美味しい朝食をどうぞ
メメからの初めてのメッセージは、こうだった。
『はらぺこには さらだらっぷ!』
*
早番の朝六時半。いつものカフェでいつものテイクアウト。ここは人の入りの割に静かで気に入っている。
「ソイラテとチキンサラダラップ、お待たせしました」
受けとる際、ちらりと見えた絵は
——いま見たいけど我慢だ。
カフェのすぐ裏手を抜け、徒歩三分。そこが僕の職場。
今しがた開錠したばかりの自動ドアをくぐり、エントランスで顔見知りの警備員と挨拶をする。誰もいないエレベーターホールはがらんとして静かだけど、僕の心は少し忙しない。まもなく到着したエレベータに乗った。
一階から二十四階までの約一分間——宇宙人の日は、この時間が待ち遠しい。
僕は少々どきどきしながら、そこに書かれたメッセージを読んだ。
『かぜ おだいじに!』
驚きで目を見張り、苦笑する。
——やっぱりバレた。
風邪気味の自覚はあった。知らず笑いが込みあげ、誤魔化したくてカップに口をつけた。少しひりつく喉を、ソイラテのとろりとした甘みが撫でる。
僕は到着のベルが鳴るまで、やけに耳がいい彼女を想った。
*
都内に本社を置く上場企業の社長秘書、それが僕。
とにかく月曜の早番は忙しい。まずはスケジュールの確認、アポイントの詳細確認、メールの返信と保留の上申。すべてさばいて始業に間に合わせる。
そうでないと突発的に予定を入れる社長に振り回されてしまう。
「明日だけど会食誘われたから」
「はぁ……先方はどちらですか」
「あー? メールくるんじゃん? それと
万事がこの調子。それでいて下手な営業よりも目が効くので侮れない。必死でリスケできるか手帳を確認していると、社長が眉間を突っついた。
「皺よりすぎ。それ以上イカつくなんなよ」
誰のせいで!
突沸しそうな気持ちを抑え、「気をつけます」と笑顔を作った。
不躾な人からは、秘書なんてガラじゃないと言われることもある。日本人にしては黒すぎる肌の色や彫りの深い顔立ちをとっつきづらいと評され、体格のデカさは単純にこわがられてきた。初対面から気にしないのは社長みたいな酔狂な人間だけ。
僕もいい大人だ血脈を恨む訳じゃない、だけど好きでイカつい体に生まれた訳じゃない。だから仕方がない。
ただ、息がしづらいのは間違いない。
リスケで捩じこんだ会食もそこそこ。先方から新しいクラブに誘われ、好奇心旺盛な社長は目を輝かせた。「お前いるし危なくないだろ」と言われては遅番の手前、制止しづらい。腕に覚えがない訳でもないと知られていることも体よく使われる理由になっている、秘書というよりSP扱い。
しかし遅番の勤務時間は二十三時まで。あと十分——絶対に帰ってやると、耳も頭もおかしくなりそうな大音響の中で決意する。
そういま僕は、カウンターと入口を三角に結ぶ壁の花で、社長の背中を視界に入れつつ男女の喧騒を眺めていた。明らかな色黒でガタイがよすぎるせいで、ここでも人は寄ってこないようだった。職務中で楽だと思う反面、諦念がわく。どこにいても誰にとっても僕は受け入れ難いのだろうと。
曲が終わり、またしても激しめの曲がかかった。青や赤の影の中、踊り狂う人々が揺れる。
——次の早番はいつだっけ。
つまらなさに唯一の癒しを浮かべる。宇宙人のマークを思い出し、表情筋を引きしめた。昨日医者に行ったので喉の調子は良い。ここなら誰にも聞かれまい。
「……メメ」
つい、口ずさんだ。やけに耳のいい、不思議なカフェ店員のネームプレートの名前。
同時に僕から自嘲の苦笑がはみ出した。声に出すなんて、これじゃ恋してるみたいだと。
すると突然、周囲の音が遠ざかった。
いや、カウンター側の音は聞こえる、だけど入口側からは——。不自然な聞こえ方にぶわりと怖気が走る。方向感覚が狂うような感じ、なんだこれおかしい。
すると、
「いま、あたしのこと呼んだ?」
女性の声だった。まるで鼓膜に挿されたように届いた。ギョッとすると、人波を縫って誰か近づいてくる。いや距離がありすぎる、あそこから声が聞こえるはずはない。
「……だれ、だ」と答える自分の声すら不自然に遠い。違う、口から出た途端にかき消えていく?
「あれ、君じゃなかったのかな。試しに一回呼んでくれる?」
「え、……は?」
僕は酒も飲んでないのに酔っているのだろうか。赤と青の海の逆光を泳いで僕へと向かってくるのは、ついさっき目蓋に浮かべた彼女だった。しかも彼女が近づくにつれ周囲の音が聞こえなくなっていく。こめかみから冷や汗が伝った。
「ね、呼んで。メメって」
気づけば目の前にいた。赤毛で少し耳の大きな、『宇宙人』のメメが、僕の胸に甘くすり寄った。幻覚だろうか、僕の頬に彼女の髪が——。
耐えきれず呼んだ。
「メメ、さん?」
「んん、ぁ……なんか、惜しいっ」
彼女が不満げに離れた瞬間、ポケットで二十三時を知らせるアラームが震えた。
*
我に返った僕は社長を丁重にタクシーに押しこみ見送った。そして見計らったようにグラブハウスから出てきた彼女は、「あたしはサンゴ星人のメメ」と名乗った。
「サンゴ星……とはどこでしょうか」
「えぇとM86星雲のちょっと先だよ。地球はうるさくて最高」
「そう、ですか」
宇宙人を信じるかどうかはさておき、彼女は音を食べることで操るらしい。さらには『美味しい音』を探してわざと騒がしい場所に出向くという。クラブはみな酔っているので、いくら食べてもバレず都合がいいそうだ。
電波系だった。
いや、見た目以上に酔っているのかも。
残念でならなかった。
周囲の建物から降るネオンが彼女の白い肌をパレットにする。それが少しだけ宇宙人らしく思えて僕はそっとため息をついた。こういうときは努めて笑顔。
「地球をお気に召してもらえて何よりです。……では、僕はこれで」
しかし僕が何くわぬ顔で別れを切り出した途端、彼女は「あ」と口を開けた。
「思い出した! 君、いつもお腹減ってる人だ」
気づかれた。
確かに初めて彼女からメッセージをもらったのは小さく腹を鳴らした日だったが、そんな覚え方ってない。
「別に、いつもじゃ」
気まずい図星に口調が崩れたが、メメは「そうだっけ?」とあっけらかんと笑った。犬歯がよく見える、裏表のない笑顔だった。
「でも風邪はよくなったみたいね」
よかったね!
またも、鼓膜が直に震える感覚があった。
彼女が周囲の声を食べたからなのか?
知らず耳がじんと火照った。
「メメさん。今日はもう遅いから送ります、タクシーを」
「んっ。待ってなに、いま……また美味しい感じが」
ずいっと顔が近づいた。またしても手が僕に触れた。
「は? あの、ちょ、近すぎま」
距離感おかしい! 僕は彼女の肩を掴んだ。力づくで距離を取ると、敵わない彼女はむくれた。
「もう一回言って!」
この子やっぱり酔ってるのか?
急激な面倒臭さを感じ、ため息と共に「分かりました」と応じる。色々勘弁してほしかった。
「やった! ハイ、どうぞ?」
メメは、こともなげに僕に耳を差し出した。
大きめの、肌と同じくつるりとした耳。伏せた震えるまつ毛。
まるでキスを待つような素直な横顔——。
ぐうと喉がなった。いますぐ何かで、ソイラテで湿らせたい。
夜の静かな雑踏ノイズに、朝の朗らかに働く彼女の映像が重なった。運が良ければ、些細な『音』から伝えられる温かな言葉たち。その一つ一つにどれだけ励まされてきたか、彼女のマークにどれだけ心躍らせたか。
せめて心を込めよう。
今日限りもう発せないかもしれないと、明日からは店員と客に戻るだろうと思いながら。ほんの少し切なく思いながら。
「メメ」
「……っ⁉︎」
パッと彼女が耳を押さえた。僕を穴が開くほど見つめる彼女を、点滅するネオンが赤く染めた。
「いまの、」
そのとき空車タクシーが通りかかった。僕は急にしおらしくなった彼女を後部座席に詰めこんだ。運転手にはいくらか渡して、背を向けた。
*
早番の朝六時半。飽きもせず僕は、いつものカフェでいつものテイクアウトをする。ドアをくぐった途端、彼女がいると分かる。店内は人の入りの割に静かだから。
未練たらしく翌朝通った僕は彼女と再会した。それから僕の習慣は少しだけ変わった。もちろん良い方に。
今日の絵は
『りく、メメってよんでよ!』
嬉しさに口元が緩むのを我慢する。いや落ち着け、社長に「ご機嫌だな」と勘繰られた記憶も新しい、努めて笑顔だ。
しかしどうしようか、この前はわざと知らんぷりしたからな。
そうして僕は今日は仰せのままに「メメ」と小さく呼んだ。そうすると、カウンターのあっちで「ふぁっ!」と彼女の可愛い声がする。毎回じゃないのはちょっとしたイタズラだ。
——最近はこうやって、僕はサラダラップ、彼女は僕の声で腹を満たす。
近々食事に誘ってみようか。音以外も食べるのかな。
僕はソイラテ片手に口の端を上げた。
(了)
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『匿名キャラお見合い企画』参加
10月4日 公開分 【No.033】美味しい朝食をどうぞ
【メインCP:男14. ジョナサン・マレー・陸りく(水涸 木犀さま作成)、女23. ユリストフ・メェメェ(鳥辺野九さま作成)】
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