第2話 願い

 そうこうして、この日の授業を無事に終え、放課後を迎えた。


 放課後になると、クラスメイトたちは早々に教室から去っていった。皆、部活をしたり図書館や塾で勉強したり、帰宅をしたりすることに忙しいのだろう。


 結果的に教室に残ったのは俺と、隣の席の玲奈れなだけだった。


 玲奈とは同じ中学校に通っていたということもあり、今ではわりと仲が良く、休み時間や放課後に話をしたり、たまに一緒に帰ったりするほどの仲だ。


「玲奈はこの後どうする?」


「うーん、今日はこのまま帰ろうかな」


 玲奈は斜めに流した前髪をつまむように触りながら答えた。


「竜晴くんはどうするの?」


「俺は少し用事があるから、それを済ませてから帰るつもり」


「……そっか。今日も用事があるんだ。最近、忙しそうだね」


「まあな」


「じゃあ、そういうことなら、お先に。バイバイ」


 玲奈は立ち上がり、机の上のカバンを手に取り扉へ向かってゆっくりと歩き出した。


 俺は玲奈の後ろ姿をなんとなく眺めた。まっすぐ伸びた後ろ髪が、玲奈の動きに連動してゆらゆらと揺れる。そのさまが、なんか愛おしかった。


 少しして、玲奈は教室の扉を通り過ぎ、廊下に出た。その後、普通ならそのまま階段に向かって歩いていくはずなのに、玲奈はなぜか立ち止まった。


 どうしたんだろう?


 何かあったのか確認するため、玲奈のもとに向かおうと腰を上げかけたその矢先、彼女は振り返って、明るく笑いながら小さく手をふった。


 少し上げた腰を椅子に戻してから、俺が手を振り返すと、玲奈は前髪をポンポンと触ってから、顔のふちのあたりに伸びている髪に手を滑らせて、こちらをじーっと見つめた。


 いつもと様子が違うみたいだけど、どうしたんだろう?


 やはり気になるので、玲奈のもとに向かうため再び立ち上がろうとしたのだが、玲奈はクルッと後ろを向いて歩き出してしまった。


 俺はまたもや、少し上げた腰を椅子に戻す。


 なんかありそうだったけど、俺の気のせいだったかな。まあ、落ち込んでるとかそういう感じでもなさそうだったし、大丈夫だろう。


 玲奈が去ってからしばらくの間、頬杖ほおづえをつきながら校庭の方に視線を向けてボーッとしていると、空がオレンジ色に染まり始めてきた。


「さて、そろそろ行くか。俺は俺のやることをしないとな」


 両足を地面にしっかりと付け、机に両手をつき、折り曲げた肘を力いっぱい伸ばしながら体を持ち上げる。そして、完全に腰を上げきった俺は、その勢いのまま駆け足で別棟へと向かった。


 この学校には主な建物が3つあり、それぞれ本館、別棟、旧校舎と呼ばれている。


 いま俺がいるのは本館で、普通の教室や職員室、保健室などがある建物だ。そして、別棟は音楽室や実験室がある建物のことだ。残る旧校舎は、立入禁止になっており入ったことがないので詳しいことはよくわからない。


 そして、本館から別棟へ向かうためには1階の渡り廊下を通る必要がある。


 今いるのは本館4階。俺は素早く階段を下り1階に到着した後、怒られない限界の速さで廊下を走り、渡り廊下も速度を保ったまま通過して、無事に別棟に到着した。


 それから俺は別棟の階段を駆け上がり2階の実験室まで向かうと、扉を勢いよく横に滑らせて開けた。


 中に入ると、薬品の香りがわずかに漂っていることと、哀愁漂う夕日が室内に差し込んでいることがわかった。しかし、それ以外のこと――俺の望むようなことが、この部屋では特に起きていないこともわかってしまった。


「今日も成果なしか」


 ひとつ、小さなため息をつく。


 別に落ち込んでいるわけではない。ため息をつくまでがルーティンなんだ。いつものことなんだよ。


 そう自分に言い聞かせてからまぶたを閉じて、1つ2つ小さく息を吸って吐いて、ゆっくりとまぶたを開いた。


 わずかに形の揺れる風景。しかし依然として、オレンジ色の光が視界を占めたままだ。


 放課後の夕方に、人のいない別棟にただ1人でやってきた生徒。なにか不思議な出来事に巻き込まれるには、絶好の条件ではないだろうか。


 しかし、それも俺の間違った思い込みなのかもしれない。何日もこうしてきたというのに、何にも遭遇しない。


 強く望んでいれば、いつか願いが叶うはずだ。俺はそう信じている。


 でも、もしかしたら、本当にもしかしたら、望むだけでは何も叶えられないのかもしれない。


「まだまだこれからだ」


 できるだけ明るくそう言って、見慣れた風景に「また明日」と別れを告げた。


 実験室を出ると、別棟の出口の方から廊下をつたって流れてきたほのかに温かい風が、俺の頬を優しく撫でるように触れた。


「女神っているのかな?」


 と何気なく声に出す。誰に向けた言葉でもない。深い意味もこれっぽっちもない。


 ただ願うように天を仰いでみると、それと同時に上の階からガシャーンと机が倒れたような音が響いた。


「うわっ!」


 上を向いた状態で勢いよく口を大きく開いて声を出したため、喉のあたりをつりそうになる。


 なにが起きたんだ!? 誰かいるのか!? 


 上の階は音楽室だ。はやる気持ちを抑えるように、両手で顔をギューと押しながら力強く目を閉じて大きく息を吐く。


「よし!」


 力強く目を開き、なるべく迅速に、かつ音を出さないように階段を駆け上がった後、壁に体を添わせ廊下の方を覗く。


 人影はない。となると、やはり音楽室の中か。


 気配を消すようにひっそりと扉まで近づき、少し開いていた扉の隙間から中を覗くと、そこにいたのは大剣を持った1人の男と……。


「ゴ、ゴブリン!?」


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