推しの尊み モブのジャスティス

 ヨシダくんはもう泣きそうだ。タマキくんが彼の指を強引に絡め取った。

「俺のこと避けるなよ」

「べ、別に。避けてなんか」

(いや三日前から完全に避けてるよねヨシダくんッ!)

 私は二人の隣の席で努めて無表情を装いつつ、ぬるいカフェラテをすすった。


「じゃあ俺の話、聞ける?」

「分かった。聞くから。手ぇ離してよ」

 むしろグッと引き寄せたタマキくんに、私は小さくサムズアップ。

(今度こそ逃がしちゃだめだよ、タマキくん! はよ告白いっけぇぇ!)

 やっとこの日が来たと、声援をカフェラテと一緒にごくりと飲み込んだ。

 

* * *


 ――事のはじまりはつい最近、二ヶ月前。

 仕事帰り、何の気なしに入ったカフェでゆるふわ系茶髪男子ヨシダくんに出会った。そのときは「イケメン眼福ぅ」くらいにしか思っておらず、向かいの席に掛けた彼のことはすぐ忘れ、意識することもなかった。タイミングよく更新された推し恋愛漫画をスクロールするのに忙しく、そのあともAIによるお薦め漫画にどっぷりハマってしまったからだ。

 そうして私がのんびり紅茶を飲み終え恋愛みを堪能し、帰ろうと立ち上がったときのこと。ほとんど同時に席を立ったヨシダくんと、今し方店に入って来たクール系黒髪男子タマキくんとが目の前で衝突したのだ。


 あとから分かったことだけど、どっちも余所見していたらしい。派手な衝突音を響かせて、床に折り重なって倒れた。何故か人のいない店内。私だけがその瞬間を目撃していた。

 ――二人のキスを。

 おぉぉい、ぶつかってチューかよ!? とはツッコめなかった。

 大丈夫ですか! とも言えなかった。

 スーツ男子をロンT男子が押し倒している光景に、脳内が忙しかった。


(何この尊みの塊……!)

 だって他人のキスシーンなんて、ドラマか漫画かWeb小説か、もしくは薄い本でしかお目に掛かったことがない。実写の破壊力すごい。

 私がと尊みで打ち震えていると、二人は気まずげに視線を絡めた瞬間、「もしかしてタマキ?」「……ヨシダか?」と手を取り合ったではないか。

「十五年ぶりだな」

「そうだね……びっくりだよ、タマキ」 

どうやら二人は昔の友達同士だったらしい。ちょ、性癖にクる設定じゃんか。


 「会いたかった」と腹黒そうに微笑むタマキくんと、少し気まずそうに頬を赤らめるヨシダくんが「またね」と別れるまで、私はそのまま草木のように直立していた。ただ呼吸するだけのオブジェの如く、彼らの再会とほのかな頬の赤味、そして別れ――タマキくんが振り返る姿までを見つめ続けた。

それが良くなかったのかもしれない。


 以来、二人の偶然の再会や逢瀬に必ず鉢合わせるようモブになってしまったのだ。

 会社帰りのカフェ、友人を待つファミレス、夜中のコンビニ……。偶然見かけては、ごく近くに存在してしまう。正直、いくら尊くても出歯亀は良くない気がして、初めは見ないよう聞かないよう努力した。でも全て無駄だった。休日も平日の夜も二人が会うなら必ず居合わせてしまうし、絶対隣の席になる。

 はっきり言って最高だ。

 ――だから私はこれを宿命と受け入れ、二人のもだもだを側で見守ることにしたのだった。

 


* * *



「ヨシダ、俺は転校したあともお前を忘れた事なんてなかった。ずっと会いたかった」

「……うん。でも僕たちもう子どもじゃない。ベタベタつるむのも、会うのも……もうやめた方がいいよ」

「なんで急にそんなこと!」

(負けるなタマキくん! ヨシダくんは三日前、他の男スパダリ風上司と寄り添っていたことを誤解してるんだよ!)

「ダメだ。俺、お前のことが好」

 タマキくんが遂に告白しかけたそのとき、間が悪くスマホが鳴った。ヨシダくんのだろう。タマキくんは二人でいるときに絶対にそんなヘマはしない。

 すると案の定、ヨシダくんが「ごめん、ちょっと仕事の電話」と席を外した。長めの茶髪がさらりと揺れ、ホッと緩んだ目元が前髪越しに見えた。

 遠くでベルが鳴ったので、彼は外に出たようだった。


(察しの悪い天然はこれだから……罪! あぁまたお預けだよう。一体いつになったらくっつくのよぅ)

 もだもだしながら席をうかがうと、俯くタマキくんの寂しげな背中に泣けてくる。職場では冷徹鉄仮面で通っている彼はヨシダくんが絡むと表情豊かで、とても素直ないいメンズなのだ。

「シュン……他の奴なんか放っておけよ」

(出た……! タマキくんが一人きりのときだけ呟く、ヨシダくんの下の名前! きっと小さい頃はきっとそう呼んでたんだよね。あぁ本人の前では言えない思わず溢れてしまう言葉尊いジャスティス。しかもヨシダくんの前では決して見せない素直な懇願デレごちそうさまですデリシャス


 とりあえず私は小さく合掌をしてから、長丁場を覚悟して二杯目の注文をした。いつヨシダくんが戻って来るかとヤキモキしながら。けど、五分経ってカフェラテが届けられても、彼は戻って来なかった。

 恐る恐るタマキくんを確認すれば、明らかにストライプシャツから網掛けの空気が放たれている。タマキくんの苛々は限界ライフはゼロよ! と叫びたいのを堪えるために、熱々のカフェラテを飲み込んだ。実際、隣からは机を指でトントンする音がずうっと続いている。


(そんなに気になるなら迎えに行けばいいのに……)

でも彼に動く気配はない。

(仕方ない、トイレに行くフリして見に行くか)


 不思議なことに、これまでどんなに毎回近くで見ていても、私が彼らから認識されたことはなかった。たぶん正しくモブだからだろう。または恋は盲目アウトオブ眼中か。

 だから私はタマキくんが項垂れるのを堂々前から眺め、トイレへと向かった。

 店のトイレは出入り口を横切った奥にある。さりげなく、ヨシダくんが誰かと通話しているのを確認し、個室に入った。

「はぁ、またヨシダくんの天然が炸裂してケンカになっちゃうのかな。タマキくん、クールを装う短気系肉食男子だからなぁ。そろそろ辛抱堪らなくなっちゃうんじゃないか……あの上司もタマキくんを狙ってる感じに見えたし……どうなるんだろ」


 だけど三日前、ヨシダくんは確かにタマキくんの上司にヤキモチを焼いていた。肩を親しげに抱かれるタマキくんを絶望した顔で見ていたのだ。目を潤ませて背を向けて夜の街を駆けだしたのだ。

 だからきっと今日こそ――!


(ん? 誰かの声が)

 手を洗ってホールへと出ようとした、ドアの向こう――タマキくんの声がした。

「……なぁ、俺と一緒なのに他の奴と電話して。ヨシダはさ、俺のことあおってるのか?」

 ノブに触れかけていた手が止まる。

「そんなこと、な……ぁ!」

 僅かにドアが軋んだ。

(ままさか、ドアの向こうで修羅場クライマックス!? ちょ、出れないし見れない!)

 私は固唾を飲んで聞き耳を立てた。

「答えるまで離さない」

「あお、ってなんか、なぃ」

「へぇ? 顔真っ赤にして俺に目ぇ潤ませてる自覚もない? すごくかわいいよ」


 ――合掌ジーザス……!


 彼ら専属のモブである私には、ドア越しでも

 ヨシダくんの潤んだ上目遣と、色気ダダ漏れのタマキくんの舌舐めずりが。少々くぐもった声すら臨場感を増長させて、脳内の映像化を捗らせる。

「タマキくん、やめっ……っあ」


(チューか!? 濃厚なやつなのか!? それともナニか! ああぁぁ! 見せてよ、いや至近距離じゃなくていい引きのアングルもほしいぃぃあぁぁ!)


「は……シュン、お前とずっとこうしたかった……好きだ。好きなんだ」

「り、リョウくん……! ぼ、ぼくもホントは、好き」


 お め で と う ガ ッ デ ム!!


 その瞬間、二人の恋の成就を見られなかった悔しさと心からの祝福が、胸の中で激しくないまぜになった。尊さに内部から爆ぜるかと思った。

 そして私は拳を天を突き上げたまま、腰を抜かした。



 しばらくして私が生まれたての子鹿よろしく立ち上がったとき、既に二人の姿はなかった。席に戻るとカフェラテは冷たくなっていて、火照った体にひどく心地よかった。

 それで――それっきり、ヨシダくんとタマキくんには出くわしていない。きっと私の役目は終わったんだろう。少し寂しいけど、それでいい。

 二人推しカプが幸せなら、それがモブの幸せジャスティスだから、ね!


(了)



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お題『再会』

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3000字くらいの短編集 micco @micco-s

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