41.5ブチギレ勇者白雪


『いつまで現実から目を逸らしているつもりだ?』


「…………」


 毎日繰り返される慣れない剣術の鍛錬。宮中では興味、奇異、敬意そして若干の畏れが入り交じった多くの視線に晒され、部屋に戻れば己の権勢を増したい貴族からの面会希望が後を絶たない。

 勇者というのはブラック企業の社員なのではなかろうか。そんな考えが頭を過りながらも、メイドさんが淹れてくれた香りの良い紅茶を飲み、大きくため息を吐く。


「…………はぁ」


『おい、聞こえてんだろ? 何か言えお前』


 召喚されてからまだ6日足らずだが、やけに疲れたように感じる。騎士団長の訓練は厳しいが、それだけでは無い。勇者の加護と言うものを授かり、日本の時と比べ信じられないほどに身体は丈夫になったと感じる。が、多分……そう、これはストレスなんだと思う。特にこの……


『おい! 不細工!! ガキ!! 返事しろボケ!!』


「うるさい!!!」


「ひっ!!」


 小さい悲鳴の後、陶器の割れる音が部屋内に響き渡る。


「あ……、違うんです! あの……すいません!」


「い、いえ! こちらこそお気に触れてしまい……申し訳ございません!!」


 思わず口に出してしまった素の癇癪に、部屋で控えていたメイドさんが飛び上がって驚いてしまった。声には出さないように注意していたのに……。

 肩を震わせたメイドさんが、平身低頭して何度も私に頭を下げ続けるので、何とか謝って誤解を解く。しかし、勇者様に恐れ多いと逆に恐縮されてしまった。


『ダハハ八!! やっぱり聞こえてるじゃねぇか!! 俺を無視するからバチが当たったんだぜ?? ざまぁねぇな!!』


「…………っ!!」


 心底この宝剣にはウンザリしていた。部屋にいる時は四六時中この子供の挑発のような声が聞こえてきて神経を削られる。しかし周囲には聞こえていない。どうやら魔力パスが繋がった私にしか聞こえていないらしい。


『この程度で心を乱してるようじゃ永遠に魔王なんて討伐できないな! 夢のまた夢だ。ダッハッ八!!』


 カチン。……と来たけど我慢。本当にこんな物、もう返してしまいたいと何度思ったことか……。しかしそんな事をしようものなら、私が勇者の責を放り出したと見なされるのがオチだろう。元の世界に戻るという目標がある以上、そんな愚は犯せない。


「……はぁ。あの……すいません、少し1人にして貰えますか?」


「あ、はい!! かしこまりました!! 申し訳ございません!!!」


「はぁ……」


 今日何度目か分からないため息を吐き、目の前の紅茶を無造作に呷る。そんなことをしてる間も、机に立てかけられた宝剣からは矢継ぎ早に念話のようなものが飛んでくる。


『なんだぁ? 2人きりってか? やっと会話する気になったのかよ? あぁ? 全くこれだから小娘は……』


「……その口の悪さは持ち前なのかしら?」


 この宝剣喋ることも驚きだが、なによりとても口が悪い。聞くに絶えない罵詈雑言を次々に繰り出してくる。まるで大学にいた素行の悪い不良を相手にしているかのようだ。


『はっ、前の主にも言われたなぁ。だが、認めたヤツにはそれなりの態度を取るぜ。お前の場合は単に俺が認めてねぇだけだ。お前みたいな箱入りの小娘にヘコヘコするなんざクソ喰らえだよ』


「……そ」


 先程声を荒らげてしまったとはいえ、普段は淑やかに振る舞うことを常として過ごしている。が、召喚された事や慣れない生活の日々、部屋に帰れば罵詈雑言の嵐に私のストレスゲージはとっくに振り切れていた。


『まったく……、ここまで言われて言い返さないなんざよっぽどお人好しの…………、おい! 勝手に触んじゃねぇ! どこに行く! おい! 床に引きずるじゃねぇ!!』


 やかましく騒ぐノイズを知らんぷりしてずっと立ち上がる。

 そして、見事な彫金が施された白銀の鞘を乱暴に掴み取ると、私は直ぐさま部屋を出た。国宝として与えられた宝剣をぞんざいに扱い、目元にクマを作った酷い顔で場内を闊歩する。私を知る人が見ればきっと驚かれるかもしれない。


「別に? お望み通りにしてあげるだけよ」


『は……? 何言ってんだてめぇ?』


 ギャーギャーと喚く宝剣を無視し、鞘で地面を引きずり汚れることも厭わず、人目を避けるようにして城内のとある場所までやって来た。

 そう、ここは


「ヒヒーーーン!!! ……ブルルルッ」


 とてつもなく広い場内に拵えられた広い空間。芝生が生い茂り、木の柵に囲われた中を、のびのびと走り回る馬達。彼らは暖かい春の季節を存分に謳歌していた。


『はぁ、厩舎? どうするつもりだ? てめぇ』


 幼い頃に両親と牧場に行ったことがあるが、ここはその時と同じ匂いを放っていた。日本と変わらない姿形の馬が広い柵に囲まれた敷地内で思い思いに走り回っている。その奥には馬達の寝床であろう木造りの小屋が並び、厩舎や牧場独特の飼料や牧草、馬の糞尿が入り交じった匂いが漂う。

 私は構わず馬小屋の方へと進み、年季の入った厩に足を踏み入れた。


 キィっと甲高い軋みで木造りの扉が開くと、古めかしい造りながらもしっかりと清掃が行き届いた内部が姿を見せる。100以上はあるだろうか、一定の感覚で仕切られた馬達の寝床は干し草で存分に満たされ、そこで休む馬は心地よさそうに寛いでいた。


『おい、こんな所にきてどうするつもりだこら!

 おい!! 何とか言えや!! 』


「……。あ、すいません。少しよろしいですか?」


 ノイズを慣れたように無視し、熊手のような器具で干し草を器用に拾う年配の男性へと声をかけた。恐らくここの管理人だろう。


「んん? 今日は訓練は無かったでねぇか? 馬達はもう放しちまってるだよ、……ってえ!!?? ゆゆゆゆな、勇者様ぁ!?」


 私を見て直ぐに勇者だと気づいたお爺さんは、物凄い速度で飛び退くように驚くと、そのまま地面に頭をぶつける勢いでお辞儀してきた。


「こ、こここ、このような場所に、ゆゆゆ、勇者様がお越くだせぇまして頂いてぇ、、、きょきょきょ恐縮の極みでござんすぅ、、」


 呂律が回らずよく分からない敬語になっている。直ぐにお辞儀を止めさせ落ち着いてもらう。

 だが、城内の兵士といい、このお爺さんといい、この国の人は勇者と聞くと皆こうなんだろうか……。正直とても息が詰まる。シュリハさんの後釜の人もこんな感じだし、多少シュリハさんの講習が気兼ねなく一番楽しかったし、気楽だった……気がする。


「あの……実は、ゴニョゴニョ……」


「は、はぁ。へぇ……。それならあちらにありますけど……。ど、どうなさるおつもりで?」


「いえ、ちょっと……。気になさらないでください」


「へ、へぇ。じゃああっしは仕事がありますので……、」


 お爺さんに目的の場所を聞き礼を言うと、私は直ぐに教えてもらった場所へと向かった。お爺さんは怪訝な顔を浮かべていたが、私がスタスタと歩いていくのを見ると何事も無かったように仕事へと戻っていった。


 厩舎の裏手、人の寄り付かない場所。漂う臭いは酷く鼻にささり、目尻にうっすらと涙が溜まるほど。

 肥溜めである。

 3m四方の正方形に掘られた大きな穴。木の蓋で半分程閉められてはいるが、もう片方から覗く中に貯められた大量の馬糞に多くの虫がたかっている。



『お、おい。何するつもりだよお前』


 私は精緻な紋章が描かれた剣帯から、ゴチャゴチャと五月蝿い白銀の剣を掴んで、


『お、おい……おおおおオオオオォォォォォォォォォォォォィイイイイ!!!!』


 スパァァァァン!!!



 思いっきり投げつけた。


『ギォエエエエエエエエエエエエ!!!!!!』


 程よい重みの精霊剣アニマは、馬糞の海に8割ほど綺麗に埋まり、柄だけが顔を出している。それと同時に私にしか聞こえない大音量の悲鳴のようなものが頭に閃いた。



「ふぅ」


『ウオオオォォォォエエエ…………。……おおおおお前!! ……ふぅ。じゃねぇ!!!!! 何考えてんだこの不細工モヤシ勇者!!! 俺は国宝だぞ!! 精霊剣だぞ!!! こんな肥溜めにぶち込みやがって頭沸いてんのかテメェ!!!!』


「寝てる時も休んでる時も罵詈雑言で私を侮辱してましたよね口の利き方が直るまで一生そこに居てくださいそうそうクソ喰らえって言ってましたよね存分に食らってくださいあと私は不細工ではありませんナオさんは私の事とっても可愛いからって言ってくれましたではさようなら」


『え…………、えちょ……、ま、おいおい……、マジ?』


 1週間程ろくに眠れていない事とストレスも相まって、ちょっと攻撃的な性格になっている気がしないでもない。日本にいた頃の私ならこんな事言わなかっただろうな。

 一息に言いたいことを言い切り、その場を後にする。当分ここに戻るつもりは無いけど、さすがにずっと入れておく訳には行かないので、タイミングを見計らって取りに来よう。

 そういえば消臭の魔法があると聞いたので、今度シュリハさんの後任の人に教えてもらわなければ。


『おい……おい!! 嘘だろ……? ちょ!! 待てこのブサイク勇者!!! おい!! 』


 次第に遠くなっていく声に耳を貸すことなく自室へと戻る。


 その日の夜私は、召喚されてから初めてグッスリと眠ることができたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る