父からの電話
食事を終えて食堂を出ようとすると、先日駅まで迎えに来てくれていた勇太に話しかけられた。小駒から伝言を預かっているのだと言って、クリアファイルを私に手渡す。
「小駒さん、すげえバタバタみたいで。とりあえずこれが今のオウルの広報物なんで、リニューアルに向けていろいろイメージしといてくれって」
「あ、わかった。ありがとう」
そう言ってファイルを受け取る私に勇太は言った。
「本当は直接渡したかったんですが、すみません、だってよ。先生、モテるね〜」
「もう、やめてよ」
ヘラヘラしながら遠ざかる勇太を見送りながら、それだけのことで気分が上向いているのを自覚する。
PCルームに戻ると、私は勇太から受け取ったクリアファイルの中身を確認していく。
もともと私の勤務形態は、午前中はパソコン教室での授業、昼食を挟み午後はデザイン業務、ということになっていた。これまでは小駒とのミーティングや母との会話などであまり進んでいなかったが、そろそろそちらの業務もスタートしていくということなのだろう。
書類の中身は、施設パンフレットや社内広報物のフォーマット、作業所で生産している商品のチラシなどだった。小駒から聞いていた通り、どれもかなり前に作られたらしい、古めかしいデザインだった。
障害者の社会参加について強い想いのある小駒は、いわゆる「お涙頂戴」ではない、しっかりしたビジネスを利用者たちと作り上げようとしている。そういう意味でも、こういった広報物は重要だと考えているのだろう。
「よし」
私は時間を確認し、今日帰るまでになにか一つ、小駒に提出できるような成果物を作ろうと決めた。
◆
数時間後、定時を迎えた私は、作ったデザインをプリンターで印刷すると、PCルームを出た。
一旦クラブハウスに戻り、鍵を返却して名前を記入する。そして、近くにいた職員に小駒はロッジにいるかと聞いた。
「いらっしゃると思いますよ」
少しだけでいいので時間が欲しい旨を伝えてほしいと言うと、職員は内線でロッジに連絡してくれた。
「今なら大丈夫だそうです」
受話器を置いて職員は言った。
足早になりながらロッジへと向かう。体調はやはり芳しくはなかったが、小駒に会えると思うと自然と気分も上がった。手の中には、鎌田カルチャーセンターのような外部の施設に配る、商品カタログのデザインサンプルがあった。完成には程遠い状態だが、古めかしさがかなり改善されていることは伝わるだろう。
左右を森に囲まれた細い道を進み、やがてロッジの前に到着すると、息を整えながらチャイムを押した。
「ああ、戸田さん。お疲れ様です」
扉はすぐに開き、小駒が迎えてくれた。やはり仕事をしていたらしい。小駒の肩越しにダイニングテーブルが見え、その上に無数の書類が散乱していた。
「すみません、お忙しいのに無理言ってしまって」
「とんでもない。こちらこそバタバタしてしまってすみません。さあ、どうぞ」
小駒はいつものように私をソファに誘導し、コーヒーを淹れてくれた。私はその間に、プリントアウトしたデザインサンプルを用意する。
「今日の午後の時間を使って、商品カタログのリニューアル案を考えてみたんです」
コーヒーを手に戻ってきた小駒に言い、プリントアウトを見せる。
小駒は驚いた表情をしてそれを受け取ると、真剣な表情で見つめる。私は横から、レイアウトやテーマについて説明していく。
「以前のものはまさにカタログ、という感じで、よく言えば堅実な印象ですが、少し無難すぎると感じました。そこで、もう少し手作り感や遊び心を足して、見ていて楽しくなるようなデザインはどうかと思って」
小駒は私の説明に何度も頷きながら、「これはすごい。しかも、こんなに早く」と唸る。
「ありがとうございます。商品写真も新しいものにして、もっとポップな色合いで」
嬉しくなって話していると、それを遮るようにして、部屋の入口脇の棚に置いてある黒電話が鳴り始めた。ジリジリジリジリ、という懐かしい音。
「おや、ちょっとすみません」
小駒は苦笑いを浮かべて立ち上がり、大股に電話に近づいて受話器を取った。
「はい、小駒です」
小駒との時間を邪魔された気がして、顔の見えぬ電話の相手に苛立ちを覚えた。小駒は私には内容が聞こえない程度の音量で話している。
てっきり仕事の話だと思っていたが、やがて小駒はこちらを振り向き、「戸田さん、あなたにです」と言った。
「え? 私ですか」
「ええ、お父様です」
慌てて駆け寄り、受話器を受け取る。
父が一体何だろう。だいたい、私に用があるなら携帯電話にかければいいじゃないか──と思ったが、そうだった。ここは電波の届かない山中なのだ。連絡を取るには固定電話にかけるしかないのだと思い出す。
マイク部分を包み込むように持ち、ソファに戻っていく小駒に背を向けながら「もしもし?」と言う。
「ああ、小夜子か」
「どうしたの、何かあったの?」
「悪いな仕事中に」
この時間、父の方も当然仕事中のはずだ。だが、社外にいるのだろうか、オフィス独特の喧騒は感じられない。父は小さくため息をつくと、話し始めた。
「実はな、うちの部署で戦略ミーティングを急遽行うことになったんだ。それで、かなり長く掛かりそうだから、腰を据えて泊りがけでやろう、という話になった」
「え……ああ、そうなの。大変だね」
泊りがけの会議、と聞いて一瞬驚いたが、あり得ない話ではないなと思う。私の以前の職場でも、営業が似たようなことをやっていた。まあ、実際に会議をしているのはそのうち半分くらいの時間で、残りは会議という名の飲み会をしているだけだったらしいが。
「実は、お前には言ってなかったが、父さんの部署な、最近かなり大事なプロジェクトが動いてるんだ。今が正念場でな」
そうだったのか、と思う。もともと家に仕事を持ち込むタイプではないから、そういうことを言う父に新鮮さを覚える。私に告白するくらい大変な状況だということなのか。
「うん、そっか。じゃあ、今日は帰ってこないのね」
「いや、それがな」
父は口ごもった。
「ん? どうかしたの」
「それが、会社の近隣のビジネスホテルを当たったんだが、会議室のあるホテルは全部埋まっててな。かといって会社に泊まるわけにもいかないしな」
「ああ……そうなんだ。それで?」
「……まあ要するに、ウチを使えないかということになった」
「は?」
思わず大きな声が出てしまう。私は再度受話器を手で包み直し、背中越しに小駒の様子を伺った。小駒はソファに戻って私の作ったデザインサンプルを見ていて、こちらを気にする様子はない
「ちょ、ちょっと待って。そんな話聞いたことないよ。社員の家で泊まりの会議なんて」
「ああ、わかってる。だが、うちの若いのが言い出して、なんとなくそういう流れになってしまってな」
「何言ってるの? あの家、お父さんだけで住んでるわけじゃないんだよ? 私はどうするのよ」
「うん、だからお前、今日はそっちに泊まれないか?」
驚きのあまり私は黙った。
一体何を言っているのか。そっちにとは、ここに、つまりオウルに泊まれと言っているのだろうか。
馬鹿な、と思う。だが父は、小駒さんには既に了解をもらっているんだ、などと言う。
「さっき話したら快く了解してくれた。小夜子はオウルの職員なんだし、利用者の家族でもあるし、そもそも宿泊設備を備えた場所だしってことで、何の問題もないって」
「ちょ、ちょっと、何言ってるのよ。そんなの──」
「こんなこと滅多にあることじゃないんだ。お前だって、俺の部署がポカして、給与カットみたいなことになったら困るだろ?」
「だからって──」
「明日の朝までにどうしても答えを出さないといけない案件なんだ。もちろん使うのは一階のリビングだけだ。お前の部屋には誰も入れないよ」
あくまで引かない父に、今度は私は口ごもる。
だがそれは、父に言い負かされたからではなかった。
内心、父の言うそのプランに、魅力を感じ始めていたのだ。
「だいたいお前は明日もそっちで仕事だろ? そのままそこにいたほうが楽じゃないか」
それがダメ押しとなった。確かにそうだ。私は明日もここに来るのだ。ドアツードアで一時間以上かかる道のり。
「もう……」
建前の不平を口にし、電話口を手の平で押さえ、小駒の方を向く。
「小駒さん……あの、本当にいいんでしょうか」
「ああ、宿泊の話ですよね。ええ、何の問題もありません。職員フロアにゲストルームもたくさんありますし、多少ならアメニティも用意できますよ」
その言葉に、私はあっさりと折れた。わかった、と父に告げると、あんまり汚さないでよ、と形だけの嫌味を言って、電話を切った。
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