道案内も自己紹介も大きく括ればどちらもプレゼンと探り合い

 レストランを出た三人は、また賑わいを取り戻した街の通りを歩き出した。

 美麗な男の異様なまでの妖艶さに変わりはないが、エムの冴えた美しさとエムの人の良さそうな笑みに混じり、少しは緩和されている。

 周りは、エスとエムがいることに驚いたり、彼らの美しさに思わず指を指してはしゃいだり、主に女性たちが黄色い声を上げたりと、注目されていることには違いないが、三人は臆することなく、賑わった街を歩いていた。


「そういえば!俺たち、まだ名前も言い合ってないよね?俺は、エスって呼ばれてる!よろしくね!」


「呼ばれてる?……名前じゃないのか?」


「……私たちは、立場ゆえ本当の名前ではなく王家に賜った称号で名乗っている。私はエムだ」


「……僕は……えっと……」


「適当な呼び名でいい」


 エムは、美麗な男が名乗りにくそうにしている事に気づき、眉をひそめながらも、そう言って助け舟を出した。

 エムの言葉に、男は少しだけ考えてから、静かに名乗った。


「僕は、ラスト。よろしく」


「ラスト!よろしくね!ねぇ、ラストは何が好き?この辺のことは俺のほうが詳しいんだ!服屋さんでも、美味しいごはん屋さんでも、きれいな花が咲いてる場所でも、なんでも教えてあげるからね!」


「……それじゃぁ、僕は美味し……」


「まずは、この煩い口を黙らせるところを教えてくれるか?」


 ラストが言い終わる前に、エムが言葉をかぶせてエスの口を指でつまみながら問いかける。


「エムの意地悪ぅ!」


「すまんな。お前のヘラヘラしている締まりの無い顔を見ていたらつい……口をついてでてしまった」


 エムは、心底申し訳無さそうな表情を顔に張りつけてエスに謝罪の言葉と理由を口にする。

 そんなエムをじっと睨んでエスは言った。


「それ、謝ってないよね?俺のこと、心の底からバカにしてるよね?」


「御名答」


「ヒドイよぉ!」


 いつものやり取りをする二人を見て、少し顔を綻ばせたラストが言う。


「仲が良いんだな」


 これのどこを見てそうなったんだ!?と反論するエムの後ろで、エスは何処か満足そうな笑みを浮かべていた。



 三人は、その後もエスの案内で帽子屋や雑貨屋、美味しいサンドイッチが買える露店や少し休憩するのに絶好の公園、通りを少し抜けた見晴らしの良い小高い丘など見てまわった。

 そして、最後にどうしても紹介したい場所だと連れてこられたのが、エス行きつけの食堂だった。


「なんでここなんだ?私は低俗な食事には興味がない。ここで帰らせてもらう」


「待って待って!一回でいいから食べてみてよ!大将のご飯、本当に美味しいから!ね?一回だけ!」


 そうエムの腕を掴み頼む、エスの声はどこか悲痛ささえ感じるほど真剣だった。

 しかし、その頼みさえ無視して踵を返そうとするエムだったが、体が前に進まない。

 腕を掴むエスの力が強いせいで。


「力が強いんだっ!怪力バカめっ!!」


「お願いだよぉ……」


「化物かお前はっ!!」


「ねぇ、二人とも。店の人が席、案内してくれてるし、ここ出入り口で邪魔になるから一回、入らない?」


 冷静なラストの言葉に、少しだけ冷静になった二人は素直に頷いた。



 席についた三人。

 なんやかんや文句を言っていたエムも最終的には観念して、三人は各々料理とお酒を注文した。

 食堂の中は、貴族御用達のレストランとは全く違った賑わいを見せていた。

 大衆居酒屋のような活気に満ちた食堂など、足を踏み入れたことのないエムは眉をひそめていたが、ラストは辺りを興味深そうに眺めていた。

 エスはそんな二人を満足そうにみつめながら微笑み、そして、心の中だけで呟いた。


――やっぱり、この男は、いいとこのお坊ちゃんなんだな……。


 実はエスがここに二人をどうしても連れてきたかったことには、二つの理由があった。

 一つは、エムに自身の行きつけの食堂の美味しい料理を知ってほしかったから。

 もう一つは、あれやこれや理由をつけては、自身やエムに近づいてくる未だ得体のしれないラストと名乗るこの男の素性を知るため。

 ラストというのもその場でこの男が考えた偽名。

 こんな男は見たことがない。

 身分の低い者たちの中で、こんな異質なほど美しい人間がいたら、先程のように、誰もが息を呑むか、黄色い声を上げるか、どちらにせよ大きな騒ぎになるだろう。

 かといって、高貴な生まれの貴族というのも考えにくかった。

 なぜなら、エスという称号をもらい、ここ数年に高貴な人たちの仲間入りになったエス自身はともかく、エムは生まれながらに高貴な身の上だ。

 もしラストがただの高貴な貴族であれば、エムが彼を知らないとは考えられない。


――っていうことは、この大国の外のお偉いさん、もしくはその息子とかかな?


 エスは一つため息をついて、ラストから目をそらし、エムをみつめながら考えをまた巡らせる。


――正直、俺はラストがどんな人間で、何を考えていて、この国で何をしでかそうとしてても興味がないんだけどね……エムにさえ危害を加えなけりゃ。


 そう、エスにとってこの称号も普段の立ち振舞も、生き方もこの先の人生も、全てエムのそばにいて、エムを独占するためのいしずえに過ぎない。

 エスは本来、頭が切れる男だ。

 そして自分の欲に忠実で、彼の穏やかで柔らかい心のなかには確かな野心と欲望があり、それを叶えるためならば手段は選ぶが、たとえ導きだした手段が悪辣あくらつなものであっても躊躇ちゅうちょはしない。

 ただの悪人や危険な人間ではなく、本当に穏やかな人の心も持ち合わせた狂人なのだ。

 そして、そんな彼を突き動かしているのは、エムへの想いと、エムとの幸せな未来に他ならない。

 だからエムになにか危害を加えようものなら、涼しい顔をして相手の首を落とすが、今のところラストには危害を加えようという素振りが見えない。

 むしろ、エムには好意さえあるように見える、とエスは思う。

 確かにラストは、さっきから優しい言葉ばかりをかけているエスよりも、冷たい言葉を浴びせているエムの方に心を寄せているようだ。

 エスは面白くなさそうに、またため息を吐く。


「なんだ、さっきからひとの顔を睨んではため息なんぞついて」


 ため息を吐いたのをエムに見咎みとがめられて、エスは自身の心中を悟られないよう、誤魔化すように微笑ってみせた。

 その彼の微笑みに違和感を感じながらも、エムはそれ以上、追求することはなく、席を立った。


「外の空気を吸ってくる」


「帰らないでよ?」


「注文してしまったからな。帰りたくとも帰れん」


「本当かなぁ?信用できないから、外に出てもいいけど、せめて俺の見えるところにいて」


「やかましい奴だ」


 そう言葉を残して、エムは外に出ていった。

 そして、エスの見えるところで立ち止まり、ため息をついた。

 エスが満足そうに微笑んで、エムに手を振るが、彼は眉を寄せただけだった。

 そんな二人をみつめながら、ラストは思う。


――やはり……隙がないな。


 ラストは今、二人に何かを危害を加えようとしているわけではない。

 ただこの二人には隙がないと思った。

 特に今隣りに座っている男は、自分にも周りの人間にも一瞬の隙も見せない、とラストは冷静にエスという男を解析していた。

 それはまさしくその通りだった。

 エスは本来、そんなに他人が好きではない。

 エスにとって、必要なもの、自身を動かすものはエムただ一人なのだから。

 実際、彼は頭も切れるし、必要とあらば物知らずのフリもする、優しい顔をしながら、非情にて非道な謀略ぼうりゃくだってくわだてる。

 エムを守るためならば。

 エムを離さないためならば。

 そんな他人を嫌うエスが、誰にでも優しく笑顔で接するのは、ひとえにエムを独り占めしたいから。

 人は誰も、冷たくえぐるような空気を纏う人間よりも、柔らかく陽だまりのような微笑みを浮かべる人間にたかってくる。

 エスは、そんな人間の本質を理解している。

 だから、誰にも優しく接して、関わる人間の目を自身に向けるようにしている。

 そのエスの思惑通り、他人は自然とエムよりもエスに群がってくる。

 けれど、この男、ラストは他とは違ったようだ。

 朗らかで優しい声音で寄り添うように微笑むエスをありがたく思う反面、どこか隙のない空気に思わず身構える。

 そんなエスと違って、目に見えた厳しさと、時に痛いほどの真っ直ぐな言葉を放つ素直さ、そして冷たさの中に垣間見える心細さ。

 ラストはエスの本性とエムの本質を無意識に本能で感じ取っているようだった。

 朗らかで優しく柔らかく微笑むエスは人を惹きつける。

 それと対照的に、近づくだけで人の心の臓が痛くさせるほどの冷静沈着さと常に氷のように冷たい表情のエムは、生まれ持った気高さの相まって人を寄せつけがたい。

 エスのその穏やかさの中に潜む怪うさも見逃せないが、エムのその気高さの中に見える危うさ、どこか弱々しく感じる雰囲気が気になる、とラストは少し遠くに立つエムをみつめる。


「ダメだよ」


 突然、静かだけれど問答無用な小さな呟きをぶつけられたラストは、遠くに立つ影から視線をそらし、声の主に目を向けた。

 ラストは咄嗟にエスを見たが、エスは遠くに立つ、影から目を離すことはなかった。

 あの呟きは確実にエスの声であったし、自身に向けられたものだと、ラストは感じた。

 視線を変えることなく、エムをみつめているエスは、ラストが自身を見つめていることを肌で感じ、満足そうに微笑んでから、その視線を真っ直ぐとそらすことなく、ニッコリと笑って言った。


「エムは、俺のだからね」


 エスの言葉を聞いたラストは、じっとエスを暫しみつめてからゆっくり頷いた。

 ラストの動きを目の端に捉えたエスは、再び満足そうに微笑んだ。


 エスの本能や本性が垣間見えた気がした。

 そして、ラストは思う。

 彼のその視線、彼のその瞳が、願わくば自身に向けられることはないことを。

 今は、その視線の先に立つ影が、彼の狂おしいほど愛おしい人物だから、こんなにも穏やかな瞳だけれど。

 もし今、彼が自身に視線を向けたなら、それは無色透明の殺意に満ちた冷たい狂気の瞳だろうから。


 徐ろにエスが立ち上がり、店員の横を通り過ぎてエムに向かって歩き出す。

 ラストはエスの後を追うことはなく、静かに席に座っていた。

 エスとすれ違った店員がにこやかに彼らのテーブルにやってきて、料理を並べていく。

 美味しそうに匂いとともに湯気の立った料理をみつめてから、ラストはエスの後を視線だけで追った。


――今、僕はたぶん見逃されてる。


 牽制と忠告と猶予を与えてみせて、その後の表情と行動を確認する。

 彼の望みにしたがえば逃され、抗えば排除はいじょされる。

 まるで野生を生きる百獣の王の如く、それは息をするように当然に。

 まるで地獄の底を歩く修羅羅刹の如く、それはまばたきをするように自然に。

 ラストは自身に向けてにこやかに手を振るエスと彼に引き摺られるように戻って来るエムをみつめながら、そう思った。


 




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