洗浄

 顔には黒い頭巾が被されていた。


 頭が痛い。先ほど殴られたところだろう。


 移動させられている途中で、頭巾の中に誰かの手が入ってきて、口の中に無理やり何かをねじ込まれた。


 私は何も考えずにそれを飲み込んだ。その方がきっと楽になる。



 やがて足元の感触が土から固いものに変わる。


「保護室へ」


 誰かのその声を聞いた時、私はふっと力の抜ける感じがした。決して、絶望による反応ではなかった。


 保護室。特別指導室。洗浄。


 その時の私はむしろ、ほっとしたのだ。


 私は、洗浄を望んでいた。こんなに辛いなら、いっそ感情を洗い流してもらいたい。


 もうここ以外に、行きたい場所も、行ける場所もない。


 そして今更のように、私は気付いた。


 先ほどの声、「保護室へ」と短く言った声に感じる懐かしさ。


 永遠。


 それは間違いなく永遠の声だった。


 あの日洗浄を受けた後、永遠が保護室つきの職員になったらしいという噂は聞いていた。本島に適性を認められ、重用されているという話だった。


 罪悪感か、あるいは後悔か、先ほど飲んだ何かの薬のせいか、脳がどろりとした液体になっていくような感覚が現れ、それは急激に進行した。


 私はほとんど意識を失ったようになり、職員の腕に体重を預け、保護室へと向かう長い廊下を引きずられた。


 何もかもが曖昧だった。


 起きているのか、


 ここはどこなのか、


 生きているのかさえ──




 太陽が生まれる。太陽のような光。


 少しだけ遅れて痛みが走った。


 目を開ける。


 脳内で炸裂した大きな光が、じんわりと紺色に染まっていき、それはやがて完全に消えてしまう。


 私はベッドに仰向けに寝かされ、拘束バンドで固定されていた。


 苦痛はない。吐き気も頭痛も、恐怖すらも。


「なぜ、あんなことをしたんですか」


 声が聞こえた方を見る。薄暗い部屋の中に、本島の顔がぼんやりと見える。


 その横にもう一人の男。電気棒を持って立っている。上半身は暗闇に紛れて見えない。


「もう一度」


 振り返りながら本島が言い、背後の男がこちらに近づいてきた。


 永遠だった。


 長かった髪はキレイに刈られ、丸坊主になっていた。その永遠が、躊躇なく私の腕に電気棒を押し付けた。


 光が生まれる。太陽のような。


 そしてほんの少し遅れてやってくる痛み。


 先ほどもこれだったのだ。気を失っていた私は電気棒で起こされたのだ。


「なぜ、あんなことをしたんですか」


 本島の声。なぜ、あんなことをしたんですか。あんな事とは、一体何のことだろう。


「それは──」


 私は言うが、後が続かない。あんな事とは、一体何のことだろう。


「なぜ、あんなことをしたんですか」


「……それは」


「なぜ、あんなことをしたんですか」


 あんな事とは、一体何のことですか。口に出したつもりだったが、声になったのかはっきりしない。


 本島は少し黙り、それから小さくため息を付いた。


「葛城くん、少し長めに」


「はい」


 衝撃──脳みが無数のトゲのついた鉛になったような感覚。それが続く。


 一、二、三──


 沈黙が全てをリセットする。


 私はなぜここにいるのか。いつ来たのか。


「なぜ、あんなことをしたんですか」


 私は答えられない。


 この人は何を言っているのか。何を苛立っているのか。


「答えなさい。答えなければ、あなたは──」


「洗浄を」


 私は言った。


「洗浄を、してください。私を、私に、洗浄を──」


 心はむしろ、穏やかだった。


 私は明確に、洗浄を望んでいた。


 それが果たされた後のことを想い、希望を感じる。


「あなたにはもう、誰もいない」


 だが、本島は奇妙なことを言った。


 誰もいない、とはどういう事か。


「あなたがいなくなっても、もう、誰も何も思わない」


「え?」


「これは、洗浄じゃない」


 本島はそう言って、電気棒を自分に渡すように言い、永遠がそれに従うと、後ろに下がっているように言った。


「洗浄じゃない……それなら、一体これは」


「あなたは、死ぬんだ」


 言われた次の瞬間、強力な衝撃が全身を貫いて、しかもそれは何秒経っても終わらず、私はまた意識を失った。


 気を失っていたのは数秒か、数分か、気がつくと足の拘束バンドが解かれれており、私はなぜか下半身を顕にしていた。


 腰から下だけ裸だった。膝が立てられていて、まるで分娩台の上の妊婦のような体勢だ。


「ちょっ……嫌……」


 急に恐怖が襲ってくる。


 すぐ傍に、電気棒を持った本島が立っている。


 立ち上がろうとするが、体が痺れて動かない。


 本島はゆらりと倒れるようにして私の足元に回った。


 膝の間から、私を見下ろす本島の顔が見える。


 爬虫類のような顔。恐ろしい顔。


 一体何をするつもりなのか。本島のところからは性器までも丸見えだろう。


 私はゾッとした。


 まさか──


 次の瞬間、股間に何かがねじ込まれる感覚があった。固い棒状のもの。電気棒だ。


 本島は電気棒を私の性器に無理やり突っ込んだのだ。


 スイッチが入っていないのか衝撃はない。だが、私は本島の次にすることが何かわかって、吐きそうになる。


「まあ確かに、洗浄と言えなくもない、これは」


 カチリ、と音がし、その瞬間衝撃が走った。


「あああああああああああああ」


 今までとは違う衝撃。体の内側から焼かれるような、絶望的な痛み。自分の悲鳴がこの狭い保護室の中で反響する。


 本島はすぐにスイッチを切る。股間が熱い。何か濡れたような感じもある。失禁? あるいは大便が──


「ほら」


「うああああああああああああ」


「あなたが悪いんだ」


「あああああああああああああああああああ」


 性器の中を、刃物で切り裂かれているような感覚。毛が燃えて肉が溶けている。


 確かめることはできないが、もう二度と元に戻らないようなダメージを受けたのではないか。


「小駒さんが、特にここを浄化するようにと」


 再度の衝撃。


 自分の体が人形になったようだ。自分の意志とは関係なく痙攣する。


「あなたはこのまま、死ぬんです。安心して下さい。大好きなオウルの敷地に、埋めてあげますから」


 本島が電力を上げたのかもしれない。意識が遠ざかっていく。


 本島の言う通り私はこのまま死に、そしてこの広い森の中に埋められるのだ。


 私の行方を心配する人はもういない。そして父も母も、そして永遠までもがここにいる。


 小駒は──


 私が悪かったのだろうか。小駒を愛し、小駒のためにと頑張った。


 一体何が、いけなかったのだろう。


 私は一体、何のために生きて──

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