第17話 おっさんの願い

 みんなで遊びに行った温泉地から帰ってきてから、マルナの様子がおかしかった。


 以前のように、薫だけがその不調に気づくというレベルではない。


 マルナのことを知っている者なら、誰もが明らかにおかしいと気づくレベルでだ。


 あまり笑わなくなったし、食も細くなったし、そのせいか心なしか痩せ細ってきているような気もする。


 何より一番変わったのは、薫にべったりとくっついてきて、離れないということだった。


 今までもそうだったが、それ以上。


 寝る時も一緒でなければ、眠れないという具合だった。


 以前なら微笑ましいと言っていられたそんな光景も、ここまで薫にべったりだと、さすがに異常と言わざるを得ないだろう。


 佐月の家の、薫に与えられた部屋の中。


 マルナが完全に寝たことを確認してから、薫はベッドから抜け出した。


 眠りが浅いと、この段階で起きてしまい、


「どこに行く?」


 さらに、


「わたしも一緒」


 あるいは、


「カオルもどこかに行っちゃうの?」


 となって、最終的には泣き出してしまうのだ。


 もちろん、マルナを一人にしたいわけでもないし、どこに行くわけでもない。


 その時はトイレに行きたかっただけなのだが、マルナを説得するのにものすごい時間がかかって、膀胱には途轍もない我慢を強いることになった。


 まさかこの年にもなって、あわやお漏らしの心配をするハメになるとは思ってもいなかった。


 薫はゆっくりとドアを開け、部屋を出た。


 向かったのはトイレ。


 それからのどが渇いたので、何か飲もうとキッチンへ。


 先客がいた。


 佐月である。


 グラスを片手に、冷蔵庫の中を漁っていた。


「姉さん、つまめるもの、何か作りましょうか?」


「ありがとう、薫! 愛してるわ!」


 ちょっと酒臭い佐月にほおずりされ、薫は苦笑した。

 それから冷蔵庫の中のものを使って、適当につまみを作った。


「ん~! おいしいっ! 本当、薫の作るものに外れはないわ~」


「適当に作っただけですよ」


「だったとしても、こんなにおいしいものを作れるなんて、すごいことよ!」


 身びいきかもしれないが、そう言われてうれしくないわけがない。


「ありがとうございます」


 それからしばらく、佐月の話し相手に付き合った。


 仕事とか、それに仕事とか、あと仕事とかの愚痴を聞かされた後、佐月が真面目な顔になる。


「ね、薫。マルナのことなんだけど」


 薫は温泉地でマルナの母親に似ているという人物に会ってから、マルナの様子がおかしくなったことを話した。


「……なるほどね。そんなことがあったの」


「ええ」


「お母さんが恋しくなっちゃったのかなぁ」


「母親だけじゃないと思いますよ」


「ああ、そっか。……うん、そうよね」


 父親に、弟がふたり。


 マルナは家族を一気に失ったのだ。


 そして失われた家族には、もう二度と会えない。


「…………いえ、そうでしょうか」


「薫? どうしたの?」


 薫はたった今思いついたことを佐月に話した。


「そうね。うん、いいと思うわ」


 佐月の賛同を得られて、ほっとする。


「つきましては姉さんにお願いがあるのですが」


「みなまで言わなくてもわかってるわよ。大丈夫、あたしに任せなさい」


 どんと胸を叩く佐月の、なんと頼もしいことか。


 薫は今回のことがうまくいけばいいと、そう思った。




 ◆




 翌日。


 朝食の席。


 佐月、光那、佐月の旦那である文弥、それにマルナを、薫は見回してから、切り出した。


「マルナ、話があります」


「何?」


「家族に会いに行きましょう」


「?」


 こくりと首をかしげるマルナ。


 光那がそれを真似していた。


 微笑ましい光景に頬が緩みそうになるが、そんな場合ではないと引き締める。


「わたしの家族なら、ここにいる」


 マルナが薫を見た。


 それから佐月、光那、文弥もだ。


 ここにいる薫たちを、マルナは家族だと思ってくれているようだ。


 それはすごくうれしかった。


 あの時、マルナの過去を知ったあの日、家族になろうと言ってよかったと、そう思っている。


「ありがとうございます、マルナ。僕もマルナのことを家族だと思っています」


「ちょっと違う」


 否定されてしまった。


「あ、間違った。だいぶ違うだった」


 強く否定されてしまった。


「とっても大事な家族の間違い」


 うれしい誤算である。


「そこまでですか」


「不服?」


「いえ。身に余る光栄です」


「なら、よかった」


 マルナが笑う。


 だが、その笑顔に、以前のような輝きはない。


 淡く、今にも消えてしまいそうだった。


「ですが、僕が会いに行こうと言った家族は、僕たちのことじゃありません。マルナの、本当の家族のことです」


「え……」


 マルナが固まった。


 何を言うのかと、信じられないという顔をしている。


「…………………………………………父様たちは死んだ。もう会えない」


 長い長い沈黙の果てに、ようやく言葉が紡ぎ出される。


 それだけで、彼女にとって家族に関する痛みが、心の傷が、まだ癒えていないことがよくわかった。


 無理もないし、当然だ。


 あれからまだ半年も経っていないのだ。


 薫だって、両親を失い、10年以上経つというのに、未だに寂しさを感じるのだから。


「そうですね。マルナの言うとおり、生きているマルナの本当の家族に会うことは、もうできないと思います」


 一応念のため、元聖女である佐月に、人を生き返らせることのできる魔法が使えるかどうか確認したが、無理だと言われた。


 とても残念なことだが、それほどの力はないらしい。


「だったら、どこに会いに行く? まさか」


「違います!」


 マルナが口にしようとした可能性を、薫は最後まで言わせなかった。


 マルナと出会った時、彼女は何を考えていた?


 死ぬことだ。


 死んで、家族の元へ行こうとしていた。


 再び、そのことを口にして欲しくなかった。


「だったら」


「墓参りですよ」


「墓……参り?」


「そうです」


 生きている本当の家族には、もう二度と会うことはできない。


 だが、家族の墓参りに行くことで、踏ん切れることがあると思うのだ。


 自分ががんばっていること。


 毎日、楽しく過ごしていること。


 もちろん、つらいことだって、苦しいことだってある。


 それでも、元気でいること。


 そう言ったことを、墓前で報告するのだ。


 それらの薫の説明を聞いたマルナは、しばらく黙りこくって考え込んだ。


 そして、言った。


「わかった。行く。墓参り」


 というわけで薫たちは、マルナの世界へ、本当の家族の墓参りに行くことになった。


「ありがとう、カオル。わたしのために」


「そんな。マルナの世界へと渡るのは姉さんの力ですし」


 元聖女にして、現魔王の力は伊達ではないのである。


「僕は何もしてませんよ」


「そんなことない。わたしのこと、すごく考えてくれてる。だからうれしい。本当にありがとう」


 マルナが立ち上がり、薫に抱きついてきた。


 胸元に頭をぐりぐりと押しつけてくる。


 そんなマルナをきゅっと抱きしめると、薫は言った。


「マルナが喜んでくれるなら、僕はそれだけでうれしいです」


 小さな体だ。


 こんな小さな体に、いったいどれだけの悲しみを抱えているのか。


 それが少しでも癒えたらいい。


 癒えて欲しい。


 薫はそう願った。

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