17.踊る山猫亭

 陽が傾き始め、腕時計の針も4時半を回った。

 エルフっ子と別れてのんびりしながら周りを見ていると、冒険者ギルドの方で変化があった。今までは屈強な男達や、魔術師のような格好をした冒険者が出入りしていたのだが、30分ほどしたところで制服を着た職員らしき者が、慌てて何人も出ていくようになった。

 恐らくリリィの報告に関連しているのだろう。ドラゴンなんてかなりヤバそうだし、珍しいと言っていたからな。対策の為奔走してると見える。


 それから徐々に冒険者風の者達がギルドに集まり、今ではギルドに入り切らない程になっていた。外でたむろす者たちが、何やらお互い深刻な顔で話し込んでいる。その様子は街の者の目にも映り、広場もざわつき始めていた。


「ナオ」


「……おぉ、リリィ。終わったみたいだな」


 俺がボーっとその様子を眺めていると、リリィが既に戻ってきており肩を叩かれた。

 戻ってくるなり手を引かれ、小走りで街の方へ向かう。


「おいおい、どした!?」


「実は……」


 なんでも大樹林の氾濫が予測される為、船の出港や街からの出入りの制限がかかる為、これから宿屋が大混雑するらしい。早めにチェックを済ませないと、寝る所が無くなるとの事であった。

 慌てて移動を始めた俺たちは、メインストリートから1本西に外れた道にある「銀杖通り」へと向かう。宿屋が主に集まる銀杖通りでは、耳の早い異国の商人や冒険者で、既に溢れかえっていた。

 リリィに手招きされ、更に小道に入ると、小さな川を挟んだ石橋の奥に1軒の宿屋が佇んでいた。


「戦線回帰が結成した時からお世話になってるとこ! まだ満室にはなってないと思うよ」


 橋を渡って宿屋を見渡す。年季の入った外観で、屋根の赤レンガや白の壁肌には所々ヒビが入ってたりするものの、植栽にはきちんと手入れがなされ、窓から見える廊下にはアンティークが所々に飾られており、老舗の隠れ家的な雰囲気を醸し出している。

 看板には「踊る山猫亭」と書かれている。


「マームさん〜? いるー?」


 慣れた様子で玄関の扉を開け、来客を告げる鐘の音が店内に鳴り響く。

 受付の奥から出てきたお婆さんが、リリィの姿を見るとニコッと笑って廊下の1番奥の部屋を指さした。


「良かった〜……。ナオ、相部屋だけどいい?」


「あぁ、うん。………………えっ!!!」



 まてまてまてま、ちょっと待て。それはアカンのじゃないか? 男女で1部屋って……


「しょうがないだろ。泊まれない人もいるくらいだし、少しでもみんなで纏まらないと。一人一部屋なんて宿屋も利益がそんなに出ないし、マームさんに申し訳ないよ〜。それともナオは私と一緒じゃ嫌?」


 ぐ……すげぇ正論攻撃……。グゥの音もでん。だがしかし……


「いやいや、その倫理的に……。どっちかって言うとリリィが嫌なんじゃないか? こんなおっさん手前の男と相部屋とか……」


「…………? いや別に……? 依頼で遠出する時なんか基本的に野営だし、男がいようとみんなで雑魚寝する時もあるよ?」


「お、おう。そうか……」


 そういうもんなのか……。変な事を想像してる俺の方が恥ずかしくなってきた……。そういう事なら仕方ないな。

 俺はOKを出し、リリィがマームさんから鍵を受け取る。

 宿屋の主と笑顔で何事かを喋るリリィを見ていたが、ふとある事に気づいた。


「……迷いが無くなったな。目つきがスッキリしてるよ」


「…………うん、ナオには迷惑かけたな。ありがとね」


 俺の店にいる時は気丈に振舞ってはいたが、ふとした瞬間見せる、どこか影のある表情。最初は異世界の住人だからか、雰囲気も違うのだろうと思っていた。しかし、それはリリィの話を聞いて違うと分かった。

 信頼していた仲間を失った悲しみと、自分が生き残ってしまった事への後悔。両方を背負っていたのだ。


「……知り合いでもいたのか?」


「あぁ、うん。実は師匠がいてさ……。全部話して……気持ちの整理がついたってとこかな?」


「なるほどな……師匠か」


 納得した。どうやら良い師匠を持ったみたいだな。獣人の差別とかあるって聞いてたから心配してたんだが、良かった。


「そう、またナオに言わなくちゃいけない事があるんだ」


「ん?」


「私は戦わなくちゃいけない。ギルドの冒険者として、街を守らなきゃいけない。大樹林の魔物の異常な活動状況を受けて、第2級の戒厳令が発令されたんだ。……だから、恩返しするのはもうちょっと先になるかも……」


「いいさ。それにそんなに恩とか感じなくてもいいんだけどな……。もとよりそうなるかもとは思ってたから。……結構やばいのか?」


「……本来大樹林の魔物の氾濫は、20年に一度くらい起こるんだ。時が経って増えすぎた魔物を、より上位の魔物が捕食して数が減るっていう生態系の輪が成り立ってたんだけど、冷害で森の恵みが取れずエサが減ったり、上位の魔物があまりに強大で暴れたりすると、それを恐れて人里に一斉に降りてくるんだ」


「その大型の魔物って……まさか」


「ああ、今回は……大地龍アースドラゴンユグドラシルだ」


 なるほど……。大地龍が強大すぎて、大樹林の魔物の様子がおかしかったって事か。俺やリリィが襲われた狼もやたら多かったし。数が多いのはそういうものかと思っていたが、どうやら異常事態だったようだ。


「討伐するのか……? 大地龍アースドラゴン


「…………無理だと思うな。師匠なら立ち向かえるだろうけど、一人じゃどうにもならない。他にもA級が今はこの街には居ないんだ。氾濫した魔物を討伐するので精一杯だと思う……」


「大地龍が出てきたら……?」


「太古から生きる龍種は人よりも遥かに賢く、滅多な事では争わないと聞いてる。楽観的だけど……襲われないことを祈るしかない……かな」


 襲われたらジ・エンドって事か。なるほど……。大地龍さんのご機嫌がいい事を祈るしかないな。

 そういえば氾濫てのは一体どの程度の規模なのだろうか。……俺の店がまだ外なんだが大丈夫か?


「氾濫の規模は毎回違うけど、大体500〜1000匹程度。奴らは気配を辿って真っ先に人里……恐らくここへ来ると思うから大丈夫だと思う……多分」


「あんな狼の群れが1000匹……。マジか」


「ハングリーウルフだけじゃない。大黒熊やバトルゴブリン、コボルトなんかの混成の群れが主体。奥地からミノタウロスや、リザードマンが出てくることもあるよ」


 おっふ。

 ミノタウルスって……あの斧持ってるマッチョ牛さんだろ? イカン、余計に心配になってきた。家帰りたい症候群が……。


「あんた達…………立ち話なら部屋で座ってしたらどうだい……」


 すると、マームさんが受付の前でずっと話していた俺たちを見てそう言った。


「ごめんごめん! 仕事の邪魔だったね! じゃあ部屋借りるね! ナオ、先行ってるよ!」


「ああ、分かった」



 一足先に部屋へと走っていくリリィ。憑き物が取れたような彼女の後ろ姿はどこか凛としていて、気迫みたいなのが漂っていた。……リリィの師匠は凄い人だ。心が折れかけてた彼女に、進むべき道を照らしてくれたのだろう。

 さて、顔でも洗ってサッパリするか。確か前に川があったよな。


「……あんた。あの子の知り合いかい?」


 玄関を出ようとすると、マームさんに声をかけられた。


「そうですね……。縁あって行動を共にしてます」


「そうかい。……戦士と魔法使いの子は……死んだんだね……」


「…………っ!! それは……」


 突然の核心をついた質問に、俺は思わず息が詰まった。しかし、マームさんは構わないと手を振ると、深くため息を吐いた。



「いいよ、あの子を見れば分かるさ。……冒険者をしているんだ。覚悟はしていただろうけど……。何年もあの子らはウチを使ってくれてたからね。明るい子たちだったよ」


「……リリィから話を聞きました。リリィを守るために100以上の魔物に2人で立ち向かったそうです……。勇敢な最後だったと……」


「そうかい…………そうかい。……あたしの旦那も冒険者でね。2人の夢だった宿屋を建ててすぐの事だった。大樹林に行ったまま帰らなくてね……」


 2人の最後を聞き、噛み締めるように2回頷くと、壁に立てかけた人物画に手をのせた。描かれた若く逞しい男性がマームさんによく似た若い女性の肩に手を置いている。きっと若かりし頃の肖像画なのだろう。



「……それから宿屋を1人で……?」


 ある日突然、自分の大事な人がいなくなる、か……。

 2人の夢だった宿屋をお婆さんは1人で守り続けてきたのか。並大抵の道では無かっただろう。同じ商売人として畏敬の念を覚える。



「幸い旦那の仲間が助けてくれてね。今では孫が手伝ってくれて何とかやっとるよ。……いいかい? 死んだらそれまでだ。例え泥水を啜ってでも、生きて生きて、生き抜くんだよ。いいかい?」


「はい、……分かりました!」


「それと……これは私からのお願いなんだけど……。あの子の事頼んだよ」


「……はい!」


 マームさんは託すように俺の手をそっと握ると、ニコリと笑って仕事に戻って行った。

 シワだらけの手は、温かく、どこか寂しげであった。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 20人以上が座れるであろう大理石で作られた豪奢な長机、その上には上品な赤のテーブルクロスが縦に敷かれ、いくつもの燭台と生花で飾り立てられている。


 部屋の壁には、いくつも並べられた大きな窓から眺めるレクシアの海が見える。水平線はどこまでも広がり、港には多数のガレオン船やキャラック船が並び賑わいを見せている。


 窓際で外の様子を眺める領主、シャルル・ノルディー・ヴィッケル・ブルーネは後ろで手を組み、来訪者の話に苦い表情を見せた。


「氾濫か……。この時期に来るとは恨めしいものよ。規模は分かっているのか?」


「今偵察隊を組んでる。ハッキリとはしてないけど、……相当デカいと睨んでる」



 最後に発生した氾濫は23年前。シャルルが父から当主を世襲して、初めてのことである。それに季節の変わり目である今の時期は、交易も盛んになり始めるタイミングであった。



「それで二級警戒令か、それにしても大仰じゃないかね? 7.800程度の魔物で全戦力を動員する必要があるのか?」


「……大地龍アースドラゴンが出たらしいってよ」


「なんだと……!? 本当なのか?」


 ジュミナの口から飛び出た思わぬ超大物の名に、冷静を装っていたシャルルも思わず目を剥いた。



「あたしの弟子が確認した。間違いない。二級でも足りないくらいさね。一級に引き上げて王都からの増援を呼んでもいいくらいだ。どうする? ブルーネ辺境伯殿?」


「……大地龍が出たとして、ここの戦力で対応可能か?」


「本気で暴れられたらどれだけ被害が出るか分かったもんじゃない。アタシが出たとして、100に1つも無いだろうねぇ。幸い宮廷魔道士団殿が視察に来てるんだろう? 協力を要請したらどうだい?」



 通常の氾濫程度であれば、冒険者と衛兵を動員し、サウスブルーネの外壁が守りに徹すればどうということは無い。だが、大地龍に追い立てられ森から逃げ出てくる魔物の数となると、さしものシャルルにも想像がつかない。

 それに何より当の大地龍がサウスブルーネに牙を向いたとなると、想像を絶する被害が予測されるだろう。


「…………王都に借りを作る事になるな。…………大地龍か。伝え聞く伝説が本当であれば致し方ないか……」


「まぁ眉唾のような伝説ばかりだからねぇ。私も本当のところはどうなのか知らんよ? だが戦力は多いに越したことはない。確か団長殿自ら来てるんだろう?」


世界の魔書庫ワールドライブラリ、シュリハ・メイプル・シャルリハートか。……見た所子供のようであったが、大丈夫なのか?」



 宮廷魔道士団であるシュリハは、まだ就任したばかりの団長であるため、挨拶回りも含め南方と東方の領を巡回していたところであった。

 今日初めて彼女と会食をしたものの、口数が少なくあまり内容のある話は出来なかった上、容姿が完全に子供であった為、シャルルは一抹の不安を覚えた。


「エルフを見た目で判断するんじゃないよ。あれでも200歳を超えてるハーフエルフだ。宮廷魔道士団団長は伊達じゃないよ」


「そうか、ならば直ぐに使いの者を送る。……ジュミナ、冒険者の差配は任すぞ。必要であればお前の判断で警戒レベルもあげて構わん。この街を守れ」


「はいよ、任された」


 ヒラヒラと手を振るジュミナを見て、ため息を吐くシャルル。しかしながら、古くからのこの友人の女傑は、こんな態度をとっていても信用出来る人物だと知っていた。その彼女が推すのであれば間違いない。

 どちらにせよ大地龍が出た以上、使えるものは全て使うしかない。ジュミナの後押しもあり、直ぐに傍に仕えていたメイドに使いを送らせると、自らも兵を指揮する為、衛兵団本部へと向かうのであった。

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