第12話 普通のデートじゃ終われない
佐月の家のキッチンに、緊張している薫の姿があった。
視線の先にいるのはマルナだ。
薫と同じのがいいとせがまれて購入した、ちょっと大きめのエプロンを着けた彼女が料理を、肉じゃがを作っているのだ。
包丁を扱う手つきは危なっかしく、何度も目をつむりたいと思った。
だが、目を離した瞬間、怪我をしたら?
そう思うと、目をつむることも、背けることもできない。
ただただ見守っていることがもどかしい。
手伝いたくて仕方がない。
だが、マルナは一人で作りたいと言ったのだ。
作りたいと思った理由を聞いても、なぜか教えてくれなかったが。
だから、薫はそわそわ落ち着かない様子で、マルナのそばをうろちょろすることしかできない。
「カオル、じっとしてて。気が散る」
怒られてしまった。
「はい。すみません……」
「大丈夫。作り方は教わった」
確かに教えた。
買い物からしたいということで材料の選び方から、下ごしらえの仕方、うまく煮るコツ、隠し味まで。
「だから何も問題ない」
獣耳を、ぴんっ! と立てて、尻尾もぶんぶん揺れている。
その姿からは、ものすごい自信がうかがえる。
だが、そんなことを言っているそばから、鍋が噴き出しているのだ。
そしてふたを掴んで、
「熱っ!?」
とやっているのだ。
「だだだだだだ大丈夫ですか!?」
「大丈夫。カオルは大げさ。これくらいどうってことない」
「ですが!」
「本当に大丈夫だから。カオルはそこで見てて。今日はわたしにやらせてくれるって言った。それは嘘だった?」
「いいえ、嘘じゃありません。僕はマルナに嘘をつきません」
「うん。家族に嘘は駄目。だから、そこで見てる」
「……………………」
「返事は?」
「……は、はい」
「よし」
というわけで、すごすごと引っ込む薫である。
だが、やはりじっとしていられない。
そわそわ。おろおろ。
と、後ろから足音が聞こえて来た。
「何やってるのよ、薫」
「あ、姉さん」
佐月だった。
「一休みですか?」
「なんとか目処がついたからね。で?」
「はい?」
「何やってるのかの返事」
「ああ」
薫は佐月に説明した。
「なるほど、そういうことね」
佐月はひとしきり話を聞いて頷くと、意地悪な笑みを浮かべる。
「ね、薫。あんた、初めてのお使いをする子どもを見守ってる父親みたいよ?」
「え、そうですか? そう見えますか?」
「……ちょっと。なんでそんなにうれしそうなのよ」
佐月が衝撃を受けていた。
「え、うれしいですよ。当たり前じゃないですか。だって、そういうふうに見えるということは、マルナの家族に見えているということなんですから」
うれしくないわけがない。
「そういうことね」
佐月が納得した。
「できた!」
マルナが料理の完成を告げた。
なら、もう近づいてもいいはずだ。
「マルナ、指は!? 火傷してませんか!? 他にもどこか怪我したり」
「してない」
「本当ですか!?」
「それより、料理ができた」
「はい、わかってます。よくできましたね。すごいです」
無意識にマルナの頭を撫でていた。
くすぐったそうにしている彼女に気づき、慌てて離そうとしたが、駄目だと言われ、しばらく撫で続けた。
「食べてみて」
「わかりました……ってマルナ? いったい何を?」
「わたしがカオルに食べさせる。はい、あーん」
「い、いやいや、自分で食べられますから!?」
「駄目」
「ですが」
「絶対、駄目」
絶対とまで言われた。
「薫、往生際が悪いわよ。ほら、早くあーんしちゃいなさいって」
佐月がニヤニヤしながら言った。
「姉さん、他人事だと思って!」
「当然!」
いい笑顔で言われたら、反論できない。
「ほら、早く。肉じゃがが冷めちゃう。料理は熱々の方がおいしい。違う?」
「違いません」
「なら、早く。あーん」
どうやら覚悟を決めなければいけないようだ。
「わ、わかりました。あーんですね。あーんをすればいいんですね」
「早く。あーん」
「あ、あーん」
マルナが箸で掴んでいたジャガイモを頬張る。
「どう?」
はふはふ。
口の中で熱を冷ましながら、味わう。
「おいしいです」
「本当?」
「家族に嘘はつきません」
「………………よかった」
マルナがはにかんだ。
「ね、カオル」
「何ですか?」
「肉じゃがをマスターしたわたしは、どんな料理も作れるはず」
今日初めて料理を作ったばかりで、肉じゃがをマスターしたとは。
しかも、肉じゃがを作れればどんな料理も作れると言い切るとは。
肉じゃがはそこまで万能だったのだろうか。
「だから、あれの作り方を教えて欲しい」
「あれ?」
「シュークリーム!」
「難しいですよ?」
「でも、やりたい。…………駄目?」
ぺこっと獣耳がうなだれる。
そんな姿を見せられたら、答えは決まっていた。
「駄目じゃありません。いつにしましょうか?」
「来週の水曜日は? ちょうど締め切り明けだから、マルナちゃんの作ったシュークリームが食べたい」
「来週の水曜日ですか?」
「どうかした?」
「いえ、何でもありません」
何か引っかかることがあったのだが、思い出せないので気のせいだろうと薫は思った。
◆
そしてその日はやって来た。
マルナと一緒に料理を作ると約束した日だ。
だが、薫は、いよいよ今日という段になって、何か大事なことを忘れているような気がしてならなかった。
だというのに、その何かが思い出せない。
――僕はいったい何を忘れてしまったんでしょう?
そう思うと同時に、
――こ、これが年をとると言うことですか……!
と、自分の老いを自覚して激しく落ち込んだりする35歳である。
「カオル、何してる?」
エプロン姿のマルナが聞いてくる。
尻尾がぴこぴこ揺れているのを見れば、今日という日が来るのをどれだけ楽しみにしていたのかが、よくわかるというものだった。
「自分の年齢について、ちょっと思うことがありまして」
「大丈夫。カオルはいくつになってもカオル」
何の慰めにもなっていない言葉だったが、マルナが薫を思って告げていることは明らかで、薫の心を軽くする。
「そうですね。僕はいくつになっても僕です」
「そう。だからどんどん年をとっていい」
フォローなのだろう。
が、微妙に傷口に塩を塗り込められたような気がしてしまう薫だった。
首をかしげているマルナに苦笑して、気持ちを切り替える。
「さて、今日はいよいよシュークリームを作ります」
「おー」
マルナの獣耳がぴこぴこうれしそうに動く。
「マルナはシュークリームが好きですね」
「大好き」
「甘くておいしいですから、無理もありません」
「それだけじゃない」
「というと?」
マルナが上目遣いで見つめてくる。
どうしたのだろうか?
「内緒」
「そうですか」
気にはなったが、ふふっ、と笑う彼女が見られただけで、充分だろう。
「では、はじめましょう!」
「はじめる! えいえいおー!」
マルナが腕を大きく突き上げた時だった。
「カオル様、来ましたわ!」
佐月家のリビングにクリムが現れた。
先日、異世界でデートした時とは、また違うゴスロリ姿のクリムは、とても愛らしく、素敵だった。
そして思い出した。
薫自身、何を忘れていたのかを。
クリムと今日、日本でデートする約束をしていたのだ。
すっかり忘れていたのは、クリムが所用で魔王城におらず、顔を合わせていなかったからだ。
薫がすっかりデートの約束を失念していたことを、マルナとおそろいのエプロン姿であることから、彼女は察したのだろう。
「また後日ということでもよろしいですわ」
クリムはやさしい。
そんなふうに言ってくれる。
その言葉に甘えたくはあったが、それは駄目だ。いけない。
先に約束を交わしたのは、クリムだったのだ。
薫はマルナに説明した。
「カオル、今日一緒にシュークリーム作るって約束した」
「はい、しました」
「カオル、言った。家族に嘘はつかないって」
「……ぐっ。は、はい。言いました」
「なのに嘘をつく?」
「つきません!」
「だったらシュークリーム作る!」
「それは……ごめんなさい」
「どうして!?」
「すっかり忘れていましたが、クリムさんと約束したのが先なんです。それは守らないといけないと思うんです」
「……………………わたしは今日作りたかった。今日はシュークリームの気分だった」
「ごめんなさい」
「カオルの嘘つき」
ぷくっと頬を膨らませて、決して薫と目を合わせようとしないマルナに、薫は何も言い返すことはできなかった。
僕は家族失格ですね、と心の中で呟いた。
◇《クリム視点》
クリムはアヴァールと違い、人化の魔法具を使うことなく、薫や佐月が暮らす世界に溶け込むことができた。
それにしても、この世界はいつ来ても驚きに満ちている。
新鮮な刺激を与えてくれる。
だがそれは、薫が隣にいてくれるからだ。
薫がいなければ、多少驚くことはあっても、ふーんそういうものかで終わっていたに違いない。
それぐらい、クリムにとって薫と過ごす時間は、とても愛おしく、大事なものになっていたのだ。
「あ、クリムさん。ここ、段差になっていますから気をつけてくださいね」
歩いていてそうやって手を差し出してくれるのは、薫ぐらいだ。
薫だけが、自分を女の子として扱ってくれる。
出会った時からそうだった。
自分は魔王に仕える四天王だというのに。
薫だけが、自分が女の子だということを思い出させてくれるのだ。
だから薫のことが好きだった。
……いや、そんなのは後ででっち上げた適当な理由だ。
本人は冴えないと思っている容姿も、ちょっと高めの声も、笑った時にできる目尻のシワも、薫の何もかもすべてが好きで、愛おしかった。
そんな薫が、今、一番気にかけているのは、クリムではなくマルナだ。
出かける前、あんな喧嘩をしたというのについてきたのだ。
意味がわからない! ……ことはない。マルナは薫にべったりだから。
だが、非常識ではないか。
これはクリムと薫のデートだというのに。
しかも薫も薫だ。
クリムをエスコートしながらも、ちらちらマルナのことを見て。
マルナことを気にしているのが丸わかりではないか。
きっと、どうやってマルナに許してもらおうか、そう考えているのだろう。
そういうのは、もう少しうまくやって欲しい。
だが、そういう不器用なところもかわいいと思ってしまうあたり、自分も相当なものだとクリムは苦笑する。
それにしても、と思う。
この二人はいったい何なのか。
一緒についてきている時点で、マルナは薫のことを許しているだろう。
だが、薫はそのことに気づいていない。
マルナに許して欲しいと、そう思っている。
一方、マルナはといえば、こんなにも薫に思われていることに気づいていないだろう。
たぶん、クリムがそのことを告げれば、二人はあっという間に仲直りするだろう。間違いない。
だが、絶対に伝えないとクリムは思った。
だって、悔しいではないか。
今は自分と薫がデートしているのだ。
二人が仲直りしたら、今まで喧嘩していた分、ものすごい勢いで無自覚にベタベタし始めるだろう。
そして自分はそれを見せつけられるのだ。
そんなの絶対に嫌だ。
だから今だけは、この時間だけは、薫を独占していたいと、そう思っていたのだが――。
「クリムさん、ごめんなさい!」
そんなことを言って、薫が駆けだした。
何事かと見れば、道ばたで急に倒れた、年老いた婦人を助けていた。
意識があることを確認して、救急車を呼ぶかどうか尋ねる。
そこまでする必要ない。タクシーを拾って家に戻ると告げる婦人を背負い、タクシーをつかまえ、乗せる。
「ありがとうございます!」
「大したことはしていませんよ」
「そんなことありません! お礼をぜひさせてください! 名前と住所を――」
「本当に大丈夫ですから」
タクシーの運転手に行くように告げ、見送っていた。
その一連の流れを呆然と見つめていたクリムはハッとした。
それぐらい自然に、薫が人を助けていたから。
クリムはだんだん、今、自分が薫とデートしているのかどうか、わからなくなってきた。
――いいえ、認めたくはないですけど、認めましょう! これはどう考えてもデートっぽくないですわ!
薫がこちらに戻ってくる。
しまった、という顔をしていた。
まったく薫には困ったものだとクリムは思う。
だが、困っている誰かを自然に助けられる薫のことすらも、好きだと思ってしまう自分がいるのだから、本当にもう、どうしようもないと思ったクリムは、クリム自身が気づかない、魅力的な笑みを浮かべていた。
◆
落ち着いた雰囲気の喫茶店に行き。
ウィンドウショッピングを楽しみ。
クリムトのデートを終えて佐月の家へと戻ってきた薫は、心の中で激しく反省していた。
――まったく、僕は最低の人間です……!
クリムとデートの約束をしていたのを忘れて、マルナと一緒にシュークリームを作る約束をして。
さらにデート中、クリムを置いて困っている年老いた婦人を見かけて助けに走るとか。
自分が信じられない。
なのに、一番信じられないのは、そんな自分を、クリムが許してくれたことだ。
「カオル様、まだ引きずっているのですね」
「……恥ずかしいです。クリムさんには、すっかり見抜かれているみたいですね」
「当たり前ですわ」
クリムが胸を張る。
「だってカオル様のことが大好きで、いつも見ているんですもの。それぐらいわかりますわ」
「そ、そうですか」
そんなふうにまっすぐに思いをぶつけられると、どうしても赤面してしまう。
クスッと笑われ、さらに熱が強くなる。
「先ほども言いましたが、私は怒っていませんし、むしろカオル様を誇らしく思いますわ」
クリムは言う。
あの年老いた婦人が倒れた時、周りにはたくさんの人がいた。
だが、誰も彼女に手をさしのべなかった。
横を通り過ぎていくだけだった。
そんな中、薫だけが手をさしのべた。
「それはとても素晴らしいことですわ」
「そんなことありませんよ。僕がやらなくても、他の誰かがやったかもしれないじゃないですか」
「だとしても、あの時点で動いたのはカオル様だけですわ。カオル様は素晴らしいですわ」
もう本当にやめて欲しい。そんなふうに持ち上げるのは。
うれしくはあるが、どう反応すればいいのか、本当にわからなくて、困る。
「ああ、どうしましょう。困っているカオル様がかわいらしすぎて……癖になりそうですわ!」
クリムがモジモジしながら何か呟いていたが、薫はよく聞こえなかった。
だが、背筋がゾクゾクした。
なぜだろうか?
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