第10話 狼少女と初デート、そしておっさんの怒り

 異世界で魔王代理としての仕事――主に掃除やら洗濯やら食堂での食事作りといったことに勤しむ薫。


 だが、今日の薫は様子が違った。


 いつもならば、掃除をしている時など、無意識にちょっと音程のずれた鼻歌でも口ずさんだりしているのだが、それがない。


 心ここにあらずというか、気がせいている感じだった。


 魔王代理としての仕事を終えた時もやはり違う。


「では、皆さん。お疲れ様でした!」


 常ならばここで一人一人モンスターたちをねぎらい、お茶をしていったりするのにそれがなかった。


 バタバタしながら日本に戻ろうとする薫にアヴァールが気づく。


「よう、カオル。どうした、そんなに急いで」


「アヴァールさん。実はこの後、マルナと一緒に買い物に行く約束をしていまして」


「買い物? そりゃまたどうして?」


 薫は事情を説明した。


 現在、マルナが着ている服は、すべて佐月のお下がりだった。


 なので、いい加減、マルナのものを買うべきだと、昨日の夜、夕食の席で佐月に指摘されたのだ。


 マルナは興味なさそうだったが、


「カオルはどう思う?」


「姉さんの言うとおりだと思います。マルナに似合った服を買うべきでしょう」


「わたしに似合った服?」


「ええ」


「その方がカオルはうれしい?」


「僕ですか? マルナではなく?」


「そう」


「うれしいかうれしくないかで言えば、うれしいですよ」


「なら、買いに行く」


 という流れで、買いに行くことになったのだ。


「なるほど、そういうことか」


「ええ。そういうわけですので」


 薫はその場を立ち去ろうとしたのだが、呼び止められた。


「なあ、俺も行っていいか?」


「アヴァールさん、マルナの洋服に興味が……?」


「おい待て変な想像をしてるだろ!?」


 そんなことはない。純粋に驚いただけだ。


「違うからな!? 勘違いするんじゃねーぞ!?」


 アヴァール、ツンデレである。


「ほら、前にカオルが日本酒? とかいうのを持ってきてくれたことがあったろ。あれ、うまくてよ。呑み切っちまって。欲しいんだわ」


「けっこうな量を持ち込んだと思ったのですが」


「一ヶ月分だろ?」


 一年分である。


「どうせなら自分で選んだ方が面白そうだし。駄目か?」


 駄目ではない。


「わかりました。いいですよ。ただ」


「わーってるよ。この姿だと問題があるってんだろ?」


 そのとおりなので頷く。


 アヴァールはミノタウロスだ。


 ミノタウロスが日本に現れたら大騒ぎどころではすまなくなる。


 何よりそのままでは大きすぎて、佐月の家が壊れてしまうという根本的な問題もあった。


 アヴァールが腕輪をいじると、その体が光に包まれた。


 光が収まると、そこに立っていたのは赤銅色に日焼けしたワイルドなイケメンだった。


 アヴァールがいじったのは、佐月がモンスターたちに用意した魔法具だ。


 人化できないモンスターでも人化することができる代物である。


 そうして人化したアヴァールとともに日本に戻った薫は、マルナにアヴァールも一緒に行くことになったと告げた。


「……デートじゃなくなった」


「なっ!?」


 その言葉に薫は吹き出してしまった。


「マ、マルナ……今、デートって言いましたか……?」


「言った」


「意味はわかっていますか?」


「もちろん」


 その言葉に、マルナがいつの間にか大人の階段を上ってしまいましたと、ちょっとズレた方向で衝撃を受ける薫だった。


「男の人と女の人がふたりきりで出かけることだってサツキが言ってた。……もしかして違う?」


「いえ、違いません」


 だが、薫はほっとした。


 マルナの口ぶりからして本当の意味というか、そういうものがわかって言っているわけではないようだ。


「……なるほど、そういうことかよ」


「? アヴァールさん、何かおっしゃいましたか?」


「いや? 何も言ってねーよ?」


 確かに何か聞こえたのだが、気のせいだったのだろうか。


「ほら、早く行こうぜ!」


 というわけで、この三人で行くことになった。




 ◆




 今回の目的地は郊外のショッピングモール。


 移動は車だ。


 薫が運転する。


 アヴァールが興味深そうに見ていてやってみたいと言ったが、もちろん断った。


 免許が必要であることを告げると、


「免許? 魔法でなんとかならねーか?」


「なりませんよ」


 マルナは運転には興味がないようで、その分、外を流れていく景色に見入っている。


 見るものすべてが珍しいのだ。


 あれは何、これは何と質問攻めにされた。


 運転しながらなのですべてに答えるのは大変だったが、マルナが楽しそうだったのでよかった。


 そうして30分ほどドライブをして、到着。


 今日は休日ということもあり、ショッピングモールは多くの人で賑わっていた。


「…………!」


 その様子を見て、マルナがぽかんとした。


「カオル、すごい人!」


「ええ」


「みんな買い物!?」


「いえ。ここには確かアミューズメント施設も併設されているので、そちらが目当ての人もいると思います」


「あみゅーずめんと?」


「映画とか、ゲームセンターとか」


「えいが……。げーむせんたー……」


 ふぉ~っ、という声が漏れているマルナは、率直に言えばかわいらしくて仕方がなかった。


 ちなみに今のマルナの姿は、アヴァールと同じように変身の魔法具を使っているため、犬耳と尻尾はない。


 ごくごく普通の美少女だ。


 いや、かなりの美少女といった方がいいだろう。


 その証拠にかなりの注目を集めていた。


 自分の家族であるマルナがみんなに注目されていることが、薫は誇らしかった。


「さて、マルナ。まだここに来た本来の目的を果たしていませんよ」


「はっ、そうだった。すごくてすごいから驚きすぎていた」


「驚きすぎていましたか」


「そう」


 こくりと頷くマルナに、薫は微笑む。


 無意識に、その頭を撫でてしまう。


 マルナがくすぐったそうにしている顔を見て、自分が何をしているのか気づき、慌ててやめるが、


「どうしてやめる?」


 そう言われると、もうしばらく続けないといけないような気がするから、辞めて欲しい。


 自分には、こういうことを意識的にやろうとするのは、ものすごくハードルが高いのだ。


「ほ、本来の目的ですよ」


「そうだった。洋服を買う」


「そうです。あ、ですが、アヴァールさんの目的であるお酒を売っている店の方が近いですから、先にそちらから回りましょう」


 薫がアヴァールを振り返る。


「その必要はねーよ」


 どういうことかと思っていれば、


「二人はデートを楽しめってことだよ。お邪魔虫は消えるからよ」


「ちょ、アヴァールさん!?」


「気合い入れろよ、魔王代理!」


 それは無理な相談である。


 だが、薫の制止する声を聞かず、アヴァールは片手をひらひら振って行ってしまった。


「カオル、どうする?」


「そ、そうですね。アヴァールさんの心遣いを無駄にしてはいけないと思うんです。だから」


「だからデートする?」


 ぐっ、となる薫。


 買い物だと思えば何でもないのに、デートだと思うとハードルが高くなるような気がする。


「そ、そうです」


「わかった。ならデートする」


 唯一の救いは、ルナがデートの本当の意味を理解していないことだろう。


 実際、目的のショップに向かって歩き出したのだが、ここでもマルナの好奇心は大いに刺激され、あれは何、これは何と薫は質問攻めを受けた。


 だが、一度意識してしまった薫はそうはいかなかった。


 体がいつもより硬くなっていることを自覚する。


 その硬さをとるために、薫は心の中で自問した。


《マルナは15歳です。確認しました》


 つまり、20歳も年下ということになる。


《そんな子を相手に意識するというのは、どうなんでしょう?》


「カオル、どうかした?」


「え、な、何がですか?」


「カオルの様子がおかしい」


「そんなことは……ありますね。ちょっと、その、緊張してしまって」


 デートのせいとは、さすがに恥ずかしくて言えない薫だった。


「それは駄目。緊張は体を硬くさせて、物事を失敗に導く」


 何やら深い物言いだ。


「そういう経験があるのですか?」


「ある。初めての狩りの時。獲物を前にして緊張した」


「なるほど。それで、そういう時はどうすれば?」


「少ししゃがんで」


「……こうですか?」


「そう」


「で、どうするんですか?」


「こうする」


 薫はマルナの胸に抱きしめられた。


 甘い匂いに包まれる。


 それに、意外と胸が大きかった。


「――じゃありません! な、何をするんですか!? マルナ!」


「? 何って、父様がこうしてくれたから。わたしはすごく落ち着いた。どう?」


「余計緊張してきたと言いますか……」


「足りない? なら、もっとぎゅっとする」


 さらに強く抱きしめられてしまった。


「どう? 落ち着いた?」


 まったく落ち着かない。


 落ち着くわけがなかった。


 だが、それを言ったら、さらに抱きしめられることは間違いない。


「も、もちろんです! とても落ち着きました!」


「どれくらい?」


「ど――」


 どれくらいと来ましたか!?


 衝撃を受ける薫である。


「そ、そうですね……富士山が噴火するぐらいの勢いでしょうか」


 それはまったく落ち着いているとは言えない状態であるが、抱きしめられてテンパっている薫は気づけない。


「そう。よかった」


 解放された。


 薫の心臓は信じられないくらいバクバクしていた。


 ずっと年下だが女の子ということか。こんなにドキドキさせられるとは。


 そう思っていた薫は気づかなかった。


 薫から微妙に顔を背けているマルナの耳が赤くなっていることに。


 顔を背けているのも、熱くなった顔を見られたくないからだということに。


「早く行く」


「ですね」


 二人して歩き出した。


 目的のショップとは反対の方向へ。


 抱きしめたマルナも、抱きしめられた薫も、お互いに意識しすぎている証拠だった。




 ◆




 そんな一幕がありながらも、ようやくたどり着いたショップでの服選びは難航した。


 マルナもよくわからないし、薫もよくわからない。


 そこで店員に任せることにしたのだが、店員がマルナのかわいさにメロメロになってしまい、あれもこれもと選びはじめて、さながらファッションショーになってしまったのである。


 それが終わったのは二時間後。


 すっかりぐったりしているマルナと薫だった。


「疲れた」


「ですね。でも、どの服も似合っていましたよ」


「そう?」


「はい」


 今のマルナは魔法具のおかげで尻尾は見えないが、あったら、ぶんぶん振っていそうなぐらい、喜んでいた。


「さて、服と、日用品も買いましたし」


 マルナが佐月家で使うコップやら茶碗やら箸やらだ。


「これからどうします……?」


 マルナが見つめているものに気がついた。


 ゲームセンターだ。


「見に行きますか?」


「いいの?」


「もちろん」


「うれしい!」


 マルナの瞳が輝く。


 荷物を持ち直して、一緒に向かおうとした時、その騒動は起こった。


 怒鳴り声。


 何事かと見れば、アヴァールが大学生ぐらいの男たちに囲まれていた。


 周りの人たちが口々に語った話をつなぎ合わせると、こういうことのようだ。


 大学生の男女がグループで遊びに来ていたのだが、女の子たちがイケメンのアヴァールに一目惚れ、逆ナン。


 アヴァールもまんざらでもない様子でそれに応じた。


 それが気に入らなかったのは男子たち。彼女なのか、それとも恋人にしたいとモーションをかけていたのかはわからない。


 何にしても、目の前で女の子たちを連れて行こうとしたアヴァールに突っかかったというのだ。


 アヴァールが暴れたら大変なことになるのは間違いない。


 人化しているとはいえ、元はミノタウロスだ。


 薫が止めに入ろうとしたが、遅かった。


 大学生がアヴァールを殴ってしまった。


 当然、アヴァールはびくともしない。


「ちっともきかねえなぁ。だが、一発は一発だ。今度はこっちの番だぜ?」


 にやりと笑ったアヴァールが拳を振りかぶる。


 だが、その拳が大学生に当たることはなかった。


「な、に?」


 薫が受け流したのだ。


 アヴァールは自分の拳が軽く流されたことに、戸惑いを隠せない。


 しかも相手が薫だ。


 荷物も持っているというのにだ。


「アヴァールさん、暴れるのは駄目です。ここがどこだか忘れたのですか?」


 アヴァールは今のはなかったことにした。


「売られた喧嘩は買う主義なんだよ」


「なるほど。でも、駄目です」


「はっ、知らねえな。どけ、カオル」


「どきません」


「おい、もう一度しか言わねえぞ? ――どけ」


「なら、僕はこう言いましょう。――魔王代理として命令します。喧嘩は駄目です」


 迫力はない。むしろ淡々としている。


 だが、アヴァールは言い返せなかった。


 魔王代理として命令されたからではない。


 薫がものすごく大きく見えたからだ。


 ――あの薫が?


 アヴァールの体が震える。


「わかりましたか?」


「お、おう。わかったぜ」


「ありがとうございます」


 にっこり微笑んだ薫はいつもの薫で、さっき感じたものが幻のようにアヴァールには感じられた。


 薫が大学生に向き直る。


「皆さん、喧嘩はよくありませんよ」


「知ったことかよ! そっちが悪いんだろ!?」


 大学生たちが集団で殴りかかってくる。


「危ねえ、カオル!」


 アヴァールは薫を守ろうとした。


「その必要はない」


 アヴァールの隣に立ったマルナが言った。


「それってどういう意味だよ?」


 アヴァールがそう言った時、衝撃音が響き渡った。


「なん、だと……」


 大学生全員がフロアに伸びているではないか。


 全員、何が起きたのかわかっていない顔をしている。


 それは伸びている大学生たちだけではなく、アヴァールも、他にもこの騒動を取り囲んで見ていた人たちもだ。


「おいおい、何だよこれ。俺が目を離したのは一瞬だぞ!? いったい何が起こったんだよ!?」


 薫が言った。


「大事な人たちに何かしようというなら、僕は絶対に許しません」


 冴えないおっさんであるはずの薫が淡々と告げる姿に、さっきまでアヴァールに入れ込んでいた女子大生たちが見とれていた。


 騒ぎを聞きつけ、警備員がやってくる。


「これ以上ここにいると面倒なことになりそうですね。行きましょう」


 いまだ呆然としているアヴァールを引っ張り、薫たちはその場を立ち去った。




 ◆




 佐月の家に戻ってきた。


「アヴァールさん、気を遣わせてしまったようで申し訳ありません」


 薫は、マルナとふたりきりにさせてもらったことに礼を言った。


「あ、いや、大丈夫だ。それよりカオル。聞きたいことがあるんだが」


「何でしょう?」


 マルナが買ってきたものを広げてうれしそうにしているのを横目に、薫は言った。


「お前、あいつらに何をした?」


「何もしていませんよ」


「は?」


「あれ? 聞こえませんでしたか?」


「いや、聞こえたけどよ。何もしていないのに倒れるわけがないだろ?」


「きっと、つまずいたんですよ」


「答えるつもりはないと?」


「そんなことありません」


「わかった」


「わかってくれましたか」


「そのうち、本気でやり合おう」


「……わかってくれていませんね。無理ですよ。僕がアヴァールさんに叶うと思いますか?」


「うるせえ。俺の質問にまともに答えねえカオルが悪い。いいか、男と男の約束だからな」


 一方的に言って、アヴァールが異世界に帰って行った。


 薫が頭をかいていると、マルナが聞いてきた。


「どうかした?」


「少し困ったことになってしまったなと思いまして」


「大丈夫。わたしがいる」


 何の根拠もないが、だが、その言葉は薫の胸に響いた。


「……そうですね。ええ、マルナがいますから、大丈夫ですね」




 ◆




 余談だが。


 その日の夜、佐月主導でマルナのファッションショーが行われた。


 途中から光那も交じって大騒ぎになったが、マルナはとても楽しそうだった。

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