第9話 しあわせのエクレア

 マルナと家族になるとみんなの前で宣言してから、数日が経った。


 その間、


「家族はどこに行くにも一緒なのが普通」


 というマルナは薫の後をくっついて、異世界と日本を行ったり来たりしていた。


 そうしながら、クリムたち四天王をはじめ異世界の仲間たちとも、また、佐月や光那、文弥といった大林家の人たちとも、交流を深めていた。


 どこに行くにもついてくるマルナは、まるで親鳥の後を追うひな鳥のようで、佐月に特に気に入られていた。


「ちょっと薫! マルナちゃんがかわいすぎるんだけど!? どうしたらいいと思う!?」


「とりあえずはそうですね。締め切りを守る、というのはどうでしょう?」


「現実逃避してたのに! 薫のいじわるっ! 晩ご飯に茶碗蒸し作ってよね!」


 茶碗蒸しは佐月の大好物なのだ。


 それはさておき。


 確かに薫の後をついて回るマルナはかわいいとは思うが、それ以上に薫は心配だった。


 家族になるといった薫から離れたがらないということは、自分が目を離した隙に、再び家族を失うかもしれないと、本能的な部分で恐れているのではないか。


 表面上は何でもないように振る舞っているから忘れてしまいそうになるが、マルナは大事な家族をすべて失っているのだ。


 だから薫は、マルナの好きなようにさせた。


 そうすることで落ち着くなら、心に安定がもたらされるなら、そうさせようと。


 ただまあ、本当にどこに行くにもついてくるので、風呂まで一緒に入ろうとした時はかなり焦ったが。


 さすがにそれはまずいと説得というか、いろいろ話し合ったのだが、佐月の代わりに光那と一緒に入ったことで、最初から説得をする羽目になったのは、本当に大変だった。


「ミナがよくてわたしが駄目なのは意味がわからない」


「だからですね、マルナはその、なんと言えばいいのか」


「何?」


「この世界の基準でいえば、女子高生とか、そういうのに当たるわけです」


「じょしこうせい?」


 首をかしげるマルナに、詳しく説明した。


「で、それに当たると何で駄目?」


「保護条例というものがありまして、それに違反したということで逮捕されるんです」


 詳しくはわからないが、たぶんそんな感じだったと、うろ覚えの知識で薫は語った。


「逮捕されたら、僕はマルナと引き離されることになります」


「それは駄目!」


「でしょう!? だからお風呂は一緒に入れないのです。わかってくれましたか?」


「……………………わかった」


 長い沈黙に、マルナの葛藤がうかがえた。


 そんなようなこともあって、それ以外はなるべくマルナと一緒にいるようにしていた。


 今日もそうだ。


 異世界で魔王代理として魔王城の掃除や洗濯に勤しむ一方、日本でも主夫業はおろそかにしない。


 なので3時のおやつも自作である。


 エクレアだった。


 マルナのシュークリームと何が違うのかという質問に答えられず、困ってしまった一幕もあった。


 さらに、甘いものが好きだと指摘され、自覚がなかったが確かにそうかもしれないと思ったりもした。


 そうしてマルナがあまりにもおいしそうにエクレアを食べるものだから、自分の分も食べて欲しいと告げた時、マルナが泣き出してしまった。


 何がきっかけになったのかはわからない。


 ただ、彼女はずっと涙を我慢していたみたいだから、泣かせた方がいいと思い、薫は自分の胸を貸した。


 無意識の行動だ。


 そうしてマルナが泣き止むまで抱きしめ続けた。


「もう大丈夫」


 とっくに泣き止んでいたが、なかなか離れようとしなかったマルナが、そう言って離れる。


「そうですか」


 離れていくぬくもりに、なぜか胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えたが、それがどういうものなのか深く考える前に彼がやって来てしまった。


「カオル殿、助けてください!」


 ブライテルだ。


 いつもの彼らしくない慌てた様子にどうしたのか話を聞けば、マルナを見て言いよどむ。


「その、できればカオル殿だけに話したいのですが」


「えっと……」


 マルナを見る。


「……魔王代理としてのお仕事なら仕方ない」


 答えるまでの間に迷いがあったが、最終的にはそう言ってくれた。


「ありがとうございます、マルナ」


「別に。当たり前のこと。お礼を言うのは変」


「そうでしょうか」


「そう」


「でも、うれしかったんです。だから仕方ありません」


「……そう。なら、仕方ない」


「ええ、仕方ないんです」


 マルナが笑ってくれたから、薫は安心してそばを離れることができた。


「ああ、そうです」


 思い出して、マルナに言葉をかける。


「僕の分のエクレア、食べてていいですからね」


「食べない」


「僕が甘いのが好きだからですか?」


「それもある」


「でしたら、また作りますから大丈夫ですよ」


「でも、それだけじゃない」


「というと?」


「カオルには、わたしが食べるところを見ていて欲しいから。だって、カオル、しあわせになれると言った」


 確かに言った。


「だから食べないで待ってる」


「マルナ……わかりました。では、待っていてください」


「うん」


 そうして、薫たちは場所を異世界に移動した。


 ブライテルが告げる。


「相変わらずマルナ殿は、ずいぶんとカオル殿を慕っていますね」


「そうでしょうか」


「ええ。親娘……ともまた違いますが。二人でいることがすごく自然に感じます」


 そう言われると、なんだかうれしかった。


「それで、僕に助けて欲しいということですが」


「実は……」


 そう言ってブライテルが話し始めたのは、彼の家庭の話だった。


 魔王四天王であっても結婚して家庭を持っているのだ。


 ――さすがはブライテルさんです。


 よくわからない納得を薫はした。


 それでブライテルの奥さんというのがとてもヤキモチ焼きで、ここ最近、魔王城での仕事で帰りが遅くなっているのは、もしかして浮気でもしているのではないかと疑われているらしい。


「しかもですよ、相手がアヴァールだと思われているんです!」


 まさかの相手だった。


「ブライテルさん……そう言った事実が実はあったりは?」


「ありません!」


「そうですよね」


 別にそう言ったことに偏見はないが、一応、念のための確認である。


「それで、言いにくいのですが……魔王代理であるカオル殿の言葉なら聞いてくれると思うのです」


「つまり、僕が奥様に話して、疑念を払拭して欲しいというわけですね」


「まあ、はい。そうです。ですが、その、こんなことをカオル殿に頼むのも申し訳ない気持ちもありまして」


「何を言っているんですか。大事な仲間が心置きなく過ごせるようにするのも、僕の、魔王代理の仕事ですよ」


「カオル殿」


 というわけで、薫はブライテルとともに、ブライテルの屋敷へと赴き、奥さんに説明した。


 とてもヤキモチ焼きというので難航することも予想されたが、薫が誠心誠意話をすることで、納得してもらえた。


 途中、家事談義で花を咲かせたことも功を奏したのだろう。


 だが、それがいけなかった。


 奥さんに家事をあれこれ教えて欲しいとせがまれることになって、結局、薫が佐月の家に戻ってこられたのは、日付が過ぎてからだった。


 ブライテルはマルナと約束を交わす現場を見ていたから、しきりに申し訳なさそうにしていたが、魔王代理としてやるべきことだったので、それはブライテルが謝ることではないと頭を上げてもらった。


 夕食の準備などは佐月がやってくれたみたいだ。


「洗濯物も取り込んでくれたんですね」


 申し訳ないことをしたと思う。


 だが、何より悪いと思ったのは、


「マルナ……」


 食卓に突っ伏して寝ているマルナの前に、エクレアが残っているのを見たから。


 待っていてくれたのだ、彼女は。


「ごめんなさい、マルナ」


 無意識のうちに頭を撫でていた。


 そのせいで彼女が目を覚ます。


「……カオル?」


「起こしてしまいましたか。すみません」


「仕事は終わった?」


「ええ、終わりました。……もう遅いですから、寝ましょう」


「待って。まだ駄目」


 マルナがエクレアを食べ始める。


「どう? しあわせになった?」


「…………ええ、なりました。疲れも吹き飛びました。マルナのおかげです。ありがとうございます」


「それはよかった」


 獣耳をぴこぴこ動かし、尻尾をゆらゆら揺らし。


 かすかにはにかむマルナを大事にしたいと、薫はそう思った。

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