第15話

 いつの間にか目の前に近づいてきていたトアイトン代表が、ウインクしながら手を差し出してきます。私は何とか笑顔になって彼の握手に応じます。ものすごく癖の強い方ですわ。今日一日の記憶は全て彼の印象で潰されそうなくらいです。


「トアイトン代表、初対面の人間に図々しいです。ラヴァンダ嬢が困っているでしょう。やめてください」


 ひぇ。ウィステリア様、怖いですわ。

 ウィステリア様が背景に豪雪を降らしながら、絶対零度の視線をトアイトン代表に向けています。ですが、代表は特に気にした様子もなく、ウィステリア様の隣にドサッと座り、やれやれと首を横に振ります。


「氷の貴公子は頭が固いわね~。公式の場じゃないんだから大丈夫よ、少しくらい。それより、ジェフリーがアンタのこと探していたわ。急ぎの話だったから、先に片づけてきなさい。休憩はその分伸ばしていいから」


 トアイトン代表の言葉に、ウィステリア様が「ジェフリーがですか?」と眉を顰めます。


「……わかりました。ラヴァンダ嬢、すまない。少し待って貰ってもいいだろうか」


「はい、お気になさらず」


「私がラヴァンダちゃんをもてなしておくから大丈夫よ~。はやくいってらっしゃ~い」


「………」


 ひらひらと手を振るトアイトン代表をウィステリア様は無視し、隣の部屋に移りました。

 さて、初対面の男性と二人きりになってしまいましたが、全く知らない方というわけではありません。

 エドワルド・ドゥ・トアイトン伯爵は魔術師の中で一番偉い宮廷魔術師代表であり、ちょっと奇人ですがとても見目麗しい方だと聞いております。

 ウィステリア様が氷の貴公子なのに対し、トアイトン代表は春風の君と呼ばれ、甘い風貌と紳士的な性格で有名だったはずですが……


「それにしても、ラヴァンダちゃん凄いわね~。あの堅物を落とすんだもの! 一体、どんな手を使ったのよ~!」


 うーん。想像上の人物とは全くの別人。噂とは頼りにならないものですわ。


「ウィステリア様との馴れ初めは、お恥ずかしいのでまたの機会に……」


「きゃ、初々しい~。可愛い~」


 私はもじもじと恥じらい、顔を逸らしました。もちろんわざとです。この手の馴れ初め話は少しでも話してしまうと根掘り葉掘り聞かれます。話題をそれとなく変えるのが一番です。

 何故か楽しそうなトアイトン代表に、私は尋ねました。


「それよりも、私、職場でのウィステリア様のことをお聞きしたいですわ。普段、ウィステリア様はどのように働いているのでしょうか?」


 トアイトン代表は女性らしい仕草で頬に手を添え、「そうねぇ」と呟きます。


「いつもあーんな感じよ。ツンツンしているわ。氷柱みたいに。でも、難しい仕事を難なくこなすし、判断も早い。人付き合いは難ありだけど、優秀な魔術師って評価ね。以前までは」


「以前までは、ですか?」


 私がつい聞き返しますと、トアイトン代表はにっこりと笑顔を浮かべました。


「ええ。最近、ウィステリアったら変わってきたのよ。といっても仕事人間だったのが、職場で徹夜をしない、夕食に間に合うよう家に帰るとか、休日はちゃんと休む、ちょっとした雑談で冗談を言うとか、その程度だけど。私は今の彼の方が好きよ。前は辛気臭くて苦手だったけど、今は人間臭くて私好みだもの」


 「狙っちゃおうかしら~」と冗談めくトアイトン代表に、慌てて私は「ダメです!」と首を横に振ります。今こそ婚約者としての仕事、女性除けに……あれ、この場合は男性?……とにかく、盾にならなければ!


「ウィステリア様は! 私の……こ、恋人なので、狙わないで、ください……」


 口に出すと滅茶苦茶恥ずかしいですわ! 最後の方など恥ずかしさのあまり俯いて、蚊の泣くような声しか出せませんでした!

 顔が熱いです。おそらく、耳まで真っ赤になっていますわ。恥ずかしい。

 照れた私の様子を丁度よく勘違いしてくれたのか、トアイトン代表は手で口を覆い、目を輝かせました。


「やだ! 可愛い!! 健気!! ごめんなさい、からかっちゃって。私の好みは脳筋男だから安心してちょうだい。冗談でも、もう言わないわ!」


 そして、トアイトン代表は私の肩越しに声を張りました。


「ねえ! ほら、そこで突っ立ってないでこっちに来なさいよ! ウィステリア!」


 ……え、ま、まさか。

 私はぎこちなく後ろを振り向きました。

 すると、部屋の奥でウィステリア様が驚いた顔をして、私を凝視しているではありませんか。


「………」


 目が合ったにも関わらず、ウィステリア様は何も仰りません。

 ……やってしまいました。契約結婚のくせに、勘違い女だと思われましたわ。完全に。


「うぃ、ウィステリア様。あ、あの、ですね、これは」


「あらやだ~。ラヴァンダちゃん、照れてるの!? もうそういうところも素敵~! 私、二人のこと応援するわ~~!!」


 ウィステリア様に弁明しようとするも、トアイトン代表に遮られてしまう。


「何か困ったことがあったら相談してちょうだい。国家反逆以外なら力になれるわ! 是非とも頼ってね」


 先ほどの謝罪の意味も込めてか、それとも彼なりの挨拶なのか、トアイトン代表が私の手をぎゅっと握ります。

 と、その時、



「――代表」



 力強く肩を後ろに引っ張られ、腕を掴まれました。

 いつもの冷たい体温が、手袋越しに肌に伝わってきます。



「いい加減、馴れ馴れしいです」



 掠れた低い声は聞きなれず、おそるおそる見上げると、目が据わったウィステリア様が、私の後ろに立っていました。

 ひぇぇぇぇ。怖い、怖いです。先ほど怖いと思ったときよりも恐怖が五割り増しになっています。ウィステリア様の豹変っぷりにトアイトン代表も目を丸くしています。まずいですわ! なんとか空気を元に戻さなければ!


「あの、ウィステリア様……?」


 とりあえず名前を呼びますと、ウィステリア様がハッと動揺しました。私から手を離し、首を傾げます。


「……? すまない、ラヴァンダ嬢。なぜか急にトアイトン代表に苛ついて……いや、代表の態度に腹が立つことは普段からなのだが……」


「びっくりましたが、私は大丈夫です。私より、トアイトン代表の方が驚かれたのでは――」


 目の前の代表に視線を戻せば、彼は脚を組んでにんまりと笑っていました。まるで、悪戯っ子が悪戯を思い浮かべたような笑顔です。


「あらあらあらあら、うふふ。ふふふふふ」


「代表。何故笑っているのかは置いといて、私は休憩を切り上げて仕事に戻るので、ラヴァンダ嬢の相手はもう結構です。ありがとうございました」


「え、もうお仕事に戻られるのですか?」


 ウィステリア様全然お休みになっていないではありませんか。心配する私に、ウィステリア様は申し訳なさそうな顔します。


「すまない。呼び出された仕事が思ったより長引きそうでな。こちらに戻ってきたのも、ラヴァンダ嬢にそれを伝えるためだ」


「ウィステリアが切り上げるなら、私も仕事に戻りますか。ラヴァンダちゃん、今日はお話できて楽しかったわ。また遊びに来てね。ああ、ウィステリアはしっかりラヴァンダちゃんを外まで送っていきなさいよ」


「ええ、そうさせていただきます。ラヴァンダ嬢、行こう」


 立ち去る雰囲気になってしまっては仕方ありません。私はトアイトン代表に礼を述べ、来賓室を退出しました。

 どこか気まずそうなウィステリア様と長い廊下を歩き、館の外に出ます。御者が馬車を用意している間、私はウィステリア様に謝罪しました。


「申し訳ありません、ウィステリア様。先ほどは差し出がましい真似を」


「何の話だ?」


「その、こ、恋人とトアイトン代表に説明したときです」


 私が目を逸らして答えると、ウィステリア様は何てことなさそうに「ああ」と納得しました。


「気にしていない。そういう契約だろう。むしろ、私の方こそ、あのとき……」


 ウィステリア様は最後まで言わず、黙ってしまいました。わずかに眉間に皺をよせ考え込む彼の頬に、うっすらと汗が浮いております。

 今日は日差しが強いですから、私には丁度よい暖かさでも、ウィステリア様には暑いのかもしれません。私はハンカチを取り出し、「失礼しますね」と断ってから、彼の汗を拭うついでに魔術を掛けました。

 ウィステリア様は最初驚きましたが、すぐいつもの魔術だと気づいたのか、「すまない」と眉尻を下げます。やはり暑かったようです。心なしか、顔色も悪く見えます。


「ウィステリア様、お疲れになっていませんか? あまり、お休みを取れていないでしょう」


 私はウィステリア様から手を離し、ハンカチを魔術で冷たくします。温度はウィステリア様の体温より少し低いぐらいを、保冷効果はとりあえず一日で。私は冷やしたハンカチをウィステリア様に渡しました。


「よろしければ、暑いと思ったら使ってください。少しは役に立つと思います。他に私にできることがあれば仰ってください。何でも協力するので」


「……ありがとう。助かる」


 ウィステリア様がハンカチを受け取ると、車輪が回る音が聞こえてきました。馬車の用意ができたようです。ウィステリア様が扉を開けてくださったので、私は礼を述べて馬車に乗りました。


「そういえば、父上と釣りをしたそうではないか」


 扉を開けたまま、ウィステリア様がぽつりと零します。

 私は話が読めなかったので、黙って彼の言葉の続きを待ちました。


「ラヴァンダ嬢。先ほどの言葉通り、早速、協力してもらってもいいだろうか。私も、その……」


 ウィステリア様は手に持っているハンカチを一瞥したあと、私に向かって仰いました。


「今度の休日、あなたと一緒に出掛けたい」


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