第8話 眠りにつく日、冬を忘る夜

ショッピングモールは平時というのもあり、思ったよりも閑散としていた。いるのは小さい子供を連れた家族連れくらいのものだ。

私といえば体は大きい赤ん坊を連れているので、実質家族連れと言っても過言ではない。


「ねぇ! 肉は! 肉はどこ!」

「ライカ、頼むから大人しくしてくれ。ちゃんと連れていくから」


彼女の容姿は控えめに言っても浮世離れしているため、普通にしていても目を引くのにその彼女は幼児のように大きな声ではしゃいでいる。衆人環境から突き刺さる視線がひどく痛い。

彼女が腹ペコの宇宙怪獣になる前に私が身を挺して止めねばならない。

まぁ、彼女が騒ぐからという訳ではないが私も腹が減ったのは事実だ、彼女が何を買いに来たのかは知らないが、長くなりそうな予感がするので腹ごしらえは早めがいいだろう。


「じゃあ、食いにいくか肉」

「いえーい!」


二階にあるレストラン街の最奥にあるリーズナブルなステーキ店、休日にたまに食べに来るくらいには美味しい。

ガラガラの店内に入り、適当に注文を済ませる(彼女は値段も見ずに500gものステーキを頼んだ)。ショッピングモールの利点はいつ行っても大抵の店が開いている店にあるだろう、少し遅めの昼食を取ることが多い私は大変助かっている。


「いい星だねぇ」


彼女が笑う。

視線の先には楽しそうに笑う幼い子供がいた、一瞬肉のことを指しているのかと思ったが視線の先から察するにそうではないらしい。


「肉もあるし」


あながち間違った推測でもなかったらしい。


「子供が元気に生きてる星は好きだなぁ」

「どこもたいていそうだろう?」

「甘いねぇ、それは環境がしっかりしてるからだよ。環境っていうか基盤だね、今まで……サンが生まれるよりもずっと前から当たり前を当たり前にした人達のおかげだよ」

「君は……まぁ、いいや」

「え、なに!? 気になるんだけど」

「調子が狂うって、それだけだよ」

「何それ」


私が言いかけた言葉は何だったのだろうか、自分でもよくわからない。

彼女の視線に宿った感情のその全てを私程度では推測することすら叶わない、それでも彼女が少しばかり悲しそうに見えたのは、私の気のせいであろうか。


彼女は時たま物思いに耽るように星を見る、人を見る。羨むように、誇るように、求めるように、そして何処か凍えるように。

瞳に映る混じり合った感情の色は実に雑多な色をしていて、踏み込むことすら憚られる。

運ばれてきたステーキに彼女は黒ニンニクで作られた真っ黒のソースを楽しそうにかけた、あぁそうだこの色だ。

私には、彼女の瞳に宿るその色彩が黒く底のない闇に見える。


・・・



「あぁ、美味しかったなぁ……」


実に満足そうに、そして幸せそうに呟いた。

私と言えばステーキの油にもたれる胃の気持ち悪さに歳をとったと感じているのに推定私よりも何倍も年上の彼女はペロリと500gを完食して胃もたれと戦う私を心配して私の鉄板から肉を掻っ攫ったというのに元気一杯であった。

眠らない体を、全て欲しがる欲望を、そして胃もたれのしない体を……なんて冗談を飛ばして私は彼女に今後の予定を聞く。


「鉄が欲しいかなぁ」

「鉄ぅ? 鉄ってどんなの?」

「細いのがいいな、骨組みみたいなの」

「ホームセンターのとこにあるかなぁ。それだけ?」

「あとは布、おっきいやつ」

「端っこの方に手芸の店があったな、そこなら揃うかも。何に使うの?」

「雨が続きそうだから、何か作ろうかなぁって」

「わかるんだ、そういうの」

「うん、宇宙飛行士だからね」


そうは見えない彼女は、そう言って笑っている。

まぁ、何にせよ焦っていないのならば僥倖だ。人は予定外の出来事に弱く脆い、

もしかすると飛ばない宇宙船に彼女がストレスを溜めて焦っているのかもしれないと思ったが杞憂らしい。


「タバコ吸ってくる」

「わかった、どこに居ればいい?」

「そこに本屋があるだろ? この星の文学に触れるのもいいんじゃないか?」

「何それー、生意気」

「何がだよ」


喫煙者というのは迫害される定めにある、まぁ公害に近い煙を吐き散らしているのだから仕方がないが。

駐車場のさらにその奥に設置される喫煙所に緩やかな足取りで舵を切る。私の無意味で無価値な休日が珍しく有効的に使われている。


外に一歩踏み出すと身震いするほどの寒波が襲う、マフラーを車内に置いてきたことを後悔しつつ身を震わせながら喫煙所に入りタバコに火をつける。

風から灯火を守るように囲ってから煙草の先に火をつける、口内の脂っぽさを吹き飛ばすメンソールが心地いい。

室内の暖房で茹だった脳みそと顔の熱が次第に引いていくのがわかる……


「この感覚が好きだ」

「人のモノローグを奪うなよ」


後方からかかった声は振り返らずとも相手が分かる、私の冷めた態度が気に食わなかったのか声の主が私の顔の前に旋回してきた。


「よく私だと分かったな」

「人のモノローグを奪い取る知り合いはタナカくらいだよ」


ぷかぷかと浮かぶ石ころは顔がないがきっといつものようにニヒルに笑っているのだろう。


「何してるんだ?」

「君は私がどこでどうしているのか逐一知りたいのかい? 束縛系メンヘラというやつなのか?」

「お前はもう少し情報の取捨選択をした方がいいぞ、本当に」


インターネットの毒される全知の石ころ、字面が酷い。


「何、広大な土地があったので興味を示して足を運んだだけだよ」

「自由だなぁ」

「私の唯一の取り柄なのでね。それで君は彼女と買い物かい?」

「あぁ、まぁそんなところだ」


神出鬼没な石ころに対する驚きはさほど無い、それは私がタナカのペースに飲まれているという証拠だろう。


「仲睦まじくて何よりだ」

「なぁ、タナカ……いや、やっぱしいいや」

「気になるじゃないか。何だい?」

「いや、あれだよ……コーヒーのペーパーあったっけ? って」

「あぁ、そう言えば残り少ないね。買っておいてくれるかい?」

「分かった」


彼に問いかけようとした本当の言葉を飲み込む。まぁ、彼のことだからどうせある程度の察しはつけているだろうが。

きっと私の疑問を聞くべきは彼ではなく彼女であり、きっと彼に聞くということは思考を放棄して彼を傷つけることだと思う。私はそれを良しとしない、したくない。

全く、宇宙人二人揃って扱いずらい。


「何か失礼なことを考えているだろう?」

「いーや、何でもないよ」

「生意気だなぁ」

「だから何がだよ」


気がつくと煙草の灰は指先まで迫っていた、慌てて灰皿に押しつける。


「吸ったなら戻りたまえ、彼女は活字が苦手だ」

「えぇ、知らないよそれ。というかお前実は尾けてたろう?」

「さぁ、何のことだか。それと友人としての忠告だが、君くらいの歳であの程度の肉で胃もたれするのは疲労が溜まっているか、内臓機能が低下している証拠だよ。然るべき処置をした方がいい」

「がっつり尾けてんじゃん」



・・・・



結局何をしにきたのかわからない石ころは少し進んで振り返るともうそこにいなかった、タナカのやつは結局何をしているのだろうか? まぁ、考えても分からないことはあまり考えないようにしている。

今私が至急的に考えなければならないことはライカの行方である、書店に戻ると彼女の影の形もない。彼女は活字が苦手だというのはどうやら本当の話らしい。


「さーて、どこから探すかぁ」


まぁ、彼女をショッピングモールに連れてきた時点でどこかしらで離れることは予想していた……予想していただけで何の対策もしていない。

インフォメーションで呼び出したところであの自由人が素直に呼び出しに応じるとも思えない、ならば彼女の思考をある程度トレースして推察を立てる他ない。

ぐるぐると考える、頭が酷く茹るほど考えて叩き出した答えは。


「おもちゃ屋……なんてな」







「あ、サン!」

「本当に居たよ」


若干冗談混じりのヤケクソであったのだが、どうやら一発で仕留めることができたらしい……と安堵に胸を降ろしたのも束の間、私はライカの足元の違和感に気がつく。


「なぁ、何だそれ」


彼女の足元にはグズる幼児がユーカリの木に巻きつくコアラの如くしがみついて泣いている。何で少し目を離しただけで何故こうも面白い状況を生み出すことができるのか。


「迷子」

「まいご」

「うん、迷子」

「あぁ、迷子」


そんな問答の後、しばしの静寂。そして空を切るような幼児の鳴き声、私の鼓膜が唐突な爆音でぶるぶると震えている。

そんな幼児に彼女は腰を折って幼子と視線を合わせる。


「あなたはどこから来たの?」

「……あっち」


涙でぐしゃぐしゃの目を擦りながら、迷子はオモチャ屋の向こうの家電の並ぶ方のエリアを指さした。


「はぐれちゃったの… …」

「大丈夫? 怖くない?」

「怖いぃ……」


そう言って、幼児は泣く。それを見つめながら、頭を撫でながらライカはどこか遠くを見ている……そんな気がした。


「よし、じゃあお兄ちゃんとこのお姉ちゃんがお父さんとお母さん探してあげるからね」


宇宙人だけには任せていられない、私も彼女にならい腰を折って迷子の少女と視線を合わせて出来るだけ明るくそういった。

焦りと恐怖に揺らぐ迷子の瞳に少しばかり安堵が宿る、一人ぼっちではないとそう思えたようだ。


「宛はあるの?」

「ま、インフォメーションにでも行けば迷子アナウンスくらいしてくれるだろ」

「ままとぱぱに会いたいぃぃ」

「うわぁ! 分かった! 直ぐに見つけてあげるから泣かないで。ね? 」


ライカはどうやら少女の涙に弱いらしい、抱き抱えてオロオロとしている。

ショッピングモールのサイトでインフォメーションの位置を大方把握した。一応オモチャ屋の店員に迷子を探している両親がいないか聞いた方がいい。

私一人ではきっと誘拐と勘違いされるだろうが、ライカが隣にいるだけで親子か親切な若者には見られているだろう。それだけで私のリスクは減っている。


ライカはどこかずっと遠い目をしていた。

視線も言葉も雰囲気も全てが迷子に向いてるのだが、そこに重さはなくまるで無重力。空っぽの瞳と伽藍堂の言葉、その全てがまるで遠い宇宙の向こうにあるような気がした。


「おねえちゃん、綺麗」

「そう? ふふ、ありがとう。あなたもキレイだよ?」

「ほんと!? やったー!」


子供というのはまるで山の上の天気みたいだと思う、泣いたと思ったら笑い出したり、叫んだと思ったら寝ていたりとコロコロと姿形を変えるがそのどれもに不快感がない。

「あぁ、そういうものだ」と自然に受け入れられる感じが不思議と心地いいとさえ感じる。そう思えるのは彼女が言っていた積み重なった基盤の上を生きるおかげだろう。


「迷うのは、怖いよね」


ライカが少女の目元を拭いながらそう言った。

それは幼児に向けた言葉なのか、私に向けた言葉なのか、それとも自分自身に向けた言葉なのか。

私は思い出す。自分がライカの腕の中に抱かれている幼児くらいの歳の時、私も迷ったことがある。あの時の感情はもう思い出せない、思い出さないように蓋をしているだけかも知れない。ただ、背筋を水が伝うような感覚が体を襲う。


「こわくないよ!」


迷子の少女がそう言った。


「なんで?」


ライカが問いかけた。


「いまはねー、お姉ちゃんとお兄ちゃんがいるからねー! 一人じゃないの!」

「ははっ、そっか。うん、なら怖くないね」


ライカが頭を撫でると、気持ちよさそうに目を瞑る。


「なぁ、ライカ。あそこに居るのこの子の両親じゃないか?」


インフォメーションの近くには取り乱したような夫婦がいた。何となく本能的にあの二人がこの子の両親であるという確信があった。

どうやら当たりらしい、ライカの腕の中で元気に「ぱぱー! ままー!」と少女が叫ぶ。バッと振り返ってきた彼女の両親はすごい剣幕で駆け寄ってきてライカの腕を離れた少女を抱きしめた。


「ありがとうございます!」

「いえいえ」


ライカが少女と話しているものだから、必然的に私がご両親の相手をすることになる、彼らは仕切りに頭を下げて礼を言うと、心底安堵したように笑っていた。

両親に手を繋がれて帰ろうとする少女は両親の腕を振り解き、ライカに駆け寄った。


「あげる!」

「ありがとう? 何これ」


ライカが受け取ったのはくしゃくしゃの紙、後ろから覗き込むとアイスの無料券と書かれていた。


「宝物だけどあげる」

「いいの?」

「うん! いいの!」

「そう、じゃあありがとう。もう、お父さんとお母さんの手を離しちゃいけないよ?」

「うん!」


少女は頷くとすぐに振り返り、両親の元に駆けていく、その光景を見ながら私は何だかぼんやりとその後ろ姿をライカに重ねていた。


「貰っちゃった、宝物」

「よかったじゃん」

「これ、どこで貰えるの?」

「2階だな」

「折角だから行こうか」


彼女はそう言ってエスカレーターに足を乗せる。

立ち止まる私を見てライカは不思議そうに私を見ている。


「どうしたの?」

「なぁ、ライカ」

「何?」


私も一歩踏み出しながら、彼女の心に土足で踏み込む。


「君も……迷子なんじゃないか?」


彼女は黙っている。


「あの子を見るとき、君はどこか……懐かしむような顔をしてた」


私がそう言うと、クシャクシャなアイスのチケットで口元を隠して呟く。


「正解だよ、サン」




・・・



場面は切り替わる。

ショッピングモールから私の自宅へ、昼から夜へ。

特に冷え込む夜であるというのに、私は窓を半分だけ開けて缶チューハイを星を見ながら啜っている……背一杯カッコつけて。

風呂上がりの濡れた髪が凍りそうなほどに冷たい風に当てられてキシキシと音を立てている、頬に帯びていた熱気は冬に出会った瞬間たちどころに消え去った。


あのあと、彼女は何も大切なことは語らなかった。

瞳を覗き込めばびっくりするくらいの深い黒で、私はそれに恐ろしくなって、寒々しくなって踏み込んだ足を引っ込めてしまった。

アイスクリームを食べながら彼女が言う。


「聞きたいことがあるんだね」

「……あぁ、あるよ」

「そっか、じゃあ明日話そうか」

「明日?」

「うん、明日」


何故明日なのだろうか、問いかける。


「今日は、少し寒いから」


身震いするようにそう言ってその後は彼女は何も語らなかった。

今ではないと、彼女の全てがそう私に釘を刺す。




「風邪をひくよ」

「冬がさ、好きなんだよ……ずっと、そう思ってたんだけどさ」


タナカが私の背後から声をかけた。

いつ帰ってきたのか、いつ掃除機から自分の体のパーツを取り出したのか。それすら気がつかないほどに私は考え込んでいたのか。


「何か、大切な気がするんだよ冬って」

「私は温度が分からないからなぁ」

「そうなのか……勿体無い」

「温度でパフォーマンスが変わるなんて非効率だろう」

「趣のない石だね」


足の指の先がジンジンと痺れて自分のものではないような気がする、冷たすぎて身体中の血管が凍って動いていないのだろう。


「踏み込むべきじゃなかった気がする」

「……でも、君は知りたいのだろう」

「あぁ、知りたいよ。僕は僕の興味のために、彼女の触れられたくない部分を探り回ってるんだ」

「興味を持つのはいいことだと思うがね」

「それが、彼女にとって触れてほしくないものでもか?」

「触れられたくないなら、彼女は上手に隠すよ。君ごときでは気が付けないくらいに上手に」


凍える指先で煙草を摘み上げる。

血管を再び動かすように爪の先に灯を灯して。


「一人は、寒くて怖いらしいからね」

「誰のセリフだ、それ」

「前の前の……彼女だよ」


どうやらあの迷子の少女が言っていたことは真理であった。

子供というのは純粋ゆえに時たま真理をつくことがある。それは、私のような体だけ大人になった私には実感が湧かない。人は一人では生きていけないなんて、そんな当たり前のことがわからなくなってしまっている。


「きっとライカは知ってほしいんだろうな、君に」

「そうなのかなぁ」

「さぁ、私の知ったことではないね」

「えぇ、急に引き離すじゃん。全知の石のくせに」

「私はただの石ころだよ、そして君はただの人間だ」


気負うな……と彼なりのアドバイスのような気がしないでもない。おやすみと彼の背中に声をかけ、私も缶チューハイを飲み干した。

恐ろしく冷たい体を引きずって歩く、私はベッドに入って毛布を首から足元まで這わせて芋虫のように体に巻きつけて暖を取った。



私はきっと冬が好きなのではない。

私は冬を感じるたびに漠然と恐怖を感じているのだ、まるで迷子になった子供のころのように。

本当は私は毛布にくるまり眠りにつく……冬を忘れる暖かい夜が好きなのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る