ジルニトラと不思議な魔導書

やなぎもち

001 魔導書ジルニトラ


 魔王城、玉座の間は静けさに満ちていた。

 その中を一つの足音だけが玉座に向かって進んでいる。


 ――コツ、コツ、コツ。


 大理石の床が硬い音を響かせる。


 大階段の上の玉座には、魔王がふてぶてしく座っている。

 全身黒ずくめの衣装。白い仮面を付けているため表情は見えない。

 取り巻きはおらず、魔王ひとりだけ。

 やがて足音は階段の下で止まる。


「魔王ヨルギス! 勇者アーサーの名において貴様を討伐しにきた!」


 鎧をまとった青年が高らかに宣言した。

 魔王は立ち上がると、ゆっくりと階段を下り始める。


「最後に言い残すことはあるか?」

「…………」


 勇者の問いに魔王は何も答えない。ただゆっくりと階段を下りるのみ。


「何もないか……。たとえ許しを請いたとしても、もう遅いがな」


 自分の勝利を確信でもしてるように勇者は笑った。

 魔王は勇者から少し離れた位置で階段を下りきる。

 向かい合う勇者と魔王。


「さあ武器構えろ。でなければ一瞬で終わるぞ」

「…………」


 勇者は剣を魔王に向けるが、魔王はただ勇者を見つめ返すだけで戦闘態勢を取ろうともしない。


「もう諦めているのか? ならば一撃で終わらせる。

 悪を絶つ聖なる光。その輝きで汝の敵を斬り伏せる――」


 勇者の剣がまばゆい光を放ち始める。


「――セイクリッドブレードッ!!」


 光の斬撃が魔王に直撃した。

 部屋中を強烈な光が満たし、視界が真っ白に染まる。

 やがて光が収まり、視界が戻った。


「な、なんだと……」


 勇者は目を見開く。

 床や壁が大きく破壊されたなかで、魔王は平然と立っていた。


「……ブリザードランス」


 魔王がしわがれた声で呟くと、無数の氷槍が空中に生成され勇者を取り囲んだ。

 直後、氷槍が嵐のごとく勇者を襲う。

 剣で防御するが、数が多いためにすべては防ぎきれない。

 勇者は体中を切り刻まれ、血だまりの中に倒れる。


「……なぜだ。なぜ俺の攻撃が無効化された? お前は光属性に弱いはず。

 お願いだ。最後に教えてくれ」


 勇者は自分の死を確信し、魔王に懇願した。

 魔王は水晶玉のようなものを取り出して見せる。

 水晶玉には羅列された数字がずらりと映し出された。


「これが我の魔力量だ。貴様の攻撃など、そもそも通用しない」


 圧倒的な差を見せつけられて勇者は目を見開く。だがすぐにニヤリと笑った。


「なるほど、純粋な力の差。それが理由か。教えてくれてありがとう。

 お礼に、俺からもひとつ良いことを教えてやる。

 俺とお前の戦いは、まだ終わっていない」


「…………」


 血の中で笑う勇者と、それを見下ろす魔王。

 誰が見ても勝敗は決している状況だ。


「なぜなら俺の魂は回帰する。それが俺の能力、魂回帰ソウループ

 今の俺は負けた。だが次の俺がお前を倒す。もし次の俺が負けても、その次が……。勝つまで繰り返す。

 どんなに力の差があろうとも、それを打ち破る方法を必ず見つける。

 お前が何十回、何百回と勝とうとも最後に勝つのは、俺だ! ははははははっ!」


 勇者は血反吐を吐きながら笑った。


「……ダークプリズン」


 魔王が呟くと、勇者の真上に黒い球体が発生する。

 黒い球体は徐々に大きさを増し、勇者を暗闇に飲み込んだ。




◆◆◆




 久しぶりに異世界ヴェラルクスの夢を見た。

 自分が勇者アーサーになり、魔王ヨルギスを倒しに行くファンタジー冒険譚。


 中学生の頃は、かなりの頻度で見ていた時期がある。

 だから俺は本当に自分が異世界の勇者だと思い込んでしまった。

 そして、そのことを自慢げにクラスメイト達に語ったことがある。

 結果、笑われた。それは『中二病』だと。


 誰だって自分が特別な人間だと思いたい時期がある。

 そんな思春期の願望が夢になって現れたのだ。


 朝比奈海斗あさひなかいとだからアーサーという名前の勇者。実に分かりやすい。

 異世界ヴェラルクスは俺が無意識に生み出した創作の世界。

 そんなものは、最初から存在しない。


 いまさらこんな夢を見たのは、きっと昨日の出来事が原因だろう。

 俺は自分の席から原因である人物、天音綾花あまねあやかに目を向けながら昨日のことを思い出していた。






 放課後。廊下の曲がり角で俺は誰かとぶつかった。


「――きゃあ」


 可愛い悲鳴が聞こえた後、女生徒が持っていた一冊の本がバサリと落ちる。

 その女生徒の顔には見覚えがあった。同じクラスの天音綾花だ。


「あっ……」


 天音さんは落ちた本を見つめたまま、なぜか固まっていた。


「ごめん、大切な本だった? でも傷はついてないよ、たぶん」


 俺は落ちた本を拾い上げる。

 黒い重厚感のある装丁。

 表紙は英語ですらない良く分からない文字が使われており、ドラゴンのような絵が描かれている。

 本の裏と表を見て、傷がないことを確認する。

 といっても古い本ので、かなりの傷がすでについている。

 今ついた傷か、昔についた傷かの判別は不能。

 ならば、すべて昔からの傷だということにしよう。そうしよう。


「はい」


 俺は天音さんに本を差し出した。

 しかし、天音さんは本を見つめるだけで、受け取ろうとしない。


「あれ、もしかして弁償しないとダメな感じ?」


 俺は内心で慌てた。

 古書の中には、かなりの高価なものが存在する。

 たとえば『レオナルド・ダ・ヴィンチのレスター手稿』は約30億円。

 アメリカで最初に印刷された詩篇『ベイ・サーム・ブック』は約14億円。

 まさかそのレベルだとは思わないが、数万円ぐらいはしてもおかしくない。


「あの、天音さん?」


 俺は笑顔を引きつらせながら、もう一度問いかけた。


「あ、ごめんなさい。考えごとをしてて。

 それで朝比奈くん、話があるんだけど。ちょっといいかな?」


 満面の笑みで聞いてくる天音さん。

 ……なんですかその笑顔は? めちゃくちゃ怖いんですけど!


「別に、いいけど」


 俺は内心の動揺を悟られないように、平静を装った。




 天音さんに連れてこられた場所は、部室棟二階にある空き部屋だった。

 部屋の真ん中には長机とパイプ椅子、壁際には空の棚と時計が設置されている。

 俺たちは向かい合うように椅子に座った。

 天音さんはなぜか上機嫌だ。鼻歌まで小声で歌っている。その理由が分からずに、俺は内心で困惑していた。


「そ、それで話ってなにかな?」


 俺は意を決して口火を切った。


「実は、この本なんだけどね……」


 スっと机に出される黒い本。天音さんから笑顔が消えて、なにやら言いずらそうにしている。

 俺は少しビビったが、無理やりに笑顔を浮かべる。


「立派な本だね。書かれてる文字も英語じゃないみたいだし。

 こんな本を読めるなんて、天音さんはすごいよ、さすがだね」


 とりあえず、ヨイショしてみる。

 これで天音さんの気分を良くして、なんとか許してもらえる方向に誘導したい。

 ちなみに「ヨイショ」の語源はヘブライ語の「神の救い」だという説がある。

 ……うん、今の俺にぴったりだ! 神の救いカモーン!


「あ、違うの。私も全然読めないから」


 少し慌てて天音さんは否定した。


「そうなの? じゃあ……コレクションとか、そういうのだったりする?」


 俺は核心をつく質問をした。

 もしもコレクションならば、高額本の可能性が高まる。

 ドキドキドキ、心臓が痛い。俺は緊張をしながら答えを待った。


「コレクションってわけじゃないかな。大事な本であることには違いないけど」


 ……うーん、良く分からない答えだ。

 コレクションでもない、読める本でもない。では一体、何の本なのだろうか?

 俺はますます困惑していた。

 そんな俺を落ち着かせるように、天音さんはゆっくりと口を開く。


「驚かないで聞いて欲しいんだけど……。

 私はこの本を読めない。でも本の声が聞こえるの」


 ……オーディオブックかな?

 もしかして本の形をしてるけど、実は中身が機械になってる的なヤツ?

 丈夫なハードカバーだし無くはない。

 よく映画やドラマで刑務所内にモノを持ち込む際に、本の中が切り抜かれて入れ物になってるような感じだろうか。


「これは魔導書。選ばれた者にのみ、その声が聞こえる。語りかけてくる」

「へ、へえ……」


 これはなんだ? 中二病というやつか?

 俺も一度かかったことがあるから、他人のことを笑えないが……。

 とりあえず、弁償の流れではなくなったことは喜ばしい。


「名前はジルニトラ。

 異世界ヴェラルクスから魔王の力によって転移してきた魔導書。

 異世界の文字で書かれているから、この世界の人間は誰も読むことはできない。

 当然の話ね」


「ちょっと待て。今、異世界ヴェラルクスって言ったか?」


 異世界ヴェラルクスは、俺が妄想したファンタジー世界の名前だ。

 なぜここで、その名前が出てくる? ただの偶然か?


「ヴェラルクス。ジルニトラはそう言ってるわ。

 そして、その世界を統べるのは魔王ヨルギス」


「ちょ、ちょちょちょまっ! 待て待て待て! まてーい!」


 異世界の名前だけでなく、魔王の名前も一致している。

 これは完全に、俺の妄想と同じだ。

 偶然の一致ではなく、何か裏がある。


「どうしたの? そんなにびっくりして?」


 俺が大声を上げたので、天音さんは目を丸くしていた。

 俺は一つ深呼吸して、自分を落ち着かせる。

 そして最終確認をする。


「もしかしてなんだけど。勇者の名前は、アーサーだったりする?」

「……え? そう勇者アーサーだよ。すごいすごい! なんで知ってるの?」


 天音さんは嬉しそうにパチパチと手を叩いていた。

 一方、俺のテンションだだ下がり、ため息が出る。


「それはこっちのセリフだ。どうして俺の黒歴史を知っている? 誰に聞いた?」


 これは間違いない。天音さんは俺をからかって遊んでいる。

 おそらく、俺と同じ中学のヤツから話を聞いたのだだろう。


「……くろきし?」


 きょとんとする天音さん。


「黒騎士じゃない! 黒歴史!

 だから異世界ヴェラルクスとか、魔王ヨルギスとか。そういう設定のことだよ。

 俺が中学の時に見ていた夢の話。それをクラスの奴らに話したことがある。

 まあ、ただの中二病だって笑われたがな。

 ……で、誰から聞いたんだ?」


「誰からって、ジルニトラから」


 天音さんは本を指差した。


「まだ、その設定続けるのか」


 俺は苦笑いを浮かべた。

 ただのイタズラにしては、役を演じきってることに少しだけ感心する。


「ねえ、ヴェラルクスの夢を見てたって本当?」


 目をキラキラさせて、身を乗り出してくる天音さん。

 ……なんだその反応は? これは俺をからかっているのではなく、ガチの中二病か?

 演技なのかガチなのか、いまいち分からない。

 天音さんがどちらなのかを探るために、ひとまず話を合わせるとしよう。


「ああ、俺が勇者アーサーで、魔王ヨルギスを倒しにいく夢だよ。

 今は見ないけど、昔は良く見てた」


「すごい! ジルニトラの言ってたとおりだ。

 普通の人は魔力を持っていないから、ヴェラルクスにアクセスできない。

 でも朝比奈くんは魔力持ち。だから夢で無意識のうちにヴェラルクスとシンクロしてたんだよ。

 まさかこんなに早く見つかるなんて、すごいすごい」


 テンションが爆上がりの天音さん。その姿はとても演技には思えない。


「どういうことだ? 俺を探してたってことなのか?」


「うん。魔力持ちを集めて儀式をやりたいの。儀式の名前はワルプルギス。

 魔力持ちの力を送って、ヴェラルクスを破滅・・させる」


「破滅させる? 物騒だな……。

 そこは魔王を倒す手助けとか、救済じゃないのか?」


「あはは、ごめんなさい。

 ついジルニトラとは反対のことを言っちゃうんだよね、なんでだろ?

 本当は世界救済の光の儀式。

 私達の力を勇者に送って魔王を倒す手助けをする。だよね? ……うん、うん」


 天音さんは魔導書に話しかけていた。

 もちろん俺には魔導書の声は聞こえない。

 中学生の頃の俺だったら、彼女の話を真に受けていただろう。

 しかし、今の俺は高校二年。中二は卒業している。素直に信じることはできない。


「それでね。朝比奈くんには儀式に参加して欲しいんだけど、どうかな?」


 異世界ヴェラルクスは、俺が妄想で生み出した架空の世界だ。

 そんな世界を彼女は信じて、一緒に救いたいと願い出ている。

 俺にはきっとヴェラルクスを終わらせる義務がある。

 救済するにせよ、破滅するにせよ。決着をつける必要がある。

 そして彼女を中二病世界から救い出す。


「その儀式とやらは、具体的に何をするんだ?

 動物の生き血を飲まされたり、イモリを食わされるのだったら、無理だ」


 彼女を救いたい気持ちはあるが、俺にもできないことはある。


「あはは、そんなことしないよ。

 ただみんなで集まって念じるだけ。そうだよね?

 ……うんうん、危険は一切ないって、ジルニトラも言ってるよ」


「まあ、それなら参加してもいいかな」


 危ない儀式ではないならば、参加しても問題はないだろう。


「本当? ありがとう朝比奈くん! 一緒にヴェラルクスを救おうね!」


 嬉しそうに笑う天音さん。

 この笑顔は本物だ。決して俺をからかっているわけではない。

 本当に魔導書と会話している。ガチの中二病。

 傍から見たらめちゃくちゃ痛い子に見えるぞ、これは……。


 天音さんは、これまでにクラス内で中二病要素を見せたことがない。

 俺が元中二病患者だったから良かったものの、他の奴が見たらどうなるか分からない。

 最悪の場合、クラス中に言いふらされて、笑い者にされる。

 昔の俺のようにさせたくない。

 もし放っておいて彼女が酷い目にあったら、きっと俺は後悔する。

 だから、俺は彼女の理解者として協力する。


 そして、俺が生み出してしまった異世界ヴェラルクスに引導を渡す。

 中二病という魔王にとらわれた姫を俺が勇者になって救い出す物語が今、始まる。

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