5.生きている実感

「にお…………いの……す…………」



 体が動かない。もう限界みたいだ……。

 力が抜けて倒れ込む。痛みもあまり感じない。

 やっとたどり着いたと思ったのに、目の前にもハングリーウルフの群れ。

 私目掛けて狼たちが走ってくるのが見えた。

 アドエラ、パズー、ごめんにゃ。せっかく命をかけて逃がしてくれたのに、私はここで土に還るみたい……。


 もう……意識も……。



「っっ!! シールド!!」



 ……何か聞こえる…………。

 誰かいるのかにゃ……?


「おい、大丈夫か!」



 見て分からないのかにゃ……。大丈夫じゃないよ……。 でも、狼が……。誰か知らないけど、私を囮にして逃げて……。



 ………………?


 ……私を……抱えてる……?


「ふぅーーー。ふぅーーー」「……行くぞ!!」



 うっ……。傷が……。

 激しく揺れた事で痛みを感じ、意識が少し覚醒した。

 もう力が入らないけど、ほんの少しだけ目を開くと、そこには黒髪の男の人が、必死の形相で私を抱えていた。

 狼たちの気配も感じる。


 助けてくれてるにゃ?

 仲間たちの犠牲は無駄にならない?


 私を抱き抱える腕が暖かい。

 絶望しか無かった私の中に、僅かな希望が生まれた事を感じながら、私の意識は暗闇へと沈んで行った。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 ┈┈┈┈┈┈┈┈

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「……んん……?」


 目が覚めた。体が砂袋のように重い。

 ここはどこだろう。私は…………


「はっ! ウルフは!?」


 ハッとして辺りを見回す。先程まで歩いていた森の中じゃない。どこかの家の中のようだ。

 見慣れない造り。色とりどりの何かわからない物や、高級そうな質の良い材質の本が沢山ある。ベッドがあるし寝室のようだけど、凄く造りのいい部屋だということは分かる。

 それに何より、


「なんて柔らかいの……フカフカ〜にゃ〜」


 再び体を倒すと、嘘のように身体が沈みこむ。柔らかな布には、何かの綿や羽毛が沢山入っているのだろう。モコモコしている。

 こんなにフカフカのベッドは生まれて初めてだ。


「………どこだろう、ここ。……いっつ……」



 あちこちから痛む鈍い体の痛みに少し意識が覚醒する。



「…………傷の手当てもされてる……」


 よく見ると、傷だらけだった体に丁寧に包帯が巻かれて手当てされていた。

 腰に着けていたダガーや携帯バッグは、丁寧に脇のテーブルに置かれ、そこには水のような物が入った容器と一緒に手紙が備えられていた。


「武器も取り上げられて無いなんて……」


 手紙を取ると、その肌触りに驚いた。これもとても良い紙で高級そうだ。



[初めまして、俺は咲多鳴桜といいます。異世界なので文字が通じるか分からないけど一応手紙を。起きたら机の上にあるスポーツドリンクを飲んでください。お腹が空いてると思いますが、慌てずにゆっくり。]



「名前が読めない…………。……すぽぉつどりんく……? とりあえず喉かわいた……」


 手紙を読みながら、机の上にある水が入った容器を見る。いつも持ち歩いている水袋よりは小さいが、思ったよりもしっかりとした造りでつなぎ目などが無い。少し力を入れると簡単にヘコむが壊れる様子もない。てっぺんに丸いフタのようなものがあり、そこを外して飲むようだ。


「ひっぱる? ……取れない? 力が入らにゃい……。……? 回す? ……んん、にゃ!」


 力を入れようとしたけど、空腹と疲労で上手く手が動かないことに気づいた。丸いフタは回して外すことに気づき、何とか開けることが出来た。


「ん……んッ……んッ……。…………う、うまぁ!! なんにゃこれ!!」


 思わず声が出る。

 飲んだことも無い味。果実水とは少し違う。ヒンヤリと冷たくて甘い。それにすごく飲みやすい。


 コンコン


「あっ、起きられたんですね」


 すぽぉつどりんくに感動していた所で、部屋の扉が開いた。20代? くらいの男だろうか。恐らく私の事をここまで運んでくれたのだろうが、油断は出来ない。アクセサリは……ある。獣人という事を知られてはいけない。警戒はしなくては。


「あ、あの……」


「お腹すいてますよね、今作ってくるんで! あ、なんか嫌いなもんとかあります?」


「あ、……えっと。いや、特に無いけど……」


「OKです、じゃゆっくり休んでてください」


「あ……」


 男はそれだけ言うとそそくさと行ってしまった……。足を怪我してたみたいだったけど……。

 もしかして狼に……?

 正直、空腹と疲労で思考がハッキリしない……。そもそも何故自分が生きているのかも分からない。

 ここは何処なのか。あの男は誰なのか。

 ……あぁ、ダメだ。考えがまとまらない。



 しばらくすると男が再び戻ってきた。

 両手にお盆を抱えている。武器の類は無さそうだ。


「お待たせしました。キャベツと鶏肉のコンソメ風味雑炊です。消化に良いものをと思ったのでお口に合えばいいですけど。……しばらく食べていないのであればゆっくりと食べてください。胃がビックリして吐いてしまいますから」



 男がそう言ってベッドの隣にある机にお盆を置いた。いざという時の為にダガーを1本右手側の布団に隠してはいるが、……使うようなことにはならなそうでホッとした。


「……いい匂い」


 キャベツ……というのはよく分からないが、作物の一種なのだろうか。茹でられたそれはとても鮮やかな緑で、細かく刻まれ皿を彩っている

 良い匂いのするスープに浸された麦飯のようなものの間には、細かく裂かれた鶏の胸肉がキャベツと共に散らばされていた。

 3日程何も食べずにここまで来た。限界まで飢餓感を覚えた私の腹は、早くそれを食わせろと唸ってる。


「美味しそうだ……」


「どうぞ、召し上がってください。ゆっくりね」


 にこやかにそう答えた男性は、私が飲んで空になった「すぽぉつどりんく」を新しいものと取り替えると、私に遠慮してか、席を外し部屋を出ていった。


 一緒に備えてあったスプーンを手に取り、雑炊とやらを一匙すくう。まだ作りたてのようで湯気が出ていた。


「怪しい物は……入ってなさそう。食べよう……」


 特に匂いを嗅いでも毒や薬の匂いはしない。考えすぎたようだ。




「今日もアレイオーンの加護に、そして我を生かす糧に感謝を込めて」


 いつも欠かさない食事の祈りも久しぶりにやった気がする。こうして食べ物にありつくのは何日ぶりだろうか。

 熱いものはあまり得意では無いので少し冷ます。息を吹きかける度、スープの良い匂いが香る。


「……ん。………………おいし……」



 ああ、美味しい。

 その一言に尽きる。一匙だけしか食べていないのに、まるでそれら全てが全身に広がり、染み渡っていくようだ。


 おいしい、……おいしい!

 スプーンを運ぶ手が止まらない。疲労と空腹でまともに動けないのに、この手ばかりは止まらない。

 香りの良いスープに浸された麦飯のような物がスっと喉を通り、乾いた大地に水を注ぎ込むように体に染み渡る。鶏肉とキャベツとやらも柔らかくなるまで煮込まれ、力の入らない顎でも容易に噛み切れる。ジュワッと噛み切ったキャベツから広がるスープの香りと鶏肉の旨味が相まって、どんどんと食欲が湧き上がる。




 一匙、また一匙と。食べれば食べる程に私は実感した。


 ああ、生きているんだと。


 これは夢じゃないんだと。



 気づけば頬から涙が流れていた。



 流れる涙を拭くこともせず、私は一心不乱にこの温かい食事に夢中になった。


 やがてそれを食べ終え、すぽぉつどりんくなる物を半分ほど飲んだ私は、再び柔らかなベッドに身を沈める。

 今まで感じていた飢餓感はとうに消え、気の配られた暖かい食事と柔らかいベッド。満足感と安心感で体が満たされていくのを感じる。

 段々と重くなっていくまぶたを閉じ、暖かい布団にくるまると、私はすぐにまどろみの中へと落ちていった。






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