第12話 オルゴールと星屑
天体観測をする、いつも通り……といえば嘘になってしまう。最近はライカやタナカにかかりきりでめっきりとその頻度は落ちていた、故に随分と久しぶりに私は天体望遠鏡を手に山に登る。
吐く息は白く天に登り、耳を切り裂くほどの冷気は少しばかり贅肉の増えた心を芯から引き締めてくれる。
キャンプチェアに腰をかけてダウンジャケットのポケットからタバコを出して火を灯し白い煙の総量を増やしながら、咥えタバコで星々を目がけピントを合わせる作業に移る。
久方ぶりの孤独な時間、隣には誰も居らず宙高く幾星霜の時を超えて私を睨む星々と対面する。
そうして彼女の言葉を反芻する。
深煎りのブラックコーヒーよりも黒くて苦々しい彼女の言葉を。
『手が届かないから……愛してるの。でも、同じくらい憎んでる』
話は数日前に遡る。
・・・
それは殆ど習慣になっていた彼女の船の地下倉庫の整理をしていた時である。古ぼけたオルゴールのようなものが見つかった。
「ライカ、これに見覚えは?」
「うーん、知らない」
「じゃあ、前の君のものだね。こっちのオルゴールとは少し形状ってか仕組みが違う気がするな、オルゴールだよねこれ?」
「多分あってるよ。まぁ、私はこっちのオルゴールしらないんだけどね」
私の方で動かしてみようにも、どう動かせばいいのかさっぱり分からない。そんな物を何故オルゴールだと断定できたかというと、錆びついた箱を開けると中にはラメみたいに散りばめられた星と宇宙飛行士の銅像が現れたからである。
私はソレを見た時にオルゴールであると直感的に思った。
「動かせる?」
「……埃っぽくて触りたくないなぁ」
「それよりも埃っぽい場所で作業してるんですが!?」
「とりあえず拭くもの持ってくるね」
ヘラヘラと笑いながら彼女が引っ込んだ。きっとウエットティッシュでも探してるんだろう。
私はその場に座り込み突き返されたオルゴールの表面の埃を払って、再度開く。開くだけでは音が鳴らないのか? それともどこかにツマミでも隠れているのか。注意深く探していると頭に軽い衝撃、上からウエットティッシュが降ってきた。
「投げるなよ」
「一回上がったら降りたくなくて。もういい時間だから今日はこれくらいにしたら?」
「今何時?」
「もうすぐ日付が変わる」
「もう二時間も経ってるのか」
オルゴールとウエットティッシュを小脇に抱え、梯子を登って住居スペースに戻り彼女が差し出してきた濡れタオルで顔を拭った。埃のせいか妙に鼻の奥がむず痒い。
可愛らしいくしゃみを連発していると、いつの間にか私の手からオルゴールを掻っ攫った彼女が水でじゃぶじゃぶ洗っていた。
「おいバカ! 壊れたらどうすんだ」
「ダイジョーブ、多分これくらいじゃ壊れないよ」
妙に確信めいた力強い一言だ、何か本当にそう信じる根拠があるのか、それともいつもの無鉄砲か。
私は窓際に置いている椅子に座り煙草に火をつけて、彼女の作業が終わるのを待つ。ぼうっと煙を窓の外に吐き出しながらあのオルゴールの意味を考える。
私は彼女の持ち物は総じて2種類に分けられると考えている、それは本当になんの役にも立たないガラクタか、前の彼女が今の
前回の日記は失敗に終わったが、私はあれがただの文句だけを綴った日記だとは思っていない、タナカは何か私に隠している。
そしてこのタイミングで出現したオルゴール、それは確実に彼女の過去を辿るアイテムであるはずだ。
「なーんて推理してみたが、外れてたら恥ずかしいなぁ」
「何がー?」
「なんでもないよ」
携帯灰皿にタバコを押し付け、すっかり埃が落ちて元の色彩を取り戻したオルゴールに触れる。
「あぁ、まだ錆落としてないから待って」
彼女はそういうと極彩色のスライムみたいなドロドロの物体をどこからともなく取り出した。
「これに少しつけるとね、錆が綺麗に落ちるの」
「それ人体に害がありまくりそうな見た目してるね」
「食べたら死ぬから食べちゃダメだよ」
「別に乳幼児じゃないんだけどなぁ」
私は珍しいものはすぐに口に含む赤ん坊だと思われているのか、心外である。
謎のスライム的な錆落としに漬けること数分、取り出すと内部の錆まで徹底的に落ちている。宇宙的神秘、恐るべし。
「んで、あとはエネルギーを入れて……」
「え、何それ何かしらのエネルギーで動くのか?」
「うん、そうだよ。簡略化されてるけど、内部の構造はこの船と一緒だったからすぐピンっときたの!」
彼女は船の中から引っ張ってきたケーブルのようなものをオルゴールに突き刺して蓋を開ける。
突如、世界の景色が入れ替わる。
「あー、なるほど」
唖然とする私を置いて何故か納得しているライカ。
いつぞやの鯨の時のように突如として私の世界は変貌する、音もなく。それは星空だった、箱の中にあった小さな星空がより鮮明に360度……私の世界を覆い尽くしている。
「これは……?」
「瞬間移動とかじゃないよ」
彼女が静かにそう告げた。
世界の変化に置いてけぼりで気がついていなかったが静かなピアノらしき楽器の音が聞こえる。
「なんて言ったらいいんだろ。別にこの前のクジラの時みたいに世界が丸ごと入れ替わったわけでもなくて、ただ脳波を利用してオルゴール上の景色を見せているだけだと思うよ」
「詳しいね」
「仕組みはね、わかるのなんとなく」
彼女が寂しそうに笑った。
私は手の届きそうな位置まで降りてきた星に手を伸ばしたが、やはりソレには指の先も掠らない。
遠くて近い、近くて遠い、矛盾とロマンが詰まっているオルゴール。
「よかったねサン。好きでしょ、星」
「うん、好きだよ凄く。ライカ……君はそうじゃないのかい?」
こんなに綺麗な星空なのに彼女は下を向いて俯いている、寂しそうに何処か怖がっているように。
「手が届かないから……愛してるの。でも、同じくらい憎んでる」
「……?」
「わかんないか。うん、わかんなくていいや」
そう言って彼女はオルゴールを閉じる。
眩い閃光と共に世界の景色が元に戻る、彼女の船の中に。
「あげる、それも」
「いいのか?」
「いいよ、ソレはきっとサンみたいな人にふさわしい」
ライカはそう言ってソファに横たわる。
「ごめんね、サン。少し嫌なこと思い出しちゃった、今日はここまででいい?」
「……あぁ、いいよ」
私は上着を羽織りバックパックに手をかける。
「なぁ、ライカ」
「……なーに」
「何を思い出したんだ」
彼女の笑い声がこだまする、自虐を含んだような笑い声が。
「ずっとね嫌いだったの。この船から見る他の惑星や、光ってる星が。手を伸ばしても届かなくて、どれほど願っても私はそこには行けなくて」
涙ぐんだ声がする。
「私はね……ずっと死にたかったんだよサン」
そこから先のことを私はよく覚えていない。
・・・
そんなこんなで天体観測をしている。
祖父の言いつけを守り、逃げるためではなく明日もまた立てるように、彼女の側にまた立てるように。
「おっもいんだよなぁ、それにしたって」
キャンプチェアに腰をかけ、彼女の家から持ってきたオルゴールを弄ぶ、彼女がいうにはエネルギーはしばらく分は入ってるそうなので、私が天体観測をしながら弄る分には問題ないそうだ。
彼女が言った言葉の意味が私にはよく分からないでいる。
私はこれまでの人生で何かに強く恋焦がれた記憶がない、人にしたって物にしたって、血が出るほどの……ましてや憎しみに反転するほどの強い憧憬をまだ知らないのだ。だから私には彼女にかけてやれる言葉が見当たらないでいる、いや実際にはあるのだがそれはあの星と一緒だ。
「近いけど遠くて、遠いけど近い」
何本目かも分からないタバコを携帯灰皿に押し付けて、持ってきていたウイスキーを呷る。普段は山で酒など飲まないのだが、今日はなんだか飲みたい気分になってしまった。そんな思いつきで買った物だから氷を買い忘れる渾身のミス、仕方なくストレートで飲んでいる。
一口含むたびに押し寄せる甘さとコク、複雑すぎて理解できない。まぁ、そんなもの適当でいいのだ、酔えれば。
「うおっ!」
なんとなく手の中で弄んでいたオルゴールが不意に開いた、意図していない作動で驚いてしまったが前回のクジラと違い世界にはなんの影響もないそうなので、この突然に移り変わった星の世界を呑気に楽しむことにする。
天体観測をしに望遠鏡まで担いできたのに、オルゴールの星空を楽しむなんて、何をしにきたのだろう。
「本当にね」
そう言って笑う声がする。
驚きつつ声の方に視線を戻すと、そこにはライカが立っていた。
だが、なんとなく私には理解できる。
ライカであって、ライカではない。彼女そのものの姿をした女性はきっと。
「貴女は……前のライカですか?」
「えぇ、そうよ。意外と聡明なのね、きっと勘違いしてると思ったわ」
彼女は私の手からウイスキーを奪い取ると、ライカの目でライカの口でライカの声で名前を名乗る。
「初めまして、今の私のパートナー」
「……」
「私の名前はテレストリア。言うなれば、そうね。二番目のライカよ」
オルゴールに誘われた星屑の下で、私のよく知らない彼女はそう言って獰猛に笑って見せた。
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