2.森の狼さん


「おいマジか」


 どうなってんだこれ……。

 目の前の崖下に広がる草原。正面遠くには雄大な山脈がひしめき、その麓には森が広がっている。店の裏側を見ると、一際背が高く大きい木が何処までも続いており先が見えない。

 周囲は大自然で溢れていて、隣にあったコンビニや、向かいのドラッグストアなど影も形もない。

 コンクリートで舗装された道路や街灯、建物なども皆無。ただただ緑が広がり、俺から見て右手、かなり遠くの方に城壁のようなものに囲まれた街のようなものがあった。



 そして俺の後ろには、俺の店である焼肉屋、「桜来軒おうらいけん」が建っている。


「ちょっと待ったストップ。意味わからんわからんわからんわからんわからん!! これってあれじゃん! 異世界転移!? 俺が!? うちの店と一緒に!? あ、夢か!」


 ほっぺたをつねる。……うん、痛い。ほっぺをつねるなんて自分でも何のギャグかと思うが、ちゃんと痛い。現実だ。夢じゃねぇ!

 なるほど。意味わからん。

 あれか? 剣と魔法のファンタジー世界に召喚されましたってやつか?


 ………………。


「それなら召喚した奴どこだよ!!!」


 っとツッコミを入れてみたが、誰も反応してくれない。まぁ……そうですよね。

 店中白雪を探し回ったが居ないみたいだし……。

 事故にあってないかだけが心配だ。

 てか店ごと消えたんだよな……?

 白雪……今頃現実世界で更地になった店跡に放り出されてたり……?

 ……なんて流石にないか。


 さて……どうするか。


 なんて冷静に考えるふりをしてみるが、頭の中真っ白だ。

 見晴らしの良い丘の上。うちの店はその上にポツンと建っており、なんというか……違和感が凄い。

 外から繋がっていた電線は途中からむしり取られたように切れており、力なくダランと地面に横たわっている。



「……は!! 電気が無い!? 冷凍庫の食材ヤバくね!?!?」


 うわぁ……、マジかぁ……。

 後でちゃんと処理しないとな……。……てか今後の生活のことを考えて干し肉にでもしないとやばいか……。多分肉だけで400kgちょいは在庫あるはずだし、米や乾物も多いけど冷蔵品は腐っちゃうだろうな〜。……まぁそうそう食糧難にはならないだろうけど。

 ……ってか電気だけじゃないか。インフラ全滅だよなこれ……。水も……ガスもない……。

 サバイバル技術なんて俺にはないぞ!!


 これオワタ……?



「はぁ……とりあえず、店の中色々確認しないと……」


 俺が店の裏口から中に入ろうとすると、何かの視線を感じた。



 ガサッ……ガサガサ



 ……ん? 今なんか音が……。

 うちの店の前方にある森、その草かげがゴソゴソと動いている。


「おいおいおい……なんだよもう! まさか野生の動物か……?」


 ガサゴソと動いていた草むらから、何かがのそりのそりと歩み出てくる。


「ガルルルルルッッッ……」


「っっ……!!」


 真っ黒な毛並み、鋭い牙、しゃがれたような唸り声でヨダレを垂らし、目は完全にこちらを向いている。野犬……じゃないな……狼だ。


「まじかよ…………」


 狼なんて初めて見たって……。完全に餌を見る目でこっちを見てる。え、え、お腹すいてらっしゃいます?

距離は約100m。だけど狼ってあんなデカいのかよ!!

 軽く大型犬の大きさくらいありそうだ。あんなのに噛みつかれたら大怪我じゃ済まない。


「とりあえず刺激しないように……そーっと……」


 音を立てないようにそっと歩き、裏口に手をかける。いつの間にか手に汗がじっとりと滲んでいた。


「グルルル…………ガァァ!!!」


「やっっばいいい!!」


 扉を開けようとした瞬間、狼が体勢を極限まで低くして一気に走り出した。

 渾身の力で裏口を開け、チラリと狼の方を見る。既に狼は一瞬で距離を半分以上詰め、一直線でこちらに突進してきた。


「うわうわうわ!」


 すぐさま中に入り扉を閉める。あっという間に扉から5m程まで接近していた狼は、ガチャリと扉がしまったと同時に、扉に垂直に足を着地させ勢いを殺し、後方へと着地した。


「あっぶねー!!! あんなのいるなんて聞いてないって!! 怖すぎだろ異世界!!」


 どうするどうするどうする!? 裏口の覗き穴から外を確認するとまだ狼はこちらを見ながらウロウロしている。


 ガン!! ガリガリ!! ガン! ギャリギャリ!!


「ガルルルルルァァ!! ウォン!! グルルル!!」


 金属製の扉が物凄い音を立てて揺れる。狼が力任せに体当たりや爪を立てて扉を破ろうとしているようだ。明らかに普通の狼じゃないだろ!

 まるで熊を相手にしているかのように、扉はギシギシと悲鳴をあげ続けた。


 まずい、どうにかして追い払わないと店が壊される。それだけは避けたい。

 訳分からん状況だけど、この店だけはじじいから受け継いだ大事な店だ。


「……何か、何かないか……」


 その時、俺にあるものが目に入った。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「グルルル……」


 傷だらけの扉の前でウロウロと歩き回る狼。体つきも通常の狼より一回りは大きく、扉には深い傷がいくつも刻まれていた。

 しかしながら流石に金属製の扉を破壊することは出来ず、狼は先程までの勢いを持て余すように扉を見ながらウロウロと歩き回る。


 すると、狼はあることに気づく。……匂いだ。

 なんだこのかぐわしい香りは。

 信じられない程美味そうな匂い。極限まで空腹に耐えかねた狼。この香りは、ようやっと見つけた餌の事など思考から吹き飛ぶ程のものであった。


 いてもたってもいられず、慌ただしく動き出した狼は、その香りの在処を突き止めるべく走り出す。

 店をまわるように迂回し、正面玄関へとたどり着くと扉が半開きになっていた。先程まであれほど固く閉ざしていた守り。しかしながら不審と思うよりも先に、この香りの暴力的な誘いには抗えなかった。

 狼は躊躇うことなく店内へと入る。

 見た事もない物ばかり。立ち並ぶ椅子や机、硬い石畳。

 森の中とはまるで違う世界に少々戸惑うが、素直に匂いのする方向へと小走りで走っていった。


「……ガルル」


 見つけた。1番端のテーブルの上。そこが匂いの元凶。狼は少し唸ると、左右を確認し一足飛びにテーブルの上に着地する。

 真ん中には網がしかれ、ここからでも熱気が漂っている。火がついているようだ。


 そしてその網の上に、狼を誘い出したそれがあった。


 極厚の綺麗にカットされた肉。それが何枚も。

 網の目状に入った煌びやかなサシが火で炙られ、とてつもなく芳醇な香ばしい匂いを放っている。

 すぐさま狼は顔を近づける。

 しかしながら、すんでのところで狼は躊躇った。

 熱いのだ。

 顔を顰めた狼は、どうにかしてこの目の前のお宝を口に出来ないか考えた。素早く足を動かして肉をつつく。熱い。いや、熱いが我慢できない事もない。

 素早く何回も肉をつつき、どうにか場外へと運び出せないか試行錯誤する。狼の腹は限界まですいており、それは一心不乱に行われた。

 そしてその瞬間は訪れた。

 上手く爪に引っかかった肉がテーブルの外へと躍り出る。キツネ色に程よく焦げた厚切りのカルビが肉汁をほとばしらせながら空中へと躍り出た。


「ガウァ!!」


 我が意を得たりと、すぐさま石畳に飛びつく狼。

 口に入れた瞬間、狼の思考が弾け飛んだ。


何だこの肉は!


いつも狩りを終えて食べる肉と全てが違う。

 柔らかさ、霜の降り方、そして何より火で程よく炙られた厚切りのカルビ肉から溢れ出す肉汁。

 豪快に、だが味わうように狼はそれを食べた。そう、狼の頭の中は目の前の肉で一杯だった。


 先程までいた人間の事など頭から抜けてしまっていたのだ。




「おっらぁぁぁぁぁ!!!!!」



 突然の叫び声。訳も分からず肉を咥えながら振り返る狼。しかしその時には既に狼は全身を炎に包まれていた。


「ギャン!! グルララッ!! ギャオオオ!!」


 鳴桜が左手に持ったそれはライター用の補充ガス。とジッポ用のオイル。そして右手にはチャッカマンが握られていた。

 勢いよく噴射した炎は狼を後ろから容易く包み込んだのだ。

 耐え難い熱さと驚愕が狼を襲い、たまらず肉を咥えたまま外へと走り出す。


「ギャン!! ギャン!!」



 先程までの展開とは真逆。狼が一心不乱に逃げ、鳴桜がそれを追う。

 鳴桜は入口でそれらを乱雑に置くと、再びそこにあるものを手に持って抱えた。


 全身を地面に擦り付けなんとか火を消した狼は、許さない報復してやると言わんばかりに入口から出てきた鳴桜を睨みつけた。


 だが、


「これでどうだぁぁぁぁ!!!!」



 瞬間、目の前が真っ白になった。

 否。白いものがそこら中に撒き散らされた。

 消化器である。入口に備え付けられたそれを手に持った鳴桜は、勢いよく安全装置を抜き取り狼に向けて噴射した。


「ギャ、ガババッ! ギャン!! グルッ!! ガッ!!」


 前を向いていられない。食事の邪魔をした憎きソイツを直視する事すら出来ず、白い粉を口いっぱいに食らい、身体中にも浴びて溺れる狼。

 火だるまになり、視界も閉ざされてジリジリと後ずさる。

 鳴桜は消化器の手を緩めず、狼を追い立てるように進む。



 そして、



「グルァ!?」



 狼は足を踏み外し、切り立った崖の下へと落ちて行った。




「はぁ……はぁ……はぁ……」


 手を震わせながらも、崖下へ落ちていった狼を覗き込む鳴桜。未だに心臓がドクドクと痛いくらいに鼓動していた。



「疲れた……。何とか上手くいったな……、喫煙スペースでガス見つけられて良かった〜。誰かの忘れ物だろうけど感謝するわ〜……」



 気が抜けたのかその場で大の字に転がり呟く。



 ピコン



『レベルが上がりました。スキルを獲得しました』




「は?」


 どこからか突然聞こえてくる無機質な声。

 すると、寝転がった鳴桜の目の前に四角い半透明の画面のようなもの映し出された。





 咲多 鳴桜

 レベル ・1→8

 職業 ・焼肉屋の店主


 HP[124]

 MP[224]


 STR 10 ▶︎ 25

 INT 55 ▶︎ 89

 DEX 75 ▶︎ 112

 VIT 18 ▶︎ 32

 AGI 12 ▶︎ 28


 称号 ………肉の探求者、肉の解体者、接客の魂、エンターテイナー、異世界より召喚されし者、罠師


 スキル ・オリジン(new!)

 ▶︎この世界のあらゆる魔法、スキルが使えなくなる。習得も不可。その代わりこの世界に無い魔法、スキルを創造する事ができる。1日1回のみ。創造可能なスキル、魔法はMPに依存する。






「………マジかよ」




 消化器を地面に置き、目の前に現れたステータスウィンドウをまじまじと見ながら、鳴桜は異世界に召喚された事を確信するのであった。

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