論語妄想篇「宰我、子の地雷を踏む」~注疏も合わせて~

本文

 宰我問曰、「好子回如好君子礼乎」

 子答曰、「非吾已矣。生則為天好所」

 予曰、「何短命死乎」

 子嘆曰、「喪吾非天哉」


・好子回如好君子礼:君子好徳如好色也。

・非吾已矣生則為天好所:子謙遜而賛回徳深、惜其死也。

・予曰:予者指宰我名也。非我意。

・何短命死乎:弄回短命。

・喪吾非天哉:回死。子哭曰「噫天喪予」。改是曰、喪吾冷酷無情人乎。


・君子好徳如好色也:子罕第九「吾未見好徳如好色者也」。君子可是。

・弄回短命:宰我曰、顔回有聖徳而能受天恩遇則非短命不遇。暗欲諫子失公正。

・喪吾冷酷無情人乎:子解予言嘲弄回死、憂非仁。予無誹意而屡屡以言怒人。蓋可論其相違也。


全訳

本文


 宰我が問う。「先生が顔回にご執心だったのは君子が礼を好むようなものだったのでしょうね」

 孔子は答えた。「私だけではないよ。生きていたら天にも愛されただろう」

 宰我は言った。「(天にも愛される傑物であったなら)何故回は夭折したのでしょうな」

 孔子は嘆く。「私を殺すのは天ではないな(お前のような非情な人間だよ)」


注(本文を注釈したもの)

・「孔子が顔回を好むのは君子が礼を好むようなもの」とは「君子はまるで世の男子が美女を厚遇するように徳行を大事にすることができる」をもじった発言。

・「私だけではない。生きていたら天にも愛されただろう」について。孔子は謙遜して顔回の徳の深さを称え、彼の早すぎる死を惜しんだ。

・「予曰」について。「予」は宰我の名を指す。同字にある「わたし・自分」の意味ではない。

・「どうして夭折してしまったのでしょう」との発言は顔回の短命を嘲弄するニュアンスで解釈する。

・「私を殺すのは天ではないな」という孔子の発言はかつて顔回が亡くなった際に「天は私を殺した」と慟哭した出来事に由来する。宰我の発言を受けて「私を殺すのは冷酷で情がない人間だ」と改めている。


疏(注釈からさらに踏み込んだ説明(個々の見解も含まれる))

・注にある「君子はまるで世の男子が美女を厚遇するように徳を大事にすることができる」との文言は『論語』子罕第九の「吾未見好徳如好色者也」を基にしている。君子はこれを実行できる存在である。

・顔回の短命を嘲弄するニュアンスで解釈することについて。宰我は「顔回に大いなる徳があれば天の恩寵を受けられていただろうから短命で不遇な身の上で終わることはなかった」と、それとなく孔子の贔屓を諫める意図で発言したとも読み取れる。

・注の「私を殺すのは冷酷で情がない人間だ」について。注の筆者は宰我の失言を断じる形で本文のやり取りを捉えている。孔子は宰我の発言を顔回への侮辱と捉え、その思いやりのなさを嘆く。宰我にはその意図がなくとも彼は頻繁に失言で相手を怒らせている。そのすれ違いに本章の論旨があると言えよう。

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草叢小説集 壬生 葵 @aoene1000bon

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