第2話 家出娘

「お客様のようですね」


 マルクが傷薬を救急箱に戻していると、事務所の呼び鈴が鳴った。看板としての朗らかな表情を作り、マルクが来客に対応する。


「所長。人探しのご依頼だそうです」


「お通ししてくれ」


 白猫との格闘で乱れたスーツを整え、ギーが応接間で来客を待つと。


「依頼人をお連れしました」


 マルクが三人の男性を案内してきた。


 中心に立つ白髪交じりの男性は、仕立ての良い上質なダブルのスーツに身を包んだ、威厳と温厚さが共存した風格漂う紳士だ。


 後ろに控える二人の男性はその護衛、ないしは秘書といった印象。二人とも屈強かつ短髪で、黒いスーツを着用している。意図して個性を消しているようだ。


 マルクが着席を促すと、紳士はギーと向き合う形で応接用のソファーに腰掛けた。お付きの二人は腰掛けず、後ろ手に組んで後方に控えている。


「ようこそお越しくださいました。シュショットマン探偵事務所の代表を務めます、ギー・シュショットマンと申します」


「エクトル・ジャックミノーだ。私のことは知っているかな?」


 やや気まずそうに、エクトル・ジャックミノーが自身の名前を口にした。


「もちろん存じておりますが、依頼人の事情を深く詮索せんさくするつもりはございません。相手がどのような身分の方であろうとも、私にとっては等しく依頼人です。例外として、調査に必要な範囲の質問はご容赦頂ければと存じます」


 ロサンジュ王国子爵エクトル・ジャックミノーきょう。陸運業で財を成し、王族との交流も深い有力貴族の一角だ。人格者としても評判で、腐敗が進み、何かと黒い噂の絶えない貴族社会においても、高潔なイメージを堅持している。


 高名な貴族とあって、人脈を駆使すれば大概の問題は解決しそうなものだが、こうして態々、個人が運営する探偵事務所に依頼人として足を運んでいる。何か訳アリなのは間違いない。


「ご理解に感謝する。少々表沙汰にはしづらい話しでな。もちろん必要な情報の提供には応じよう」


「早速詳細をお聞かせいただいても? 人探しのご依頼とのことでしたが」


 了承を得られたことで、ギーは情報を書き留めるためにペンと手帳を取り出した。


「……娘の行方を捜してもらいたいのだ。二女で名前はルイーズ・ジャックミノー。年齢は十六。容姿はこちらの写真を。昨日の午後に屋敷を出て以来、帰ってきていない」


「すでに丸一日近くですか。心配ですね」


 エクトルの差し出した写真に写るルイーズ・ジャックミノーは、アーモンド形の瞳と亜麻色あまいろの髪が特徴的な美少女で、裏表を感じさせない快活な笑顔が好印象だ。父エクトルも歳相応にしわや白髪が目立つものの、若かりし頃から社交界の花形と呼ばれていた端正な顔立ちは健在で、美男美女の親子であることがよく分かる。


「お嬢様を捜索するにしてもどうして我が探偵事務所へ? 子爵であられるジャックミノー卿のご息女が行方不明となった案件です。本来であれば王国軍に協力を依頼するレベルのお話しでは?」


 事前にあまり表沙汰にしたくないと言っていたので、例えば身内の素行調査など、あくまでも内々の事情かと思いきや、令嬢の失踪となれば一大事だ。その一大事を一介の探偵に預けるというのは違和感がある。


「その疑問はもっともだ。調査の根幹に関わること故、正直に打ち明けるが、ルイーズは家出なのだ。それも今回が初めてではなく、これまでに何度も屋敷を抜け出し、家出を繰り返している。その度に部下に捜索させて連れ戻して来た。娘は言わば家出の常習犯なのだよ」


「成程。仮に家出だとすれば、いかに子爵といえども、王国軍に捜索依頼をするわけにはいきませんね」


 ジャックミノー卿は無言で頷く。誘拐や何らかの陰謀に巻き込まれたのであれば、王国軍に協力を仰ぐべき案件であるが、自発的な家出であればあくまでも身内の問題。王国軍に依頼することは権力の乱用と見られかねない。ジャックミノー卿としてもそれはあくまでも最後の手段だ。


「これまでは部下がすぐにルイーズを発見してくれたので、大事となることは無かった。しかし今回に限っては未だに足取り一つ掴めていない状況だ。そこで人探しの専門家である貴殿に調査を依頼したいのだ」


「お話しは分かりました。探偵として捜索をお引き受けいたしましょう」


「感謝する」


 相手が子爵であるだけで、家出した親族を捜索してくれというのは、仕事としては比較的ポピュラーなものだ。探偵として依頼を拒む理由はない。


「お嬢様が行方をくらませた当日の経緯や、これまでの家出の傾向。差し支えなければ、家出を繰り返す動機についてもお聞かせ願えますか」


「判明している情報は全て開示しよう。恥ずかしながら、思春期の娘の思考については、父親として理解が追いついていない部分も多くてな」


 今この瞬間、ジャックミノー卿は高名な貴族ではなく、年頃の娘との付き合い方に苦慮する一人の迷える父親であった。そんな父親からもたらされる情報を、ギーは漏らさず手帳へと記入していく。調査、とりわけ人探しとなれば、どんな些細な情報に手掛かりが隠されているか分からない。


「お茶をお持ちしました。お付きの方々もどうぞ」


「いえ。我々にはお構いなく」


「せっかくれてきましたし。どうしても駄目ですか?」


「えっと……その……」


 話が山場を越えたところで一服にと、マルクが人数分の紅茶とお茶菓子を持ってきた。お付きの二人は職務中だからと一度は断ろうとしたが、途端に美男子のマルクが悲しく儚げな表情を見せたことで罪悪感を刺激され、ジャックミノー卿の許可も得た上でそれを頂いた。


「君も探偵かね?」


「探偵は所長であるシュショットマン一人。僕はただの所員です」


「以前どこかで見かけたような気がするのだが」


「他人の空似かと存じます。この世界には自分そっくりな人間が三人はいるそうですから。僕のような平凡な顔であれば尚更でしょう」


 言葉には出さなかったが、この場いる誰もが『どの面下げて平凡とぬかす』と、心の声が一致した瞬間であった。


 ※※※


「マルクはジャックミノー卿と面識があるのか?」


 依頼人であるジャックミノー卿が帰った後。食器とお茶菓子を片付けるマルクの背中にギーが尋ねた。


「直接お話しをしたことはありませんが、同じパーティー会場に居合わせる機会がありましたので、その時に印象に残ったのかと。当時とは髪形や服装も異なりますから、他人の空似で誤魔化せたとは思いますが」


「意図せずパーティー会場で目立つお前の姿が目に浮かぶよ」


 あの場でジャックミノー卿がマルクについて深く追求して来なかったのは幸いだった。やましいことはないが、抱える事情は少しばかり複雑だ。


「そういう所長は卿と面識は?」


「今日が初対面だ。一方的に深く知ってはいるがな」


「怖い怖い」


 マルクは苦笑交じりに肩をすくめた。


「今回の依頼。僕に何かお手伝い出来ることは?」


「単なる家出娘の捜索なら俺一人で十分だ。お前の出番がないことを祈っているよ」


 マルクを駆り出す事態が発生したら、それは単なる家出が一大事に発展したことを意味する。そうならないことを願うばかりだ。

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