第13話 空気
カフェに入った瞬間、嫌な空気が漂っていることがわかった。
エアコンは稼働しているし、天井についている大きな扇風機みたいなものも回っていたので、室内は快適な温度だった。だから、熱気がこもっているせいで嫌な空気だと思ったわけではないということだ。
少し足を進めると、カフェの奥の席で鬼塚さんが肘を曲げて机につき、両手を組み、その手の上に額をのせてうなだれているのが見えた。
そして、その鬼塚さんから嫌な空気という名の重苦しい空気が、発せられていることもわかった。
カウンターには木暮さんの姿があり、俺は木暮さんに目配せをする。何があったのですか、という疑問を込めて。
俺の視線を受け取った木暮さんは、鬼塚さんのほうへ視線を動かしてから、再び俺と目を合わせた。
彼に直接聞いてください、と木暮さんは伝えたかったのだろうと俺は解釈した。
「ねえ、私はカウンターの方で待ってるね」
何かを察したように、玲奈は小声で提案をしてきた。
「ああ。わかった」
同じように小声で返した後、俺は鬼塚さんの元へ向かった。
普通に足音を鳴らしながら近づいてみても、鬼塚さんは顔を上げない。こちらに気づいていないわけではないとは思うのだが……。どうやら相当思いつめているらしい。
「あの、鬼塚さん」
彼の目の前に座り声をかけると、「ああ、竜晴か」とようやく顔を上げた。
「いつもと様子が違うようですが、何かありました?」
「……本当にすまない」
「な、何がですか?」
「……それより体の具合はどうだ?」
「え、まあ、いい感じに回復はしましたけど」
「そうか」
ここでようやく鬼塚さんは軽く笑みをこぼした。が、すぐに暗い顔に戻ってしまった。
「なあ、竜晴。私は君に無理をさせていたな?」
「いえ、そんなことはないです」
「私は、君を、
鬼塚さんはうつむきがちになりながら、言葉を短く切り低い声でそう言った。
「だから、そんなここないですって! 俺が勝手にはしゃいだだけですよ!」
明るくにこやかに鬼塚さんの意見に反論する。
どうして鬼塚さんがこんなにも責任を感じているのだろう。そんな必要はないのに。
俺は心からそう思っていた。
「違う! 私のせいだ! 私が君を間違った道に進ませていた!」
強い語気で、自分を責める鬼塚さん。その言葉は、俺の身を案じているからこその言葉なのだろうということは理解できた。
だが、彼のその思いに反して、俺はある言葉に引っかかりを感じてしまった。
「間違った道ってどういうことですか?」
これまでに発したことのないひどく冷たい声で、俺は問いかけていた。
「そのままの意味だ。あのままではきっと、君も取り返しのつかないことになっただろう。……だから、ライオブカラムは返してもらった」
吐き捨てるように彼はそう言った。
「『返してもらった』ってどういう意味ですか?」と俺はすぐさま聞き返す。
「これも、そのままの意味だ。君が気を失っている間に、ライオブカラムは抜き取らせてもらった」
「そんな! 嘘だ!」
「本当だ」
彼は冷淡に答えた。だからこそ、彼の言っていたことが冗談ではないと、嫌でもわかってしまった。
「くそっ! その気にさせておきながら、すぐに『はい、さよなら』だってことかよ!?」
「そうだな」
「あんた、鬼だ! 悪魔だよ! ひどすぎる!」
「鬼でも悪魔でもなんでも構わない」
「返せよ!」
「ダメだ。それに元々あのライオブカラムは私のものだ」
「なら、奪ってやる!」
「力づくで……か?」
「ああ、そうさ!」
俺は勢いよくテーブルの上に身を乗り出し、彼の前髪をつかんだ。
「やめておけ。私に力で勝てるはずがない」
依然として彼は冷静だった。その態度がさらに俺の心に火をつけた。
「やってみなくちゃわからないだろ!」
「そうか。そこまで言うのなら――」
「やめなさい」
と、気づけばテーブルの近くまで来ていた木暮さんが強い声で制した。
「大人気ないぞ、鬼塚。冷静にならんか」
「竜晴くんも。ね?」
木暮さんの側にいた玲奈も諭すように続けて言った。
「……すまない。熱くなりすぎた」
「……」
俺は無言のまま掴んでいた前髪を離し、乗り出していた身を戻してソファーに腰をかけた。
そして、少しの沈黙が流れた後、鬼塚さんは立ち上がり
「これ以上話すことはない。……短い間だったが、手を貸してくれてありがとう」
と言い残してカフェの奥にある扉の向こうに行き、扉に鍵をかけて入れないようにしてしまった。
「ほんとにこれ以上話す気はないみたいですね」
「すまないな。奴も意外と頑固なところがあってな。今日はもう、どうにもならんだろう。……とはいえ、明日以降ならどうにかなるというわけでもないが」
「そうですか。とりあえず今日はもう帰ることにします。玲奈はどうする?」
「竜晴くんが帰るなら、わたしも帰るよ」
「わかった。――それじゃあ、木暮さん。お邪魔しました」
「ああ。気をつけてな」
カランカランとベルを鳴らしながら扉を開きカフェを出ると、熱い空気がこの身を包んだ。
息を大きく吸って熱い空気を体内に取り込むと、さきほどまで固く張り巡らされていた緊張が、熱を帯びてグニャリと、とけはじめた。
「ふわぁーあーあ」
俺はわざとらしく口を大きく開けて長いあくびをしてみせた後「あぁ。あくびをしたせいで目から何かが……」とすかさずそう言って、指で目の端をこすった。
「……ねえ、竜晴くん」
「どうした?」
「寄り道してもいい?」
「いいけど、どこに行くんだ?」
「着いてきて」
彼女はそう言って俺の手を取り、力強い足取りで歩き出した。
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