第20話
嫌な予感は的中し、早速問題が発生しました。
当然と言えば当然なのですが、別人のようになったウィステリア様に、屋敷の方々はそれはそれは大変驚かれました。
なぜなら、ウィステリア様が豹変してからというもの、彼は人目を気にせず、私への愛を囁くのです。
例えば、朝食時。
「おはよう、ラヴィ。今日も美しいな。天使が舞い降りてきたかと勘違いしてしまった。好きだ。愛している」
朝の挨拶と共に愛の言葉が飛んでくるのは序の口で、私が挨拶ついでに「今日もいい天気ですね」と返すものなら、
「どんな悪天候でもあなたという太陽がいれば、私の心はいつも晴れやかだ。今日が晴天でよかった。皆青空に気を引かれて、ラヴィの美しさに気づかない。私だけが、あなたの輝きを独り占めできる」
およそ数倍の口説き文句が返ってきます。ウィステリア様、案外ポエミーですね。詩歌でも嗜んでいらっしゃったのでしょうか。
また、お仕事から帰ってくる際には。
「ラヴィ、ただいま。早く会いたかった。今日は一日どうだった? ツイていない日だったのなら、今からありったけの幸せを。良き一日だったのなら、それ以上の幸福を。あなたに捧げたい」
「おかえりなさいませ」の「お」を発する前に、怒涛の愛の言葉が飛んできます。ウィステリア様は惚れた相手にとことん尽くしてしまう性質のようです。放っておくと貢いでこようとするものですから、見張っておく必要があります。無駄使いはいけませんよ。
でも、治療をする時は。
「………」
無言になるんですよ、ウィステリア様。顔を赤く染めて。借りてきた猫のように大人しくなるのです。
先ほどまでの饒舌はどこにいったのやら。私が彼の頬に手を当てると、気まずそうに視線を動かしました。
「ラヴィ。今更かもしれないが、その……」
ウィステリア様は額に汗を浮かばせ、言いました。
「恥ずかしくないか? この距離は」
本当に今更でございましたわ。
手の甲にキスしたり身体を引き寄せたりするのは平気なくせに、突然思い出したかのように照れるのは卑怯だと思いません? 天然ぶりが健在とでも言うべきでしょうか。それとも、自分から触れるのは平気でも、私から触れられるのは恥ずかしいのでしょうか。納得いきませんね。
さて、なぜ口説かれている張本人が冷静なのかというと、至極明快。慣れたからです。
元々「自分の力で解決できない事態はそのまま流れに身を任せる」が、私のスタンスでしたから。ウィステリア様の口説きは止めても止まってくれないので、無駄な抵抗はやめました。そう決めたら三日目ぐらいで慣れましたわ。我ながら素晴らしい順応力。内容を噛み砕けば以前の彼も無自覚に似たような発言をしていたのでは、と最近考えるようになりました。おそらく気のせいです。
しかし、私はともかく、使用人の方々はそう簡単に身を任せられません。
最初から契約結婚だとバレていましたから、ウィステリア様が急にああもなれば、慣れるどころか裏を勘ぐっても仕方ないです。逆の立場だったら私も同じ反応をします。
そして、使用人の報告先は、もちろんこの家の当主。
グレード公爵です。
公爵は忙しい方なので、領地と王都を行ったり来たりしています。だいたい七日から十日ほどの周期で。ちょうど舞踏会の前日の夜に、公爵は王都を訪れていました。
「ブラッドリーから聞いたが、何やらウィステリアの様子がおかしいようだな。ラヴァンダ嬢に迷惑をかけているだとか」
公爵を出迎えれば、早速労いの言葉をかけられました。ブラッドリーさんがどんな報告をしたか存じ上げませんが、公爵はウィステリア様の容態を軽視している様子でした。
「婚約者同士、仲が良いのは私も喜ばしいが、いかせん執事に心配される様子なら私も注意しなければならん。無粋だが、明日まで邪魔させていただこう」
グレード公爵が事の深刻さに気づいていない発言をした直後、ウィステリア様が帰ってきました。
ウィステリア様は父の訪問に驚き、戸惑いながら挨拶をします。
「……父上、こちらに来ていたのですか。仰ってくれれば迎えを寄こしましたのに」
久々に仏頂面のウィステリア様を見たかもしれません。あれは無愛想というより、どこか緊張している面持ちです。グレード公爵は構わない、と手を振りました。
「仕事中だろう? 野暮用を済ませに寄っただけだ、気にするな。明日には帰る」
「……そうですか。かしこまりました。――ああ、ラヴィ。ただいま」
公爵の後ろにいた私に気づき、ウィステリア様がふわりと笑いました。
そして、私が「おかえりなさいませ」の「お」の発音をする前に、
「会いたかった、ラヴィ。仕事中に何度もあなたのことを思い出し、あなたが隣にいない現実が憂鬱だった。だが、屋敷に帰ればあなたは私を出迎えてくれる。これほどの幸福を前にすれば、仕事中離れている時間も些事に近い。私は幸せ者だ。愛している、ラヴィ。命など惜しくないほど、愛している」
「?」
公爵が目を丸くしました。
「おかえりなさいませ、ウィステリア様」
「ふふ、ラヴィ。父上の前だから『様』付けなんてしているのかい? 二人きりのときと同じように『ウィズ』と呼んでほしいな。親しき中にも礼儀ありというが、ラヴィのよそよそしい態度は、心にくる。無理だ、耐えられない。悲しい。泣いてしまう。泣いていいか?」
「ダメです。我慢してください、ウィズ」
「ああ、すまない。私は我儘だな。あなたが私の名前を、それも特別に、親しみを込めて呼ぶのにも、心が耐えられそうにない。胸の内から湧き上がってくる多幸感に、歓喜の悲鳴を上げてしまいそうになる。私の幸せを満たしてくれるあなたに、せめてもの恩返しとして、愛を囁かせてください。ラヴィ、好きです。愛しています」
「??」
凄い。声を出していらっしゃらないのに、公爵の困惑がありありと伝わってきます。
グレード公爵は一度目をこすったあと、ウィステリア様の名を呼びました。
「ウィ、ウィステリア……?」
「どうしました、父上?」
ウィステリア様は一瞬で氷の貴公子らしい無表情に戻りました。息子の豹変ぶりに、公爵は目を瞬かせます。
「幻覚か……?」
「残念ながら現実です。そうですよね、ウィズ」
「ラヴィの愛らしさがあまりにも現実離れしているという話か? 確かに、ラヴィは私にとっては眩しすぎて、吟遊詩人の歌のような不確かさを抱えているのは事実だ。たまに都合の良い夢だと疑ってしまうこともある。だが、ありがたいことに、ラヴィは現実にいる。あなたに触れたときの熱が、何よりの証拠。ああ、ラヴィ。愛している」
「………」
公爵はどうやら現状の深刻さに気づいたようです。口を手で押さえて、ブラッドリーさんをちらりと見ました。屋敷に長年仕えてきた執事は神妙に頷きます。公爵は私達に視線を戻し、ウィステリア様に仰いました。
「……ウィステリア」
「先ほどから何でしょうか、父上。私に言いたいことでも?」
「その、だな。ラヴァンダ嬢と仲が良いのは構わないが、もう少し人目を気にしなさい。お前の行為は、目に余る」
ウィステリア様は不服気に反論しました。
「失敬な。私がラヴィを好きなのは事実ですが、きちんと時と場所は考えています。子供ではないのですから。感情を抑えることぐらいできます」
これで抑えていたのですか!? 嘘でしょ!?
発覚した新事実に、私は驚愕し、公爵は頭を抱えます。
「こいつは0か100しか知らないのか……? いくらなんでもこれは……ああ、変なところでリーゼに似て……」
ぶつぶつと呟いた後、公爵は咳ばらいをし、乱れた襟元を正しました。
「ウィステリア。確か、明日、王家主催の舞踏会に出席する予定だったな?」
「……? はい、そうですが」
ウィステリア様が訝し気に返答すると、公爵は意を決した顔で仰いました。
「ならば、私も参加しよう」
グレード公爵は鋭い眼光で、私達を捉えます。
「明日、私は二人の社交性を見定める。そこで、二人とも私の合格基準に達せないようならば――」
ん? あれ?
今、二人と言いましたか?
もしかして、私、巻き込まれてい――
「お前達の結婚は認められない。即刻、ラヴァンダ嬢との婚約は無かったことにしてもらう」
とんでもない急展開に、なってしまいました。
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