オウル
心身障害者福祉作業所オウルは、キャンプ場のような雰囲気だった。
山の中腹を切り開いて作られており、敷地の入口には、屋根がそのまま地面に置かれているような、ユニークな三角形の建物があった。受付と事務所を兼ねたもので、施設の人間は「クラブハウス」と呼んでいるのだと小駒は説明した。
小駒はまず、クラブハウスの脇に立つ施設マップの前に私を連れて行った。
太い丸太の足に支えられたテーブルのような大きな板に、オウルの全景がかわいいイラストで描かれている。
「すみません。開所当時のものなので、ボロボロなんですけど」
小駒は苦笑いする。確かにかなり古い物のようで、至る所でペンキが剥がれ、腐食したように崩れてしまっているところもあった。
「あ、いえ……でもかわいいですね。あのキャラクターも」
私はフォローするつもりで言った。マップにはフクロウのキャラクターがいくつも描かれていて、そのキャラクターがそれぞれの建物を紹介している構図らしい。
「フクロウのオウルくんって言うんです。本来なら可愛いキャラクターなんですが」
小駒の言葉にあらためてマップを見ると、木の腐食やペンキの剥げのせいでイラストが崩れ、かわいいというより不気味な絵になってしまっているところもある。
なんとなく気まずい沈黙が流れた。私は話題を変えようと、絵柄が判別できる建物を指差した。
「あ、あの建物はなんですか? 一番上の」
マップの上の方、つまり平面で考えれば施設の奥の方に、マンション風の四角形の建物が描かれている。
「あ、はい。あれは住居棟です。ここは入所型の施設なので。昼間の作業はこの作業棟でやって──」
気を取り直した様子の小駒はそう言って、案内マップの中ほど、離れのような三つの建物を指差す。それらをまとめて作業棟と呼ぶようだ。それから先ほどのマンション風の建物に指を移動させ、「夜になればこの住居棟に戻ってくるわけです」と説明する。
「ウチは住み込みで働いている職員も多くて、住居棟の中には彼らの生活スペースもあります」
「利用者さんだけでなく、職員さんも住んでいるんですか」
意外な事実に聞き返すと、小駒は頷く。
「そうなんです。ご覧の通りの山奥なので、希望者には住居棟内に部屋を用意しています。基本的には遠方の方向けなんですが、比較的近所に住んでいる職員から希望が出ることもあるんですよ」
「近所の方も? それはまたどうして」
私の質問に、小駒は嬉しそうに微笑んだ。
「居心地がいいみたいです。中の様子を見てもらえばきっと戸田さんにも伝わると思いますよ」
「へえ。楽しみだな。──あ、あれはなんですか」
小駒の話に頷きつつ、私はマップの中に見つけたあるイラストを指差した。施設最奥部のさらに向こう、マップの端あたりに、何か駅のような建物と、レールのようなものが描かれていた。
「ああ、あれはですね」
小駒はなぜか楽しそうに顔をほころばせる。
「あれは嘘なんです」
「え?」
「いや、嘘というのも違うんですけれど、実はこの案内板を作った頃、あそこにケーブルカーを作る計画が持ち上がったんだそうです」
「ケーブルカー? あの、観光地とかにある」
「ええ、もっとも観光客向けじゃなく、地元の方たちの交通機関として、ですけどね。当時は今以上に交通の便が悪くて、特に山の裏手は最悪だった。だからオウルの理事長が施設を開くにあたって、国から補助金をもらってケーブルカーを作ろうとしたんです。でも、駅舎の壁ができて、その後レールを敷くために森を切り開いたところで、何と縄文時代の遺跡が出てきちゃったんだそうで」
「へえ、そんなことがあるんですか」
「発掘やら調査やらで工事はストップ。結局そのまま計画は頓挫してしまうことになるんですが、施設マップのイラストはその間に完成しちゃっていて。それで、なんだかんだ修正しないまま、今に至るというわけです」
「なるほど、確かに嘘、ですね」
私が言うと小駒は笑った。
「そうなんです。でも、駅舎やレールの敷地はまだ残ってると思いますよ。まあ、三十年も前の話だから、もう森に飲み込まれてるはずですが」
一通り説明を受けた後、小駒に案内されてクラブハウスに向かった。ここが敷地の入口で、施設内に進むためには必ずここを通ることになるらしい。
小駒と連れ立って中に入ると、ガラス扉に備え付けられていた鈴が鳴り、カウンターの向こうで作業をしていた五、六人の職員が顔を上げた。
「皆さん、見学にいらした戸田さんです」
小駒が言い、一言おねがいします、というように私に微笑みかける。
「よ、よろしくお願いします」
緊張しながら頭を下げる。小駒とは打ち解けられたが、元来、人見知りの性格なのだ。
だが、職員たちはみな穏やかそうな顔で、頷いたり会釈したりしてくれた。その対応にほっとする。
彼らがここの職員だとわかったのは、皆が同じ柄のTシャツを着ていたからだ。茶色のボディの胸元に、白いプリントでオウルくんのイラストが描いてある。先ほどのマップと違い、こちらはペイントが剥がれたりデザインが崩れたりはしていない。多少古めかしいキャラデザインだが、確かに愛らしく親しみを感じる。
「今日は午前中いっぱいかけて施設内をご案内する予定です。そ作業棟にも顔を出すと思いますので、その際はよろしくお願いします」
職員が作業に戻ると、やっと建物内を見回す余裕ができた。
クラブハウスの内部は、一番手前に横に長いカウンターがあり、その奥に職員たちの事務スペースがあった。そのさらに奥には、透明ガラスの入った大きな扉があった。
小駒に連れられてカウンターを抜け、オフィススペースを通り過ぎると、施設へと続く扉の前に立つ。
「この扉の先が、利用者さんのいるスペースになります」
ガラスの向こうには、木造の建物の一部が見えていた。頭の中で先ほどの案内マップを思い浮かべる。恐らくあれが作業棟なのだろう。
「あ、お手洗いはこちらにありますので」
小駒に言われて視線を遣ると、先ほどは見えなかったが、扉の脇に右方向へと続く廊下があった。奥に洗面所とTOILETというプレートのかかったドアが見える。当然といえば当然だが、トイレがちゃんとあることに安心する。
その時だった。
ちょうど廊下の先のトイレのドアが開いて、中からオウルくんTシャツを着た女性職員が出てきた。
私はなんとなくその女性職員に目を奪われた。
ラフにまとめられた三つ編み、猫を思わせる顔立ち。三十代半ばくらいだろうか。年齢は私より上のようだが、かつてはものすごい美人だったに違いない。
女性職員は手に黄色いポーチを持ち、思いつめた表情で廊下をこちらに進んでくる。やがて私と小駒に気付いて顔を上げ、足を止めた。
「ああ、瀬能さん」
小駒が言い、それから私の横に一歩進み出て、「こちら本日施設見学に来ていただいた戸田さんです」と紹介した。
瀬能と呼ばれた女性職員の顔に、強い驚きの表情が浮かんだ。
時間にすれば一、二秒だろう。目を見開き、硬直したように私を見ていた瀬能は、やがて我に返ったように視線を外すと曖昧に頷き、「どうも……」と言って、とってつけたような会釈をした。
「あ、よろしくお願いします」
私も慌てて頭を下げたが、瀬能は居心地の悪そうな表情を浮かべ、逃げるように私たちの横を通り過ぎ、事務所の方に行ってしまった。
「さあ、それでは行きましょう」
微かな違和感を覚えつつも、変わらず穏やかな小駒の言葉に、私は頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます