作業棟
作業棟では利用者、つまりこの施設の入居者たちが、いろいろな「仕事」をしていた。
紙すき、工芸品の組み立て、絵画の制作、農具の整備。オウルくんTシャツではなく私服姿なので、職員ではなく利用者だとわかる。会社ではないのだから当然なのかもしれないが、皆が部屋着のような格好で働いているのが新鮮だ。
小駒の説明通り、現場は淡々とした雰囲気の中で進んでいた。とはいえ、障害者施設内の作業所だとわからぬほどではない。
頭を激しく叩いている人、同じ場所でグルグル回っている人、地面に転がって動かない人など、ここが普通の職場ではないことはすぐにわかる。
これほど多くの障害者を一度に見るのは初めてで、それなりにショックを受けた。
だが、楽しそうに案内してくれる小駒のおかげでもあるのだろうが、思ったほどネガティブな驚きではない。どの作業所でも業務はスムーズに進んでいるようだったし、当たり前に笑顔も見える。自分の職場になる場所かもしれないと思いながら見ても、別段怖いとか嫌だとか思うことはなかった。
作業棟の見学が一通り終わると、次に利用者や住み込みの職員の部屋がある「住居棟」へと向かった。案内マップでマンション風に描かれていた大きな建物だ。
クラブハウスの近くに集まっている作業棟と違い、住居棟は少し離れた場所にある。
左右を森に囲まれた幅五メートルほどの未舗装の道、それを四、五十メートルほど奥に進んだ先に、鉄筋コンクリート造りの三階建ての建物が建っていた。
道すがら、小駒が住居棟の構成を説明してくれる。一階手前には食堂および調理室、リネン室、備品倉庫などがあり、その奥に職員が宿泊・居住するための職員フロア、二階が男性利用者用のフロアで、三階が女性利用者用のフロアになっているらしい。
「男女はやっぱり別々なんですね」
素朴な疑問を口にすると、小駒は頷いた。
「ええ、男女の居室は分けるのが常識となっています。さらに、女性フロア、男性フロアの中でも、精神障害、身体障害、知的障害の居住スペースは分かれます」
「それはどうしてですか」
「その方が管理運用をしやすいというのが一つと、もう一つは、利用者同士の関係性を良好に保つためですね」
「利用者同士の関係性?」
「ええ。ピンと来ないかもしれませんが、偏見や差別というのは利用者同士にもあるんですよ。身体障害者は知的レベルをもって知的障害者を下に見る傾向がありますし、知的障害者は寝たきりの身体障害者をバカにする。そういうことがどうしても出てきます」
そう言って小駒は少し顔を曇らせる。
「以前は、知的障害者専門、身体障害者専門、というような特化型の施設も多かったので、問題が表面化することは少なかったんですけどね。法律改正で施設側が受け入れる障害の種類を選択できなくなって、つまり、ウチは身体障害者しか受け入れませんよ、知的障害者だけ受け入れますよ、ということができなくなってしまいました。以降はいろいろな種類の障害者が混在することになり、言わば内戦のようなものが起こるようになってしまった。そういうこともあって、性別だけでなく、障害の分類によって居室を分けるようになりました」
小駒の説明を聞いている間に、私たちは住居棟の前に到着した。
山の中に建っているからか、三階建てという割に大きく感じる。
その入口に、まるで門番のようにして二名の職員が立っていた。
二人とも格闘家やプロレスラーを思わせる大きな体をしていて、筋肉でオウルくんTシャツが盛り上がっている。小駒が声をかけると、二人とも親しげな様子で頭を下げ、一人が腰にくくりつけた鍵で入口を開けてくれた。
その様子を見て、「檻」というイメージが微かに頭をよぎる。
建物の中に入ると、古い学校で見るような木製の下駄箱が並んでいた。微かな不安を覚えつつ私も靴を脱ぎ、小駒が用意してくれたスリッパに履き替える。
ホールを左方面へ進むと、今度は五十畳はありそうな広いスペースがあった。
六人がけのテーブルが十卓ほど並んでいる。「ここが食堂です」小駒に言われてああ、と思う。隣には調理室があり、日々の食事はそこで毎日手作りされているらしい。
食堂の壁には大きな窓が設えられていて、差し込む穏やかな日差しが室内を明るく照らしていた。その開放的な雰囲気に、肩の力が抜けるのを感じる。
その後はリネン室や管理室、トイレなどを簡単に案内してもらった。そこでも多くの利用者や職員を見かけたが、小駒の言うように、確かに皆が居心地よく過ごしているように見えた。また、室内はどこも清潔で、密かに心配していた排泄物のにおいや利用者の体臭もほとんど感じない。あるいはそれは、案内途中から漂い出した、調理室から漏れるおいしそうな香りのおかげかもしれなかった。
「じゃあ、次は特別な場所にお連れします」
住居棟を出た私たちは再び作業棟の間を抜け、三角形のクラブハウスを前に左に折れる。
そこには緩やかな坂があり、それを二、三十メートル上ると、突然、それまでとは様子の違う建物が現れた。
幅五メートル、奥行き三メートル程のプレハブ小屋だ。
「PCルームです。教室を開くために、購入してしまいました。まあ、中古ですけどね」
驚く私を尻目に小駒は鍵を取り出し、どこか得意げに扉を開けた。
促されるまま中を覗くと、業務用デスクが六つあり、それぞれに黒いボディのパソコンが置かれていた。企業でもよく見るメーカーの、標準的なタイプだ。天井には蛍光灯が入れられ、壁にはクーラーまである。
「デザイン業務もできるように、IllustratorとPhotoshopも入ってます。最初は一台だけでいいかなとも思いましたが、将来的なことを考えて、全台にインストール済みです。旧バージョンではありますけど」
「すごい」
私は思わず言った。
小駒は今回の話に真剣なのだ。中古とは言えプレハブ小屋を購入し、パソコンやソフトも揃えている。決して安い投資ではないだろう。
──これは、障害者の未来を変える大きな試みなんです。
鎌田カルチャーセンターの応接室で、障害者の未来について熱弁する小駒の姿が蘇った。
◆
オウルを出、駐車場へ降りる途中、小駒が言った。
「あれ、見えますか?」
見ると、小駒は駐車場とは反対の森の中を指差している。
「ちょっとわかりづらいと思いますが、灰色の棒が見えませんか」
目を凝らすと、確かにあった。
高さは三メートルくらいだろうか。細い灰色の棒が、一定の間隔を開けて何本も立っている。さらによく見れば、その棒と棒の間を、同じく灰色に見える電線のようなものが繋いでいた。
「あれは?」
私が聞くと、小駒は小さくため息をつき、言う。
「有刺鉄線です。施設をぐるっと囲んでいるんです」
有刺鉄線。突然聞かされた不穏な言葉に、思わず息を呑む。
「悲しいことですが……この施設ができた頃は、地域住民への姿勢として、まだああいうものが必要な時代だったんです」
「地域住民への、姿勢?」
「ええ。精神障害者や知的障害者というのは、かつては今以上に疎まれ、そして恐れられてきたんです。障害者の入所施設を作るとなれば、当然のように地域の反対運動が起きました」
「ああ……」
「だから開所当時、そういう方々を納得させるために、こういうものを作らざるを得なかったんです。利用者はちゃんと閉じ込めてありますよ、里に下りることはありませんよ、と。それでやっと納得してもらったんです」
「そんな──」
思わず言った。ひどいと思った。
たった数時間だが、実際に彼らに接した。少し怖かったのは確かだが、彼らは私にひどいことなど何もしなかった。
黙り込む私を気遣ってか、小駒が明るい声で言った。
「だからこそ私は、利用者さんたちの社会的地位を上げていきたい。そのための大きな一歩として、戸田さんに今回のお話をさせてもらったんです。きっとこれは業界全体を、いや社会全体を変える大きな一歩になる」
◆
小駒は帰りも車で送ると言ってくれたが、私はそれを丁重に断った。
遠慮したわけではない。今日ここに来る前よりもずっと、私は今回の仕事の重要さを強く感じ始めていた。送りの申し出を断ったのは、実際の通勤の感覚、つまり電車での移動を体験しておいた方がいい、と考えたからだ。
小駒は少し驚いた顔をしたが、私が既にこの話を前向きに考えていることが伝わったのだろう、「そうですか」と微笑んで、せめて駅までは、と大同駅まで送ってくれた。
初めて見る大同駅は、白い木造の駅舎を持つ可愛い駅だった。
駅舎の前には小さなロータリーがあり、それを囲むように柳の木が生えている。風が吹くと垂れ下がる枝と葉が揺れて、ロータリーの中心に向かって流れ落ちる滝のように見える。
「じっくり考えてください。でも、我々としてはぜひ働いてもらいたいと思っています」
車を降りホームまで送ってくれた小駒はそう言って、眩しそうな笑顔を見せた。
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