第2話 流れ星、星のお姫様
他人の香りが鼻先を掠めて私はようやく意識を取り戻す。
大した衝撃音も砂埃もなかったのにこの星に不時着してしまった冗談みたいなロケットを見て「どうか夢であってくれ」そう呟いた。
「いい夜だね」
絵画と言われても遜色ないほどに美しい微笑みだったものだから、私は馬鹿みたいな愛想笑いでお茶を濁した。
女はそんな私の曖昧な態度に眉を顰めることもなく、まるでそれが当たり前のように会話のキャッチボールを開始した。
「君は何しにこんなところに?」
「……天体観測を」
「天体観測……あぁ! うん、いい趣味だね」
「ありがとう」
彼女は私の顔を凝視するばかりで何も話題を振っちゃくれない、どうやらターンは交代制で進行しているようで、彼女の視線から察するに私のターンらしかった。
「君は……何をしに?」
「侵略」
突然だが、私は運動のできる天体オタクである。
山登りをするだけあって持久力もそこそこあるのだ。つまり踵を返して全力疾走しても彼女が人型の内ならばギリギリで逃げ切れる可能性が高い。
「冗談だけどね」
たった今不時着した姿を見た者からすれば本当に笑えない冗談はやめてほしい。
「本当はね、事故ったの」
「じこ?」
「うん、船旅も長くてね、私の船にもガタが来てたんだけど、大きなゴミにぶつかって一気に調子が不味くなったから、この星に不時着したの」
「本当に宇宙から来たんですか?」
「うん、君が一番に見てたでしょ?」
自分は比較的柔軟な思考の持ち主だと自負していたが、それでもあまりにも突拍子がない出来事を目の当たりにして、脳が硬くなっているのがわかる。
だが、彼女が嘘つきではないことだけは確かである。
世界中が彼女を嘘つき呼ばわりしても私だけは彼女の潔白を証明しなければならない目撃者としての責任がある。
などと長々と自分自身に言い訳しても、本当の胸の内は一つだけ。私は彼女に、彼女という未知の存在にどこか心が躍っているのだ。
「だから、敵対する意思もない意味もない哀れな漂流者ってわけなんだけど信用してくれる?」
「あぁ……うん、一旦は信用する」
「ありがとう。ところでなんだけど」
彼女の腹の虫が大きな声で泣き喚く。
「ここのところ食料も切れて、何も食べてないんだけど。よかったら何か分けてくれない?」
気の抜けた彼女の笑う顔に、私は思わず呆れたように笑みをこぼしてため息をついた。
・・・
「美味しいね、これ」
「そう?」
と言ってもだ、私も日帰り予定なので大した荷物も持ってきていない。
バックパックの中にある食べれるものといえば、非常食がわりの味気のないパンと美味しいコーヒー、それとほんのりと甘い硬いビスケットだけ。
彼女はそんな食料に目を輝かせて、宇宙船の中から「ガラクタだから」と言って持ってきたよく分からない鉄の塊をテーブルがわりにしてパンを食べ始めた。
私といえば、そんな彼女が持ち込んだオーバーテクノロジー感あふれる鉄屑に胸が再び踊り出す。
「君は、どこからきたの?」
「……忘れちゃった」
「言いたくないならそれでいいよ」
「いや、言いたくないとかじゃないんだよ。本当に忘れてしまったんだ」
どこから来たか……というよりもどの国やどの星から来たのかという質問を忘れたと返す意味が私には分からなかった。もしかすると彼女は記憶喪失か何かだろうか。
「記憶がないの、殆ど」
「記憶喪失?」
「みたいなものかな、気がついたらあのオンボロ船に乗って私はふらふらと宇宙を旅してきたの」
「燃料は?」
「言っても理解できないと思うから省くけど、ここにきたみたいに幾つもの星を廻って旅をしていく先々で分けてもらったり、何かと交換したり、たまにはかっぱらったり」
最後の一文は聞かなかったことにしておこうと心に決めた。
「まぁ、こんなに船の調子が酷いことは初めてで色々困惑してるんだけどね。だいたい、太陽系は会話の通じるまともな生命体がいなくて困る」
「えっ、生命体がいるの!?」
「いるよ、そりゃね。当たり前じゃない、どんな場所にだって、どんなところにだって膨大な時間が流れれば生き物は生まれるよ」
「他の星の生き物はどんな形してるの!?」
「うーん、そもそも形がない生き物の方が多いんじゃないかな。なんて言えばいいんだろうか、この風とかそういう感じ」
「概念ってこと?」
「よく分からないけど多分そんな感じかな」
「すごいなぁ! それってすごく、ロマンがある」
「ははっ、さっきまで警戒していたのに他の星の話をしたら凄く嬉しそうだね」
私は自分が過去最大に興奮していることを自覚して声のトーンを少し下げる。顔が熱い、気がつけば彼女のすぐそばに自分の顔を寄せていた。
照れ隠しのように胸ポケットからタバコを取り出して火を付ける。
「なんだいそれ」
「タバコ」
「匂う感じ凄く体に悪そうだけど」
「うん、悪いよ」
「じゃあ、なんで吸うの?」
「うーん、これには依存する物質が入ってるのと、一時的に幸福感とかを得られるから?」
「無駄じゃない?」
「でも、ロマンがあるだろ」
「ロマンって何」
「うーん、難しいね」
こうして問いかけられるとうまく答えられない、そもそもタバコを吸っていたって別にかっこよくも何ともないし、何なら最近では公害に等しい
それでも、なぜ吸っているのかと言われれば他ならぬ祖父の影響もあるだろう。スマートフォンで調べれば正しい語源が見つかるだろうが、それこそロマンに欠けるというものだ。
しばし思案する。私の中でのロマンとは?
「憧れじゃないかな」
「憧れ?」
「例えば……そうだね、何かを強く願ったり。強く何か今とは別のものになりたいと思う心かな。僕は宇宙に行けないけれど、宇宙から来た君に今すごくロマンを感じてる」
「いいねそれ」
「そう?」
「一ミリたりとも理解できないし、無駄なことには変わらないけど。しっくりきた」
「なら……まぁ、よかったか」
頑張って考えた甲斐もあるというものだ。
「この苦いの美味しいね」
「コーヒーっていうんだ、飲んだことないの?」
「別の星で似た味のものは飲んだ記憶があるよ。まぁ、何はともあれ食料をありがとう……えーっと、なんて呼べば?」
その問いかけに、私は自分の名前をいうのを躊躇った。
なぜだか分からないけれど、私は彼女に名前を言いたくなかったのだ。
「どうしたの? 君も、名前を忘れちゃった?」
「サン」
「えっ?」
「サンだ、僕のことはサンと呼んでくれ」
「そう、よろしくサン。美味しいものをありがとう」
「君は?」
「言ったでしょう? 名前、忘れちゃったの」
「でも、呼び名がないと不便だよ」
彼女は少しの間うんうん唸って、星を見上げた。そうして懐かしそうに笑って言った。
「じゃあ、ライカ」
「ライカ?」
どこかで聞いたことのある名前だと思ったけれど私にはそれが思い出せない。
「今日から、ここにいる間は君はサンで私はライカ。それでいい?」
どうやら私の事は見透かされているようだ。
「私、この星に来て初めて出会ったのがサンでよかった。これからもよろしくね」
「まるで次があるみたいな言い方だね」
「あるでしょ次」
彼女が口の端を釣り上げる。
先ほどまでとは打って変わって官能的で蠱惑的、ハチミツみたいに甘ったるくて胸焼けしそうだ。
「サンは私の話が気になって気になって仕方がない。私は船が治るまではこの星から出られない」
きっと彼女は、こうして星と星を旅してきたのだろうと確信した。いく先々で、彼女はこうして誰かと出会って虜にしたのだ。
「いいよ分かった。君の言う通りだライカ、僕は君に聞きたいことが山ほどある」
「本当に、最初に出会ったのが君でよかった」
「はいはい」
彼女は立ち上がると、私の前に回り込む。
「毎日じゃなくていいわ、時々ここにきて食べ物とか本を持ってきて。そしたら私はサンに色々な星の話をしてあげる。それでどう?」
「文句なしだ、いいよ。週に三回……仕事次第じゃ二回ぐらいは来るよ」
「ありがとう、助かる」
彼女が差し伸べた手を私は握った。
宇宙人だって言われれも信用できないぐらい柔らかくて暖かい、人の形の手だった。
「いいねこういうの」
彼女が笑った、心底楽しそうに。
「ロマンがある」
覚えたての言葉を使いたがる子供のように無邪気で楽しそうに。そして何より悔しいことに私も全く同じ意見。
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