第10話 石油ストーブ、夢の後先

眠りについたはずだった、それは多分確かな事だと思う。されど唐突に覚醒した意識が睡眠を否定する。夢では無い、されど現実とも言い難い。


目を開ける、私は海に立っていた……文字通り大海原の真ん中に2本の足で立っていた。

首を傾げて眉を顰める、一歩踏み出せど感覚はなく音もない。ここが現実と夢の狭間であると私は不快な思いをしながら結論づけた。


『……』


視線の先には大きな瞳がギョロりとコチラを睨めつけている。これが初めての経験ならばきっと私は『ぎゃあ!』と間抜けな声を出したのだろうが、2度目ともなると驚きは少なかった。


『恩人よ、久しぶりだね』


まるでミックスでもしているように幾重にも重なる声は以前よりも悠長だ。

彼等は私とライカがこの星に解き放った、どこか遠い惑星の数少ない生き残り。滅びゆく惑星から逃げ出した亡命者であった。


「言葉がだいぶ流暢ですね」


胸ポケットを探ると煙草があったので、私は海に対する少しばかりの恐怖心と不快感を誤魔化すために火をつける。


『この星にも随分慣れた、いい星だ』


そう言って笑いながら彼等は飛び上がる。

物理法則などあってないようなものだと言わんばかりに宙に数匹の見たこともないほどに大きな鯨達が自由に回遊する。


『あの石を信じてはいけないよ』


なんの脈略もなく重なる声でそう言った。


「……」

『アレはそもそも君達とは規格の違うモノだ』


鯨は続ける。


『あまり信じてはいけないよ』


手前勝手にそれだけ言い残すと私の視界がぐにゃりと曲がり、閉じていたはずの瞼が勝手に開き意識が完全に覚醒してしまう。

こちらの……私の世界では朝になっていた、目覚まし時計のなる十分も前だ。

欠伸混じりに煙草を咥えて火をつける、枕元の美しい海の色をした瓶がカタカタと揺れていた、アレは夢ではないと告げるように。


「……枕元に置くの、やめよ」


安眠妨害されてはたまらない、こんな目覚めの悪い朝は二度と勘弁願いたいものだ。

一口だけ吸った煙草を灰皿に押し付けて、私は心に固くそう誓った。



・・・


『現在、日本列島は史上稀に見る寒波が……』


珈琲を啜る、ガタガタと震えながら。


「君、これ仕事に行けるのかい?」

「しらねぇよ……いきたくねよ、というか寒いよぉ」


私の家には目立った暖房器具がない現状だ。ちなみに過去にはあった、過去というのはつい一昨日あたりまで。


「寒そうだなぁ」

「お前のせいだ! お前がふざけた真似するから!」


話は一昨日に遡る。

それはいつものようにどこかへフラッと出かけた石ころは今日も帰らないだろうと思い、私は隙間風を防ぐために窓を閉めて鍵をかけ床に着いた。

私がレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返し、上昇する体温をたっぷりと吸い込んだ毛布とねんごろになっている時だった。リビングから異常な音がした、今まで聞いたことのないような異常な音が鳴り響いたのだ。

非常に億劫に思いながらも、毛布だけは握りしめ離さなかった私はその光景を目撃して毛布を手放して絶句した。

というのも、窓を閉められて私の家に侵入できなかったこの居候石野郎はなにを思ったか自らの体を細かく分解してエアコンのダクトから室内への侵入を試みた、その間もエアコンは私の部屋を暖めてくれていたのだが、認識外の侵略者に蹂躙されてあえなく臨終した。

何が全知の石であろうか、阿呆の石に改名しろ。


「謝ったじゃないか、そう怒るなよ。あぁ、それともあれかい、私に怒りをぶつけることで体内の細胞と血液を活性化させて暖を取っているのか、考えたなぁ!」

「何感心してやがる! この侵略者インベーダー! どうするんだ! 史上稀に見る寒波だぞ!」

「あぁ、大丈夫だよ。私はこの通り温度を感じない」

「誰もお前の心配なんざしてないんだよ! どうするんだ! エアコン買い換えるにしても金も時間もかかるんだぞ!」

「君たちの星のメディアは何かある度に『史上初』やら『史上稀に見る』やら『全米が泣いた』なんて嘯いてるだろ? 例に漏れず、これもその内書き変わる過去だよ」


あまりのツラの厚さに言葉も出ない。

怒りに震える私を他所に彼は呑気にチャンネルを変えながら「全米が泣いたって言っているが、本当に米国の人間が一度に全員泣いたことはあるのかい? 興味深いなぁ」なんて言っている始末である。


「いいのかい? 仕事、遅れるよ」

「……イッデギマズ」

「あぁ、化け物になっちゃった。まぁ、凍結に気をつけるんだよ」


私は言語化できない怒りを抱いて家を出た。


・・・


今日、車で出勤するのは自殺行為であろう。そう判断した私は最寄りの駅へ足を伸ばし数年ぶりに電車に乗った。鮨詰めの電車内は非常に億劫であったが主要な街にその足を下ろすごとに車内の人数は右肩下がりで快適さを取り戻した。

落ち着きを取り戻した車内でスマートフォンを叩きエアコンを調べるも数日はかかるようだ、頭を抱える。


顔を上げると窓の向こうに海が見える……気がした。窓ガラスに私の脳みそが夢で見た『鯨』を描く、車内の窓を優雅に泳ぎながら彼らは告げる。


『あの石を信じてはいけないよ』


それは福音のようでもあり、一種の呪いのようにも見て取れる。つまるところは受け取り方次第、アドバイスと受け取るか警告と受け取るべきか。

私は彼の淹れてくれたタンブラーの中のコーヒーに口をつけて思案する。


「どうしたもんかな」


・・・


「どうしたもんかなぁ!」


駅に降り立った瞬間に上司ボスからの通達が来た。

『本日、大雪に伴う路面凍結や列車の運休が見込まれるため休みで候』

私といえば清く正しい立派な社会人であるため、いつもよりだいぶ早い時間に出勤したのだがそれが裏目に出た。

あぁ、生真面目さが邪魔である。


「……飯でも食べて、帰るとするか」


ライカには路面凍結に伴い山道が大変危険なことを懇切丁寧に説明して、約一週間分の食料や暖房器具を差し入れしたのだが、あの暖房器具を今すぐにでも返してほしい。

ライカの方は心配ないため、私が心配すべきは私の身である。予報を見る感じ、本格的に降り出して吹雪くのは昼過ぎとのことだ、羽根を休める猶予くらいはあるだろう。私は再び電車に飛び乗り、最寄りの駅まで引き返してその近辺で食事を摂るために舵を切った。


街は大雪の大寒波であるというのに、その活動をやめる気配がない。人が出るから店が開くのか、店が開くから人が出るのか……ここら辺は鶏卵問答な気がする、きっと探したって机の中にもカバンの中にも答えはない。


人で賑わう駅付近をうろちょろしつつ、私は少し豪勢な朝食を取るべく馴染みのカフェに足を運びベーコンサンドとカフェモカを注文した。

カフェモカは一口啜るとパンチの効いたチョコレートの甘さが脳味噌を揺さぶる、普段なら飲まないが寒い日は無性に甘いものが食べたくなる、これもまたライカに言わせれば先人たちが培った基盤の上の賜物であろう。


「ベーコンとチョコは……ミスマッチだな」


顔を顰めながら朝食を取り終えると店長がこちらに歩いてきて、黙ってエスプレッソをテーブルに置いた。


「口直しに」

「ありがとうございます」


貰えるものは貰う主義である、感謝をしながら混沌とした口内をエスプレッソでリフレッシュして私は店を後にした。


その後は家電量販店に出向いたが、やはりエアコンの施工は二、三日かかるらしい。即日施工なんてものは夢のまた夢である。


「浮かない顔してどうしたんだベイベー」


そう声をかけたのは赤いソファを購入したアンティークショップの店長である。


「実は同居人がエアコン壊しちゃいまして」

「随分ロックな同居人だな、んでエアコン買おうとしたけど施工に二、三日かかるもんだからどうしようかと悩んでると」

「……エスパーか何かで?」

「ま、似たようなもんだ。ここでナイスな情報を上客の兄ちゃんにプレゼント、ラッキーだね兄ちゃん」


そう言って顎髭を撫でながら、店主は「ついてきな」と言わんばかりに手を招いて私を店の奥に呼び込んだ。

来る度に思うのだが、この店の奥は宇宙的神秘カオスを内包している。その独特な雰囲気は実に恐ろしく未知に溢れている。


「こいつ、買ってかない?」


店主がそう言って店の奥で指差したのは煙突のような色と見た目をした埃被った石油ストーブ。


「埃こそ被ってるが中はちゃんとメンテナンスしてる現役バリバリのアラジンのストーブだ。年代物なんでちとアレだが……まぁ、普通に使う分には何の問題もない」

「おぉ……」


そのレトロな見た目、石油ストーブというこのスマートな時代に真っ向から抗う頑固さ、そのどれもが私の未知とロマンを刺激する。


「お得意様特価だ、これでいいぜ」


店主が五本指を立てる。


「五千円……?」


店主、笑顔の否定。

つまるところ……


「税込五万円なり」

「2万!」

「5万」

「3万!」

「5万」

「3万5千円!」

「5万」

「3万8千円! それと車じゃないので家まで運んでください!」

「チッ……思ったより粘るな、まぁそれでいいよ」

「よしっ!」


後日、インターネットを回遊していたタナカに「おい、君が3万と少しで買ったそのストーブ、このサイトで一万円も安く売られてるぞ」と言われて愕然としたことも記しておく。

店主はおまけで何やら随分メタリックな石油を入れるタンクもつけてくれて、帰りにガソリンスタンドにも寄ってくれたのでその分の代金を込めるとギリギリ納得できる金額である、いい商売してやがるあの狸親父。

まぁ、何はともあれ……私はこの寒波を乗り切るロマン溢れる暖房器具を手に入れた。今日はそれでよしとしよう。


「じゃ、今後も何かありゃうちの店をよしなに頼むぜベイベー」


そんなファンキーな台詞と共に彼は寒波も吹雪も物ともせず高笑いと共に去って行った。


「随分騒がしかったな、何かあったのかい?」

「暖房器具を買ったんだよ、運ぶの手伝え」

「生憎だが、そこまで重いものは持てないんだ。ほら、私の体は石ころだからね」

「お前、石浮かせるだろ。その要領でいけるんじゃないのか?」

「……はぁ、全く人使いが荒いねぇ」

「誰の! せいだ! 誰の!」

「あまりキンキン叫ぶものではないよ」


居候の手を借りて、私の部屋になんともオシャレなストーブが加わった。ウキウキで石油を入れて、ツマミを回してストーブの芯を出して火をつけて蓋をする。パチパチといい音が響き、赤色の炎が青色に変わり部屋を少しずつ温める。


「あぁ、あったけぇ」

「それは何より。いいデザインだ」


私はストーブの前に陣取って暖を取る。

タナカはそんな私を見ながらコーヒーを啜り、口を開いた。


「何か……あったのかい」

「……鯨が出たんだ、夢で」

「ほう、あの亡霊供がね随分と気に入られているようだ。それで、彼らはなんと」

「……お前をあまり信用するなって」


温まっていた筈の室内の温度が下がった、明確に。


「そうか、まぁ彼らはそう言うだろうね」

「何かあったのかあの鯨達と」

「うーん、なんと言ったらいいか。君と私が違うように、彼らと私もまた違う。その違いは決して交わらないし、相入れない。犬猿の仲というやつだね」

「じゃあ、彼らの嫌がらせなのか?」

「いや、そうじゃないだろうな。アレらは基本的に腹芸ができない、元々そういう機能が備わってないというべきか……まぁ、純粋な善意だろうな」


それは彼らが正しいと言っているようで、それはタナカには腹芸が……私を騙すことができるという暗喩のようで私は酷く寒くなった。

ストーブの傍らで私は震えながら暖を取る。


「それで、君はどうする?」

「何が?」

「私の処遇だよ」

「そんなもん決まってる」


私は振り返った。


「お前はクソお喋りで、マウント野郎だ。暖房壊すしな」

「そうだな」


彼は笑う。


「でも、悪いやつじゃない。信用は……できないけど信頼はしてる」

「……」

「友達だからな」

「……そうか、ははっ。友達か」


そう言って彼は笑う。

私は小っ恥ずかしくなって、頬を掻く。


彼が何かを抱えてるのは知っている。私にありとあらゆる隠し事をしているのも知っている。だけど、それでもこの共同生活の中で私は知ってしまった。

彼が本当にライカの行く末を心配していること、彼が失われた彼の過去に納得をしていないこと、彼の淹れるコーヒーが世界で一等美味しいこと。

彼を置く理由なんてそれだけで十分で十全だ。


「もう、暖房壊すんじゃねぇぞ。次壊したら追い出すからな」

「ふむ、善処しよう」


彼はそう言って赤いソファに腰掛けると恥ずかしそうに呟いた。


「ありがとう、サン」

「気にすんな」


鯨の夢の後先はきっと後の私が考えることである、明日に震えて今日を過ごすなんて全くもってナンセンスでありロマンに欠ける行いだ。

石油ストーブの良さがわかる友人と語らう方が、幾分かマシである。

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