第12話

 その件以来、私とウィステリア様は、ダンスの練習や治療のとき以外でも会話をするようになりました。

 以前は食事を一緒に取っていても無言だったのですが、今は互いの趣味を話すほどの仲になったほどです。因みに、ウィステリア様は彫刻が趣味とのこと。鑑賞するのも自分で造るのもお好きらしいです。自作のチェスの駒を見せてもらいましたが、とてもお上手で驚きました。手先が器用なのですね。

 ウィステリア様のご好意で、私も彫刻に挑戦してみました。不格好な熊の木彫りができあがりましたわ。やはり、最初からそう上手くできません。時間はたくさんあるので、地道に腕を上げていくことにしましょう。

 

 私がウィステリア様の趣味に嵌ったように、彼もまた、私の暇つぶしに興味をお持ちになってくれました。

 王都の港に行ったとき、私はピンと閃いたのです。

 午後の暇つぶしに、釣りはいいのではないかと。

 外出もできて、適度に疲れる。昼間は魚を釣るのに適していませんが、釣れなくても困りませんし。仮に釣れたとしても、一匹二匹ぐらいなら、すぐに調理できて夕食で食べきれます。この前は湖で亀が釣れたので、屋敷で飼うことになりました。名前は亀なのでカメちゃんです。


 犬猫が苦手なウィステリア様も亀は平気なようで、よく餌をやっています。無表情なのでわかりづらいですが、カメちゃんのことを気に入っているようです。その証拠に、先日、頭を撫でたら手の冷たさに驚いて顔をひっこめたカメちゃんに「すまない」としょんぼりなさったり、野菜を食べるカメちゃんをモデルに彫刻を造ったりしていました。面白いお方です。

 釣りにもご興味を示していたのですが、昼間は仕事があるうえ、気温が高い時間帯はできるだけ外に出ないといった理由から、まだウィステリア様と釣りをしたことはありません。なので、今度の休日、早起きが苦手でないのならば朝釣りに誘ってみようと考えております。また湖で亀を釣ってきて、カメちゃんと一緒に飼うのも面白そうですわ。ウィステリア様も喜びそうですし。


 そうこうして過ごしているうちに、公爵家に来て一か月が経ちました。

 社交界のシーズンが始まるまで、あと半月を切りました。つまり、舞踏会に参加するまでもあと二週間ほどです。

 ドレスはほとんど完成していて、明日の午後、最終チェックも兼ねて取りに行く予定です。今日の私はいつも通り暇ですから、昨日と同様、釣りをしに行こうと考えていたのですが……。


「昼間から釣りとは。ご令嬢にしては中々渋い趣味をお持ちだな、ラヴァンダ嬢」


 なぜか、グレード公爵が付いてきてしまいました。

 王宮に用があるため、一昨日から公爵は領地から王都の屋敷に寝泊りしています。ウィステリア様と同様、もしかしたらそれ以上に忙しい公爵ですが、今日の午後は急遽予定が空いてしまったと言って、私の釣りにご同行なさりました。どうして?


「ブラッドリーから話を聞いたからだ。ウィステリアが最近、亀を可愛がっていると。そして、その亀はラヴァンダ嬢が釣ってきたものだと。あの動物嫌いな愚息が珍しいと思ったが、なるほど。そういうことなら、一度自分の目で確かめてみよう、とな」


 そういうこととはどういうことなのでしょうか。

 グレード公爵の真意は汲み取れませんでしたが、ウィステリア様と私の関係が気になっているということは何となく察しました。公爵は、釣り竿を持って海面を眺めていました。


「ラヴァンダ嬢。ウィステリアとは、上手くやれているか?」


「ご心配なさらずとも、ウィステリア様には十分良くしてもらっています。彼には感謝してもしきれませんわ」


「世辞は不要だ。ウィステリアの対人関係に難があることぐらい、親の私が理解している。あなたも、致命的に嘘が下手な愚息に驚いていただろう」


「……そ、そんなこと、ありませんわ」


「ウィステリアを庇わなくても良い。それに、あなた達二人が本当の恋人ではないことぐらい、とっくに調べはついている。ラヴァンダ嬢には悪いが、ロシェル侯爵夫妻にも会ってきた。あなたのご両親は、中々強かであるな」


 やっぱり私達の関係は公爵にバレていました。当然ですね、使用人にもバレバレなのですから。

 そしてまさか私の両親に会いに行っていたとは。あの二人から何にも聞いていないのですけど。頻繁に手紙のやり取りをしているというのに。お父様とお母様、失礼なことしていませんよね? 怖くて真相は聞けませんが。

 苦笑いをして返答を誤魔化す私に、公爵は「責めているわけではないんだ」と続けました。


「私は、感謝しているんだ。ラヴァンダ嬢。あなたが来てから、ウィステリアが明るくなったと、ブラッドリーや他の使用人から聞いている」


 思いがけない言葉に、私は目を丸くしました。


「感謝など、恐れ多いです。私は特に何もしておりませんわ」


 本当に何かした覚えがありません。最近は、もっぱら釣りをするか石や木を掘っているか、あとはカメちゃんの水槽を洗っているぐらいです。ダンスも見れるぐらいには踊れるようになったので、この頃は三日に一度ぐらいしか練習していませんし、ウィステリア様の治療も毎日ではありません。あれ? こうして思い返すと私、公爵家で遊んでしかいないのでは? も、もしかして、先ほどの言葉は遠回しの嫌味では――


「ふっ。謙虚なご令嬢だ。そんな純情な性格が、ウィステリアの心を動かしたのかもしれないな」


 あっ、なんかいい感じにグレード公爵が笑ってくれました。良かった。嫌味ではなかったようです。


「ウィステリアがああなってしまったのは、親である私達のせいだ。私を嫌っているのも、無理もない」


 公爵は釣り竿を海から引き上げました。竿先には、何もかかっていません。


「母親であるリーゼがウィステリアに過保護だった分、私が厳しく育てねばと思い、あやつには無茶をさせた。リーゼが死んだあとは、なおさらだ。体質という不利を背負ってでも、一人立ちできるようにと。他人に頼らせない生きかたを教えた。恨まれても、仕方がない」


 釣り糸に餌をひっかけながら、公爵は暗い顔をして呟きました。


「可哀想な子だ。もっと、普通でさえいれば、今頃は……」


 そっと目を伏せる公爵は、傍から見ても我が子を憐れんでいる様子でした。

 ……ああ、なんとなく、理解してしまいました。

 ウィステリア様が私の機微を気にしていたのは、おそらく、実の父からの同情が原因。

 親からすれば、自分の子が背負う障害ハンデは、悲観したくもなるでしょう。愛情があればあるほど。何もおかしなことではありません。むしろ、親としては正しく、道徳的な反応でしょう。

 ですが、子供からすれば、両親からの「可哀想」は想像以上に心に残り続けます。

 私もそうでしたから。今の自分を否定するような言葉を、好きなお父様やお母様から聞かされるのは、しんどいものです。


「ウィステリア様は、可哀想なお方ではありませんよ」


 ですから。


「自分の弱さから逃げず、立ち向かう人です。私は、そんな彼のことを尊敬しています」


 私は勝手にウィステリア様を過去の私と重ねてしまい、生意気にも、公爵に反論してしまいました。

 グレード公爵は驚き、何か言いたげに口を開きましたが、すぐにかぶりを振ります。


「……そうか」


 公爵は、私に語りかけるのではなく、まるで自分に言い聞かせるように呟きました。


「そうか」


 何か納得した様子で、公爵がもう一度竿を海に投げようとしたとき、後ろで控えていた侍従が彼に耳打ちしてきました。

 公爵は短く返事すると、立ち上がり、「急用ができた」と私に仰られます。


「すまない、ラヴァンダ嬢。邪魔をした。あとはゆっくりと楽しんでくれ」


「いえ、私こそ、グレード公爵のおかげで楽しゅうございました」


 お気をつけて、と私が挨拶する前に、公爵が私の名を呼びました。


「ラヴァンダ嬢」


「? なんでしょうか?」


「これからも、ウィステリアをよろしく頼む」


 グレード公爵が微笑みました。先ほどとは打って変わった、優しい瞳は、ウィステリア様のそれにそっくりです。やはり親子ですね、と私が感想を抱いていると、公爵はさっさと呼んだ馬車に乗ってその場を立ち去ってしまいました。


「……さて、どうしましょうか」


 公爵が置いていった釣り竿を手にし、私は海を眺めました。

 とりあえず、二本で釣りをしてみましょう。今日の目標は、夕方まで亀を一匹釣り上げることです。でも海に亀っているのでしょうか。まあやってみましょう。行動しなければ何も始まらないのですから。

 私は釣り糸の餌をかけなおし、竿を海へと投げました。

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