第3話 憧れ

 思わず声を漏らしてしまうが、声のボリュームはかなり抑えられていたので、彼らにこちらの存在を気づかれずにすんだようだった。


 男とゴブリンは睨み合って、攻撃を仕掛けるタイミングを見計らっているようだった。


 いや、これ、夢じゃないよな。大剣を持った男が音楽室にいるのも異様な光景だけど、それより、まさかゴブリンを見ることになるなんて。


 意地悪そうな顔、尖った耳、緑系統の色をした体、手に持った小さな棍棒。こいつを見たら、10人中9人が『これはゴブリンだ』と言うだろう。


 信じられないような光景に、鼓動は高鳴り体は震えだす。この震えは武者震いだ。


 体を強く抱きしめながら、扉の陰に隠れて状況を見守ること、数秒。事態は動き出す。


「ウオォー!」


 突如、雄叫びを上げながらゴブリンが男にとびかかった。


 対して男は、右手に握った大剣を体の左側の腰のあたりにくるように腕を曲げて構え、ゴブリンが到達するタイミングに合わせて腕を振り上げた。


 男の斬撃は見事ゴブリンに命中し、ゴブリンは高く打ち上げられ背中から地面へ落ちた。その後、ゴブリンは黒色の煙になって消えていった。


 男はその様を見届けた後、左手で右手首を握りながら右手をクイクイと動かした後、大剣を解いた。解いたというのは、その言葉の通りで、握っていた剣が粒子となって消えていったのだ。


 俺は思わず「す、すごい!」と小声で驚きの声を漏らしていた。


 彼は魔物を倒して世界を救うヒーローに違いない。つまり、俺の憧れが今、現実として目の前に現れたのだ。となれば、俺がこれからすべきことは決まっている。というか、すでに体は動いていた。


「あの、すみません!」


 俺は扉を勢いよく開けて、男の近くに駆け寄りながら声をかけていた。


「むっ!? まさか、こんな時間にここに人がいるとは……。君は、見たのか?」


 男は見るからに動揺していた。どうやら、先程の戦いは見られてはまずいものだったらしい。でも、そんなことは関係ない。


「はい! 見てました!」


「ふ、ふむ。はっきりと答えてくれたのはありがたい、かもしれないな……」


「それで、あの、俺も仲間に入れてください!」


「……うむ、どうやらやる気十分という感じのようだな。しかし、話には順序というものがあって――」


「結論は変わりません」


「なるほど。そうかもしれない。たしかに君の結論は変わらないかもしれないが……いや、そういうことなら、こちらも結論だけを言おう。ダメだ」


「えっ?」


「ダメだ」


「そんな……」


「そう落ち込むなことはない。君にはまだ未来がある。きっとまたチャンスが来るはずだ」


「そんな言葉は聞き飽きた! 俺にとっては、今が何より大事なんだ!」


 今ここに、待ち望んだ現実を掴むチャンスが目の前にある。そこに何かと理由をつけて、チャンスを掴むことに全力になれないようじゃ、結局何も得ることはできない。


 この時、この瞬間が、俺にとっての全てなんだ。


 溢れ出そうになる透明な想いを堪えながら、訴えるように男の瞳を見つめた。


「……熱意が有り余っているようだな」


「すみません。暑苦しくて」


「いや、構わない。情熱は若者の特権だ。それよりも……。すまないが、少しの間、目を閉じていてもらえないか?」


 なぜ目を閉じてほしいのかはわからなかったが、今は従うのが都合がいいと思った。


「わかりました」


 指の腹でおさえつけるように目を覆いながら、目を閉じてしばらく待っていると「やはりか」という男の声が聞こえた。


「どうかしましたか?」


「もう目を開けてくれていい」


 おさえていた指を、目尻の方向へ顔の皮膚に擦り付けるようにしながら滑らせてどかした後、力強く目を開くと、否応なしに視線を引きつけるものが、男の上向きの手のひらの上に握られていることがわかった。


 それは、神々しい赤色の光をまとう赤色透明の宝玉のようなもので、その球体の中にはなんらかの模様が浮かび上がっているように見えた。


「なんですか、それ?」


「これは希望だ。そして、君はこれを受け取る権利がある」


「えっと、わかったような、わからないような……」


「つまりこれは、君に力を与えてくれるものだ」


「俺に力をくれる――ってことは!」


「ああ。前言撤回だ。私たちの仲間にならないか?」


「ぁぇ!」という言葉にならない声が溢れ出る。体が熱い。変な声を出してしまって恥ずかしいからである。


「大丈夫か?」


「うゔん」と一つ咳払いをしてから、俺は続けて答える。「はい。大丈夫です。それと、よろしくお願いします!」


「よし。それでは受け取ってくれ。そして、唱えるんだ」


「唱える?」


「すぐにわかる」


 男が差し出す宝玉を受け取ると、たしかにすぐに理解できた。


「さあ! 唱えよ!」


 手にした宝玉を胸に当て、高らかに唱える。


「引き裂け! 烈炎の竜爪を今ここに!」


 宝玉がまとう赤色の光はさらに明るさを強め、まばゆい光を周囲に放った。その眩しさから、俺は思わず目を閉じた。


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