第7話 目覚めの日、冬を知る朝

どこかに向かわねばいけない。

どこかに帰らなければいけない。

この私ではない、どこかの私が脳髄の奥でそう叫ぶ。


そう言われても目指すべき場所がわからない、どこに舵を切ればいいかわからない。真っ暗な宙の淵をなぞるように私は今日も揺蕩う。


遠くどこかで光る、青く綺麗なその星に恋焦がれ、私は今日も……



・・・


ふと目を覚ますとまだ世界は暗がりである。

私の体内時計は割と正確であり、いつも目覚ましが鳴る前に起き上がるのだ、その習慣に今日も変わりは無い。スマートフォンを寝ぼけ眼で覗き込めば時刻は7時きっかりだ、それを確認した瞬間に目覚ましが叫ぶように鳴り響く。

慣れた手つきで目覚ましを止めて再度窓の外を見るも結果は変わらずの暗がり。まるで何者かが朝日を押さえつけているような、そんな不思議な感覚が身体を駆け巡った時……私はようやく等身大の冬を知る。


プラモデルの部品のように硬くなった身体をパキパキと子気味のいい音を立てながら解して起き上がり、ダルい足取りでリビングに赴くとコーヒーのいい香りが顔に当たる。


「おはよう、良く眠れたようだね」

「あぁ、おはようタナカ」


タナカ……それは数日前に突然増えたルームメイトにして同居石。砂粒や石ころでできた身体で優雅にコーヒーカップを持っている。

ちなみにタナカという名前は彼が自分でつけたものである、理由は知らない。


「僕にもコーヒーをくれ」

「淹れたてだ、温かいうちに」


この正体も目的も不明な地球外生命体を私がこの家から追い出さない理由は幾つかある。まず私の知らない面白い話やウンチクや、私の領域を犯さずにいい距離感で接してくれること。まぁ、今上げたのは一例に過ぎない、他にも色々あるが一番の理由は……


「あぁ……美味い」


彼の淹れるコーヒーは世界で一等美味しいことである。

朝イチにこんな美味しいコーヒーを淹れてくれるならば、宇宙人だろうが死刑囚だろうが私はさして気にしない。


「完璧に淹れたからね、そりゃあ美味いだろう。それよりいいのかい? 今朝は少し早めに家を出ると言っていたろう?」

「あ、そうだった!」


コーヒーにもう少しだけ舌鼓を打ちたかったが、仕事に遅れるわけにはいかない。私は足早に支度を済ませて車のキーを手に掴み玄関に足を踏み出す。


「それ、忘れ物だ」


その声に振り返えると投げられるのは保温性も密閉性もバッチリなタンブラー。


「今朝のコーヒーが入ってる、後で朝食時にでも飲むといい」

「助かるよ。タナカ」

「何、礼には及ばんよ。その代わり帰りに新しいコーヒー豆をいくつか買ってきてくれ」

「ライカのとこに行くついでに買ってくるよ」


行ってきます。そんなしばらく言ってなかったセリフを呟き、暖かいタンブラーを片手に玄関を開け、私は冬に足を踏み入れた。


冬の朝というのはいいものだ、まぁそれは車に乗っている時に限る話だが。

タンブラーに入った暖かいコーヒーを一口、喉と心を潤して窓を少しだけ開けて煙草に火をつけた。暖かい車内を蹂躙するような鋭く尖った冬の風が唇に当たるのが私は大層好きである。

それと、不思議と空いた車道。皆冬の朝は動くのが億劫になるのだろう、私もそうである。だが一度布団を剥いで外に這い出るとどうだろうか? 夏の重く湿った空気よりも数倍も軽く乾いた冬の朝の空気は不思議と足取りをも軽やかに変えてくれる、私はそんな朝が何よりも好きだ。


車内のスピーカーのつまみを捻り音量を上げる、有線のラジオからはoasisの『モーニンググローリー』

もう少しばかり起きる時間がいると叫ぶ、私の声が空いた窓から透き通った朝の世界へ流れて消える。


・・・


仕事も終わり、私の一日にようやく句読点がつく。

だがあくまでも句読点は句読点でありピリオドではない、私の本当の一日はまだ始まってもいないのだから。


ショッピングモールに寄り私は食料やら日用品やらを買い込んだ、それを持って向かうのはライカの元以外にはない。後ついでに、タナカに頼まれていたコーヒー豆も買っておいたのは一応書き記しておく。


彼女の元へと辿り着いたのは既に二十時も過ぎた頃、彼女が腹をすかしている頃だろう。今日は美味しいと噂の個人経営の店で売られる唐揚げ弁当を買ってきた、短い付き合いの中で知ったことだが彼女は肉が好きらしい、理由は宇宙空間では味気のない保存食や長期的に保存の効く物しか食べられないため肉は貴重品らしい。


「ライカ、来たよ」

「おぉ、サン! 待ってたよ」

「僕を待ってたんじゃなくて肉を待ってんだろ」

「どっちも変わんないよ」

「僕は食べ物じゃない」

「どっちも変わんない」

「おっと、二回目のソレは話が変わってくるぞ」


テーブルの上には見たことのない工具やら、私が貸しているネジやら接着剤が転がっているが、彼女はそれらを豪快に地面に落として食事をするスペースを開けてみせた。几帳面な私にはできない驚きの芸当、私には絶対無理だ。

彼女はというと奪い取った唐揚げ弁当を我先にと貪り食っている、これもまた私には出来ぬ芸当である。


「なぁ、いつまでこっちにいる予定なんだ?」

「うーん、まぁ急ぐ旅をしてるわけじゃないからいつでもいいんだけど……」


彼女はそう言って口ごもる、何か引っ掛かるところがあるように。


「直んないんのよ、船が」

「何か重大な故障があるんじゃないか?」

「調べたんだけどね、隅々まで。まぁ、ずっと乗ってるしガタが来ててもおかしくはないんだけど。ソレにしたって変なの」

「何が?」

「目立った故障がないこと」


それは何だか謎々みたいだ、そう思った。

確かに壊れているのに、どこにも異常はない……されど船は飛ばない。


「中の設備に関しては今まで通り使えるんだけど、船が動かないの」

「隅々まで調べたの?」

「うん、調べたよ。配線系も動力源も、ぼろく放ってるけどどこにも異常はない。何なら整備し過ぎて羽もエンジンもピカピカの新品状態」

「変だなぁぁぁぁ! 最後の唐揚げ!」

「ぼーっとしてるから……」

「何でそんな自分は悪くないですみたいな顔ができるんだ!」


ふりかけのかかった白米だけを食べながら私は少し考える、動かない彼女の船のことはきっとタナカならば何かを知っている気がする、それとこの唐揚げは絶品だったので私のランチの候補の一つに加えようということ。


「明日休みなんだけど、何か手伝おうか?」

「え、ほんと! 助かる! じゃあ買い物連れてって」

「いいよ、何かいるのか?」

「船の部品系とその他色々かな、あと前に見せてくれた鉄板に乗った肉が食べたい」


どうやら前半は建前で後半が本音のようである。



・・・



「ただいまー」

「あぁ、おかえり。頼んでいたものは?」

「ほれ、ちゃんと買ってきたよ」


久しく忘れていた行ってきますとただいま、そんな言葉のやりとりがなんだか妙に気恥ずかしいが相手は石ころなので「私は何を思っているんだ」という感情が渦を巻く。


「お姫様はどうだった」

「気になるんなら自分で見に行けよ」

「君はひどいなぁ、私の知っている彼女ではなくなってしまったライカを見に行けなんて、人の心がないのかい」

「あ、うん、ごめん。軽口が過ぎた」

「冗談だ、本気でへこむなよ」

「冗談とは思えんだろ」

「そうか、不謹慎なのは面白いとインターネットに書いてあったんだが……」

「二度とみるなそんなサイト」


タナカは私が出る前と帰ってきた後、決まってコーヒーを淹れてくれる。私は生まれつきカフェインが効きにくい体質らしく睡眠には特に影響しないので喜んで彼の淹れるコーヒーを飲む。

クッキーと共にタナカが今日読んだ本の話や、私の仕事の愚痴を呟く時間が続くと彼は全て見透かしたような口振りで切り出した。


「何か、私に聞きたいことがあるんじゃないか?」

「……感がいいな」

「君は顔に出やすい」

「そうなのか」


数十年間私は自分という存在と連れ添って生きてきいたが初めて知る情報である、多分私が顔に出やすいというより彼が他人の感情に聡いだけな気がするが。


「ライカの船が動かないらしい」

「いつもの故障じゃないのかい?」

「それが彼女がいうには故障箇所なんて見当たらないらしい」

「そう……彼女が言ったのか?」

「え、あぁ、うん」

「そうか。まぁ、そうなら彼女のいう通り故障箇所はないんだろう」

「じゃあ何で飛ばないんだ?」

「さぁね、皆目見当もつかない」

「嘘をつけ」

「申し訳ないが「嘘をつけ」と言われても嘘ならつけない体質なんだ」

「言葉尻取って言葉で遊ぶなよ、分かりにくい」


彼はそんな私の声などどこ吹く風で「話は終わりだ」と言わんばかりに自分の体をバラして身軽な一粒の石になり、ベランダから何処かへ飛んで逃げた。


「タナカの奴、何を隠してやがるんだ」


私の同居人……同居石はお喋りなくせに肝心なことは何一つ喋らない胡散臭い奴である。

むかついたので私は窓辺に広がった彼の体のパーツである石ころや砂利を一粒も残さず掃除機で吸い込んでやってから眠りについた。


・・・


暗がりの中で目を覚ます、今日はコーヒーの香りがしない。

野良猫のように転がってきた宇宙人はどうやら家出をしたらしい、まぁ今までも何処かへフラッと行くことはあったので特段心配もしていないし、そんな仲睦まじい間柄でもない。


シャワーを浴びて私服に着替える。いつもと違う朝のルーティン、コーヒーを飲めなかったことが気がかりだ。



「寒くないの?」


場面は車内に切り替わる。

彼女を迎えに行った後、大きなショッピングモールに向かった。彼女の要望に応えるならここが一番手っ取り早いと思ったからだ。

彼女は私が持ってきた大きめのパーカーとスラックスに安いスニーカー、私といえば冬に怯えて厚手のコートを着ている。一応彼女の分のダウンジャケットなんかも車には積んでいるのだが、彼女は「別にいい」と拒否した。


「寒くないよ? あったかいくらい」

「本当に?」

「本当だって、この星はあったかいよ」

「そうかぁ? 見てる僕まで寒くなるくらい薄着だよ」

「そう? 私から見ればサンの方が暑苦しい」


そう言われても、この星においては私の方が圧倒的に正しい季節感の服を身に纏っていると思う。


「宇宙は寒いからねぇ、この程度へっちゃらよ」

「ま、ライカがそれでいいんならいいさ」


私なんかは寒がりなので、この季節は常にコートのポケットに忍ばせたカイロをにぎにぎしている。タバコを吸うときなんて寒くて寒くて仕方がない。

私から見れば彼女はまるで恐れを知らない少年のようだ、学生時代に常にタンクトップだった友人を不意に思い出した。


「寒いって怖いことよね」

「そうかい……? あぁ、でも確かにそうかもね」


冬は曇りが多いし。日が登るのが遅く、沈むのは早い。

そして寒さは体から熱を奪い芯の方を凍らせていくような感じがする。

白い息をほうっと吐くと何か大切なものまで体の内側から出ていく気がする、寒々しくて恐ろしい。

その理由を私は綺麗に言語化できない。


「できなくていいよ」


言うと、彼女が笑う。


「怖いって元々説明できないよ、私にもあるしね怖いもの」

「それって?」

「内緒」


それだけ言うと、彼女は駐車場に足速に降り立った。


「怖い時は美味しいものを食べるのよ」


そう言って、太陽みたいに笑って見せた。



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