第8話 いつかわかる日が来るのだろうか?

 マルナは知っている。


 自分がみんなに嫌われているという事実を。


 来る日も来る日も、狼の獣人たちが暮らす集落のみんなにいじめられていたのだ。間違いないだろう。


 特に、一人の男の子は中心になって、マルナのことを強く、激しく、いじめていた。


 男の子は集落の長の一人息子だった。


 普通なら耐えられなかっただろう。


 だが、マルナは耐えた。


 それは家族がいたからだ。


 いじめられて家に帰ってくると、父様が、母様が、弟たち――家族みんなが笑顔で出迎えてくれた。


 そうしたら、いじめられていたことなど、頭の中から綺麗さっぱり消えてなくなった。


 家族がいる。


 家族がいてくれる。


 何があっても、どんなことがあっても。


 マルナはそれだけで充分幸せだったのだ。




 ◆




 マルナは母親の作る料理が大好きだった。


 弟たちには「おいしくない!」と不評だったが。


 確かに、時々、びっくりするような味付けの料理が出てくることもあった。


 たとえば、ものすごくしょっぱかったり。


 逆に、なんの味もしなかったり。


 そう、文字どおり、素材の味も、何もしないのだ。


 ここまでいくと、一周回って、自分の母親は天才なのではないか?


 そう思うマルナは、充分、家族バカと呼べるだろう。


 実際、弟たちに言われたものだ。


 マルナは家族バカだと。家族が好きすぎると。


 でも、仕方がないではないか。


 本当に家族のことが好きなのだから。


 愛しているのだから。


 料理のことに話を戻せば、そういうとんでもない料理を作った時、母親は決まってこう言った。


「あら、知らないの? これはね、最初からこういう味付けなのよ! だから、失敗したんだとか、そういうな勘違いはしちゃいけないの。わかった?」


 絶対に嘘だし、何なら母親自身もその言葉を信じていなかった。


「ちょっと何これ。信じられないくらいおいしくないんだけど!?」


 小声でそう呟く姿を何度も見た。


 それなのに、父親は言うのだ。


「うむ。そうだな。確かに母様の言うとおりかもしれない。そういうこともあるかもしれないな。だって、ほら、あれだ。世の中には不思議なことがあるものだろう?」


 まじめくさった顔をして、うんうんと頷きながら。


 そうして最後は、そんな母親と父親の姿を見て、弟たちは笑うのだ。


 それにつられて母親も父親も笑って、もちろんマルナも笑った。


「うん、みんないい笑顔! 母様はね、みんなが母様の作った料理をおいしそうに食べてくれるのを見ているだけでしあわせよ!」


 マルナの家には、そんなふうに、いつも笑いがあふれていた。


 だから、どんなにいじめられても、本当に大丈夫だったのだ。


 つらくても、苦しくても、家に帰ることができれば――家族と一緒に過ごすことさえできれば、笑顔になることができたから。


 家族がいてくれるマルナは無敵だった。


 だが、そんな日々に終わりがやって来た。




 ◆




 家族が死んだ。


 マルナが、集落の長の一人息子が中心になったグループに連れ出されていた時のことだった。


 家族を殺したのは、集落に現れた魔物だという。


 集落に魔物が現れることは、よくあることだった。


 でも、自分の家だけが狙われた?


 他のどの家も綺麗なままで、襲撃された様子がまったくない?


 そんなことがあり得るというのか?


 マルナは嫌われていることを承知で、集落のみんなに聞いて回った。


 みんな、口をそろえて同じことを言った。


「そういうこともあるのではないか」


 と。


 一人として違う言葉を口にしない。


 まるで口裏を合わせているかのようだった。


 物言わぬ家族を前にして、マルナは泣くこともできず、途方に暮れていると、いじめの中心人物がやって来た。


「おい、マルナ。俺様に感謝しろよ。集落の嫌われ者であるお前を、頼る奴のいなくなったお前を、この俺様が特別に世話してやることになったんだからな」


 なんで中心になってマルナをいじめていた奴の世話を受けなければいけないのか。


 しかも、すでに決定済みみたいなことになっているのか。


 わけがわからない。


 本当に、わけがわからない。


 マルナは集落の長の一人息子を――いや、この時のマルナには、すでにそんな認識はなかった。


 自分の前にある、邪魔な何か。


 どうでもいい何か。


 その何かを、母親と父親に止められていた全力で殴った。


 醜くひしゃげた何かを見ても、まったく心は晴れなかった。


 マルナは集落を飛び出した。


 家族のいない集落にいる意味はないから。


 夜通し走り、朝になっても走り続けた。


 そうしていたら――異世界に召喚されていた。




 ◆




 マルナは聖女として召喚されたらしい。


 そして、深い森の奥にある、魔族とモンスターたちの国にいる魔王と戦い、殺すように言われた。


 どうして自分が召喚されたのか。


 自分でなければいけない理由があるのか。


 マルナが普通の状態だったなら、そんなことを気にしていただろう。


 でも、今のマルナにはどうでもいいことだった。


「わかった」


「本当か!?」


 マルナは頷いた。


「で、その魔王? とかいうのは強い?」


 尋ねれば、国王の体が震え始める。


「……ああ、強い。恐ろしく、憎らしいほどな」


 その声には激しい憤怒や狂おしい憎しみが滲んでいた。


「本当に倒してくれるのだな?」


「倒す」


「そうか……!」


 マルナを召喚した、傷だらけの国王は歓喜した。


 いや、いっそ狂喜したと言った方がよかったかもしれない。


 この時、国王のことなどすでに頭の中になく、ただこう思っていた。


 そんなに強いのなら、魔王は自分を殺してくれるはず。


 家族のいない世界に未練はない。


 生きている意味はない。


 殺してもらうのだ。




 ◆




 そして家族の元に向かうはずだったのに。


 何がどうして、自分は今も生きているのだろう。


 しかも、自分を倒した人と家族になって。


 本当にわけがわからないし、まったく意味もわからない。


 でも、それは仕方ないことなのだとマルナは思っていた。


 なぜなら、


「あの人は変だから」


 たぶん、誰よりも強いのに、強くないと言い張って。


 掃除が好きで。


 洗濯が好きで。


 布団を干すのが好きで。


 買い物が好きで。


 花に水をあげるのが好きで。


 ひなたぼっこが好きで。


 料理が好きで。


 お菓子作りも得意で。


 空をぼーっと見ているのが好きで。


 辛いものはちょっぴり苦手で。


 甘いものが大好きで。


 猫とか犬とかかわいがりたくて。


 でもなぜかいつも逃げられていて、しょんぼりしていて。


 そして、みんなに好かれている。


 クリムやバムハルト、佐月に光那、アヴァール、ブライテル、食堂の料理長スケルトンキング、他にもいっぱい。


 マルナは思う。


 あの人は母様みたいだ、と。


 いつもみんなのことを気にかけているところもそっくりだ。


 それに、母様と一緒にいた時に感じていた気持ちになれる。


 胸の奥があたたかくて、ふわふわする感じ。


 だけど、決定的に違うところもあった。


 性別ではない。


 作る料理が、ものすごくおいしいこと。


 今もそうだ。


 魔王城から押し入れをくぐってやって来た異世界――日本。


 本当の魔王の家の台所で作ったお菓子を振る舞ってくれている。


 ちなみに佐月は仕事中で、光那は幼稚園だ。


 マルナはテーブルの上に並べられたものを見て、目を大きくした。


「シュークリーム!」


「違いますよ、マルナ。これはエクレアというんです」


「えくれあ?」


「ええ、そうです」


「何が違う?」


「ほら、チョコレートが上にかかっているでしょう?」


「あのちょっと苦くて、すごく甘いやつ!」


「そうです、そのチョコです」


「それだけで違うものになる?」


「はい」


「どうして?」


 マルナの疑問に、薫が固まる。


「え、それは……どうしてでしょう? あれ、本当に何ででしょうね? うーん」


 腕を組んで考え込んでしまった。


 そんな薫を見ているのも面白かったが、マルナは袖をくいくいと引っ張る。


「カオル、カオル」


「え、あ、はい。何でしょう?」


「大丈夫だから」


「ですが、気になります」


 確かに気にはなる。


 でも、


「おいしいから。だから問題ない」


 マルナが薫を見ながらそう言うと、彼はなぜか再び固まってしまった。


「カオル?」


「い、いえ、何でもありません。そうですね。マルナにそう言ってもらえたら、僕としてはもうそれだけで充分です」


「そう?」


「ええ」


 薫がやさしく笑っていた。


 そういえば、料理がおいしいだけじゃなく、母親と違うところがまだあった。


 薫と一緒にいると母親と一緒にいた時みたいな、胸の奥があたたかくて、ふわふわする感じもするのだが、それだけじゃない時があった。


 今がそうだ。


 父親といた時や弟たちといた時にも、感じたことがない感覚。


 胸の奥が、きゅん、と締め付けられるような。


 その感覚が何なのか、マルナにはよくわからなかった。


「マルナは本当においしそうに僕の作ったものを食べてくれますね」


「そう?」


「ええ。僕の分も食べますか?」


「……駄目。だってそれはカオルの分。カオルも甘いものが好き」


 少しだけ返事が遅れてしまったのは許して欲しい。


「え、そうですか? そんなことないと思うんですけど」


「そんなことないことない」


「そうですか」


 薫の表情を見ればわかる。


 自分でも気づいていなかったことを指摘されて、少しだけ戸惑っているのだ。


 その証拠に、眼鏡の位置を、ズレてもいないのに直している。


「まあ、それはそれとして。僕の分はマルナが食べてください」


「でも」


「マルナがおいしそうに食べてくれるのを見ているだけで、僕はしあわせですから」


 その瞬間、マルナの瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれ落ちた。


「え、あれ? マルナ、どうしました!? 僕、変なこと言いましたか!?」


「ち、ちが」


 違うと言いたいのに、涙のせいで言葉が出てこない。


「ごめんなさい、マルナ」


 言葉にできないなら、せめて行動で示そうと思って頭を振ろうとした。


 だが、できなかった。


 薫の胸の中に抱きしめられたからだ。


「マルナ、マルナ」


 名前を呼びながら、背中をやさしく撫でてくれる。


 母様にも、父様にも、弟たちにも、もう会えない。


 そんなことはわかっているのに。


 それでもやっぱり、涙があふれてくる。


 本当はもっとおいしそうに食べようと思っていたのに。


 薫が言ってくれたから。


 マルナがおいしそうに食べるのを見ているだけで、しあわせだからって。


 それならもっとおいしそうに食べている姿を見せれば、喜んでくれると思って。


 なぜかはわからないけど、そうしたいと思ったのに、できなかった。


「ごめ、ごめん……」


「謝ることはありません。いいんです。泣いてください」


 昔の自分はこんなに泣き虫じゃなかったのに。


 薫の前でだと、こんなに泣いてしまう。


 何でなのだろう?


 本当に何でなのだろう?


 薫といると、わからないことだらけだ。


 いつかわかる日が来るのだろうか?


 来たらいいなと、薫の胸の中に抱きしめられたまま、そうマルナは思った。

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