第11話 テレストリア

人間は常に取捨選択をしながら生きている。

それは老人だろうと子供だろうと、男だろうと女だろうと変わらない。何かを一つ手に入れる代わりに何か一つ手にしていた筈のものを捨てる。我々の小さな手では何一つ取りこぼさずに生きるなどということは不可能で、悲しいことに幾つもの別れで我々は成り立っている。


ならば、莫大で大切な何かを捨て去った彼女が得たものは一体なんであるのだろうか……?



・・・



「ガラクタだらけなんだよねぇ」


軍手とマスクを装備して彼女の保有する宇宙船の地下室?に押し込められた宇宙的神秘を片付けて分別している私に彼女がそう言った。


「念のために聞くんだけど、触ったら即アウト! みたいなヤバいやつはないんだよね?」

「うーん、多分きっと大丈夫」

「不安を煽るのが目的なら作戦成功だよ宇宙人」


おっかなびっくり宇宙的神秘カオスを整理しながら、私はこの巨大な地下空間に想いを馳せる。見渡せども終わりの見えないこの巨大な地下世界は一体どのような理論で存在しているのだろうか。彼女の宇宙船の外観的にこんな巨大なスペースがあるとも思えない。

気になりだすと止まらない、これは一体どういった技術において成立している現象なのか……


「てい」

「痛い」


考え込む私の後頭部に何か軽いものが当たる、カランっと小気味のいい音と共に地面に不時着したそれは見たことのない字で書かれた飴の缶のようだった。


「物を投げるなよ。てか、これ何?」

「さぁ? 私の前の私の物じゃない?」


あっけらかんと彼女は言った。

私は彼女自身が記憶を失っていることに気がついていないと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。まぁ、考えれば当然のことなのだが。

彼女があっけらかんという物なので、私もあえて深く触れないことにした。


投げられたソレは埃に塗れていて変色した表面はざらついている。でも、手に取るとやけにしっくりときて、私は妙に手放し難くなる。


「何、気に入ったの? あげようか」

「いいの?」

「いいよ、別になんの手がかりにもならなそうだし。そんなことより早く探そ、こんだけあるんだから頑張らないと暫く終わらないよ」

「ま、それもそうだな」


小さなソレをポケットに入れて、再度仕分けに移る。

今の彼女が収納したものは私がスーパーから貰ってきた段ボールの中に、それ以外のものは大きい順に三列に仕分けしていく。

枯れているが変なツタが蠢く植木鉢、少し触ると突然動き出し世にも不思議な奇音を発して浮かび上がる棒。埃をかぶっているのにその鮮度を失っていない奇妙なフォルムをした魚のような生物の死骸、etc……。


未知というか未開の地と言うか。


「略して未地だな」

「よくわかんないけど多分違うと思う」

「ねぇ、これ」


それは手帳のように見えた。

ボロボロの表紙を開くとおおよそ人間の字とは思えない言語で何かが綴られている。


「ん、何それ」

「手帳じゃないかなコレ? 俺には読めないけど、ライカなら読めるんじゃない?」

「貸してみて」


彼女に手帳を差し出すと、考え込んだようにパラパラとページを捲る。

そして不思議そうにつぶやいた。


「読めないも何もそもそも何も書いてないけど」


彼女が不思議そうにそう言った。

そんなわけないと彼女の手から手帳を再度借り受けて幾つかのページを捲るが見た所、最初のページから最後のページまでぎっしりと何かが綴られている。


「いや、書いてるよギッシリ」

「嘘だぁ! だって真っ白だもん」

「いや、嘘だって言われても……」


彼女には読めなくて、私には何かが書いてあるのが分かる。こんなピンポイントで最重要なアイテムが早々に見つかるとは。


「これ、借りていい?」

「えー、表紙がおしゃれだから私の落書き帳にしようと思ったんだけど!」

「絶っっ対にダメ! 落書き帳なら買ってやるから」

「なら……まぁ、いっか! あ、でもでもオシャレなやつね!」

「分かってる」


帰りに適当に百均で買って帰ろう。


「てか、何かが書いてあるのは分かるけど字が読めないんでしょ? どうすんの」

「あ、そうだった。どうすっか……あぁ! 思い当たる節がある!」

「え、ほんとに!? そんな節があるの?」

「いや、まぁー節ってか石?」

「石?」


そうだった、我が家には居るのである。宇宙より飛来して我が家に転がり込んできた穀潰し&役立たずの自称全知の石ころが。


「じゃあ、貸したげる。汚さないでね」

「君の写真機、外も中もピカピカにして返したろ」

「あれ、色々データ入ったまんまだったけど」

「……消し方、わかんにゃかった」

「ま、いいよ。あれも私の足跡だから」


足跡? と私がいうと彼女は地下室と住居部分をつなぐ梯子を登りながらぶっきらぼうに「そう、足跡」と呟いた。


「だから、消さないの。私がここに確かにいたって……この星に立ち寄ってサンと楽しく遊んでたって私が思い出せるように……」


そう言って彼女は首を横に振った。


「ううん、違うや。今の私じゃなくて、宇宙を旅する次の私が一人じゃなかったって、そう知ってもらうために」

「……」

「だから、全部が私の道標なの」


いつか確かに私は彼女と同じことを思った、あの写真機で赤いソファーを撮った時にそう考えていた。


「そっか……じゃあさ」


私は彼女の後ろをついて梯子を登り、リビングスペースのテーブルに置かれた写真機を取る。


「写真、撮ろうぜ」

「いいね!」

「これタイマーって」

「あぁ、あんまりボタンをポチポチしないで爆発したらどうすんの」

「え!? 爆発すんの!?」


彼女がセットしたタイマーに従って二人並んで写真を撮った。

埃まみれで、軽くブレてる。私の髪型はなんか少し変だった。まぁ、でもソレでいいやと思った、そっちの方が「らしい」というやつだ。


・・・


「ただいま」

「おかえり、早かったな」


家に帰ると室内はいつも通り顔が赤くなるくらい暖かい、そしてコーヒーのいい香りがした。


「今日は焙煎をしてたんだ」

「いよいよ自家焙煎まで始めやがったのか」

「火災報知器は切っておいたから安心したまえ」

「さすが全知の石だな。そんなお前に頼がある」


私が手帳を放り投げるとなんでもないように受け取った。


「それ、読める?」

「……読めるが、どこで見つけたコレ」

「ライカの船の地下室」

「あぁ、あそこに入ったのか。どうりで埃臭い」

「鼻ねぇだろお前」


靴下と上着を脱いで、彼が淹れたコーヒーを飲む。


「てか、入ったことあるの?」

「入ったことがあるも何も、私は君に出会う前まであそこで暮らしていたからね」

「あ、そうなんだ。じゃあその手帳も読んだことあるの?」

「いや、あの部屋はごちゃごちゃし過ぎていて分からなかった。あの部屋を整理しているとなると、相当骨が折れるだろう」

「まぁね、んでなんて書いてある?」

「ライカは読めなかったのかい?」

「読める読めない以前に文字を認識できないらしい、白紙だって言ってたよ」


「ふむ」そう言ってページをパラパラとめくり咳払い、手帳の読み上げをするという合図のようだった。


「今日は初めて訪れる星で現地の奴と仲良くなった、飯をご馳走してくれるというので楽しみにしていたが出てきたのはゲル状の何かで異臭がした、食べないと伝えると激昂して追いかけ回された。最悪の星、滅びろあの星」

「……」

「今日も知らない星に訪れた、船から降りて現地の生物にコンタクトを取ろうとしたが手を差し出した瞬間襲いかかってきた。知能が発達してないのか、ソレとも手を差し出す行為が良くなかったのか判別ができない、滅びろあの星」

「もういい、もう分かった」


どうやらただの日記らしい、それも私怨の籠った。


「もういいのかい? 次のページなんて結構面白そうだが……何々? 現地人に歓迎されている風だったので近づいたらドロドロの体液を……」

「もういい分かった、話の下げは『滅びろあの星』だろ」

「正解」


なんの手がかりも得られなかった。

彼女だけが読めない手帳だなんて、そんなもん確実に重要そうなアイテムだと思うだろう普通に考えて。それが、ただの罵詈雑言日記だったとは。

私のワクワクを返してほしい。


「なんでライカには認識できなかったんだ?」

「考えられる仮説としては、これが彼女のかいた日記だからだろう」

「ライカが書いた? でも言葉遣いが全然」


彼女は少しアホっぽいが純真そうな喋り方である、棘のない感じの。ソレに比べてこの手記は棘と恨み言しかない。


「あぁ、ライカの前のライカか」

「御明察だ。私の知る彼女でも、今の彼女でもないところを見るに……まぁ今の彼女から逆算して3人ほど前の彼女だろうね」

「まぁ、いいや。その手記には恨み言以外書いてないわけ?」

「残念ながら、書いてない」

「あーあ、すごく期待してたんだけどな。風呂入ってくる」


私は思い出してジャケットのポケットに入った飴の缶詰をタナカに渡す。


「なんだいこれ?」

「どっか飾っといて、貰ったんだライカに」

「了解した」


なんの収穫も得られなかったが、オシャレなアンティークが手に入ったと思えば、まぁなんとか大丈夫である。







・・・


彼は項垂れながら風呂に入った。

私はその背中を見送りながら、再度手記に目を通す。そこには彼女についていろいろなことが書かれている。先ほど彼に話したのはあくまでも最初の数ページだ、後半の内容には触れていない。


別に騙したわけではない、そんなことをする必要性もない。

ただ、見せたくないという感情に基づき隠蔽したのも事実である。

私は砂利の身体でページを捲る。


『頭が擦り切れるように痛い、限界が近づいている』


『自分が何者なのか、何を目指しているのか。その一つたりとも分からないまま「私」が「私」で亡くなるのが怖くて恐ろしくて仕方がない』


『次の私もきっとこうなる』


『その次の私も次の次の私も、次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も』


『最初の私が恨めしい、酷く酷く恨めしい。殺してやりたいほど、その臓器を全部体内から取り出して踏みつけてやりといほど憎らしい』


『目的地も思い出せないが、確信めいた回答はある。きっと私が……私たちが旅をしている理由は』


私は静かにページを捲る。

心底、彼が私を信用してくれていてよかったと。なんの疑いも持たずに翻訳を信頼してくれてよかったとそう思う。


『死ねない「私達」が死ぬために旅をしている』


こんな残酷な答えを知らせたくはない。


「正解だよ……ライカ。いや……」


サンから渡された飴の缶を弄びながら、私は久しぶりに彼女の名前を口にした。


「テレストリア」



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