第6話 喋る石、君に星が降る

彼女と出会ってから早いものでもう二ヶ月が経とうとしていた、私の変わり映えのしない毎日は何処か劇的に変わったようで何も変わっていないようなそんな感じ。街は二ヶ月もあれば姿を変えて、すっかりと寒さが増している気がする……なんて感じるのはきっと私だけではないだろう。


すっかり馴染になってしまった『赤いソファ』を買ったアンティークショップで気のいい店主に勧められた暖かそうなネイビーのトレンチコートはだいぶ吹っかけられた気もするが暖かいので良しとしよう。

煙草を咥えながら息を吐くと白いので、これが寒さのせいなのか煙のせいなのかはまだよく分かっていないがコートを着ていても肌を突き刺すような寒さのする街ではどちらでもいいことである。


・・・


山上は寒いので、少しばかり彼女が心配になる。私は車に安物のヒーターを二つほど入れて更に寒くなる山頂を目指した。

寒くなると仕事が忙しくなる、世界の摂理であろうか? 社会とは付かず離れずの然るべき距離をとり生活している私でさえもその流れには逆らえず仕事に忙殺される日々を送っていた。もしや冬の摂理とは寒々しくなった人間の心の温度が噴き出しているのではなかろうか? なんてくだらない考えが過ぎる。


「ライカー、生きてるかー」


私は白い息を吐きながら寸胴鍋みたいな宇宙船の扉を何度かノックするも返事はない。彼女はたいていここにいるのだが、もしや何かを探しに人里にでも降りたのだろうか? 何か問題を起こしてないといいが。

置きっぱなしの椅子に座ると少しばかり冷たくて腹の底から『キュッ!』と嫌な音が鳴る。ポケットのハンカチを引いてから再度座り直すも抵抗虚しく私の可愛らしいお尻の表面温度が下がっている。

煙草に火をつけて、彼女を待つことにした。もちろんコーヒーの準備も忘れずに。冬は浅煎りよりも深煎りのコーヒーが美味しい季節だ、根拠はない。


「私にも一杯もらえるかい」

「あぁ、いいです……よ?」


あまりにもナチュラルに聞かれたために私は何も考えずに脊髄でラリーする。そのダンディーな声に聞き覚えのないことに気がついて言葉が止まる。


「誰です……か?」


止まった舌と脳味噌を正常に動かして振り返りながら呟いて、再度したと脳味噌が止まる。今度は殊更長く。

そこには人はいない。

そこには石がある。

意志を持って喋る浮遊する石がある。


「え、今のって」

「辺りを見回しても周囲には眠りこけてる彼女しかいないよ、コーヒーをねだったのは私で間違いない」

「ですよね」


唖然としながら言葉を紡ぐと、石の癖に流暢かつダンディーな声音で言葉が石から帰ってくる。


「……別にいいですけど、口あるんですか?」

「あぁ、気にしないで結構だよ。見ての通り、ほら」


石はぷかぷかと私の頭上を緩やかに旋回すると何かの合図を出した。途端に意志を中心に周囲の雑草や砂利や石ころが集まり人型を成した。


「わーお……」


口から落ちた煙草も気にならないほど目の前の非現実的な光景に間抜けな言葉を口にする。

そんな私を他所に、彼(便宜上、石の集合体を彼と呼ぶことにした)は砂利で出来た口をニヒルに裂いて笑うと椅子を引いて腰をかけた。


「それより驚いたな」

「何にです?」


落ちた煙草を拾い、捨てようとしたがまだ随分長いので勿体無い気持ちが勝ってしまった。軽く指で砂利を落として咥え直すと小学生以来の嫌な感触が唇を伝う。


「君があまり驚かないことに」

「いや随分驚いてますよ」

「私の予想では君は椅子から転げ落ちて小便でも漏らすと思ったのだが」

「そんなに間抜けな顔してますか」

「冗談だよ」


コーヒーカップを彼の前に差し出すと軽く礼を言ってから砂利で出来た口にコーヒーを流し込んだ。


「ふむ、美味しいな。私好みの味だね」


私はというと彼の隙間からコーヒーが滴り落ちるのではないかとワクワクしながら見ていたが、そんなこともなく普通に石の体の中に消えていった。

消化器官とかどうなっているのか、というか美味しいと言っていたが味覚はあるのか。謎が深まるばかりである、物思いに耽りながらコーヒーに口をつけた私はあまりの熱さに『ぎゃあ!』と間抜けな声を上げた。


「思ったよりも落ち着きがないね君は。質問があるならコイツの礼だ、いくつか答えてあげよう」


彼は石の集合体の癖に、何だか私よりも人間らしい仕草で物を語る。


「何なんですか?」

「それは文句かね? それとも私という生命体に対する疑問かね?」

「後者です。と言うか生命体なんですね」

「まぁ、ぎりぎり生命体という枠には収まっているだろうね」


彼はそういうと少しばかり押し黙り、顎らしき部位に指らしき部位を添えた。さながらその姿は安楽椅子に座る名探偵の如き所作である。


「あぁ、そうか君はあの海洋生物擬きに遭遇しているのか」


唐突な問いかけ。私は『海洋生物擬き』という存在に心当たりがなかったが、少し脳味噌を働かせれば瓶の中にあった「星の海」に住んでいた鯨のような彼らのことを指しているらしいことは察せられた。


「ならば話が早いな。私はアレらの仲間だとでも思ってくれ、星は違うがな」

「ということは……」

「君は間抜けに見えて意外と察しがいいな。考えている通り、私も星から彼女に頼んで逃亡してきた……さしずめ宇宙人といったところだね」


褒められた手前、私が全く見当違いのことを言おうとしていたとは言い出せない空気になってしまった。まぁ、自らが馬鹿であると申告するほど虚しいことはないので黙っていよう。


「宇宙……人?」

「人という部分に引っ掛かっているなら別に宇宙石でも構わないよ」

「それで、貴方も滅びる惑星から彼女に頼んで連れ出してもらったわけですか」

「いや、私の星は今も健在だよ」

「ならば何故?」

「一つの学級に30人いるとしよう」


彼が指を振るうと周囲に大小様々な石ころが30個ほど現れる。


「そこにいる人間が皆、仲良くお友達になれるか? 一人や二人、弾き出される哀れな奴もいるだろう」


一際歪な形の石ころを指で弾いてどこかに放り捨てる。


「それが貴方なんですか?」

「あぁ、そうだ。まぁ、30人なんて少ない数から弾き出されたわけではないんだがね。私以外の生命体が私を『異分子」だと弾き出したから、私も星から飛び出した」

「……宇宙こわぁ」

「私の星では皆個人の意識を保有しているが、それはそれとして全体で大きな意識を共有する生命体でもあった。異分子が出れば即排除、でなければ『生存』が危ぶまれる。そんな星だ」


私はクラウド上のデータのようなものを思い浮かべる、一つに致命的なウイルスがありそれが他のデータにも飛ぶとなればきっと私も迷わず削除を選ぶだろう。彼がしているのはきっとそういう話である。


「というか宇宙にも学級って枠組みがあるんですね」

「似た枠組みならあるが私たちの星では学級とは言わないね」


ならば何故、彼は知っているのだろうか。ライカもそうだが、彼もあの鯨達も流暢に日本語を話していることに今更のように気がついた。

そういえばライカはチューニングのようなことをしてから日本語を喋っていたが彼もそういうことなのだろうか。


「違うよ」

「……頭の中が覗けるんですか?」

「覗けはしないが推測は立てられる、きっと君は私が君たちと同じ言語を話し、君の知る言葉を使うことに疑問を抱いているんだろう」


やはり、頭の中を覗かれている気がする。まぁ、覗かれたとて困ることは何一つないのだが。


「私はそういう風に設計された生物というだけだよ。知識をなぞることができる、君の出したコーヒーが私たちの体に無害だ……ということも見ただけで理解できたし、君が咥えているそれがこの星では有毒な物質であることも。君が彼女に名乗った『サン』という名前が小説の作者からとった偽名であることも」

「全知全能って奴ですか?」


私は煙草に火をつけた。

彼は呆れたように笑う。


「全知全能なら星から追い出されたりはしないさ」


そう言って、コーヒーのカップを傾ける。


「私は知識をなぞっているだけだ。このコーヒーが深煎りで温かいことは知っているが、飲むまではどういった味わいで、大体何度くらいなのかは知らない。体験が伴っていない、なぞっただけの知識を分け知り顔で振り翳しているに過ぎないよ」

「へぇー」

「興味なさげだね、君は未知にそそられるタチなんじゃないのか?」

「うーん、何だろうか」


驚きはする。興味もある。

されど何故だか不思議なことに「彼」にライカほどの未知を見出せない。彼のことなど、彼の星など知らないはずなのに、それが既知である気がしてならない。

私がそんなことを口に出すと、彼は少し考えた後唇を動かした。


「それは君と私の周波数が似ているからだろうね」

「周波数?」

「あぁ、微弱な電気信号とも言える。実は私は誰彼構わずコミニュケーションが取れるわけじゃないんだ。それこそ、今の彼女……ライカでは私のことを認識すらできない」


今の彼女、その一言に引っ掛かりを覚えた。


「君と私は周波数がよく合う、故にこうして会話ができる。それはつまり、君と私は似たもの同士であるということだね」

「今の彼女ってどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。私を掬い上げた時の彼女の話だ、記憶が擦り切れてリセットされるずっと前の前の彼女だ」


私はその一言を噛み砕く、まるで固い石ころでも噛み砕くみたいに難儀しながら言葉の意味を。


「人間の……あぁ、この星に住む君たちの事だ。君たちの脳のキャパシティは実はすごく広く大きい、とてもじゃないが一生のうちに使いきれないほどに」


彼は続ける、私の答えを待たずに。


「じゃあ、彼女はどうだろう? 長い長い間、それこそ私が生まれるよりもずっと前から太陽系の外を旅してきた彼女、歳も取らず体も若いが、脳のキャパシティは耐えきれず誤作動を起こしシャットダウンされて」

「彼女の記憶は……擦り切れて消える?」

「正解だ。つまり、彼女はそんな常軌を逸した宇宙旅行を続けるうちに、脳味噌のメモリを何回も消し去って生きている。まぁ、生物の防衛本能だね」


彼はどこか物憂げな顔をする。石ころが張り付いた表情の読めない顔で確かに憐れむように。


「故に、彼女は私を知らない。私の星に訪れたというデータは写真機や、或いは宇宙船のデータには残っているかもしれないが、私とどんな会話をして、私をどこに連れて行くはずだったのかも」

「言わないんですか?」

「言ったろ? 周波数が合わないんだ、彼女は私を認識すらできない。それに私が面白いと思ったのは前の前の彼女だ、今の彼女は別人だよ。たとえ顔も声も同じでも、彼女は……あの仄暗い宇宙の中で死んだんだ」


彼は取り繕ったように笑いながら呟く。


「君流に言えば、私の知る彼女を私を知らない彼女だと判断するのは……浪漫に欠けるって事だね」

「貴方は一体……ライカの」


言いかけた言葉は最後まで言い切れずに終わる。目の前で流暢に喋っていた彼が途端に人の形ではなくなり、文字通り物言わぬ、意志も持たぬ石ころに変わってしまったから。

そして、宇宙船の中からはライカが欠伸混じりに出てきた。


「あれ、サンじゃない。どうしたの一人で? 誰かと喋ってた?」

「……いや、独り言だよ」

「そう? 変なの」


彼女はそう言いながら先程まで彼が座っていた椅子に腰を下ろした。

まだ彼には聞きたことが山ほどある、彼女のことで私のことで、また彼のことで。でもきっと彼はライカが活動している時には顔もださないのだろうという確かな確信だけがあった。


私は知らねばならない、彼女のことを。

これを記すにあたって、なんて言い訳がましい理由ではなく……彼女に惚れてしまった私は降ってきた星屑のような宇宙飛行士のことを知りたいと、知らねばならないと心の底から願っている。




・・・




深夜三時、聞きなれた音で目を覚ます。

ケトルを沸かす音、それとコーヒー豆を挽く音。全自動ミルは楽だが音がでかいのが難点なのだ、寝ている私などすぐに目覚ますほど。

愉快な強盗が金品を盗む前にコーヒーブレイクでも楽しんでいるのかと意を決して武器になりそうな掃除機片手にリビングに出る。

そこには私の小説を読みながらハンドドリップでコーヒーを淹れる「彼」が居た。


「おや、起こしてしまったかい? というか手に持った掃除機は何だ? それは武器ではなく清掃用具だろう?」

「……何やってんだ」

「何って、コーヒーを淹れているんだが……?」


ひどく困惑した様子でどこから集めてきたのか分からない砂利の体で小首を傾げて見せる。


「なんでここにいるんですか」

「いやぁ、私はお喋りが好きでね? 元々私の星では脳を介してのコミュニケーションが主流で誰も会話をしてくれないんだよ。彼女もあんな調子だろう? 君とは周波数があうし何より趣味がいい。まぁ、この私と周波数が合うのだから趣味はいいだろうがね。あぁ、安心してくれ君の分のコーヒーも淹れてあげたから。気にするな、同居人としての礼儀だよ……あぁ、私は見ての通り石なのだから同居石と言ったほうがいいかね?」


眠たい頭につらつらといい声で言葉を弄ぶものだから、私の血管がぶちぶちと音を立ててキレる。この世で一番腹の立つ行為は安眠妨害だ、彼はそれを犯した。

私は静かに掃除機のコンセントを差し込んでスイッチを入れる。


「おい待て、話し合いをしようじゃないか? 私の体は見ての通り砂利や砂で形成されてるんだ、そんなもので吸い込まれたらひとたまりもない。おい、待てやめたまえ! 話し合いをしよう! 睡眠を妨害した件に関しては悪かったぁぁぁぁぁぁぁ」

「掃除用具として正しい用途だろう、ついでに武器としての側面も満たしてる。文句はないな、詭弁野郎!」

「蛮族か君は! あぁ、私の体が全部吸い込まれた!」


何だかアンニュイな形で別れた彼とは、想像よりも長く付き合いが続きそうである。

その夜を境に私の家に同居人……もとい同居石が一つ増えた。

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