16.厳戒令

大地龍アースドラゴンだと……? 龍種が目を覚ましたのか!!?」


「本で見覚えがありました……ユグドラシルという太古龍に相違無いと思います……」


「馬鹿な……」


 ギルドマスター、ジュミナ・クロンセルは戦慄した。

 1人だけ戻ったリリィを見て、嫌な予感はしていた。だが、まさかその口から龍種などという言葉が出てくるとは到底思いもしなかったのだ。ワイバーンやフライリザードなんかの劣化龍種まがいものとは違う。上位龍種ですらない。世界で指を数える程しかいない伝説とも呼ばれる古龍。

 年端もいかぬ頃から生きるために冒険者を始め、数々の武勲を立ててきたジュミナでさえも、上位龍であるバーンドラゴンまでしか見た事がない。その時でさえ、A級パーティー5組で挑み3組が壊滅した。

 前代の勇者が討伐したという闇古龍すら、とどめを刺すに至らなかったという。


「それで……お前らのパーティーはその大地龍アースドラゴンに……?」


「いえ、その後現れた200近い黒大熊とハングリーウルフの群れを……群れを、パズーが抑えている間に……アドエラが最後の魔法で……」


「…………そうかい」


 リリィは既にパーティーメンバーの死を受け入れたつもりであった。だが、彼らの最後を思い出すと今でも言葉に詰まる。

 冒険者であれば誰もが通る道かもしれない。1歩魔物の住処に入れば、そこは弱肉強食の世界。強いものが生き、弱いものは強き者の糧となる。

 同じく仲間を失う辛さを知っているジュミナは、その悲しみも強さへの糧にして進んできた。だがそれは自分自身が乗り越え、自分の意思で決断し進まなければいけない事だ。師匠であったとしても、何もしてやる事は出来ない。ジュミナは短くそう頷くと、肩をふるわせる弟子を見つめた。そして、


「お前が本当に仲間を大事に思うなら」


「…………?」


「乗り越えろ。奴らの分まで背負って。生きろ。それだけがお前自身が死んだヤツらにしてやれる……唯一のできる事だ」


「………………はいっ……!!」



 自分だけなぜ生き残ってしまったのか。一緒に戦っていればもしかしたらみんなで逃げきれたのではないか。そんな思いを抱くこともあった。だが、ジュミナのその言葉は、リリィの心にスっと刺さる。彼女は流れる涙を拭き取ると、力強く返事した。

 仲間の為に生きねばならぬ、生きるためには強くならねばならぬ。そして、強くなる為には進まねばならぬと。リリィは、バーンドラゴン戦で幾人もの戦友を失ったジュミナの言葉を、確かに受け取った。



「さて、やる事さっさと済ませないとなぁ。……レノアぁ!!」


「はいぃぃ!」


 ジュミナは扉に向かって叫ぶと、それまで纏っていた空気を完全に一新させ、受付嬢の名前を叫んだ。友人が心配でドアの外に控えていたのであろうレノアは、反射で扉をバタンと開いて直立すると、緊張した面持ちでギルドマスターの言葉を待った。


「冒険者ギルド、ギルドマスター、ジュミナ・クロンセルが命ず! 第二級防衛警戒令をギルドマスターの名において発令。全ての依頼を凍結し、緊急特殊依頼を発布! Dランク以上の冒険者は全て動員しろ!」


「了解しました! 黒波の大樹林へ偵察隊は出されますか?」


「出す! Bランク以上の探索魔法を習得している魔道士1名と機動力に優れた者2名でパーティーを編成! 計8小隊を偵察中隊として2中隊編成しろ!! 」


「了解しました!!」



 先程までのしんみりとした空気はさっぱり消え失せ、ギルドマスターとしての風格を宿し、テキパキと指示を出していくジュミナ。命令を受けたレノアは直ぐに階下へと走っていく。やがてここからでも聞こえるくらいに、ギルド本部がざわめき始めた。


「第二級……! 私の報告1つでそんな……いいんですか?」


「これでも足りない。大地龍アースドラゴンが確認されたんだ。当然の措置さ。……さて、あたしは領主に説明に言ってくる。仲間を失くしたばかりだとは思うけど……アンタはどうする?」


「………………」



 席を立ち、紅蓮のコートを翻したジュミナが絨毯の上に立つ弟子へと問う。

 もはやパーティーはおらず、1人のみ。獣人であることを知りながら、優しく接してくれた戦線回帰はもう居ない。

 拳をぎゅっと握りしめ、リリィはいつの間にか目の前へと歩み寄っていた師匠へ眼をひらき、眦を寄せ言った。


「戦います…………戦いますっ!! ヤケじゃない、これは誓いです。アドエラとパズーは私を逃がすために犠牲になった。ならば戦います!!」


「それは仇か?」


 ジュミナの威風張り裂けんばかりの鋭い眼光を、リリィは正面から受け止める。確かにリリィとアドエラは大樹林で死んだ。だから戦うのか。その答えは否だ。


「違います!!」


「ならば何故なにゆえだ」



 一言一言に乗せられた言葉の圧が、若き冒険者リリィの全身にのしかかる。まるで100匹の狼に囲まれているかの、いや、もっと恐ろしい。だが、心に去来するのは仲間が残した最後の言葉。そして、厳しくとも、誰よりも自分を気遣ってくれている目の前の師匠が言った言葉。




「友との約束を果たすため。『生きるため』に戦うのです」



 自らの命を繋いでくれたリリィと、パズーの思いを無駄にはしない。そして、自分の命を救ったナオへ恩返しも出来てない。

 ならば戦おう。生きるため。

 街を守るためでは無い。生きるため戦い、己を、友を、街を守るのだ。


 リリィが今日こんにちに至るまで、揺れ動き迷っていた心は、今光を得た。決断したのだ、己の手で。


「そうか、……よく無事だったな。馬鹿弟子」


 ふと気づくと、柔らかい感触が頭を包んだ。

 人族の領域に入り、パズーやアドエラとパーティーを組み、師匠のジュミナと出会ってからは常に厳しく指導されてきた。冒険者としての心構えも、戦闘の訓練も、生きるために必要な知識も、これまで戦線回帰を育ててくれた厳しい師匠が、


 リリィを胸に抱きしめた。

 まるでそこにいる事を確かめるように、きつく、きつく抱きしめた。


 温かく、どこか良い香りがするジュミナに、ザワついていた心が落ち着いていく。いつもはぞんざいで、乱暴で、厳しく、そして優しくて、恥ずかしがりで、誰よりも戦線回帰を気にかけてきた。リリィの師匠。


「パズー、アドエラ……。大馬鹿野郎が……。ありがとう。リリィを救ってくれて……」


 気づけば床に雫が落ちていた。誰のものかは分からない。だが、気づけばジュミナは部屋から出ていた。下で待つ多くの冒険者を指揮する為。

 そして、愛する弟子とその弟子たちが愛したこの街を守る為。

 鈍く煌めく龍炎紅刀バシュミアートを背に預け、紅きコートをなびかせながら階段を降りる。



 戦いの時はすぐそこに迫っていた。


 大樹林の奥に蠢く幾千もの黒い波は、徐々にサウスブルーネへと近づいている。




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