第13話 おっさん、実力を見せつけ、圧倒する
掃除に洗濯、それに昼食と、何かあって戻れなかった時のために夕食の支度もしておく必要がある。
薫は頭の中でそれらを効率的にこなす計算をこなし、実践していく。
その傍らにはマルナの姿があった。
先日、約束を破って時は気まずい雰囲気だったが、今では元どおりだ。
「カオル。わたし、ちゃんと洗濯物を干せた?」
「ええ、ちゃんと干せていますよ」
「本当?」
「もちろんです」
「よかった」
ぴこぴこ。
マルナの獣耳が動いている。
喜んでいる証拠だ。
洗濯物を一つ干すたびにこんなふうに聞いてくるのだから、元どおりどころか、前よりも薫にべったり状態であることは間違いない。
だが、マルナと仲直りできたことがうれしい薫は、そのことにまったく気づいていなかった。
それどころか、マルナが洗濯物を一つ干すごとに「すごいです」「がんばりましたね」と無意識に頭を撫でまくり、甘やかしていた。
この光景を誰かが見ていたらツッコミを入れていただろう。
いろいろと重症だ、と。
だが、ここにはそんな無粋(?)な第三者はいないので、思う存分、二人の空気を作り出すことができていた。
さて、そんな感じでひととおり家事を済ませた薫は、三階にある佐月の部屋に向かった。
ノック。
返事を待ってからドアを開ける。
佐月がノートパソコンとにらめっこしていた。
売れっ子作家である佐月は、締め切りが多いのだ。
「姉さん、ちょっといいですか」
と切り出して、食事の準備はすでに整えてあること。
また、朝の情報番組の天気予報で、もしかしたら天が振るかもしれないと言っていたから、その時は申し訳ないが洗濯物を取り込んで欲しいこと。
あと、先日ネット注文した荷物が今日の午前中に届くこと。
あれやこれやを伝えていく。
「OK。あとは任せて!」
「すみません」
「なんで薫が謝るのよ。謝るならむしろあたしでしょ。薫に全部押しつけちゃってるわけだし。――大変でしょ?」
主夫業と魔王代理、と佐月が続ける。
薫は少しだけ考える仕草をした。
「そうですね。大変じゃないとは言いません」
ですが、と笑った。
「サラリーマン時代より、今の方が充実した時間を過ごすことができています。だから、姉さんには感謝しかしていません。ありがとうございます、姉さん」
「あんたって子はもう。できすぎよ」
佐月が薫の頭を撫でてきた。
この年にもなって照れくさいが、こうされるのは嫌いではなかった。
「本当のことですから」
薫の言葉に、佐月がやさしく笑う。
「気をつけて行ってくるのよ」
「はい」
薫とマルナは佐月に見送られ、異世界に向かった。
◆
押し入れを抜けてやって来たのは魔王城。
佐月に与えられた部屋。
というより、歴代魔王が使用してきた部屋といった方が正確だろう。
備えられた調度からこの部屋に重く流れる歴史が感じられるのだが、薫の感想は違う。
「実に掃除のし甲斐があります」
ということになる。
実際、掃除をした時には信じられないくらい埃が取れて、実に気持ちよかった。
その時のことを思い出すと、ついつい頬が緩んでしまう。
「カオル、どうした? 顔が変になってる」
何気なく言ったのだろうが、ぐさっと来た。
「い、いえ、何でもありませんよ。さ、行きましょう」
部屋の外へ出る。
長い廊下は、バタバタと騒がしかった。
「何かあったのでしょうか?」
「たぶん、そう。なんだか空気がざわざわして落ち着かない」
獣人特有の超感覚だろうか。
「もしかしてまた襲撃とか?」
魔族やモンスターを奴隷や家畜にしようと考える人間が、あの国にしかいないと思うのは、楽観が過ぎる。
ちょうどそこに、慌てた様子のオークが通りかかったので呼び止める。
「何かあったのですか?」
「ああ、カオル様! ちょうどいいところに! ちょっと来てください!」
「え、あの!?」
わけもわからないまま、薫とマルナは闘技場に連れて行かれ
る。
◆
途中、オークに聞いた話を要約すると、こういうことだった。
魔王城に、薫がどれだけ悪逆非道な存在かを吹聴して回る奴が現れた。
魔王城で働く者たちは、普段、薫と多く接しているので、薫の人となりを知っている。
なので、薫がそんな存在ではないと、吹聴して回る者と衝突。
お互いの主張は平行線を辿り、ならば闘技場で決闘だ! ということになったらしい。
「わかりましたか?」
わからない。
「そこでどうして闘技場で決闘という流れになるんですか!?」
「魔族やモンスターはそういうものです」
モンスターであるオークにそう言われれば、なるほどと頷くしかなかった。
闘技場に着く。
いつ来ても古代ローマのコロッセオみたいな雰囲気だと感じる。
戦う前に、話し合いでなんとかならないかと思っていたのだが、すでに遅かったようだ。
魔王城で働くモンスターたちが、勝利の雄叫びを上げていた。
そして、ぼろぼろになった何かを、薫の前に引っ張ってきた。
見れば、この前、薫に絡んできたダークエルフではないか。
「なるほど。そういうことですか」
薫は理解した。
先日の一件を逆恨みしているのだろう。
ダークエルフが薫を見て叫んだ。
「お、俺は負けていない! 俺は強いんだ! あの時は……そう、たまたま! たまたま調子が悪かったんだ!」
モンスターたちにぼこぼこにされておいて、自分は強いという心は確かに強いと思うが。
「いい加減にしろ」
アヴァールにぶったたかれて、ダークエルフはあっさりと気を失った。
今回の騒ぎはこれで終わり。
そう薫は思っていたのだが、
「なあ、カオル。今後もこいつみたいに、お前のことを侮る奴が出てこないと言い切れねえ」
アヴァールは真剣な顔で、こう続けた。
薫は佐月によって、正式に魔王代理として任命されている。
魔王城で大々的に任命式も執り行った。
その任命式には、魔族たちが暮らすこの国の、主立った部族の長も出席した。
だから、誰が何というと、薫が魔王代理であることは間違いない。
だが、魔族やモンスターには『力=正義』『力こそすべて』『力が絶対』そんな部分があった。
だから魔族やモンスターたちにしてみれば、佐月は完璧な魔王なのだ。
元聖女であるという事実は伊達ではないのだ。
しかし、薫は違う。
この世界に召喚されたわけではなく、特別な力もない。
「あいつが――サツキが任命したから従ってる奴もいる。おっと誤解するなよ? みんながみんな、そういう奴じゃないからな。お前と接して、お前の人柄に惹かれて、従ってる奴だって大勢いる。この魔王城にいる奴のほとんどはそうだろう」
「それは面映ゆいです」
照れくさそうに頭をかく薫を、この場にいる皆が微笑ましそうに見つめる。
「だからよ、ここらでお前の実力を見せつける必要があると思うわけだ」
「それって」
どういうことですか、と続くはずだった声は遮られた。
「それはいい考えじゃ!」
という人化したバムハルトの声によって。
「カオルよ、我と手合わせをするのじゃ!」
「バムハルトさん、僕、しないって言いましたよね?」
「覚えておらぬ」
「嘘をつかないでください!」
そっぽを向いている時点で、覚えていると言っているようなものではないか。
「じゃあ、その次は俺な」
「アヴァールさんまで!?」
二人は戸惑う薫をよそに準備を始める。
「二人とも、冗談はよしなさい! カオル殿に何かあったらどうするんです!?」
ブライテルが制止する声も届かない。
「ブライテル、カオル様なら絶対に大丈夫ですわ」
「そう。カオルなら大丈夫」
「ちょ、クリムとマルナさんまで!?」
ブライテルがみんなを止められずに申し訳ないという顔を向けてくる。
「あ、えっと、その……ブライテルさんは悪くないですから」
「しかし」
「いや、本当に」
ブライテルをなだめつつ、薫はため息を吐き出した。
何だってこんなことになるのだろう。
今日の朝の情報番組の占いでは、薫の星座が一番ラッキーだと言っていたのに。
◆
薫と対峙するバムハルトは、興奮を隠しきれない様子だった。
なぜ、とは思わない。
マルナを倒したあの日からずっと、ことあるごとに手合わせしようというオーラみたいなものを送ってきていたのだ。
それが今日、ようやく叶うということで、うれしくて仕方がないのだろう。
人化しているバムハルトは美人なだけに、そうやって喜んでいる姿にはなんとも言えない色気が漂っている。
これから対戦するわけじゃなかったら、きっと見とれていたことだろう。
「カオル、ようやくじゃ! ようやく我の願いが叶うのじゃ!」
なので、うっとりした顔を向けられても、薫は困るだけだった。
「あの時、僕が言ったことを覚えていますか?」
「?」
「僕の流派、
護身とは、平たく言えば、守るための力だ。
「攻撃するためのものじゃないんです」
「確かにそう言っていたのじゃ。じゃが……」
「……ええ。こうなってしまったからには、構えるしかないのでしょうね」
「つまり、全力で応じてくれるというわけじゃな!?」
頷く。
「バムハルトさんは人化したままでいいのですか?」
「問題ないのじゃ」
むしろこの方が戦いやすいとも、付け加えられた。
「そうですか」
そこでブライテルが入ってくる。
勝敗をジャッジする審判だ。
ルールは単純明快。
相手に負けを認めさせた方が勝ちだ。
「では、絶対にやり過ぎないように。いいですね!? バムハルト!」
「わかっているのじゃ」
「では、――はじめ!」
ブライテルの合図とともにバムハルトが動いた。
竜の速度だ。
人化していても、それは変わらなかった。
一瞬にして薫に肉薄。
鋭く伸びた爪が光を帯びて輝いた。
誰もが薫が負ける姿を想像した。
だから、その結果が理解できなかった。
地面にバムハルトがねじ伏せられているなどと、誰が想像できただろう。
闘技場が静まりかえっていた。
「どうしますか。まだ続けますか」
ねじ伏せられたバムハルトは体を動かそうとして、自分の体がまったく動かないことに恐怖した。
「……………………我の負けじゃ」
その瞬間、闘技場が爆発した。
といっても、本当に爆発したわけではない。
それぐらいの大歓声が上がったのだ。
当然だろう。
四天王最強と名高いバムハルトを薫がねじ伏せ、負けを認めさせたのだから。
興奮せずにはいられない。
「よっしゃ! 次は俺だ!」
アヴァールがやって来たが、結果は同じだ。
いや、バムハルトよりもあっさりと負けてしまった。
闘技場の壁に、思いきり投げ飛ばされたのだ。
今度は誰もが想像していたとおりの結果で、それほど歓声は上がらなかった。
「盛り上がれよ!?」
アヴァールが言った。
「仕方ないですわ。だってあなた、噛ませ犬――ではなく、噛ませ牛みたいな、それはそれは見事な負けっぷりだったのですから」
クリムが言った。
「な、何だと!?」
アヴァールは怒るが、残念ながら事実である。
だが、事実だからと言って受け入れられるかといえば、それはまた別の問題で。
アヴァールとクリムがにらみ合いを始め、ブライテルが間に入って、なだめる。
不満そうだったが、アヴァールは気を取り直した。
闘技場に響き渡るような大声で言う。
「四天王最強のバムハルトを瞬殺したカオルの実力、ここにいる奴ら全員が見たな! わかったな、これがカオルの実力だ!」
闘技場が薫コールで包まれる。
「カオル様」
クリムに応えるように言われて手を振れば、集まった者たちはさらに興奮した様子で薫の名前を叫んだ。
驚くやら、照れくさいやら、困るやらで、どんな顔をすればいいのか、薫は迷っていた。
マルナが来て、服の裾を引っ張る。
「やっぱりカオルは強い。すごい」
「いいえ、僕は強くなどありません」
その言葉を聞き捨てることができなかったのは、薫に負けたバムハルトとアヴァールだ。
「むう、カオル」
「まだそんなこと言うのかよ」
「いや、本当です。真に強いというのは、僕の師匠みたいな人のことを言うんです」
「カオルの師匠……じゃと?」
「ええ」
「おいカオル、そいつはそんなに
「強いなんてものじゃありません。絶対に勝てない人です」
現時点で、この場にいる誰よりも強い薫にそこまで言わせるとはどれほどの存在なのかと、バムハルトやアヴァールをはじめ、みなが驚愕した。
「そして器が大きい人でもあります」
「カオル様、なんだかその人に対して特別な思いを抱いているように感じるのですけど」
クリムの言葉に、薫は考えてみた。
「そうですね。……そうかもしれません。僕にとって師匠は憧れで、特別ですから」
マルナが薫の脇腹をつねってくる。
嫉妬だ。
「マルナ、その、痛いのですが」
「聞こえない」
「いや、返事をしている時点で聞こえていますよね?」
「何のことかわからない。ぜんぜん聞こえない」
ぷくっと頬を膨らませて、マルナがそっぽを向く。
脇腹は痛いが、マルナに機嫌を直して欲しかった。
「マルナ、機嫌を直してくれませんか?」
「別に悪くない」
「ですが」
「悪くない。カオルはいったい何を言っているのか」
そんなふうにマルナに振り回されている薫を見て、クリムたちは思った。
「カオル様を振りますことができるマルナが、ある意味最強なのでは?」
確かにとみんなに笑われて、薫は苦笑した。
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