうしたの? なにか用?」
俺は笑顔で天音さんに訊ねた。
「昨日の部屋に、昼休みに来て欲しいんだけど大丈夫かな?」
「分かった。飯食ったら行くよ」
「ありがとう。それじゃあ、昼休みに」
パタパタと小走り離れていく天音さん。
後ろの席を伺うと武藤がニヤニヤと笑っていた。
昼食を食堂で済ませた後、俺は例の部屋に向かった。
――ガラガラガラ。
引き戸の扉を開けて部屋に入ると、見知らぬ人がいた。
「あ、こんにちは」
ほんわか雰囲気をまとった女生徒が俺に気づくと、にこやかに挨拶をしてきた。
「……間違えました。すみません」
俺は驚いて、部屋の外に飛び出した。
廊下を見渡して、昨日と同じ部屋だということを確認する。
部室棟二階の空き部屋で間違いない。
「……あれ、昨日と同じ部屋だよな?」
まさか天音さん以外の人間がいるとは思わず、つい逃げ出してしまった。
いまさら部屋に戻るのもなんだか気まずい。
……さて、どうするか。
俺が廊下で悩んでいると、扉が開いて先ほどの女生徒が顔を出した。
「あのー、たぶん間違いじゃないと思います。あなたも綾花に呼ばれて来たんですよね?」
「そうそう! 俺も天音さんに呼ばれて」
都合良く助け舟を出されたので、俺はほいほいと乗り込んだ。
俺は部屋に入り椅子に座った。
天音さんはまだ来ていないようだ。
……それにしても、この子は誰だろう? 天音さんの友達? 儀式のことは知っているのだろうか?
「あ、そうです。そういえば、まだ自己紹介をしてませんでしたね」
まるで俺の心でも読んだかのようなタイミングで、話し出すふわふわ系女子。
「私は2年B組の桜木ひなたです。綾花とは同じ中学でした。
朝比奈さんと一緒で、今日は綾花に呼ばれて来ました」
「あれ、もしかして俺のこと知ってる? 天音さんから何か聞いた?」
俺が名乗ろうとした矢先に名前を呼ばれて、肩透かしを食らった。
「あ、何も聞いてないです。知らないです。あの、どちら様ですか?」
俺の名前を言ったのにも関わらず、知らないフリをする桜木さん。
……なんとも不思議な子だ。これが世に言う不思議ちゃんというやつだろうか。まあ良いけど。
「俺は2年A組の朝比奈海斗。天音さんとは一緒のクラスだね。
ここ来た理由は桜木さんと同じ。それで天音さんは?」
俺たちを呼んだ張本人の姿が見当たらない。
まだ来てないのか、それとも一旦席を外しているだけなのか。
「まだ、来てないですね」
「そうなんだ。なら少し待とうか」
たしか天音さんは魔力持ちを集めて儀式をやりたいと言っていた。
……桜木さんも魔力持ちの一人という設定なのだろうか?
「そうです。私も魔力持ちです」
「……え?」
またも俺の心を読んだかのようなタイミングで話し出す桜木さん。
「どうかしました?」
桜木さんは、優しい笑顔で俺を見つめる。
なんだか、その大きな瞳で心を見透かされてる感覚に陥る。
まさか心を読まれているなんてことはないだろう。
それはもうオカルトだ。ありえない。ただの偶然だ。
「いや、なんでもない」
「『まさか心を読まれているなんて』ですか?」
「――――っ!?」
俺は絶句する。そして全身に鳥肌が立った。
桜木さんの優しい笑顔が今は、とても恐ろしく感じる。
俺の動揺をよそに、桜木さんは平然と語り始める。
「テレパシーって知っていますか? 日本語では読心術。
他人の心の声が聞こえる、いわゆる超能力です」
「し、知ってるけど。それが何?」
俺は震える声で、なんとか聞き返した。
「綾花は魔力持ちを集めて、儀式を行なうと言っていました。
普通の人は魔力を持っていません。
魔力持ちとは、特別な力を持っている人のことです」
「へ、へえ特別な力ね。……まさか桜木さんはテレパシーが使えるとか?
そんなわけないよね、ははは」
自分を落ち着かせるために空笑いをした。
「試してみます?」
桜木さんは、からかうような視線を俺に向けた。
これは桜木さんからの挑戦だ。
桜木さんがホンモノなのか、それともただのハッタリなのか、はっきりさせるべきだろう。
あいまいな状態にしていたら、きっと夜眠れなくなる。
「分かった。やろう。それで方法は?」
「そうですね。では、4桁の数字を思い浮かべてください。
0から9999まで。正解する確率は1万分の1です」
「おっけー」
さて、どんな数字にしようか。
俺は視線をめぐらせながら考えた。
ふと壁にある時計が目に付く。時刻は12時31分。
『1231』
この数字でも良いが、もし俺の視線を見られていたら簡単に当たられてしまう。
ならばこの数字に4を掛ける。
『1231×4=4?24』
ダメだ。今の精神状態では繰り上がりのある計算を暗算できない。
ここは妥協して、3を掛けることにする。
『1231×3=3693』
うん。これだ。この数字にしよう。3693。
俺は一呼吸して、桜木さんに向き直る。
「よし決まった。さあ、俺の思い浮かべている数字を当ててみてくれ」
「えーと。3693ですか?」
「……正解」
「やったー」
あっさりと言い当てられた。
しかし、まだテレパシーを認めるわけにはいかない。
俺の視線から時計の数字を見て、そこから数字を変形させることは予想できなくもない。
次は絶対に予想できない数字にする。
「いや、まだだ。もう一回頼む」
「いいですよ」
余裕の笑みを浮かべる桜木さん。
『9973』
この数字は、1万以下で最も大きな素数。
正真正銘、俺が今、心のなかで思いついた数字。
部屋を見渡しても、この数字を予想することは絶対に不可能だ。
もしも、この数字を当たられたらテレパシーを認めざるを得ない。
俺は覚悟を決めた。
「思い浮かべました?」
「ああ」
俺はわざと時計をチラ見する。フェイントだ。
……さあ、当ててみろ!
「へぇー初めて知りました。この数字が1万以下で最も大きな素数なんですね。
答えは『9973』です」
数字に付属する豆知識まで言い当てられた。
桜木さんと会ってから、俺は素数という言葉を一度も使ってない。
これはもう本物だと認めるしかない。それ以外には説明ができない。
「マジか。本当に超能力者がいるなんて……」
フィクションの中なら珍しくない超能力者だが、それをリアルで見たのは初めてだ。
やはり超能力者だとバレて騒ぎになるのが嫌だから隠しているのだろう。
某国に拉致られて人体実験をさせられる可能性も、無くはないからな。
「桜木さんがテレパシーを使えるのは分かった。
でも、なんでそれを俺に教えたんだ? 隠してた方が良かった気がするけど……」
俺はいわゆる一般人。超能力者ではない。
そんな俺と初めて会ったのにも関わらず、重大な秘密を教えた理由が分からない。
超能力者同士なら秘密の共有もアリだとは思うが……。
「私と同じ『魔力持ち』だからですよ」
「それは……」
魔力持ちは天音さんが適当に言ってるだけの戯言。妄言。
しかし、桜木さんの言い方では、魔力持ちは魔力持ちと言われるだけの『何か』を持っているようにも聞こえる。
つまり、俺にも何かしらの『超能力』が備わっている?
いや、そんなわけはない。でも、もしかしたら……。
俺が心の中で思い悩むも、桜木さんはニコニコと笑うだけで答えを教えてはくれない。
桜木さんは優しい顔をしているが、実はドSに違いない。
そんな中、突然に扉が開いて知らない男が部屋に飛び込んできた。
高身長でスタイルの良いイケメンだ。
「……え? 誰?」
俺が声を上げるもイケメンは無視して、入ってきた扉に耳を当てて様子を伺っている。
まるでスパイ映画のワンシーンのように、追っ手から逃げ隠れしているようだ。
イケメンは走ってきたようで、息を切らせている。
俺は桜木さんを見る。桜木さんは首を小さく振る。どうやら知り合いではないようだ。
しかし、テレパシーを使えばイケメンの事情を知ることはできる。
桜木さんはイケメンの事情を知っているが、それを口にすることはなかった。
少ししてイケメンは警戒を解く。そして俺たちの方に視線を向けた。
「これはすみません。驚かせてしまいましたね。
ちょっと、危険人物に追いかけられてまして」
イケメンは理由を説明すると、なぜか椅子に座ってきた。
「え? なんで座るの?」
追っ手から逃げ切ったのだから、部屋から出ていけば良いはず。なぜに居座る?
「あ、言い忘れました。僕も『魔力持ち』です」
にっこりと笑う謎のイケメン。笑顔が眩しい。
なるほど。このイケメンも天音さんにスカウトされて来たのか。
そんなこんなで呼び出した張本人の天音さんを三人で待つことになった。
それにしても部屋の空気がどこかおかしい。
桜木さんもイケメンもなぜか孫を見るような優しい笑顔を俺に向けてくる。
俺が知らない『何か』を二人は知ってる。そんな気がしてならない。
「お待たせー。……ってあれ、知らない人がいる?」
天音さんが、ようやくやってきた。
そしてなぜだか、イケメンを見るや変なことを呟いた。
……このイケメンは天音さんがスカウトしてきたのではないのか?
「もしかして朝比奈くんの友達?」
「いや、名前も知らない。でも魔力持ちだって言ってたよ」
「そうなんだ。ちょっと待ってね」
天音さんは小さな肩掛け鞄から、例の黒い本を取り出して、その本と会話を始める。
「……うん、うんうん。この人も魔力があるんだね。分かった。
あなたもここ来たってことは儀式を手伝ってくれるってことで良いのかな?」
天音さんは謎のイケメンに問いかけた。
「はい、その通りです。ぜひ仲間に入れてください。
僕は2年C組の
笑顔で頷くイケメンこと神崎。
天音さんと神崎は初対面らしい。
しかし『儀式』と言っただけで話を理解している。
もしかしたら、この神崎も桜木さんのような超能力を持っているのかもしれない。
そう考えれば辻褄が合う。
となると天音さんが本と会話をしているのも、本当なのか?
ただの中二病のお遊戯だと思っていたら、マジもんっぽくなってきたので、なんだかワクワクしてきた。
「ありがとう。これで仲間も五人になったし、儀式もバッチリね」
「五人? 俺、天音さん、桜木さん、神崎。四人じゃないか?」
俺は部屋を見渡して人数を確認した。4人しかいない。
「ああ、まだ紹介してなかったわね。最後の一人はこの子だよ」
そう言うと天音さんの後ろから、ひょっこりと小柄な女子が現れた。
小さすぎて完全に隠れてしまっていたらしい。
「はじめまして、一年の
渚と名乗った少女が礼儀正しく頭を下げた。
「鈴葉ちゃんは私の命の恩人なんだ。
廊下でボールがぶつかりそうになったのを助けてくれて。
それでもしやと思って、ジルニトラに聞いたらやっぱり魔力持ちだった。
きっと魔力持ちは自然と引かれ合う運命なんだね」
天音さん曰く、この場にいる全員が魔力持ち。
そして、桜木さんはテレパシーが使える超能力者。確認済み。
となれば、神崎と渚って子も超能力者の可能性が少なからずある。
もしそうなれば、俺も何かしらの能力を秘めている可能性が高いということになる。
自分では気づいていない未知のスーパーパワーが俺にもある?
ただの中二病のごっこ遊びだと思っていたら、とんでもないことになってきたぞ。
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