第22話


 さてさて。時の流れは万人に平等。私達の気持ちなど知る由もなく、舞踏会の時間がやってまいりました。

 朝からお肌や髪の手入れをし、日が落ちる頃になってようやくドレスの準備が終わりました。編み込まれた髪に飾りを色々つけられたので、頭が重たいです。馬車の振動で髪型が崩れないか心配になります。

 同乗者全員が沈黙している状況に比べれば、些細な心配でございますが。


 今、馬車に乗っているのは、私とウィステリア様、そしてグレード公爵の三人です。

 ウィステリア様とグレード公爵は昨日から引き続き喧嘩中のため互いに口を開きません。そこで、私が場を取り持つべきだろうと何度か会話を試みたのですが、


「晴れて良かったですね。雨や泥でドレスが汚れなくて済みましたわ」


「よかったな、ラヴィ……」


「そうだな……」


「……その、他の方々とお話するのが楽しみでございますね。何せ、私、舞踏会に参加するの初めてですから」


「ああ、楽しめるといいな……」


「そうだな……」


「………」


「………」


「………」


 会話が続きませんの! 途切れますの! 途中で!!

 ウィステリア様は緊張していらっしゃるのか心ここにあらずですし、グレード公爵に至っては相槌しか打ってくれません。こんな空気になるなら馬車を分けてもらえば良かったです。窮屈なコルセットも相まって、お腹が痛いですわ。気まずい、気まずいです。

 地獄のような空気をたっぷり堪能した後、ようやく馬車は目的の王城に辿り着きました。


「あれは……グレード公爵家の」


「今日はウィステリア様もご参加するのですね」


「まあ。幸運ですわ。あの美しい氷の貴公子がお見えになるなんて――!?」


 ウィステリア様にエスコートされて馬車を降りれば、周囲がざわついたのがわかりました。


「女性!? ウィステリア様に!?」


「ご婚約された噂は本当でしたの!?」


「あの方は一体どこのご令嬢なのでしょうか……?」


 王家が主催しているだけありまして、煌びやかな衣装を身に纏った方々が、次々と来場していきます。想像以上の反応をする周囲と、突き刺さる数多の視線に、私は少々不安になりました。

 まだ入場していないのにこのざわつき。会場に参加したらどうなるのでしょう。グレード公爵が危機感を覚えるのも無理ありません。ウィステリア様の影響力を甘く見積もっていました。反省です。

 グレード公爵が先に入場し、私達が後に続こうとします。会場へ伸びる赤い絨毯の踏み心地は何とも言えません。柔らかいのか、固いのか、私には判断つきませんでした。


「ラヴィ、大丈夫か?」


 緊張が伝わったのでしょうか、ウィステリア様がそっと耳打ちしてきます。私はわざと肩を竦めました。


「馬車での静寂の方がよほど堪えました」


「そ、それは……すまない」


「なので、しっかりエスコートをお願いします。ウィズ」


 私は手を差し出します。ウィステリア様は二度瞬きをしたあと、私の手を取って微笑みました。


「ああ、もちろんだ」


「ダンスの特訓の成果も披露しましょう」


「ああ」


「もしかしたら人生で最初で最後の舞踏会になるかもしれませんし」


「………」


「冗談ですよ」


「ラヴィの冗談は稀に笑えない」


 軽口を叩きながら、私達は絨毯を歩き、扉をくぐりました。


 会場として使われている踊りの間は、まさに絢爛豪華です。輝くシャンデリアに、細工の凝った内装の数々。宮廷音楽家の演奏は場を彩り、参加者はお喋りに花を咲かせていました。


「あら、ご覧になって……」


「まあ、ウィステリア様が」


 私達の姿に気づいた方々が、皆口を揃えて驚きます。


「あの黒髪の方が、噂の婚約者?」


「ロシェル家のご令嬢らしい。ほら、相続税で破産した……」


「ああ。政敵に嵌められた侯爵家の」


 ウィステリア様だけではなく、ロシェル家の聞いたこともない噂まで流れています。皆様どういった情報網をお持ちなのでしょうか。娘の私ですら初耳のものがいくつかあるのですが。


「気にするな、ラヴィ。こういった場の噂話は面白おかしく盛られている。聞き流せばいい」


 ウィステリア様が気を使ってくださいました。私は頷いて気を引き締め、公爵と共に主催者である国王夫妻に挨拶を済ませます。

 さすが王族というべきか、品格がありながらも親しみやすい方でした。私への反応も好意的でしたので、ほっと胸を撫で下ろします。ここで粗相を起こしたら目も当てられません。一先ず、最初の難問は解決できました。


 本題はこの後。

 グレード公爵との挨拶回りです。


 公爵は私達の社交性を見定めるため、二つの課題を出しました。

 一つは、グレード公爵家と関わりのある貴族には必ず声をかけること。もう一つは、絶対に揉め事を起こさないこと。

 この二つを無事達成できれば、婚約は続行。できなければ解消すると、公爵は仰いました。

 舞踏会前に聞いた際は簡単に思えましたが、なるほど、ウィステリア様の知名度を考えれば中々困難な課題です。特に後者。すでに好奇の視線に混じって、妬み恨みがひしひしと伝わってきております。

 このような状況にあのウィステリア様を放り込めば、暴走してしまうのではないかと公爵が心配するのも無理ありません。実際、ウィステリア様は周囲に良い顔をしておられません。見慣れた真顔でいらっしゃるのに、どこか不機嫌です。そうこうしている内に、年配のご夫婦がグレード公爵に親し気に声をかけました。

 いけません、ウィステリア様がこのままでは。私は慌てて、彼の裾をこっそり引っ張ります。


「ウィステリア様、お約束を忘れないでくださいね」


「大丈夫だ、ラヴィ。あなたに心配はかけない」


 ウィステリア様が短く答えた直後、グレード公爵がお知り合いに私達を紹介します。


「こちらは息子のウィステリアと、その婚約者、ロシェル侯爵家のご令嬢、ラヴァンダ嬢です。二人とも、こちらはルカノール辺境伯夫妻だ。私の父の代から世話になっている方々だ」


「お初にお目にかかります。ウィステリア・ヴァン・グレードと申します」


「ラヴァンダ・ラ・ロシェルでございます。お見知りおきを」


 隣にいたウィステリア様が一歩進み出て、優雅な動作で礼をしました。私も彼に倣い、スカートの裾を持ち上げ、頭を下げます。

 ルカノール伯は目の皺を深め、にこりと人当たりの良い笑顔を浮かべます。


「ああ、君がギルバートの息子か。すまないね、挨拶が遅くなって。老いぼれに舞踏会は荷が重くてな」


 隣にいたルカノール夫人が、持っていた扇を揺らし、楽しそうに仰います。


「今回も、久々の参加なのよ。はやく孫に任せて、夫婦ともども領地に引きこもっていたいんだけどねぇ」


 優し気に見える彼女の目が、私を捉えました。


「孫娘の求婚を断って、代わりに婚約したご令嬢がどんな淑女なのか、気になって。ふふ。可愛らしいお方ですこと」


 圧力! 圧力が凄まじいですわ! おっとりした顔から放たれるものではありません!

 ルカノール夫人の眼力に気圧されていると、ウィステリア様が前に庇うよう前に出てくれました。


「ルカノール夫人。その節はご迷惑をおかけしました」


「あら。『氷の貴公子』が謝るなんて。うふふ、よっぽどラヴァンダ嬢が大事なのね」


 言葉は優しいですが、声に棘が含まれております。二人のやり取りを、グレード公爵がじっと見守っています。

 裏があるのでしょう、と言いたげな夫人に対して、ウィステリア様は、


「ええ」


 ふわりと、微笑みました。


「愛しています。ラヴァンダ嬢を」


 ちらりと一瞥しただけでも神々しさを感じるウィステリア様の微笑に、ルカノール伯は目を丸くし、夫人はぽろりと扇を落としかけます。グレード公爵も目を瞬かせ、ついでに通りすがりのご令嬢が小さく悲鳴を上げる中、ウィステリア様は胸に手を当て、ほんの少しだけ首を傾げます。


「求婚の件は大変失礼しました。ですが、ルカノール家とグレード家の縁は他の形でも結ばれるはず。今後も善きお付き合いを、是非ともお願いします」


 ウィステリア様は微笑んだまま、辺境伯夫妻を窺います。二人は、特にルカノール夫人はウィステリア様の雰囲気に飲まれたのか、先ほどとは打って変わって柔らかい態度で仰いました。


「……そうね、ごめんなさい。大人げなかったわ。グレード家とは長い付き合いだもの。些細なことは水に流しましょう」


「ハハハ、すまないね。妻は孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっているんだ。気を悪くしないでくれ。こちらとしても、今後も長い付き合いをお願いするよ」


 ルカノール伯の握手に、ウィステリア様が応えます。一連の流れに、私は喜びのあまり心の中で両手を上げました。

 よし!! 作戦は成功です!! 「とにかく笑顔で誤魔化す」作戦が成功しましたわ!!

 ウィステリア様と私が事前に決めていた約束事。それは、常に愛想を大事にすることです。ウィステリア様の容姿ならば、ただ微笑んでいるだけでも相手に好印象を与えます。本人曰く表情を変えるのが苦手とのことですが、昨夜特訓したおかげで何とか形になりました。美形ってお得ですね。持っているものはじゃんじゃん使っていきましょう。


「それでは、私達はこれで」


「是非二人の結婚式には呼んでくださいね」


 いくつか雑談をした後、私達はルカノール伯夫妻と別れました。心なしかウィステリア様が誇らしげな顔をして、グレード公爵に仰います。


「どうですか、父上。私はラヴィに現を抜かしておりましたか?」


「……まだ始まったばかりだろう。そういうことは終わったあとに言うものだ」


 公爵は素っ気なく応え、ウィステリア様に背を向けます。ウィステリア様は一瞬だけ悲し気に眉尻を下げましたが、すぐ「仰る通りです」と気を持ち直しました。


「次に行きましょう。夜は、これからなのですから」


 公爵は黙って私達の前を歩き、ウィステリア様はその後を付いていきます。

 お二人の仲直りは、まだまだ先が長そうです。


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