第4話 提案

 目を開けると、木目調の天井が目に入った。


 俺は程よく柔らかいソファーの上で仰向けになっていた。


「ここは……?」


 天井から吊り下げられたオシャレな照明が、暖かみのある明かりで周囲を照らしていた。穏やかな気持ちを促す明かりに再び眠りを誘われそうになるが、鼻で息をするたびに感覚を刺激する大人な香りが、眠気を飛ばしていった。そう、コーヒーの香りだ。


 おそらくここはカフェだ。


 そう結論を出すとともに体を起こすと、木製の机と落ち着きのある色あいのソファーが空間にゆとりを持って並べられている様子が視界に映った。


 どうやら他の人はいないみたいだな。


「お目覚めですか?」


「うわあ!」


 不意をつかれて思わず大きな声が出てしまう。俺に語りかける声は視界の外、ちょうど左斜め後ろから聞こえた。


 振り向くとそこにはカウンターがあり、その奥におじさんがいた。白もしくは銀色の短めの髪で、白シャツとその上に黒色のベストを着ていて、ここのカフェの店主で間違いないと直感的に思える風貌だった。


「あ、あの」


「おはようございます。と言っても、今は夜なんですけどね。ほほっ」


「え、えーっと、あの、何がどうなって、俺はここに?」


 おじさんに問いながらも、俺は自分の記憶を辿った。


 覚えているのは、男から宝玉を受け取って呪文のようなものを唱えた後、光に包まれて目を閉じたところまでだ。次に目を開いたときには、ここにいた。つまり、俺はあそこで気を失ったのだろう。


「ああ、それはですね――」


 おじさんが話を始めようとしたタイミングに合わせたように、後ろの方から扉を開く音がした。


 首を反対側へグイッと動かすと、そこに映ったのはあの男だった。


「おはよう。と言っても今は夜だが。……ふっ」


「……」


「……」


「どうした? 2人とも黙って私の顔を見て」


 男はそう言葉をこぼしながら、俺の目の前に向き合って座った。


「いえ。何でもないです。それより、あなたが俺をここまで運んでくれたんですね?」


「ああ。だが、気にすることはない。こうなることはある程度予想していた。あの儀式の後に気を失うことは、まれにある」


「儀式……。そういえば、あの宝玉はどうなったんですか? 俺のところには見当たらないですけど」


「見えないが、たしかにそこにはある。宝玉は君の中に取り込まれたのだ」


「俺の中に……」


「色々と気になることはあるかもしれないが、ひとまず今日はもう家に帰ったほうが良い。家族が心配するだろう」


「そう、ですね」


「また明日、ここに来られるか?」


「はい。授業が終わったあとなら」


「了解した。それと、これを受け取ってくれ」


 男はハガキサイズくらいの紙切れを手渡してきた。そこには手書きの線や記号、それと文字が書かれていた。


 なるほど。これは地図だ。


 この地図にはカフェと学校の位置関係が示されているようだ。


「これでわかるだろうか?」


「はい。大丈夫です。ありがとうございます」


「うむ。出口は向こうだ」


 男が指差す方を確認した後、机を支えにするように手を付きながら立ち上がったところで、カウンターにいたおじさんに「お待ちなさい」と声をかけられた。


 そしておじさんは続けて、男に向かって「大事なことを言い忘れておるぞ」と言い渡した。


「むっ、そうか。すまないが、もう少しだけ話をさせてくれないか?」


「かまいませんよ」


 再び腰を下ろして、話を聞く態勢になる。


「君は、この事を誰かに話すつもりでいたか?」


「はい。もちろん」


「まあ、そうだろう。こんな奇妙な体験をしたら、誰かに話したくなってしまうのが、人間というものだ。……しかし、それは我慢してもらいたい」


「……」


「できることなら知られたくないのだ。特に、あの魔物のこと。――君も見ただろう? あんなものがこの世界にいると知ったら、たいていの人は生きた心地がしないだろう。不安は伝染し、やがて世界は闇に包まれる。……大げさに聞こえるかもしれないがな」


「みんな、俺の話を信じますかね?」


「君の話だけなら、戯言たわごとだと思われるかもしれない。だが、同じような体験談がいくつも出てきたら? 奇妙な生き物を見た、と言う人が何人もいたら? 塵も積もればなんとやら。噂はいつしか真実となる」


「そんなもんですかね……」


「どうやら、首を縦に振る気はないようだな」


「すみません」


「いや、決して君を責めているわけではない。それに、嘘をついてこの場をやり過ごされるより、よっぽど良い」


 男は腕を組み、「ふむ」と小さく声を出してから目を閉じて考えるような素振りを見せた。かと思えばすぐに目を開き、こう話した。


「それなら、ただ1人。君が信頼できる者ただ1人にだけ、この事を話しても良いというのはどうだろう?」


 おそらくこれは、相手側の最大限の譲歩だろう。これを退けるほど、俺も鬼じゃない。


「1人だけですか。わかりました」


「ありがとう」


「いえ。こちらこそ、ワガママ言ってすみません」


「気にすることはない」


「それじゃ、そろそろ帰りますね」


「ああ。また明日」


「気をつけて帰るんだぞー」とおじさんも陽気に声をかけてくれた。


「はい。それでは」


 外に出ると、すでに夜ではあるがまだほんのりと明るく、うす紫色をした空が目に入った。


 この時期になると、日が落ちるのが遅くなるな。


 それにしても、今日は少し蒸し暑いな。


 そういえば、そろそろ衣替えだな。


 そんな事を考えながら、薄明るい夜道を街灯を頼りに進んでいき、カフェと家の真ん中あたりまで来たところで


「不安は伝染し世界は闇に飲まれる……か」


 と、男の言葉を思い返した。


 世界が闇に飲まれるなんて壮大すぎる話だよなー。実感湧かないよ。でも、もし世界が闇に飲まれたとしたら、どうしようか。


 一旦、立ち止まって再び歩き出す。そして一歩か二歩か、そのくらい歩いてすぐに答えは浮かび上がった。


「その時は、俺が世界を光で照らしてみせるさ」

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