第10話 不審者
目を開けると、木目調の天井が目に入った。
俺は程よい柔らかさのソファーの上で仰向けになっていた。
暖かみのある明かり。コーヒーの香り。間違いない。ここはカフェだ。
俺が意識を失った後、鬼塚さんがここまで運んでくれたに違いない。
身体を起こして周囲を確認すると、カウンターにて1人でコーヒーを淹れている木暮さんの姿が目に入った。
「あの、木暮さん」
「おや、お目覚めですか。お体の具合はいかがですか?」
「あ、はい。たぶん問題なさそうです」
「そうですか。それなら良かったです」
「それで、鬼塚さんはどこですか? 姿が見えませんが」
「彼ならつい先程、ここを出発しました。玲奈さんを家まで送るために、です」
「あっ、玲奈」
玲奈には申し訳ないが、彼女の存在をすっかり忘れていた。というか、玲奈はさっきまでここにいたわけか。
「あの、木暮さん。俺がここを出発してから戻ってきて目を覚ますまでの間、玲奈は何をしていたんですか?」
「まずはワタシと雑談をして、それからコーヒーを淹れる練習をしました。その後は自分で淹れたコーヒーを飲みながら、またワタシと雑談をしていました」
「あはは、話してばっかりじゃん。でも、のんびり過ごせたみたいでよかったです」
「そうですね。ですが、あなた達が戻ってきてからは少し大変でした。鬼塚は意識を失ったあなたを背負っていて、それを見た玲奈さんは、あなたが死んでしまったのではないか、とそれはそれは取り乱していました」
「そうだったんですね」
「はい。しばらくして彼女は平静を取り戻しましたが、それでもやはりあなたのことが心配だったようで、あなたが目を覚ますまで待つと言っておりました。しかし、あまり帰りが遅いとご家族も心配するでしょうから、なんとか説得して帰っていただくことにしました」
「なるほど。ありがとうございました」
「いえいえ。ワタシは何も。それにしても、彼女はお強い方ですね」
「玲奈が強い?」
「はい。彼女は本当に意志がお固い方のようで……」
「あはは。意志が固いってのは、つまりは頑固ってことですね」
「そうとも言うかもしれませんね」
「あはは」
木暮さんと会話をしていく中で、寝ぼけていた俺の意識がずいぶんと目を覚ましてきた。もう身体を動かしても問題なさそうだ。
「それじゃあ、俺も帰りますね」
「鬼塚が戻ってくるまで、お待ちになったほうがよいのでは? 最近この辺りで不審者が目撃された、という情報を耳にしました。1人でお帰りになるのは危険ですよ」
「早く帰って自分のベッドで落ち着きたいんです。それに、もしものことがあれば、ライオブカラムの力で何とかしますから大丈夫ですよ」
「……そうですか。そこまでおっしゃるのなら止めませんが……どうか気をつけてお帰りください」
「はい。ありがとうございます。それでは」
席を立ちコツコツコツと木の床を鳴らしながら出口へ向かって歩き、やがて扉の前まで来たところで、木暮さんに会釈をしようと振り返ると、木暮さんが切なそうな表情でこちらを見つめているのが目に入った。
木暮さんはこちらの視線に気づくと、すぐに慣れた笑顔を見せ会釈をしてきた。
俺は会釈を返してから向き直り、扉を開いて外に出たところで「うわぁ」と思わず声を出した。
カフェに居るときは感じなかったモワッとした熱気が外の空気には充満していたのだ。
「あつぅー」とぼやきながら、自宅へ向かって進む。セミが鳴いていた。何のセミかはわからない。風鈴の音も時々聞こえた。空は暗いが、暗すぎるということはなかった。星もたくさんは見えなかった。そして今歩く道が大通りではないためか、人の姿は見えなかった。
「季節を感じるなー」
とりとめもなく、感想を述べる。誰に向けてでもなく、ただ虚空に向けて述べた――はずだった。
「そうですね」
背後から声がした。振り返ると、5mほど先に見るからに怪しい人がいた。そいつは、ジップアップタイプのパーカーをジップを閉めずに羽織りながらも、フードをかぶっていた。
俺もパーカーを着ることは多く、フードをかぶることもあるが、どういうときにフードをかぶるのかというと寒い時だ。フードをかぶることで多少は暖かくなるのだ。そしてその時はもちろん、パーカーのジップは閉めている。そのほうが暖かいからだ。
その考えに基づくと奴はチグハグだ。暑いのか寒いのか、はっきりしない。いや、そもそも、この気温で寒いということはありえない。つまり、奴がフードを被っているのは気温とは別の理由。……それはきっと、顔を隠すためだ。その証拠に奴はうつむきがちだった。
たぶん、こいつが噂の不審者だな。なるべく刺激しないようにして、うまくやり過ごさないと。
すぐにそう思えるほどに、この時の俺はそれなりに冷静だった。
「あの、あなたは誰ですか?」
「僕は、怪しい人じゃないよ。そう。怪しい人ではないさ」
「えっと、俺に何の用ですか?」
「欲しいものが手に入ったら嬉しいよね? そうだろ? そうだよね?」
どうにも奇妙な話し方が、より一層怪しさを増大させる。
その後、奴は顔を上げて、一歩こちらへ近づいてきた。
顔をあげれば顔を見られる可能性は上がるが、構わないのだろうか。と俺は疑問に思ったが、さすがに相手もそれなりに考えてはいるようだった。
奴はマスクで口元を覆っていた。つまり、素顔はほとんど見えていないということだ。
奴はまた一歩こちらに近づき、話を続けた。
「僕は欲しいものがあるんだ。だから、くれないか」
「えっと、何が欲しいのかよくわからないんですけど、あげられないですー」
やんわりと断ってみる。これで諦めてどっか行ってくれればいいんだけど。
「お願いだよ。僕にくれよ」
さらに一歩、こちらに近づく不審者。まだ3m以上距離はある。いきなり何かされる距離ではない。落ち着いていこう。
「あのー、もう遅いんで帰ってもいいですかね?」
「そっか。帰りたいんだ。……はは」
奴は渇いた笑いを吐いた後、うつむき立ち止まった。
さあ、どうするか。相手が諦めるまでこのまま話に付き合うか。走って逃げるか。それとも誰かに助けを求めるか。
奴がうつむいている間に奴から目を離し、ぐるりと身体を半周させて背後も含めた周囲をすばやく確認する。見たところ人影はなかった。どうやら、誰かに助けを求める選択肢はなさそうだ。
それに加えて、回転を終えて身体の向きを元に戻した瞬間に、走って逃げるのも難しいようだと理解させられた。
なぜなら俺が目を離した隙に、奴は俺のすぐ側、呼吸の音すらも聞こえそうなほどの距離まで近づいてきていたのだ。
いつのまに!?
「悲しいよ。僕は」
その言葉とは裏腹に、奴から感じるのは怒り――いや、焦りだろうか。とにかく危険な状況であることは間違いない。
話し合いでどうにかなるとも思えないし、そうなれば残る手段は1つ。
あれを使うしかない。
ライオブカラムよ。俺に力を!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます