第3話 写真機と赤いソファ

赤いソファがある。

どこかの国で作られた正真正銘のお高い家具と言うやつだ。いつ造られたのかも、一体誰が作ったのかもその真相は定かではないし特段興味もない。

だが私はこの街に自らの住居を一人で構えるとなったとき、店先で寂しそうに置かれていたコイツに恋をした。


その日は雲ひとつない快晴で、夕方になると眩いほどのオレンジ色が街を照らしていた。

照らされていたのは私もこのソファも例外ではなかった。

綺麗にそして丁寧に手入れされた本革に夕陽が眩く反射して、歩いていた私の顔を目掛けて飛んできた。


突如飛来した閃光に面食らった私は少しばかり呆然と足を止めてそのソファと目を合わせて、吸い寄せられるようにそのアンティークショップの戸を叩き、気前のいい店主と雑談したのち値段も見ずに購入した。


その晩、何故あんな突発的な行動に出たのだと一人暮らし初日にしてずいぶんと寂しくなった預金通帳と睨めっこしながら安酒を煽って呟いた。

それでも少しの後悔もしていなかったのは当時の私の声音を聞いてもらえれば明らかだろう。


そのソファが運ばれてきて私の家の中央に陣取った時、私はそこはかとない満足感に包まれた。

友人たちは「壁に寄せろ」「赤いソファなんてダサい」など、口々に忌憚のない意見を聞いてもないのに聞かせてくれたが、その全てを私は「うるさい黙れ」の一言で一蹴してきた。


私は西日に照らされて輝く赤いソファを眺めながら飲むコーヒーが何より好きである。

ソファに自ら座らなくてもいい、ただそこにあるだけで心の芯をぽかぽか暖かくしてくれる。

これが『恋』でないのなら一体なんなのだろうか。


・・・


「ロマンだね」


そう言って笑って褒めてくれたのは違う星からきた宇宙飛行士だった。

この星では理解されない私のこだわりは、どうやら星を跨いだ場所に理解者がいたらしい。


私は機嫌が良くなって空いた彼女のマグカップに温め直したコーヒーを注いでやった。

彼女はコーヒーに口をつけながら私のスマートフォンの写真フォルダを時折「ほうほう」と言いながらスクロールして眺めていた。

そこまで面白い写真なんて撮っていない、綺麗な夕陽やカフェの写真などが殆どでとてもじゃないけど宇宙からきた彼女が喜ぶものなんて無いのでは無かろうかと不安を孕んだ疑問を口にした。


「いやいや、こういうのがいいのよ」


彼女は笑う。


「写真にはその人の本当の性格が反映されると私は思う」


彼女は少し待ってて! と元気よく立ち上がり、何やら宇宙船内に引っ込んで行った。いったい何が出てくるのだろうか? 宇宙技術により造られた高性能なハイパーカメラでも出てくるのだろうか。

そんな淡い期待と共に短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けて消火すると、彼女がボロいカメラを携えて戻ってきた。

それはまるであのソファを買ったアンティークショップで叩き売りされていそうな雰囲気のカメラ……というより写真機と呼んだ方がしっくりくる1品だった。


「私のカメラ!」


ずいっと眼前に差し出されたカメラをおずおずと手に取ると妙にしっくりくる重さだった。なんというか収まりがいい、しっくりくる。

ボロっちいが、だからといって雑に扱われていた訳では無いと一目で分かる。それくらい彼女によって大切に使われていたのだろう。


「これはどこで?」


とても宇宙で造られたものとは思えない。

実は変形します……なんてオーパーツ的な文明感も感じられない、地球で造られた物のようだと思った。


「これはね、この星の三十個前かな……いやもっと前かも? そこで交換してもらったの」


温くなったコーヒーを「あちっ」と言いながら啜り彼女が思い出したように言った。


「その星では石が貴重らしくてね、燃料と何か交換してくれないかって持ちかけた時に前の星で紛れ込んだ石ころを交換したんだけど……」


彼女は地面に落ちていた薄く汚れた石ころを拾い上げた。


「そうそう、こんなのこんなの。なんか燃料と交換にしては貰いすぎだ!って言ってお爺さんがくれたのよ」


石ころを片手で弄びながら、彼女は思い出したように小脇に抱えたアルバムを私に差し出した。


「見ていいよ」


年季の入ったアルバムだった。

私はまるでラブレターでも見るみたいにドキドキと鳴る鼓動を押さえつけながらアルバムを開く。

だが、そこにあったのは何でもない日常の一欠片。

船内にあるベットの写真、ぼやけた歯ブラシ、なにやら固そうなクッキーに辺な色のスープ。タイマー機能を初めて使って失敗したであろう見切れるライカ。


「そこら辺はね、カメラをもらった時に楽しくて撮ったやつ」


あぁ、わかる。

目新しいものは用事もないのに使いたくなる。


「君が喜びそうなのはこの辺りかな……」


そう言って彼女は私の側にぐいっと身を寄せると何枚かのページを飛ばした。


「おぉ」


そこには『未知』が詰まっていた。

空を飛ぶ魚のような生物、現地の人であろう人型ではない人達、目の前を通過するスペースデブリ、空を舞うライカ。

そこには私の求める未知がある……そこには私の知らない彼女がいる。私にとっては彼女という存在もまた『未知』である。


「どの写真が気に入った?」


笑う彼女が問いかける。

故に私が指差したのは一枚目にある見切れたライカの写真であった。


「え、嘘! 何でそれなの?」


「これが一番君らしい」


彼女は言った「写真にはその人の性格が反映される」と……ならば私にとっての未知が詰まった彼女の混沌としたアルバムはやはり私の思い描く彼女そのものである。

不思議で混沌としていて、まるであのソファのように胸を弾ませるライカが私が今の時点で一番知りたい『未知』であった。


「あげようか? こんな写真でよかったら」


「もらえないよ、君のアルバムだろう」


「……じゃあ交換しよう!」


彼女はそう言って私の手にカメラを渡す。


「これで君が私に見せたい写真を撮ってきてよ、それとこの写真を交換しよう」


「人から物を借りるのは好きじゃないんだ」


「何で?」


「何でって……もし雑に扱って壊したら弁償してもしきれない」


「言うと思った、だから貸すんだよ」


コーヒーを啜りながら彼女の本意に気がついた。


「そう言う人は雑に物を扱わないでしょ。それが現時点でサンと会話して私が思ってること」


「知り合って間もないのによくも人をそこまで信じられるな君は」


些か彼女は人が良すぎる、まるで幼児とでも喋っているのではないかと時折感じるほどに底抜けの無垢さと善性がある。


「時間なんて些細な問題よ」


彼女はむくりと立ち上がって星空を仰いで笑った。


「宇宙ではそんなの確かな物差しにはならないからね」


その言葉に私は昔読んだ記事の話を思い出した。

どうやら地球と宇宙では流れる時間が違うらしい……という言い方では少し語弊があるだろうが何分、浅学の身なので許していただきたい。

SF映画でよくあるやつだ、宇宙へ気軽に旅行に旅立ち帰って来ればそこは人類が滅んだ猿の惑星だった……と言うやつである。

この星と宇宙では大いに時間にズレがある、故に私と彼女の間に流れる時間にもズレがある、なるほどどうして宇宙を旅する彼女が言えば納得のいく言葉であった。


「……そうだね、じゃあ借りていくことにするよ」


「えぇ! 素敵な写真を見せてね」


「君のお眼鏡に叶うものが撮れればいいんだけど」


私はふと思案する。

この星の先、太陽系のその先の先のずっと先、遥か彼方からこの星に飛来した彼女は一体どれぐらい長い期間宇宙を彷徨っていたのだろう。もしかすると私たち人類が生まれて育ち、そして死んで文明が消え去って……また次の私たちが生まれて滅んでを繰り返したずっとその先から来たのだろうか?

そう考えると背筋に嫌な感触があった、そんなこと考えるだけで恐ろしい。


「どうしたの?」


無邪気に笑う彼女は一体どれほどの長い期間一人ぼっちで生きてきたのだろうか。友人も親も他人も消えたその先で彼女はどうして……。

私はそんな考えをかき消すために咥えた煙草に火をつけて煙を燻らせた。


「写真、撮ってくるよ」


せめて、遥か彼方に飛び立った後の彼女が一人ぼっちでも寂しくないように、いつか私の撮った写真を見て「あぁ、そんな奴いたなぁ」なんて笑って懐かしんでもらえるように。


・・・


次の日、私は幸運にも休みであった。

遅刻だと飛び起きた私はスマホの日付を呆然と眺め、最早何の日かも分からない祝日に心の底から感謝して掛け布団の中に再び潜水した。

だが一度覚醒した意識というのは中々に厄介である、それが出社の恐怖を刻み込んだ社畜の肉体なら尚更のこと。


「睡眠をよこせ!」と慟哭する瞼に冷水を浴びせ、欠伸混じりにコーヒーを淹れる。やはり器具の揃った家で淹れるコーヒーは格別に美味い。

簡単に着替えを済ませ、心地の良い陽気を全身で浴びるべく私はコーヒーと煙草を持ちベランダに足を踏み出した。

ぼうっと煙草を吸いながら空白の一日の予定のパズルを組み上げる、こんな良い天気の日に一日を惰眠で終わらせるのは如何にインドア派な私でも気が引ける。

たまには外で小洒落た朝食でも摂るのも悪くない……それに彼女に渡す写真も外に出て撮りに行こう。お気に入りのスポットがいくつかあるのだ。


それから私は街を歩いた。

たまにランチに行くベーコンの分厚いサンドイッチの店は確か朝から空いていたと思い出し、そこで朝から食べるには中々ヘビィなBLTサンドとコーヒーを写真に収める。


満腹になった後は公園の敷地をぶらつき喫煙スペースの外ではしゃぐ子供にピントを合わせた、中々に良い写真が撮れただろう。


あのソファを買ったアンティークショップに訪れた。あいも変わらず閑古鳥が鳴いているが店内にはヒッピーみたいな陽気な店主がジャズを聴きながら腰を揺らしていた、彼は私に気がつくとこちらに何でもないような顔をして歩いてくる。


「あのソファ、良いだろう?」


彼はそう言って無精髭を揺らしながら少年みたいな顔で笑う。

どうやら私のことを覚えていたようでしばらくの間雑談をした後、写真のことを話すと気前良く撮影の許可が降りた。

キメ顔でカウンターに肘を付く彼に合わせてシャッターを切る、また訪れることを約束して私は店を後にした。


そこからは撮るものも撮りたいものもなく、ただ街を散策した。疲れたら座って、美味しそうな香りがすれば買い食いをする、たまに路地の裏で一服した。

きっとライカとの約束がなければ私はこんなことしなかったであろう、自分の住んでる街なんてみんな、知っているようで知らないものだ。「アスファルトにこびり付くガムはお前より街を知ってる」そんな歌詞がイヤホンから響いて私は「確かに」と独りごちる。


世間が夕暮れに近づいて足並みが速くなる、私も例外ではない。

家路に着く前に古びた書店に立ち寄って、普段は立ち寄らない専門書のコーナーで私は「相対性理論について」と書かれた仰々しい本を買った、値段もまた仰々しかった。絶対に読み終われないと知っているのに。


家に帰りつき、今日撮った数々の写真を振り返る。どれも良い写真なのだが如何せんしっくりこない。だが、もう私の足は「休ませろ!」とストライキ、今更街に繰り出す元気はない。


煙草を咥えて換気扇の下で燻らせた、一体何を彼女に見せようか。

西日が部屋いっぱいに差し込んだ。あぁ、そう言えば今日は雲ひとつない快晴だった、それは夕陽も格別綺麗だろう。


私は咥えた煙草を灰皿に預け、少し笑いながら写真機を構える。

別に外に被写体を探す必要なんて初めから無かった、彼女が振り返った時に私を思い出してくれるような写真なら、これ以外にはないだろう?


まるであの日みたいにオレンジ色を吸い込んで反射する私の部屋の真ん中にある赤いソファ、私はそれにピントを合わせてシャッターを切った。

きっと彼女は「ロマンがある」と笑ってくれるだろう。



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