15.冒険者ギルド

 扉を開けた瞬間に漂う熱気。へばりつくような視線。獣人特有の感知能力が、込み上げるような不快感を更に助長させる。

 だが、それらをまるで払い除けるように堂々と歩を進めるリリィの姿に、周囲の何割かの視線がリリィから外れた。


「へへっ……見ろよ」


「戦線回帰の瞬双だ……」


「相変わらずいい体してんなぁ〜」


「……しっ!! ……聞こえたら殺されるぞ!」


 畏怖、奇異、興味、下卑の視線。様々な種類の感情の起伏が、波のようにリリィの肌を打つ。女性の冒険者はこの世に数多くいれど、男女の比率においては女性冒険者は2割を切る。それも多くが魔道士や神官であり、前線を張るリリィのような近接系の冒険者は稀有だ。



「ヒック……おぉい! 姉ちゃん〜。こんな所で……ヒック、何してんだぁ? ここはお前みたいなやつの来るところじゃねぇぜぇ? それともなんだ……ヒック。俺たちの酒の相手でもしてくれんのかぁ?」


「ヒャッハハハ! それともベットで相手してやってもいいぜぇ?」


 リリィの姿を見ると直ぐに席を立ち上がった者がいた。酒の入ったジョッキを片手にガタイの良い戦士の男と、シーフのような細身の男。威圧するようにリリィの前に出ると、欠片の遠慮も無く下卑た視線を起伏あるリリィのその体へと向ける。


 並の女子供であれば、それだけで畏怖してしまい足が竦んだかもしれない。

 しかしながらリリィは、この理性の効かぬ節操を持ち合わせない男にため息を漏らしながらも、手をヒラヒラとさせ不快感を暗に表すと、内心感謝した。

 ああ、これでまた鬱陶しい視線が減る、と。



「……うわ、あいつら瞬双になんて事を……」


「ありゃあ死んだな……自業自得だ。合掌……」


 リリィという冒険者を知る者たちからざわめきが上がった。なんと命知らずな事かと。その愚かな行為を哀れみ、手を合わせた者まで現れる。


「おぉい! 黙ってねぇで何とか言えやァ! ……ヒック。……んん?なかなかいい面してんじゃ……」


「ふん! せやっ!!」


「ゲボォッッッ!!」


「グベラッッッッ!!」



 戦士の男がリリィに手を伸ばし触れる瞬間、その手首を瞬時に掴み、捻りながら体重を下に落とした。

 思わぬ反撃と手首の痛みに男は顔を顰めた直後、横顔に、限界まで加速した革のブーツによる蹴りが着弾した。

 100キロは優に超えるであろう戦士の男の身体は、まるで滑空する荒鷲の如く吹き飛び、後ろに回り込んでいたシーフの男を巻き込み、切り揉みしながら扉の外へと消えていった。



「うっわぁ…………ありゃ死んだな……」


「瞬双恐るべし……」


「アイツらも馬鹿だな……。この街に来たばっかか? 戦線回帰知らねぇなんてよ……」


 リリィは汚いものでも触ったかのように手を叩いて払うと、周囲を睨むように一瞥する。

 既に侮りや下卑た視線はさっぱり消え失せ、畏敬と恐れの視線のみが場を席巻していた。冒険者は良くも悪くも実力が全てである。多少の礼儀は世渡りに必要ではあるが、魔物相手には通じはしない。

 リリィはその実力を以て、この場にいる全ての冒険者にその実力を示したのである。


「リリィさん。お疲れ様です!」


 とそこに、後ろから澄んだ女性の声がリリィへとかけられた。


「あ、レノア。お疲れ。……今のヤツら新参? 」


「はい、王都から稼ぎに来たとか……? 今週に入ってからですが、冒険者の流入が多くて大変なんですよ。……あとギルド内で暴力沙汰はダメですよ!」


「ゴメンゴメン! 気安く触ろうとしてきたからつい……ね」



 ギルド受付嬢専用の瀟洒で愛嬌のある制服を完璧に着こなし、清楚な佇まいで屈強な冒険者達を次々と捌いていたレノア・セレノアが、カウンターを開きリリィへと歩み寄る。親しげに挨拶を交わすも、幾度目か分からぬ諌言を受けたリリィは、申し訳なさそうに友人へと手を合わせた。

 しかし、今日に限って侮蔑に似た視線を多く感じたリリィは、レノアの言葉に納得しながらも新たな疑問が生まれた。

 


「なんで今の時期に……? 確かにこの街は稼げるけど、人が多くなる星羊スターシープ宝石蜥蜴ジュエルリザードの繁殖の時期はまだ当分先でしょ?」


「……それが、ここだけの話なんですが」


「えっ……なになに?」


 そっと周りに聞こえないようリリィに近づくレノア。何か秘密があるのかと彼女の口にそっと耳を近づける。


「勇者様が現れたそうです……」


「えっ!!!! ゆう「しーっっ!!」」


 あまりの驚きに思わず声を出すリリィ。慌てたレノアが彼女の口に素早く手で蓋をした。


「……王都の冒険者には公表されてないですが、ギルドで依頼制限が入ってるのはそのためかと……秘密ですよ!!」


「わ、分かった……」



 勇者召喚の儀は実に150年振りであり、その活躍は伝記や吟遊詩人の唄で伝え聞くものしか残されていない。当時を知る者は、エルフやピクシーなどの長命種のみである為、リリィが驚くのも無理からぬ話であった。



「……ふぅ。リリィさんだから教えたんですからね!まだ内密でお願いしますよ! ……所で今日はどうされました? 依頼の報告ですか?」


「あぁ、その話だけど……ギルマスと話できる?」


 本題に入ったレノアに早速要件を伝える。本来ギルドマスターは奥の部屋からは出て来ない。余程のことでもない限り自ら冒険者の対応をすることは無いのだが、今日はその「余程」の事であった。



「え……? えっとアポ無しだとどうだろ……。何の話ですか?」


「…………大樹林の氾濫に関してだ」


「…………!!!! かしこまりました。少々お待ちください」



 リリィが小声で内容を伝えると、レノアは瞬時に顔を青くした。急いでカウンターから離れた彼女は、奥の部屋にある階段を駆け上がる。

 少しすると直ぐに息を切らしたレノアが戻ってきた。要件が要件だけに顔色が優れないレノアが、リリィをギルドマスターの部屋へと促す。いつも愛嬌を振りまき、強面の冒険者も笑顔で対応するレノアが慌てている様子を見て、周囲の冒険者も何事かと訝しんだ。


「……なんだ? リリィがギルマスと面会?」


「……そういえばパズーの奴らは? ……何かあったのか?」


 リリィや慌てた様子のレノア、戦前回帰のメンバーを良く知るサウスブルーネの冒険者は多い。感の良い者は既に只事では無いと感じ推察を始めた。ざわめき立つギルドの待ち合いを横目に、リリィはカウンターを抜け促されるまま奥へと向かう。


「マスターはすぐにお会いになられるそうです。こちらへ」


「……」


 年季の入った木造の階段を登り2階に上がると、左側の壁には近隣の地図が大きく貼りだされており、商船やら輸送船、商隊の進行予定ルートなどが所狭しと書かれていた。突き当たりは東側の緑多い山脈を望める窓があり、その右側には3つの部屋がある。


「リリィさん、どうぞ」


「ありがとレノア」


 レノアに案内されるまま1番奥の部屋へと辿り着き、年季の入った造りの扉を開く。


「……来たか」



 ギルド長執務室の椅子に座る妙齢の女性。赤い長髪を後ろで無造作に纏め、切れ長の目に紅い瞳。美しく整った顔立ちながらも口から覗く尖った八重歯がどこか野性的な印象を醸し出している。

 白いシャツの第3ボタンまでを外し、組んだ腕にはこぼれ落ちそうな双丘が大胆にのしかかっていた。

 そして、その胸に走る大きな古傷のようなもの。リリィにはよく見覚えのある姿であった。



「お久しぶりです。師匠」


「……話を聞こうか。馬鹿弟子よ」



 無意識に緊張する身体を奮い立たせるようにして、リリィは話し始める。

 黒波の大樹林で戦線回帰に降り掛かった災いの全てを。

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